第一章「入学、そして継承」/2


 

「―――接触したわよ、昨日の昼と夜に」
『へぇ。・・・・どう思った?』

 入学式の翌日。
 統世学園の屋上にてひとりの少女が携帯電話で話していた。

「普通。潜在能力は高いかもしれないけど、戦技、注意力においては赤点かしら」
『なるほど、半年前のお前、ってわけだな』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
『怒るなよ、褒め言葉だ』
「あ、そ」

 苛ついても無駄だと思い、少女は携帯を握る力を弱める。

『これからも頼んだぞ』
「あんたが前に出なさいよ」
『冗談。俺は司令官だぞ。出先の指揮官じゃないんだよ』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 何気なく、校庭を見下ろした。
 その先に見えたひとりの少年とふたりの少女。

「来たんだ・・・・」

 兄に似たのか、頑強性を示す眼鏡の少女。
 その少女は楽しそうに話す兄たちの後ろを歩きながら昨日の後遺症もない、普通の動きだった。

(よかった)

『とりあえず・・・・いや、違うな』
「何よ?」
『うん、これだ』

 電話先は一度、言葉を貯めるように間を置く。

『この音川を任せる』
「―――っ!?」

 一瞬だけ、携帯を握る手に力がこもった。

「当然でしょ。もう、この音川は私たちの本拠なのよ」

 向こうが笑ったような気配がしたが、構わず通話を終える。そして、その携帯をスカートのポケットに入れながら再び校庭を見下ろした。
 そこにはもう、先程の少女たちはいない。

「穂村、直政・・・・」

 そっと呟かれた声は誰にも聞こえることなく、空気に溶けていった。






唯宮心優side

「―――あー、昨日は悪かったな、俺の生徒たち」

 入学式とは違い、教壇に立ったのは若い男の教師だった。

「とりあえず、自己紹介」

 無精ひげを生やし、白衣を着た姿はどこの徹夜明けの研究者だ、とツッコミを入れたいほど教師には見えない。

「オレの名前は栗山一成。今年が初担任となる。担当は化学だ」

 教師――栗山は「それじゃあ、出席取るぞー」と言い、頭を悩ませながら名簿を読み上げ始めた。
 どうやら、読み仮名を見ずに全員の名前を呼んでいこうとしているらしい。

(へぇ・・・・)

 その態度に心優は感心した。
 全員の名前と顔を覚えるというのは教師として当然のことであるが、読み仮名もなしで名前を読み上げることは難しい。
 特に漢字とはひとつの文字で複数の韻を持ち、例え簡単な漢字であったも名前の場合は油断できない。

(なかなかですね・・・・)

 栗山はそんな難関をすいすいと突破していた。
 実際、ほとんど間違えることなく、心優も通過する。

「あー・・・・」

 その勢いもひとりの少女のところで止まった。

「うーん?」

 栗山は出席簿とその少女とを見比べ、首を捻っている。

「あー、君は・・・・」

 困ったように見つめる視線に少女は亜璃斗とはまた違うタイプの視線を返した。

『どうぞ、お気になさらず』

 さらにスケッチブックにマジックを走らせ、筆談にてそう告げる。

(・・・・あれ? あんな娘、いましたっけ?)

 高校生とは思えないほど小さく、ちょこんと椅子に座る姿はまるで人形だ。
 無表情で筆談する姿は何故か愛嬌がある。

「天叢雲剣の『叢』だから・・・・名字は『むらせ』か?」
「・・・・(コクリ)」

 頷く。

「よし・・・・後は、名前・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ポチポチと電子辞書を使い始めた。

