カートホイール作戦
カートホイール作戦。 これは南西太平洋方面における連合軍の作戦名だ。 中部ソロモン戦線と東部ニューギニア戦線での同時侵攻であり、ガダルカナル攻防戦以降の本格的な反攻作戦である。 目的はこの地域における日本軍最大の拠点――ラバウルの孤立だった。 作戦会議 -米scene 「―――全員揃ったようだな」 1943年5月15日、南西太平洋方面における連合軍の重要拠点――ニューカレドニア島・ヌメア。 ここにカートホイール作戦に参加する主要な将官たちが集まっていた。 総司令官は米軍陸軍元帥、ダグラス・マッカーサーである。 「さて、7月に実施予定の作戦準備状況を確認する前に―――」 マッカーサーは手元の資料に目を落とし、盛大に顔をしかめた。 「戦線整理のために実施した北部太平洋方面のアッツ島攻略作戦についてだ」 その表情で芳しくないことは居並ぶ将官たちに伝わる。 「日本軍は撤退済みであり、置き土産の地雷などで数十人の死傷者を出した」 正確には「出し続けている」だ。 地雷の撤去はまだ終わっておらず、これからも被害者は増える見通しだった。 「ふん、敢闘精神に欠ける猿どもだ」 「あれだけ執着したガダルカナル島も撤退していたのです。おかしくはないでしょう」 南西太平洋の米海軍を指揮するウィリアム・ハルゼー海軍大将が鼻を鳴らし、上陸部隊を指揮するリッチモンド・ターナー海軍少将が嗤う。 「南太平洋は骨がありそうですが」 そう言ったのは、ニューギニア戦線を担当するアメリカ陸軍第6軍司令官であるウォルター・クルーガー中将だった。 これに同じ地区を担当するジョージ・ケニー空軍少将、アーサー・カーペンダー海軍中将が頷く。 「キリウィナ島に日本軍はいないようですが、やはりラエ・サラモアは強固のようですな」 連合軍は日本軍のポートモレスビー攻略の拠点となっていたブナ、ゴアを奪還している。 この次の目標はラエ・サラモアだが、日本軍もそれはよくわかっているようだった。 師団を基幹とする守備隊が配備されており、激戦が予想される。 「この方面の先手はオーストラリア軍だったな」 マッカーサーは視線をオーストラリア軍人に向けた。 「左様です。当軍のニューギニア・フォースが担当します」 その司令官であるイヴェン・マッケイ中将が答える。 戦力は複数の師団を含む軍団規模だ。 「予想される敵戦力は?」 「指揮を執っている師団は符号から第51師団と分かっています」 「ひとつか?」 「いえ、空軍で補給部隊を一度壊滅させましたが、その後の輸送作戦では空母が展開しているらしく、思うように空襲できていません。このため、増援部隊が多数上陸していると思われます」 答えたケニーは確認されている輸送船団の規模を話す。 そこから予想される戦力はアメリカ軍司令部が考えていたものより大きなものだった。 「師団1個ないし2個、旅団規模1個、その他飛行場や港湾守備隊で、約2~3万と見ています」 マッケイが答えを引き継いだ。 この予想は大きくは外れていなかった。 日本軍は第51師団(中野英光中将)を基幹とし、複数の独立歩兵大隊が加わっている。 歩兵部隊中心だったが、この歩兵部隊には機関銃や迫撃砲が多く配備され、消耗した分の補充兵も到着していた。 この5月時点で展開する兵力は2万4,000名となっている。 ただし、ラエとサラモアの間は50kmであり、この部隊はサラモアに偏重して配備されていた。 「ニューギニア島は島とはいえ広い。戦闘規模も大きくなるだろう」 マッカーサーが頷く。 彼は南西太平洋の総司令官であるが、同時にニューギニア戦線の司令官だった。 実情はよく理解しているし、自分が指揮するニューギニア戦線こそ主戦線であり、ソロモン戦線は副戦線であると認識していた。 「ソロモンはどうか?」 