第二次ダーウィン空襲


 

 1943年5月。
 この時、南太平洋では日本軍、アメリカ軍、オーストラリア軍がそれぞれの作戦準備を進めていた。
 だが、日本軍は4月以前と変わらない。
 連合軍の航空攻撃をさばきながら前線への戦力補充にまい進し、連合軍の攻勢が予想されるニュージョージア島ムンダ、ニューギニア島ラエ・サラモアでは陣地構築が続いた。
 一方、アメリカ軍も5月の航空攻撃は下火となる。
 4月の日本軍航空攻勢の損害回復と6月下旬から開始されるカートホイール作戦の準備のためだ。
 6月中旬以降には準備作戦として大航空作戦を実施予定で、そのために航空兵の多くが休養に入っていた。
 その保養地のひとつにオーストラリア北部――ダーウィンが入っている。
 この日も2,000名を超える航空兵が飛行場周辺のビーチ等で余暇を楽しむ予定だった。






第二次ダーウィン空襲scene

「―――まもなく、作戦海域です」

 1943年5月28日午前5時26分、南太平洋オーストラリア北方海域。
 ここに30隻近い艦隊が南方へ向かって航行していた。

「『筑摩』から発光信号、『偵察機発進』とのこと」
「うむ」

 頷いたのはこの通称、"第二機動艦隊"と名付けられている臨時編制の司令官・桑原虎雄海軍中将だ。
 ガダルカナル島の戦い末期のケ号作戦において航空作戦を指揮し、その後に臨時編制された"第二機動艦隊"の指揮官に抜擢された。
 隷下の空母部隊は五航戦「隼鷹」、「飛鷹」、七航戦「雷鷹」、「鳴鷹」、司令部直轄の「瑞鳳」である。
 「瑞鳳」は三航戦に所属していたが、「龍鳳」の同型艦である「清鳳」が配備されたために"第二機動艦隊"へ転属となった。
 役目は変わらず艦隊防空であり、戦闘機30機程度を配備している。

「いよいよですね」

 参謀長を務める酒巻宗孝少将が言った。
 彼は直前まで第50航空戦隊司令官をしており、やや降格とも言える人事だ。しかし、開戦時期は蘭印・ソロモン方面の航空作戦に参加した第11航空艦隊参謀長を務めており、この海域にも明るかった。

「搭乗員はどうだ?」
「やる気に満ち溢れていますよ」

 "第二機動艦隊"に所属する空母は第三艦隊の空母と比べると見劣りする。
 それでも航空機は約280機で、配備機も零戦二二型、彗星一一型、天山一一型を搭載していた。
 なお、第三艦隊では彗星と天山がそれぞれ一二型に換装中である。

「新米が多いから注意せねばならんぞ」

 中国大陸で実戦経験を積んだ搭乗員の多くはそのまま基地転換でソロモン戦線に異動が可能だった。
 だが、中国戦線での経験も空母離発着には生きない。
 結果、最初から空母搭乗員として教育した場合、その実戦経験がいきなり艦隊決戦になる例が多かった。
 これでは育つ者も育たないとし、1942年中は商船改造空母に乗ってガダルカナル島やラバウル近海での航空作戦を実施する。
 しかし、ガダルカナル島撤退以降はこれもできずにいた。
 1943年になるとラバウルやニューギニアに陸軍航空隊が多数配備されるようになったため、ケ号作戦後は内地に戻り、補給と整備を行う。
 そんな隙をつかれたのがビスマルク海海戦だった。

「クパンより入電中。『南方偵察の結果、いつもと変わらず』とのこと」

 クパンとはティモール島最大の都市かつ港であり、オーストラリア北部空爆の主要出撃拠点である。

「『いつもと変わらず』。つまり、無警戒ということですね」

 オーストラリアはどうせ日本軍による本土侵攻はないと決め、オーストラリア北部の守備はおざなりだ。
 日本軍も偵察爆撃に徹しており、その頻度は1か月に1回~数か月に1回程度である。
 クパンが北向きの港湾であることもあり、両者の間に広がる海の偵察もまばらだった。