「先生、それは反則っ」
「黙れ、生徒ども。今、俺は聖戦の最中だ。この戦いにおいて全ての手段は合法だ」

 はっきり言えば反則だと思う。だが、後に彼女の漢字を知った時、心優も思わず辞書が欲しくなってしまった。

「ん〜?」
「先生、まだですか?」

 そろそろ、この間に耐えられなくなったクラスメートが催促する。

「わ、分かった。よし・・・・」

 コホンと咳払いで喉の調子を整えた。そして、ボールペンを持って出席簿に何かを書き付ける。

「今日からお前は『むらせなかば』になったっ」
「分からないからって勝手に改名させるなっ」
『別にいいんじゃない』
「いいんかいっ」

 隣の席で我慢できずにツッコミを入れた直政は、今日も絶好調だった。




「―――そんなこと、あったんだ」

 放課後、心優は直政と亜璃斗を連れ、近くの茶店――花鳥風月に寄っていた。

「そうそう。政くん、その後、恥ずかしそうに座るものだから笑っちゃいました」
「あぁあ、そうでしょうね。大爆笑でしたもんねー」

 くすくすと笑う心優から体を背け、直政は拗ねるように和菓子を頬張る。

「む、うまい」
「でしょ? 昨日、先輩に教えてもらった新作なんです」
「先輩?」

 昨日の会話を聞いていなかった亜璃斗が首を傾げた。

「軽音部です。私はそこに入ることにしたんです」
「軽音・・・・へぇ」

 納得したとばかりに頷き、茶を口に含む。

「あれ? 驚かないんですか?」
「だって、心優、歌うまいし。音域広いから何でも歌えるし」
「そうなんですか? 昨日、先輩に言われてもいまいちピンと来なかったんですけど」
「お前は一度、持って生まれた才能を自覚するべきだと思う」

 戻ってきた直政に真顔で言われ、心優は首を傾げながら昨日のことを思い出した。




「―――軽音部部室。・・・・ここですね」

 直政と別れ、校内案内図に従って廊下を歩いた心優は数々の苦難を乗り越えてこのドアに辿り着いた。
 どのような苦難というと、思い出すだけで倒れそうなので割愛する。

「失礼します」

 ノックをして一拍待った心優はドアノブを回した。そして、体をその隙間に滑り込ませ、後ろ手にドアを閉じる。

「1年B組の唯宮心優です。軽音部に入部したいのです、が・・・・」

 心優の声はだんだん萎んでいった。
 何せ、部室は無人だったのだ。

「・・・・あれ? まだ、外で勧誘を?」

 自分で言っておきながらそれはないと思う。
 何故なら、その勧誘を探しても見つけられず、ひどい目にあったのだから。

「もしも〜し・・・・あら?」

 部室の奥から聞こえてくるわずかな音楽。

「誰か、いるんですか?」

 人を捜し求めて、ゆっくりと部屋の奥へと進んでいく。

「これ・・・・」

 机の上に放り出されたヘッドホンから流れ出る曲。
 そこから聞こえてくるのは聞き覚えのある旋律だった。
 ヘッドホンの下にはその楽譜が歌詞入りで置かれている。
 きっと誰かが曲を聴きながら見ていたんだろう。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 キョロキョロと辺りを見回し、誰もいないことを確認すると心優はヘッドホンを装着し、楽譜を手に取った。
 ちょうど、曲が一周して最初に戻ってくる。
 指先で机を叩いてリズムを取り、心優は目を閉じて息を吸った。

「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 紡がれる旋律。
 それは曲調に合わせ、音の大小、高低といった基礎的なものだけでなく、それ以外の何かが籠もった「歌」へと変貌する。
 一度、歌っているのを聞いたことがあり、楽譜が手元にあるとはいえ、初めて歌うとは思えぬ技量とそれ以上の素質を覗かせた。
 心優は右手でリズムを取り、左手は左耳に当てられる。

(やっぱり、楽しいな)

 高揚する気分に後押しされ、どんどん声が大きくなっていくのを止められない。
 窓が開けられており、そこから春の心地よい風が吹き込んできた。
 その風が孕む陽気は心優と踊るようにして渦巻いていく。