「最初の目標はニュージョージア島だろう」 この方面を指揮するハルゼーが答える。 「そのニュージョージア島のムンダには飛行場があり、この無力化および転用が必要だ」 ムンダ飛行場はガダルカナル島攻防戦後期に完成し、日本軍の出撃拠点となった。 確認されているのは戦闘機用だが、その展開戦力は侮れない。 今も複数回空爆しているが、なかなか覆滅できていないのが現状だ。 どうやら日本軍はジャングル内にいくつもの対空陣地を設営しているらしく、爆撃のために低空に降りた爆撃機編隊が大きな被害を受けていた。 空襲の主力である中型~大型爆撃機は欧州戦線に優先配備されており、この太平洋戦線に十分な数はない。 さらに言ってしまえば欧州戦線での損耗が激しく、なかなか補充されない。 そんな貴重な戦力は主に設備の整ったオーストラリアやポートモレスビーに配備されており、ソロモン戦線には少なかった。 このため、一度に受ける損害が大きい場合、その補充・修理のためにどうしても空襲間隔が開く。 その間に日本軍は飛行場を修復してしまうのだ。 「空母部隊を使って制空権・制海権を確保して上陸、猿どもを追い出す」 「十分な空母を確保しているのか? 2月に被害を受けたばかりだろう?」 「ああ、現在は―――」 アメリカ海軍が保有する空母は大型空母「エンタープライズ」、「エセックス」、「レキシントンⅡ」、「ヨークタウンⅡ」、小型空母として「レンジャー」、「プリンストン」がいる。 運用航空機は450~500機だ。 これにガダルカナル島周辺の海兵隊機が加われば600機を超える作戦機が揃う。 「まあ、『ヨークタウンⅡ』の訓練が間に合うかは怪しいがな」 航空隊だけでなく、艦要員も訓練不足の中で戦った「インディペンデンス」は初陣で沈むこととなった。 艦の喪失よりも人員の喪失の方が痛い。 戦訓として、訓練未了の部隊は出さないことが決定していた。 「それでも500機だ。陸軍航空隊を加えれば上陸戦中は支援できる」 「そして、誘蛾灯におびき寄せられた日本海軍空母部隊を食う」とハルゼーは意気込む。 第三次ソロモン海戦での敗北は、彼にとって汚点となっていた。 「ニュージョージア島とコロンパンガラ島の日本軍は約1万名。こちらは鉄壁の上陸支援の上に予備兵力を用意した約3万5,000名です」 ターナーも自信に満ちた口調で言う。 内訳は海兵隊8,000名、陸軍2万7,000名だった。 ガダルカナル島以来となる大規模な上陸作戦で、敵陣地を攻略しなければならない。 とはいえ、忠実は最大4万3,000名とされていた。 これはこの物語では補給部隊が潜水艦に襲われるなどで、全ての部隊で充足率が低下している影響が出ていたのである。 「つまり、海軍はニュージョージア島付近で日本海軍の連合艦隊と今一度決戦を行うと?」 マッカーサーは片眉を挙げて問うた。 口にはしていないが、「大丈夫なのか?」と言っているのだ。 アメリカ海軍は真珠湾から負け続けだ。 珊瑚海海戦やミッドウェー海戦で一矢報いたものの、第三次ソロモン海戦の一連の戦闘は大敗と言っていい。 「日本海軍は大型空母2、中型空母2、小型空母2を基幹とする第三艦隊、その他に改造空母を数隻運用しているに過ぎない」 第三艦隊の運用航空機は約300機と見られていた。 日本海軍はミッドウェー海戦での「赤城」と「加賀」、第三次ソロモン海戦での「蒼龍」を喪った損害を補填し切れていないと海軍は考えていたのだ。 実際には戦艦改造空母「勢鳳」、「向凰」が加わっており、第三艦隊の運用機は500機近くになっている。 まだアメリカ軍の方が空母戦力では劣勢なのだ。 「ただラバウルや他の飛行場の存在は厄介だな」 「それはニューギニア戦線でも一緒だ」 ハルゼーとマッカーサーが顔を顰める。 ラバウルには複数の飛行場と多数の対空陣地があり、展開する戦闘機・爆撃機も多い。 