(まあ、こんなのどかな場所にこれだけの攻撃力を持って乗り込むのだ。驚くだろうなぁ)

 桑原は第一波として待機している120機を思い浮かべて小さく笑う。

「搭乗員にはこの作戦の意義をしっかりと伝えているな?」
「昨日と本日も訓示を行ったと報告を受けています」

 本作戦――第二次ダーウィン空襲の目的はダーウィン港の戦略的価値の低下だ。
 整備されている港湾施設、飛行場を破壊し、在地艦艇を徹底的に叩き潰す。

(ここに情報通りの一大潜水艦基地が作られると蘭印の油槽船が危険にさらされる)

 石油は日本にとって生命線だ。
 すでに水上機を中心とする偵察網が完成しているが、敵が来ないことに越したことはない。

(それに、欺瞞でもあるしな)

 今回の"第二機動艦隊"はこれまで第三艦隊が使用していた呼び出し符号を用いている。
 暗号解読に躍起の連合軍が「日本海軍の主力艦隊が作戦行動中」と見て、血眼になって探しているはずだ。
 そんな中、艦載機の大編隊によってダーウィンが襲われれば、第三艦隊だと思うに違いない。
 連合軍はダーウィン空襲を実施した部隊が内地に帰った瞬間を狙って攻勢に出るはず。
 そうして、作戦発動時期を限定することで、敵の主導権の一部を奪い取るのだ。

(鉄砲屋から立派に情報屋へとなられているな)

 作戦自体は軍令部第一課と連合艦隊司令部の合同発議だ。
 だが、その背後に第三部のとあるお方の尽力があったことは想像に難くない。

「第七戦隊より発光信号『我、前進ス』」
「うむ。『武運祈ル』と返答せよ」

 第七戦隊旗艦「最上」以下、「鈴谷」、「熊野」が針路を変え、それに随伴して駆逐艦8隻が艦隊から離れていく。
 残るは空母5隻、重巡2隻、軽巡2隻、駆逐艦8隻だ。
 これらの艦隊はクパンの基地航空隊の行動半径内に待機し、ダーウィンへの攻撃を開始する。
 第七戦隊の姿が地平線の向こうに消えてしばらく経った頃、懐中時計を見つめていた兵が言った。

「午前6時です」
「時間だ! 攻撃隊発進!」
「信号送れ!」

 旗艦である「利根」から発光信号が放たれ、麾下の空母たちが「了解」の信号を送った後、一斉に風上へと舵を切った。
 第二次ダーウィン空襲の第一波が空へと解き放たれたのである。




「―――あ~、いい天気だ」

 1943年5月28日午前6時40分、ダーウィン市海岸。
 ジョゼフ・ウィルソン陸軍大尉は朝日を拝みながら砂浜に寝転がっていた。
 実質的には休暇中だが、名目上は任務中である。
 定刻にラッパが鳴り、日中は規則正しい生活が待っていた。
 このため、自由時間である朝食までにジョギング等で朝の時間を楽しむ者たちは多い。
 ウィルソンもその一人だった。
 尤もその途中で砂浜に寝転がっているのだが。

「こんな天気に待機命令が出ている奴はついていないな」

 背後の飛行場には4機のF-40が緊急待機している。
 格納庫にはさらに4機のF-40が待機していた。
 クパンから時折飛来する戦爆連合は十数機であり、この程度の戦闘機で対応可能だ。

「さて、そろそろ朝飯―――」


―――ブツッ


「ん?」

 スピーカーが異音を立てた。
 これは普段使っている回線から別の物に入れ替えたということだ。

「なん―――」


―――ウ~ウ~ウ~ッ


「これはッ!?」

 ウィルソンは思わず立ち上がった。

「空襲警報!?」

 これまでの空襲では警報は鳴っていない。
 待機していた航空部隊が静かに出撃しただけだ。
 空襲警報自体は軍にではなく、町に住む民間人に対するものだ。

(つまり、それだけの空襲規模と言うこと!?)

