ラエ・サラモアの戦い -3


 

 ラエ。
 現パプアニューギニア独立国モロベ州の州都であり、フォン湾に面する有力都市だ。
 ラエ国際空港があり、国内最大の貨物港がある。
 さらには山岳地方と海岸部を結ぶ主要交通路の起点でもあった。
 陸海空の交通の要衝として位置づけられ、これは太平洋戦争当時も変わらない。
 また、ラバウル攻略を目指す連合軍の戦略上、必ず奪還しなければならない土地でもあった。

 連合軍はサラモアに攻勢を集中し、ラエを手薄にした上で奇襲攻略する戦略を立てる。
 それは半ばまでうまくいったが、ニュージョージア島の戦いの結果、余裕が生まれた日本軍が増援を繰り出したことで歯車が狂った。
 大日本帝国陸軍の第二〇師団によって阻まれたラエの電撃攻略。
 それでも1943年9月16日以降、ようやく進捗が見られた。

 ラエ西方からの豪軍第7師団2個旅団および米軍第503空挺連隊による攻勢が発動したのである。
 これを日本軍はラエ北西に位置する標高200m超の高台に陣地を構築して迎え撃った。
 ニュージョージア島の戦いやサラモアの戦い、ラエ東方で見せた粘り強い防衛戦を展開する。しかし、天候の回復に伴って連合軍の空爆も増え、苦戦が続いた。

 そのような戦況が変わったのは、意外にも早かった。






ラエ・サラモアの戦い -3

「―――撃て!」

 1943年9月22日深夜、ラエ西方マークハム川南岸。
 ここに並べられた日本陸軍の機動九〇式野砲 4門が一斉に砲撃した。
 吐き出された砲弾は弧を描いて北岸に展開する豪軍第7師団第21旅団2個大隊の只中に落下。
 轟音を上げて爆発し、周囲の人馬をなぎ倒す。

「第二斉射! ・・・・・・・・撃て!」

 深夜に撃ち込まれた砲弾に慌てふためく豪軍に対して第二斉射が見舞われた。
 第21旅団主力はマークハム川北岸に展開していたが、マークハム川にかけられた橋――マークハム橋――を守備するために南岸にも1個歩兵中隊レベルが展開している。
 ここに日本陸軍の歩兵が突撃した。
 この完全なる奇襲に豪軍はほとんど抵抗できずに排除され、橋は日本軍の手に落ちる。
 このマークハム川南岸の日本陸軍は一気に橋を使って北岸へ渡り、白兵突撃をかけた。

「突撃ィッ!!!」

 突撃した部隊はラエ北西の高台を攻めるために薄く広く展開していた第21旅団をいたるところで分断、次々と包囲殲滅していった。
 一方、豪軍も戦線を立て直すためにマチルダⅡ歩兵戦車3輌を投入。
 一時は日本軍歩兵を蹂躙したが、すぐに野砲が集中して履帯が破壊される。
 立ち往生したところを日本軍歩兵が肉薄攻撃を仕掛け、これを次々と破壊した。

「行け行け行け!」

 本来ならば大苦戦する重装甲の戦車を破壊したのは、これまでの戦訓に基づいた戦闘経験がものを言った。
 全く止まらない日本軍は北岸にいた第21旅団2個大隊を蹴散らす。

「行軍停止! 転進!」

 高台南方平野部を解放した日本軍は進撃を停止。
 高台北方に展開する第7師団25旅団との戦闘を避けた。
 これにより22日の深夜に行われた猛攻は終わりを告げる。


 豪軍は第21旅団2個大隊(約2,800名)が壊滅的な打撃を受けて第25旅団に吸収された。
 残る第21旅団1個大隊および司令部は南岸のオアムシスで日本軍の攻勢に耐える態勢を整える。
 よって攻勢どころではなくなり、第21旅団は壊滅したと判断された。