アメリカ軍は数度の爆撃を加えているが、爆撃機隊の損害は大きかった。 「日本軍もレーダーを運用しているようですから」 ラバウルを空襲する部隊は強襲となり、毎度多数の迎撃機の歓迎を受けている。 定期便のような日本軍の空襲と違い、ランダムな攻撃を繰り出しているが、全て迎撃機がいた。 これは日本軍がレーダーを効果的に防空戦に利用している証拠だ。 「もっと爆撃機があればいいのですが」 「そう言ってもいられまい。アフリカ戦線が落ち着いた後、ヨーロッパではイタリア上陸があるのだ」 それはアフリカ戦線とは比べ物にならないほどの航空機を必要とする。 太平洋戦線に回せる爆撃機は多くない。 「結局、強引にジャップの傘を振り払い、その足元に踏み込むしかない」 マッカーサーは堂々巡りし始めた会議を無理矢理元に戻した。 「消耗戦で日本軍をずいぶん追い詰めた」 ガダルカナル島攻防戦では両軍に多大な損害を与えたが、彼我の国力からよりダメージを負ったのは日本軍だろう。 ニューギニア戦線でも第一線部隊が壊滅するなど日本軍の陸上戦力は疲弊している。 「今こそ太平洋戦線で大反攻に出る時だ。これ以上待っても日本軍は現状に慣れてしまう」 日本軍は守勢に回ったことを理解し、重要拠点の防備を固め始めた。 航空戦で連合軍の損害が増え始めたのもその証左と言えよう。 「ここで奴らを叩き潰す!」 「おぅお、年甲斐もなく逸りおって」 机を叩いたマッカーサーをハルゼーが皮肉る。だが、ハルゼー自身も全身に闘志を滾らせていた。 「日本軍は最後の最後まで戦うだろう」 「ふん、インディアンとどちらが骨があるか、確かめてやろう」 日本陸軍とアメリカ陸軍が攻守を入れ替えて、真正面から激突する。 それが1943年連合軍夏季攻勢だった。 作戦会議 -日scene 「―――米軍の準備状況からして、7月上旬にはソロモンおよびニューギニア方面で攻勢に出ると思われます」 連合軍が会議していた翌日、日本海軍の連合艦隊司令部でも同様の作戦会議が行われていた。しかし、その内容は具体的な作戦内容ではなく、判明している連合軍の動きについてであった。 第三部による通信傍受や最前線での偵察活動による考察だ。 複数の視点からの情報を精査すると、米軍の攻勢兆候ははっきりと見える。 「ニューギニア方面はラエとサラモアが目標であり、こちらは陸軍が約2万で守備しています」 「5月の大規模輸送が成功したおかげで武器弾薬、食糧も豊富という話だったな?」 状況説明する参謀に、連合艦隊司令長官・古賀峯一海軍大将が訊いた。 この状況説明会は彼が希望して実施しており、これまでにもいくつも質問している。 それはこれまで第一線艦隊の指揮官ではなく、後方の横須賀鎮守府司令長官だったからだろう。 「5月の輸送が成功したとは言え、無補給では戦えません。陸軍が踏ん張っている間、海空での支援は欠かせないでしょう」 「つまり、艦隊決戦が必要か・・・・」 「いえ、長官。・・・・この海域での決戦は危険と思われます」 珊瑚海海戦やビスマルク海海戦の例がある。 狭い海域での戦闘は選択肢を狭めてしまう。 「この方面はラバウルからの航空支援と輸送作戦の確実な成功が求められるでしょう」 古賀の言葉を否定したのは、副参謀長に任じられている加来止男海軍少将だ。 彼は空母・基地航空隊を指揮した経験があり、この海域における情報も多く持っていた。 「また、ソロモン方面の防備をさらに固めましょう」 現在のソロモン諸島は北部ソロモン諸島には師団規模の陸軍部隊が展開している。しかし、中部ソロモン諸島には陸軍南東支隊を中心とする部隊が展開していた。 詳しい戦力比率は最前線と位置付けているニュージョージア島とコロンパンガラ島に分かれており、ニュージョージア島に1個海上機動旅団、コロンパンガラ島に3個独立歩兵大隊等が展開している。 