『―――全将兵に告ぐ! 即刻原隊に復帰せよ! 繰り返す! 即刻原隊に復帰せよ!』

 別のスピーカーから聞こえてきた声は基地司令部の連絡兵のものだ。

『急げ! 日本軍はすぐそこに迫っているぞ!』

 空襲警報と連絡兵の叫びの中に別の音が混じってきた。
 その音源の方向を思わず見たウィルソンは、そのまま固まる。

「な・・・・な・・・・」

 彼は陸軍大尉。
 正しくは陸軍航空隊に所属する戦闘機指揮官だ。
 その優れた視力は水平線の向こうにそびえる雲を背に数十の黒点を捉えた。

「近い・・・・低い・・・・ッ」

 それだけで彼は分かった。
 敵は低空を飛行することでレーダーから隠れた。
 そうして近づいてきた。
 さらに言えば、低空での飛行はそれだけ燃料を消耗する。
 その短所を補うには近づくしかない。
 つまり、敵はクパンを発したのではなく、近海から飛び立った。

(近海に進出し、さらにこれだけの航空機がやってくる・・・・)

 これがアメリカ軍が開戦以来手を焼く日本海軍航空機動艦隊でなく、何だというのか。

「あ、あ・・・・」

 彼の脳裏に1941年12月の情景が蘇る。
 彼は中尉としてハワイ準州にいた。
 その時、彼は飛行場格納庫で震えていた。
 出撃しようにも空は零戦が支配しており、飛び立つ傍から撃墜されるのだ。
 空に上がれないパイロットなど、銃のない歩兵にも劣る存在だ。

「―――おい! そこの! さっさと建物内に逃げるぞ!」
「―――ッ!?」

 周りにいた兵が声をかけてきた。
 彼は迎撃が間に合わないことを悟り、地上への機銃掃射から逃れるため、頑丈な建物内への避難を勧めてきたのだ。

「わ、分かった」

 ウィルソンは私服なので、階級章はつけていない。
 だから大尉だとは気付いていないのだろうが、今はそんな上下関係はいい。

「逃げるぞ!」

 今ははっきりと聞こえてくる爆音から逃れることが先決だった。



 日本海軍の第一波は零戦と天山、やや少数の彗星が中心だった。
 零戦は瞬く間にF-40を駆逐すると、低空に舞い降りて対空機銃陣地の制圧にかかる。そして、天山は腹に抱えた爆弾を編隊水平爆撃で飛行場を叩いた。
 800kg爆弾で滑走路に大穴を開け、格納庫群や掩体壕を吹き飛ばす。
 少数の彗星はピンポイント爆撃でレーダー施設や通信設備、電力系統を叩いた。
 ものの20分ほどの空爆で、ダーウィン地区の航空戦力は一掃される。
 さらに電気、通信網が麻痺し、効果的な消火・情報伝達が不可能となった。


 攻撃はそれだけでは終わらない。
 低空を乱舞する零戦が港湾施設を機銃掃射する中、彗星を中心とする第二波が到着。
 今度は港湾部へピンポイント爆撃した。
 その結果、蘭印方面に出撃予定であった潜水艦部隊が一方的に叩かれ、22隻中17隻が船体を粉砕されて沈没、5隻が大破着底する。
 着底した潜水艦も工廠が近くにないこの状況では廃棄せざるを得ないだろう。
 最後にとどめとばかりに魚雷備蓄倉庫が爆撃され、大爆発の衝撃波で軍港施設は致命的とも言える打撃を受けて廃墟と化した。
 爆発前は散発的に機銃――中には小銃射撃――による反撃が見られたが、爆発後は完全に沈黙する。



「―――おいおい、まだ来るか?」

 ウィルソンは鉄兜をかぶり直し、レンガ造りの兵舎に転がり込んだ。
 第一次攻撃終了から2時間後、また空襲警報が鳴ったのだ。
 どうにか2時間で司令部の非常電源設備が使用可能になったから鳴った警報である。だが、さすがレーダー施設までは復旧していなかった。
 この警報は見張員が水平線の向こうからやってくる航空機を発見したのである。