 一撃で1個旅団を敗北させたのは、サラモアから撤退してきた第五一師団の主力だった。
 長く続いた戦闘で消耗していたが、それでも1万を超える歩兵による大規模夜襲を敢行。
 これはラエ攻勢に集中するためにサラモアへの攻撃が鈍り、体力を回復する時間があったからだ。
 第五一師団はラエが攻撃されると同時に撤退を決意し、戦線の整理と罠を多く仕掛けた。
 9月15日には師団主力が撤退を開始し、陸路および海路でマークハム川南岸へと撤退する。
 さらに残存した砲兵力を22日日中に南岸高台へ設置し、昼間の観測を元に砲撃を叩きこんだのだ。
 連合軍はサラモア撤退に気付けなかった。
 それは再開した攻勢の前に多数の罠があり、未だ独立歩兵大隊が残っているために遅々として攻略が進まなかったためである。
 結果、日本軍はラエ西方に展開する連合軍の退路を断つことに成功した。




―――だが、日本軍の反撃はそれだけではなかった。




「―――突撃ィッ!!!」

 1943年9月23日、ラエ飛行場西方・エラップ川。
 現在はハイランズ・ハイウェイの橋が架かる地点で、大日本帝国陸軍 第四一師団所属第二三七歩兵連隊が東方へ向けて突撃。
 エラップ川西岸の高台部に展開した師団司令部が見守る中、あっという間に渡河に成功。
 ラエ飛行場を守る米軍の第503空挺連隊と交戦状態に入った。
 ラエ西方の連合軍は豪軍2個旅団および米軍空挺連隊の約1万4,000名ほどだった。
 これを日本軍は2個師団および1個歩兵連隊、1個独立歩兵大隊の3万5,000名で包囲する。
 9月24日には連合軍は撤退を決意し、ラエ飛行場南方のマークハム川に橋を架ける準備に入る。
 さらに同日にオアムシスへ到着した豪軍第7師団第18旅団がマークハム川南岸で第五一師団と交戦状態に入った。
 また、ラエ東方の第9師団は再三の総攻撃で援護しようとしたが、第二〇師団に阻まれて損害を蓄積。
 9月26日には日本海軍の少数部隊による夜襲で第9師団司令部が壊滅。
 師団長と参謀長が死傷したことで、第9師団の活動が停止。
 9月27日にようやく仮橋が完成し、豪軍第7師団第25旅団らは重装備を捨てて撤退。
 この撤退までに戦力の7割を喪失しており、壊滅的打撃を受けた。
 また、第18旅団も有利な位置を占める第五一師団への無理な攻勢が祟って戦闘不能状態となる。
 結果、ラエ西方に展開した豪軍第7師団は壊滅的打撃を受け、撤退。
 こうして、日本軍は9月28日にラエ飛行場を奪還し、ラエ-マダンの連絡線も回復した。




「―――何? 第十八軍司令部から?」

 1943年9月29日、ラエ飛行場近郊。
 ここで第五一師団長・中野英光と第四一師団長・真野五郎が対談していた。
 今後の戦闘態勢を決めるためだ。
 そんな中、彼らの師団を管轄する上級司令部・第十八軍司令部から連絡が入ったのである。

「ハッ、両師団長宛です。・・・・あ、第二〇師団宛でもあります」

 つまり、第十八軍麾下の師団全てに宛ててであった。

「どれどれ」

 暗号解読文を受け取り、中野と真野はそれを覗き込む。


『発、第十八軍司令官。宛、麾下師団長
 ラエを放棄し、マダンへ転進せよ。
 後陣は独立歩兵大隊に任せる。
 転進へ向け、海軍へは支援依頼済み』


「「て、てんしん・・・・?」」

 中野と真野はお互いの顔を見合わせた。
 戦況は悪くない。
 ダメージを受けたとは言え、第五一師団はまだ戦える。
 さらにラエには3個師団が集結していた。
 戦力は5万近い。
 一方、連合軍も豪第7師団が壊滅したとはいえ、他にも損害を受けた複数師団が残っている。
 ここで踏ん張れば、連合軍の反攻作戦を潰すことも可能だろう。

「安達殿はいったい何を考えているのだ?」

 第十八軍司令官・安達二十三陸軍中将。
 中野や真野と同じ陸軍中将だが、陸軍士官学校第22期卒とわずかに早い。
 また、一族に陸軍将官経験者が多く、幼少期からのエリートだった。

(まあ、実戦経験も長く、北志那方面軍参謀長であったこともあるので、軍略は信頼できるが・・・・)