陸兵戦力にすれば約1万名であり、米軍の攻勢に立ち向かうには少ない。 なお、他に港湾守備隊、飛行場守備隊の警備部隊として海軍特別陸戦隊が存在するが、正規陸戦ではほとんど役に立たないだろう。 「しかし、これ以上の戦力展開は負担になる」 加来の発案に古賀は表情を曇らせた。 日本軍が安易に兵力を増やせない理由として、補給がある。 師団規模が展開するためには切れ目ない補給が不可欠だが、空襲が激化しているソロモン諸島への補給は負担でしかないのだ。 「陸軍はガダルカナル島の戦訓を取り込み、独立歩兵大隊の強化を図ったようだ。それに期待しよう」 この独立歩兵旅大隊は個々の戦闘能力が向上されており、多数の迫撃砲と機関銃を装備させている。 同じ大隊規模で見た場合の火力投射能力は正規大隊よりも上だが、複数の部隊が機能的に連携した会戦の訓練は受けていない。 大陸で必要な能力をそぎ落とし、太平洋戦線に特化した部隊と言えた。 「まあ、ガダルカナル島で戦っている最中から陣地構築が進んでいるからな」 参謀長に内定している福留繁海軍中将が言う。 正式な辞令自体は5月22日だが、連合艦隊司令部はすでに新人事の人員で動き出していた。 このため、宇垣纏ではなく、参謀長席に座っている福留が古賀に向き直って言う。 「空爆でもジャングルに隠れた陣地は攻撃できないらしく、工事進捗は順調のようです」 市街地と飛行場周辺の要塞化。 予想敵上陸地点へ周辺の防衛陣地構築。 コロンパンガラ島への接続を意識した軍用道の配備。 (開戦時では考えられない措置だ。陸軍はよっぽどガダルカナル島の戦いの敗戦が痛かったと見える) 加来が思った通りだ。 陸軍は創軍以来精鋭とされた第2師団の敗北を受け、ガダルカナル島の戦いの戦訓を取り組むべく行動した。 その結果、確実な輸送と火力上昇、陣地構築を学んだのだ。 運動戦を得意とした陸軍だが、そもそも運動=迂回することができない島嶼戦を陣地戦と規定したのである。 そのためには土木作業量が必要となる。 この方面でも簡易土木機械の普及でずいぶんマシになったが、最前線で大規模な工事は不可能。 よって、地形を利用した簡易陣地での遅滞戦術が選択されていた。 「とはいえ、こちらへも海空からの支援は必須です」 発言した内藤雄海軍中佐は地図でニュージョージア島を指す。 「ここは中部ソロモンの要衝であり、ニュージョージア島の失陥は中部ソロモンの失陥を意味します」 南西太平洋における最大拠点はニューブリテン島のラバウルだ。 そのラバウルから南東に伸びるソロモン諸島は米軍に対する縦深防御となる。 ガダルカナル島陥落により、南部ソロモンを失陥し、残る防壁はニュージョージア島-コロンパンガラ島-ベラ・ラベラ島の中部ソロモンとショートランド諸島-ブーゲンビル島の北部ソロモンである。 この中で最大の兵力が展開するのがブーゲンビル島。 それに続くのがニュージョージア島なのだ。 「艦隊決戦が生じるとすれば、こちらです」 米軍はガダルカナル島を中心に一大航空基地を完成させているが、日本海軍もブーゲンビル島、ショートランド諸島には陸攻が展開可能な航空基地がいくつも整備されている。 中部ソロモンのニュージョージア島、コロンパンガラ島、ベラ・ラベラ島にも単発機用の飛行場が整備されていた。 現段階において、このガダルカナル島付近の連合艦隊航空戦力と戦っているのは北部・中部ソロモンの航空隊である。 ニューギニア方面に比べて航空戦力が分厚いため、米軍の機動艦隊が出撃してくるであろうことは容易に想像できた。 「とはいえ、敵主力はニュージョージア海峡に入ることはないでしょう」 ニュージョージア海峡とは南方のニュージョージア諸島と北方のサンタイサベル島、チョイスル島に囲まれた細長い海峡だ。 