「もうこっちのライフはゼロだってのに」

 飛行場と軍港が受けたダメージは向こう数か月は使用不可能と思えるほどだった。
 滑走路に開いた大穴を埋めるための重機も大半が粉砕されている。
 人力で埋め、整地し直すには人も物資も足りない。

「他にどんな爆撃目標があるってんだよ・・・・ッ」

 そうぼやくが、あるにはある。
 飛行場周辺の倉庫群はまだ残っているし、燃料タンクも健在だ。
 あまり想像したくはないが、市街地もある。

(だが、日本は精密爆撃にこだわるからな・・・・)

 真珠湾攻撃でも市街地に被害は出ていない。
 本土砲撃でも目標は軍需施設だった。
 中国大陸で非道な真似をしているという情報だが、対アメリカ戦闘では紳士的と言える。

「・・・・絶対に嫌われ者の紳士だがな」

 日本軍は正確に"軍需施設"を破壊している。
 まるでこのダーウィン基地の設備配置状況を熟知しているかのような無駄のなさだった。
 思えば真珠湾攻撃もそうだ。
 あの時、日本海軍は正確に海軍司令部を吹き飛ばしている。
 ウィルソンはへし折れて黒煙を上げる太平洋艦隊司令部の光景を思い出し、思わず首を振った。

「・・・・・・・・・・・・待て」

 ここは飛行場敷地内にある搭乗員用宿舎だ。
 周囲には土塁が築かれており、至近弾の爆風も防げるようになっている。
 そう、上空から見ても重要施設に見える。

「おい、司令部の辺りじゃないか、あれ!?」

 俊敏な急降下爆撃機が爆弾を放り投げたのは、当該地域を担当する司令部棟の付近だ。
 今もうるさく空襲警報を発している場所でもある。


『―――ウ~ウ、ガガッ、ザザッ―――――――――』


 異音と共にサイレンが途切れ、司令部辺りで盛大に爆音が上がった。
 さらに航空燃料タンクが破壊されたのか、派手な爆炎が空に立ち上り、瞬く間に黒煙が空を覆い出す。
 そんな黒煙を突き抜け、複数の艦爆が急降下してきた。
 目標はここ――兵舎群だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マジかよ」

 爆撃機が切り離した爆弾が黒点から楕円形に大きくなっていくのがスローモーションで分かる。
 爆弾は細長い。
 だが、自分に向かってそれが落ちる時は先端を向けているため丸いままだという。
 だから、あの爆弾は外れるのだろう。

(そこまでやるか、ジャップ!?)

 繰り返すが、周囲は搭乗員宿舎だ。
 飛行場の重要施設を狙った爆弾の流れ弾や余波を防ぐための土塁はあるが、直接爆撃には何ら防御機構を備えていない。
 建物屋根に落下した爆弾はそのまま天井を突き破り、兵が敷き詰められた空間で信管が作動、腹に詰め込んだ爆薬の力で兵の体ごと建物を吹っ飛ばすだろう。


 事実、多くの米兵の悲鳴を爆音が吹き飛ばし、その後に続いた断末魔もほとんど空気を震わすことなく消えた。




「―――チクショウ・・・・」

 ウィルソンは瓦礫からどうにか這い出し、痛む右腕を押さえながら立ち上がった。
 砂塵に包まれた周囲には苦悶の声と血の匂いが溢れており、ここが凄惨な戦場であることを伝えてくる。

「なんて奴らだ・・・・」

 日本海軍の急降下爆撃機は航空燃料タンク、司令部、格納庫、航空機整備場、変電施設、給水タンクなどを吹き飛ばすとともにウィルソンたちがバカンスのために滞在していた兵員宿舎群も爆撃した。
 おそらく1,000名以上の航空兵がいたと思われる場所だ。
 爆弾の直撃でなくともウィルソンのいた建物のように余波で倒壊する。
 無傷の者はほとんどなく、死者・行方不明者だけでなく、重軽傷者すら戦線復帰は未知数だ。

(1,000だぞ、おい)