―――パチパチパチ

「あ・・・・」

 それを止めたのは、第三者が送った拍手。
 我に返った心優は顔を赤くさせて振り向いた。

「す、すみません。勝手に入った上に・・・・」

 聞かれていた恥ずかしさに縮こまる。

「別にいいよ。新入生だよね?」
「・・・・はい」
「そっか。ボクは神坂栄理菜。キミは?」
「唯宮心優です」
「・・・・難しいね。どんな字かな?」

 モデルのような長身の先輩はその辺りにあった紙とペンを差し出した。

「これに書いてくれる?」
「あ、はい」

 ペンを受け取り、氏名欄に目を落とす。だから、先輩がニヤリと笑ったのに気付かなかった。

「ただ、みや・・・・み〜ゆ、と」
「はい、どうもありがとう」

 紙を後ろ手に隠し、先輩は中性的な顔に爽やかな笑みを浮かべる。

「ようこそ、演劇部へっ」
「え?」
「―――おまんはひとぉが部室で何勝手に勧誘しちゅうかっ!?」
「あら?」

 後ろから走ってきたもうひとりの女子生徒が先輩から紙を引ったくった。
 因みにいろんな方言が混じっている。

「八千穂、入部届返せ」
「ここが演劇部の部室なら返しましょ。じゃっどん、ここは軽音部の部室おす。演劇部部長は早う去ねっ」

 先の先輩とは違い、心優と同じぐらいの女子生徒は紙を破り捨てながらしっしと掌を振る。

「えー、せっかく有望な人材を確保したと思ったのにな」
「それはこっちのセリフじゃっ。先輩たち亡き後、その大きい穴埋める人材をそう易々と天敵に渡す朝比奈八千穂やないでっ」

 心優の前で両手を広げ、長身の先輩を威嚇した。

「はいはい。全く、キミが部長になってからやりにくくなったよ」
「それは先代のセリフと思うけど」

 ビシッと部室の端に飾られた写真を指差す。
 どうでもいいが、何故に白黒写真なのだろうか。

「唯宮さん」
「は、はいっ」

 ひょこっと首だけ朝比奈の体から出して先輩は笑いかけた。

「気が向いたらいつでも演劇部の部室を叩くといいよ」
「え、でも・・・・わたし演劇は―――」
「"ううん、大丈夫"だよ」

 言葉に含まされたこちらを見透かしたような確信。
 それに息を詰まらせた心優は内心で顔を引き攣らせる。

「ふふ、キミならどんな役でもこなせるよ」

 先輩はそのまま背を向けてドアの向こうへ歩き、ドアを閉める寸前で流し目を送った。

「"亡国の姫"、とかね」




「―――心優?」
「―――っ!?」

 ポンッと肩を叩かれ、ビクリと心優は体を震わせた。

「どうした?」

 驚いて手の方を見ると、わずかに眉を寄せた直政の顔がある。

「い、いえ。何でもありません」

 あれから心優は正式に軽音部に入部した。
 朝比奈八千穂は2年生ながら軽音部を率いる部長であり、ほとんどのグループの作曲・作詞を手掛けているという。
 去年の文化祭で心優の心を奪った曲も彼女のものだという。

「5月には学園で第一講堂を使ったコンサートがあるそうです。だから、政くんも見に来て下さいね? 一番前を用意しますから」
「そこまでしなくていい」
「もう、照れ屋なんですから」

 素知らぬ顔で湯飲みに手を伸ばした直政の頬をツンツンと突こうと伸ばした指先が目的に触れる瞬間、直政はお茶を含む。

「ぶっ」

 案の定、お茶を含んだ頬を突いたために前方へと思い切り噴き出された。

「あら、汚いですよ、政くん」
「お前のせいだろっ」
「とりあえず、おしぼり取って、兄さん」

 真正面にいた亜璃斗はお茶の奔流を受け、見事に濡れそぼっている。

「あ、ああ、悪ぃ」

 直政は慌てておしぼりに手を伸ばそうとしたが、それを遮るようにおしぼりが亜璃斗に差し出された。

「―――これでお拭き下さい」
「・・・・あ」

 おしぼりを差し出していたのは丸盆を手にした店員だ。
 この和風喫茶――「花鳥風月」は各種の日本茶と和菓子を出す店であり、その店員は全員着物を着ている。
 その店員も小袖と呼ばれる部類の着物に前掛けをした姿だった。
 着物の袖は襷掛けにされており、動きやすさも重視されている。