日本軍がガダルカナル島への輸送に使用した主要航路であり、幅は数十km程度なので、大艦隊の展開には向かない。 特に発見されないことが重要である空母部隊がここに展開する可能性は低い。 「米軍はガダルカナル島の西方、ニュージョージア島の南東に遊弋すると考えられます」 「いわゆる、珊瑚海か」 「はい。ただ、珊瑚海も狭いので、その南東側と思われますが」 つまり、戦艦を中心とする部隊を送り込むには、非常に危険だということだ。 ニュージョージア島攻防戦は航空機が中心で、水上艦艇同士の海戦が発生するとしても水雷戦隊が中心になると予想される。 「第八艦隊の強化が必要か」 第八艦隊はこの方面を担当する艦隊であり、鮫島具重海軍中将が指揮を執っていた。 旗艦は重巡「鳥海」だが、隷下に有力な部隊は第三水雷戦隊しかない。 多くが港湾関連の部隊だった。 「別の意味で強化は必要でしょうが、今回はやはり第三艦隊を主力とした部隊を展開する必要があるでしょう」 もはや連合艦隊の主力艦隊と言っていい空母機動部隊はパラオ近海で訓練中である。 新しく配備された空母を含め、4個航空戦隊という大所帯だ。 艦隊行動や航空戦術などのすり合わせが必要であり、技量向上に努めていた。 第三次ソロモン海戦の傷は癒え、米軍の主力艦隊とも戦える陣容だ。 「ニュージョージア島を囮とした、後詰決戦か」 「ええ。できれば織田・徳川による真正面からの長篠の戦いより、奇襲に特化した毛利の厳島の戦いがいいですね」 どちらも城に敵主力を誘き寄せて退路を断ち、散々に打ち破った戦いだ。 だが、長篠の戦いはあくまでも正面から激突した戦いであり、陣地に籠った織田・徳川軍の前に武田軍が敗北したものだ。 一方、厳島の戦いは徹頭徹尾奇襲となり、陶軍は最後の最後まで混乱の内に敗亡した。 第四次ソロモン海戦もしくは中部ソロモン海戦などと名前の付けられるであろう本戦において、米軍を正面から打ち破る必要はない。 ニュージョージア島に集中している敵艦隊に対し、背後から致命的な一撃を叩きつけるだけでいいのだ。 「そのために必要なのは徹底的な情報隠蔽と欺瞞情報の流布です」 内藤が少し呆れ気味に肩をすくめ、とある作戦書を手に取る。 「陽動作戦も必要となるでしょう」 その作戦は現在発動中であり、部隊も作戦海域へ向け展開中だ。 「なるほど。そういう意味でもこの作戦は重要なのだな?」 「はい。これからの補給線の維持も含み、第二作戦の目的である米豪分断にも影響するでしょう」 居並ぶ幕僚の視線が地図のとある一点を見つめる。 そこにはこう記されていた。 ポートダーウィン。 オーストラリア北部に位置する港町。 豪海空軍の基地が建設されている、オーストラリア北部の要衝だ。 かつて、山口多門少将発案で空襲したことがあり、今もたまに空爆する連合軍の拠点である。 アジアに一番近く、日本軍の重要拠点であるインドネシアに近い。 だが、1942年緒戦以降、ほとんど話題に上ることのない戦域だ。 だからこそ、だったのだろう。 (ホント、宮様率いる第三部は抜け目ない) 内藤は内心でため息をついた。 作戦会議 -豪scene 「―――さて、諸君、よく集まってくれた」 日本海軍が会議を行っていたのとほぼ同時刻、南半球にてオーストラリアも首都・キャンベラで閣議を行っていた。 冒頭で挨拶をしたのは首相であるジョン・カーティンである。 彼は軍縮路線を党是としていた労働党出身だったが、日本軍の脅威を予想して軍拡を表明した政治家だ。 足元を揺るがしかねない事件だったが、日本軍の脅威が現実となった今、彼以外にオーストラリアを率いる人物がいないため、絶大な権力を持っていた。 しかし、本国であるイギリスとは軋轢を抱えていたし、マッカーサーにべったりなことも問題視されている。 