 戦闘機ならば1,000機分、B-25ならば100機分だ。
 これだけの戦力がたった1日で消耗したのだ。

「おい、生きているか?」

 ボーッと立っていると別の場所から歩いてきた兵が声をかけてきた。
 階級章を見ると軍曹のようだ。

「どうにか生きているよ、軍曹」

 ウィルソンはそう言いながら羽織っていた航空服の襟を見せる。
 そこには陸軍大尉のバッジがあった。

「失礼しました、大尉」

 きれいな敬礼を返した軍曹はそのままの姿勢で続ける。

「私は今、上官と連絡が取れませんので、指揮下に入れていただきたく」
「いいのか? 俺は航空兵だぞ?」

 小銃を持つ彼は陸兵だろう。

「構いません。私はこの地で警備するように仰せつかった予備役兵ですので」
「なんと先達だったか。てっきり老け顔かと思っていた」

 どう見ても年上だったのだが、退役後に基地警備などで召集された予備役のようだ。

「いいだろう。・・・・と、言ったところで、どうしたものか・・・・」

 飛行場の司令部は壊滅。
 この有様だと軍港の海軍司令部も同様だろう。

(生き残るには町に出るしかないのだろうが)

 町も混乱しているに違いない。
 軍人と見れば、この状況を回避できなかった責任を追及される可能性もあった。

(とにかく、上級司令部との連絡を回復しなければ―――)

「マ、マジかよ・・・・」

 数mの瓦礫に上り、周囲を確認していた兵が声を震わせる。
 その視線は基地の惨状ではなく、北方の水平線に向いていた。

(まさか・・・・ッ!?)

 嫌な予感が背筋を震わせ、ウィルソンも瓦礫をよじ登る。そして、予感が現実になった光景を見た。
 悪夢のような現実を、だ。

「そこまでやるか、ジャップ!?」

 ウィルソンの叫びに対する返答は、大口径砲の発砲音だった。






 第二次ダーウィン空襲。
 第一次であった日本海軍空母艦隊による攻撃後、基地航空隊による攻撃は何度もあった。だが、1943年5月28日の空襲は二度目の航空機母艦機による攻撃である。
 このため、後の歴史家はこれを第二次と定義した。
 しかし、この第二次ダーウィン空襲は、正確には空襲だけではなかった。
 重巡を含む日本海軍水上艦艇がダーウィン軍港や飛行場に対して艦砲射撃を実施する。
 生き残っていた艦艇や地上施設を軒並み吹き飛ばし、空襲で傷ついた将兵の救助活動どころか犠牲者を増やした。
 米豪軍の死傷者は陸海空軍を合わせて4,000名を超える。
 これは直接戦闘だけでなく、指揮系統の混乱や物資の不足なども大きく影響していた。
 この要因には周囲から孤立したダーウィンであったことも関わっている。
 オーストラリア軍が救援に駆けつけたのは空襲・艦砲射撃から3日後であり、十分な補給物資が届き出したのは10日後からだった。
 この間に失われた命は多い。
 このため、連合軍は一度打撃されると脆弱なダーウィン地域の基地化を諦めた。
 これは蘭印方面の日本軍を牽制することを諦めたに等しい。

「これでニューギニア方面へのもうひとつの補給路はこじ開けましたね」

 後に嘉斗がこう語ったように、日本軍はアンボン、ハルマヘラ島、モロタイ島などのマルク州を中心に航路保全を図り、ニューギニア島に対してラバウルを経由しない航路を開削。
 この航路を邪魔する連合軍の潜水艦がほとんどいないことから、ビアク島をさらに強化。
 航路安全、補給拠点としてニューギニア島の戦いにおいて絶大な影響力を発揮することになる。


 こうして、第二次ダーウィン空襲は蘭印方面に安定とニューギニア島への西側航路を守るという戦略的勝利を得た。
 だが、それ以上に米豪軍にとって、1,000名を超える空軍の死傷者は戦術的に痛手となる。
 それはカートホイール作戦に多大な影響を及ぼすこととなった。









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