「お、お前っ」
「政くん?」
「兄さん?」

 ガタッと立ち上がった直政を心優と亜璃斗が訝しげに見遣った。

(知り合いなのかしら・・・・)

 心優は改めて少女を視界に収める。
 女子にしては高めの身長と高い位置で結われた髪。
 右耳に光るイヤリングが和服と奇妙な調和を見せていた。

「何?」

 少し熱くなっている直政とは対照的に少女は冷めた態度でいる。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そんな少女の瞳をじっと見つめる直政の腕をそっと取った。

「え? 心優?」
「政くんは渡しませんっ」

 ぎゅっと胸に抱え込み、少女を睨みつける。

「お、おい、心優っ」

 直政が慌てて手を振り払おうとするが、無視。

「ふぅん」

 少女はそれを鼻で笑い、背を向けた。

「どうぞ、ごゆっくり」

 義務的な声音と共に裏へと下がっていく。

「うー」
「だから離せって!」

 さらに無視を続け、心優は腕に力を入れながらその背中を睨みつけていた。






穂村直政side

「―――あー、疲れた・・・・」

 家に帰るなり、直政は今の座布団に座り込んだ。
 帰路はずっと心優の詮索を受けていたのだ。

「兄さん、今日はどうする?」

 因みに亜璃斗は少し後ろで静観を保っていた。

「んー、行かない、ってわけにはいかねえだろ」
「でも・・・・」

 昨日のような妖魔が現れれば、自分たちでは太刀打ちできない。

「・・・・ごめん。私がもっと強ければ」
「馬鹿。それは俺のセリフだろ」

 落ち込む亜璃斗の頭に軽いチョップを叩き込み、直政は腰を上げた。

「とりあえず、じいちゃんに会おうじゃないか。もしかしたら仕事が入ってるかもしれない」
「うん」

 ふたりは制服を着替えず、家の奥へと足を運ぶ。
 穂村邸は一応は旧組織に属する諸家であり、他の一軒家に比べると大きい。だが、それほど大きく見えないのは横の唯宮邸が馬鹿でかいからだ。
 ただ、この穂村邸は10年ほど前に建てられたもので先祖代々受け継いできた家ではない。

「じいちゃん、ただいま」
「ただいま」

 挨拶と共に襖を開けたそこでは祖父が家計簿と睨めっこしていた。

「また、赤字か。ふむ、また唯宮に借りるかの」
「いい加減、他力本願は止めんかっ」

 あまりに情けないことを考えた家長にツッコミ。

「ふ、冗談じゃ。そこまで切迫しておらん・・・・まだな」
「そこで視線を逸らされるのは非常に心配なんだけど・・・・」

 ガックリと項垂れ、直政は祖父の前に座る。
 亜璃斗のその後に続き、隣に座った。

「昨日のことを聞きに来たんだろう?」

 白いひげを撫でさすりながら柔和な笑みを浮かべる老人は穂村直隆と言い、現穂村家当主の座にある。しかし、戦場からはすでに遠離っており、現在は専ら事務仕事に明け暮れていた。
 昔は最前線で戦っていたことを容易に浮かばせる古傷がいくつも刻まれているが、元々そうなのか、どこか掴めない性格をしている。

「結論から言わせてみれば、【結城】もそれ以外の機関からも何も言ってこない。もちろん、助けてくれた炎術師についての情報もない」
「炎術師だけど、俺は心当たりがある」
「ほう?」