前者はイギリス本国中心主義に反発した結果であるので、国民受けはいい。だが、彼を罷免できる総督も権力を有していた。 一方、後者は深刻だ。 カーティンは国防大臣も兼務していたが、彼自身は軍事に疎いため、マッカーサーの助言を受けていた。 マッカーサーは彼自身の悲願であるフィリピン奪還にオーストラリア軍を用いることを望んでいると考えられている。このため、国土防衛を目的とするオーストラリア軍人との間に軋轢が生じていた。 今回のニューギニア反攻作戦については、国土回復戦闘のためにオーストラリア軍としては賛成する。だが、その後に続くであろうインドネシア戦線、マリアナ戦線、フィリピン戦線については協力したくないのが本音だった。 「まずは国防大臣として、私が」 カーティンはそのまま書類を手に話し出す。 「現在、ラエ・サラモアに籠る日本軍を攻撃するため、本土に展開する主力はニューギニアにいる」 国軍としての主力は未だ欧州戦線に派遣されたままだ。 ただし、ニューギニアに展開する部隊は欧州大戦初期を欧州で戦い抜いた精鋭であり、新兵の補充を受けて戦力を回復した部隊である。 その戦闘力は米軍第一線部隊と比較しても引けを取らない。 「東海岸防衛部隊の他、一部の軍が北部に展開している状況だ」 これは日本軍がオーストラリア北部に上陸してきた場合の備えだ。 限りなく可能性は低いが、万が一その部隊が敗北して占領されても、政治経済の中心である東海岸の諸都市までは攻めることができない。 だから、オーストラリア北部は最前線と言えど手薄と言えた。 「ただし、ダーウィンには一定の戦力が展開している」 それが分かっているのか、日本軍は空襲を繰り返している。 1942年のダーウィン大空襲ほどではないが、思い出したかのように空爆していた。 だが、そんな状況に目を付けたのがアメリカだった。 「アメリカ軍の展開状況だが―――」 書類から視線を上げ、居並ぶ閣僚を見回す。 軍拡を阻む労働党出身の閣僚が並ぶが、彼らのポーカーフェイスは崩れない。 「航空要員の保養地および潜水艦基地としての整備はほぼ完了したと言える」 ニューギニアでの激戦に疲れた航空要員をダーウィンに配置。 たまに来る空襲に対応させながらも休息を取り、程よい緊張感を保たせるにはもってこいの場所だった。 また、ダーウィンは良港であり、アジアに最も近い。 このため、早くから通商破壊に出る潜水艦の基地としても注目された。 問題は物資搬入と建設だったが、1943年になってようやく形になってきている。 通商破壊に出るアメリカ潜水艦も多数集結しており、最終チェックに余念がない。 (もう少しだ) 口ではスラスラと勇ましいことを話しながらカーティンは別のことを考えていた。 (もう少し耐えればいい) オーストラリアの国力――特に人員――は限界に近付いている。 欧州戦線に派遣した部隊の損耗が激しいのが主要因だ。 本国に帰還する部隊の多くが死傷者多数で戦闘継続不可能と判断された部隊である。そして、そんな部隊と入れ違いに新編成の部隊が欧州へ送られ、同じように消耗する。 一方、太平洋戦線では海空軍の消耗が激しかった。 そのため、何とか本国に温存していた陸軍は軍として維持されていたが、このカートホイール作戦次第ではそれも難しくなる。 (作戦で陸軍が消耗した場合、欧州戦線か太平洋戦線かを選択しなければならなくなる) イギリスの意向ではおそらくは欧州戦線を選択することになるだろう。 そうなった場合、太平洋戦線におけるオーストラリアの役目は後方策源地・出撃拠点だ。 その一環でダーウィン港の米軍使用許可を出したのである。 「もうまもなく始まるカートホイール作戦は日本軍の脅威をオーストラリア本土から追い出す戦いとなるだろう」 この言葉にはカーティンとオーストラリアの期待が多分に含まれていた。 |