 それは初耳だとばかりに直隆は目を張った。
 亜璃斗も若干、驚いた面持ちで直政を見ている。

「昨日、学園から帰る時にあいつに昇降口であったんだ。そいつは俺が地術師だって知ってた」
「ふむ、向こうはこちらのことを知っているということか」

 顎に手を当て、唸る祖父。

「それに、今日寄り道してきた店の店員だったし」
「・・・・」

 炎術師の姿を知らなかった亜璃斗は、直政の言葉に息を呑んだ。

「姿を隠す気もない、ということか? そもそも、その娘は何をしたいのだ?」
「さあ? 何か俺と話す時は不機嫌そうだったけど・・・・」

 穂村家の男ふたりは腕を組んで首を傾げる。

「―――鹿頭朝霞(シシズ トモカ)」
「「え?」」

 ポツリと呟かれた声にふたりは同じ動きで横を見た。

「統世学園1年A組所属。赤いリボンのポニーテール。右耳にイヤリング。長身。和風喫茶――『花鳥風月』にてアルバイト」
「亜璃斗?」

 データベースにアクセスしたような口ぶりで『謎の炎術師』の個人情報を暴露していく。

(って、1−A?)

「鹿頭家は昨年秋に音川町に転居。音川町北部に純和風建築の屋敷を持つ。その建築期間が短いこと、大部分の工程がシートに隠されていたことから近隣住民からは『一夜城』と呼ばれる」

 亜璃斗は1−Aだ。
 つまりはクラスメートなのだ。

「ふうむ、鹿頭家か。ならば、納得できる」
「何で?」

 直政は――というか、全国の弱小組織は――炎術師=九州地方、というイメージしかない。

「鹿頭家はな、諸家ながらも一時は熾条宗家に匹敵した炎術師の一族だ。今でも大きな影響力を持っている。それこそ、新旧戦争に参加できるほどにな」
「へぇ、うちとは大違いだな」
「うっ」

 率直な意見に直隆が呻いた。そして、そのまま畳にのの字を書き始める。

「うちだって・・・・うちだってなぁ」

 いじける直隆に亜璃斗が寄っていき、その肩を叩いた。

「ありと〜」

 情けない声と共に涙目で孫を見る。

「仕方ない。うちは最弱グループ」
「ぐ、はぁっ」
「あぁっ!? トドメ刺したっ」

 超至近距離から放たれた言葉の砲弾は直隆のハートを見事打ち砕いた。

「?」
「って、本人気付いてねーっ!?」




「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 深夜、直政は亜璃斗に内緒で穂村邸を出た。
 どうやら直政は亜璃斗よりも高位のようで、<土>は直政に味方する。
 だから、直政が出掛けたことに亜璃斗は気づけなかったはずだ。

(さて、と・・・・)

 ゆっくりと索敵を開始し、反応がないことを確かめるととりあえず北へと足を向ける。
 地術師の索敵能力は精霊術師の中でも二番目だ。
 大気を介す風術師には及ばないものの、地面に足を付けている限りは地術師の索敵範囲から逃げられない。ただし、建物の中や自分自身が建物の中にいる場合はその索敵能力が激減する。
 その辺りが風術師に劣っているが、地中では抜群の成績を収めていた。

「えーっと、確か・・・・」

 音川町の北区に移動した直政は記憶の中から巷で評判の御屋敷の場所を思い出す。

「こっちで合ってるな、うん」

 周囲に妖魔の気配はなかった。
 すでに掃討した後なのか、今夜は出なかったのかは分からないが、退魔師としての仕事は何もないという状況である。
 ならば、どうして直政は夜に出歩いているのであろうか。

「ああ、あったあった、『一夜城』」

 石垣の上に白壁が続く、城のような塀の向こうに城門のような重厚な門扉が見えた。


「―――その名前で呼ばないでくれるかしら」


 その前にポニーテールの少女が鉾を片手に待っている。

「何しに来たの?」
「えっと・・・・挨拶、かな?」

 鋭い視線付の問いにへらっとした笑みを浮かべながら答えた。―――それに対する返事は眼前に突きつけられた鉾の穂先だったが。

「燃やすわよ」
「いや、ちょ、冗談!」

 湧き上がった炎に直政は慌てて両手を振る。

「眠いのよ、私は。とっとと話してくれる?」
「いや、昨日の妖魔、どうやって倒したのかなぁ? って思って」
「燃やしたのよ」
「それは分かってるけどっ」
「大声出さない。近所迷惑よ」
「出させてんのは、あんただろっ」
「はいはい。・・・・もう、来なさい」

 呆れたようにため息をついた朝霞はポニーテールを翻し、城門を潜った。

「え?」
「知りたくないの? そうなら別にいいけど」
「ああ、行きます行きますっ」

 気まぐれな猫のような朝霞に慌てて直政は門を潜る。そして、また、その足を止めてしまった。

「ぅわぁ・・・・」

 重厚な門の向こうに広がっていた空間。
 それは城そのものだった。
 塀だと思っていた外壁は実は中に廊下を内蔵した多聞櫓と呼ばれるものであり、城門を潜った広場を見下ろす形で母屋となる建物は一段高いところに建てられている。
 まさに城門を突破した敵を、この広間で撃滅するための作りなのだ。


「―――姫、お帰りで」


(姫?)

「ええ、今日は戦果なしよ、香西」

 法衣姿の男が朝霞を迎える。

「ああ、こっちは例の地術師よ。部屋に案内しておいて」
「御意」

 僧は頷くとこちらを見た。

「穂村殿、こちらへ。拙僧が案内いたしましょう」
「あ、はい」

 朝霞はいつの間にか鉾を消し、母屋へと歩いていく。そして、直政は僧の後に続き、城門と同じ曲輪にある建物へと案内された。

「はぁ・・・・」

 客室らしき場所に通された直政はその凝った内装に眼をパチクリさせる。
 いわゆる、書院造りという建築様式で質素ながらも荘厳さを感じさせるその部屋は直政の背筋を伸ばさせた。

「―――入るわよ」

 襖の向こうから聞こえた声に返事する暇もなく、それは開け放たれる。

「訊いた意味は?」
「礼儀よ。ここは私の家なんだから、形式だけのね」

(何てやつだ・・・・)

 対面に座した朝霞は強い視線のまま直政を視界に収めた。

「自己紹介するわね。私は鹿頭朝霞。"東の宗家"・鹿頭家の当主よ」

 朝霞は自分の胸に手を当てて言う。

「大方、私のことは妹さんに聞いたんでしょう」
「その通り」

 直政の返事を聞き、リボンを触りながらため息をついた。

「ま、私も隠すつもりはなかったからいいんだけど・・・・夜分遅くに訪ねてきた理由は?」
「え、と・・・・だから・・・・」
「嘘は止めなさい。あなた程度のレベルじゃ、隠し通せないわよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「私の周りにはね、それこそ一組織に命懸けではったりかますような奴がいるの」

 直政は「慣れないことは止めなさい」と言われて苦笑する。
 やはり、こういう駆け引きは亜璃斗の分野だ。
 直政にできることはただひとつ。

「―――今、この町で何が起こってる?」

 実直に、されどこの場では愚直に己の問いを告げるだけだ。
 それに対する答えは―――

「本当に、知る覚悟がある?」

 全てを知る者からの、さらなる問いだった。






穂村家side

「―――直政は出掛けたか」
「うん」

 深夜、直政が外出した時刻の穂村邸。
 そこでは直隆と亜璃斗が暗闇にて向き合っていた。
 空間把握に優れる彼らにとって明かりは必要ない。また、それは直政に明かりを見られないようにするための措置だった。
 直政が秘密裏に出ていったのならば、彼らも秘密裏に会合を進める。

「唯宮邸の者たちには話を通しておいた。だが、学園のことはお前に任せるしかない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「穂村の家は先鋒を司る家。主家に仇なすものを突き崩し、蹴散らすのが役目だ」
「うん」
「ならば、探れ。物見をなす一族が滅んだ以上、我らが職務は多岐に渡る」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「その結果、炎術師が邪魔になると判断すれば・・・・」

 直隆は言葉を溜め、吐息のように命じた。

「殺せ」









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