 そう心の中で思った真野は中野を見遣る。

「先に五一師団が転進した方がいい」
「真野・・・・」

 中野と真野は陸軍士官学校第24期の同期だ。
 中野は軍政畑、真野は兵站畑に進んでいる。
 両名とも前任の師団長が戦病死したために抜擢された人材であり、実戦の機微にはやや疎い。
 尤も変な戦術に対するこだわりがない分、最初から指定された命令に忠実だった。
 だから、すぐに安達の命令に従うことを決めている。

「貴様の師団はもう2か月以上戦い続けているだろう? お前はよくとも兵が限界だ」

 五一師団の将兵は今、久しぶりの米を粥にして噛み締めて食べていた。
 中には涙を流している者もいる。
 増援の予定もない持久戦はかなりの負担を強いたのだ。

「五一師団は撤退し、休息を取るべきだ」
「むむむ・・・・」

 確かに死を覚悟した兵は強いが、そこから生きる望みを得た上で再度戦場に立てば脆い。
 ここは撤退し、貴重な戦闘経験を持ち帰るべきだと、軍政――特に情報が専門――の中野は理解した。

「承知した。撤退しよう」
「うむ。我々の部隊から陸路撤退路の道案内を出そう」
「助かる」

 そこまで話し、中野は参謀長・青津喜久太郎陸軍大佐を呼ぶ。
 なお、前参謀長の本郷忠夫は7月に戦死していた(死後、陸軍少将に昇進)。
 青津は元第十八軍参謀であり、安達を補佐した経験がある。
 きっと安達の判断を理解し、部隊をうまくまとめるだろう。

「しかし、海軍へ支援依頼か・・・・」

 命令を終えた中野は茶をすすりながら呟いた。

「ラバウルからの航空支援か?」

 真野も茶をすする。

「かもしれん。サラモアでは敵軍に対する夜間爆撃でずいぶん助けられた」

 連合軍の空襲も低調だったが、その理由にラバウルにいる海軍航空隊の存在があった。
 7月こそあまり支援がなかったが、それはニュージョージア島の戦いに集中していたからだ。しかし、その戦いが終わった後の8月はかなりの支援があった。
 ちょうど連合軍の攻勢が激しくなった時期である。
 物量に物を言わせて攻め寄せる連合軍に第五一師団は追い詰められていた。
 しかし、戦力を集中していた連合軍は夜間爆撃で大損害を出す。
 そのため、陣地を分散させ、少数戦力でサラモアへ浸透する作戦に変えたが、この動きに第五一師団は対応した。

「とにかく、早く退く」
「ああ、第四一師団の車両も使え」
「助かる」

 二度目の礼を言い、中野は立ち上がる。

「生きて会おう」
「縁起でもないことを言うな」

 真野はそう言って茶を飲み干した。




 翌日から再び日ごとに戦況が変化した。
 9月30日。
 第五一師団が撤退開始およびサラモアの放棄(独立歩兵大隊のラエ後退開始)
 10月1日。
 第二〇師団の反転攻勢開始。連合軍がアポを放棄し、橋頭堡維持に集中。
 豪軍第7師団、ワウへ向けて撤退開始。
 10月2日。
 第二〇師団は攻勢開始地点へ後退。ラバウル航空隊による夜間爆撃を敵橋頭堡へ敢行。
 第四一師団が撤退開始。
 10月3日。
 豪軍第5師団、米軍第41師団第162歩兵連隊がサラモアを占領(罠や同士討ちで被害多数)。
 米軍第41師団主力と豪軍第9師団への補給部隊がラエ攻略継続のためにミルン湾を出航。
 10月4日。
 サラモアを守備していた独立歩兵大隊がラエに到着、補給を受ける。
 10月5日。
 第二〇師団が撤退を開始(1個旅団をナザブに残置)。
 連合軍が日本軍主力のラエ撤退を察知。
 10月6日。
 豪軍第5師団がサラモアより、第6師団がワウよりラエへ進撃開始。
 10月7日。
 豪軍第9師団への輸送船団が上陸作業中に魚雷攻撃を受け、輸送船4隻が撃沈破されて失敗。一度洋上へ退避し、後続するアメリカ海軍の支援の下に再上陸を決断。



―――そして、10月8日。



「―――馬鹿な・・・・」

 アメリカ陸軍第41師団長であるホレス・フラー少将は、偶然流れてきた木材に掴まりながら呟いた。
 彼の上空を日の丸を描いた単発機が通過する。

「このままだと全滅だぞ!」

 10月8日にアメリカ軍第41師団に所属する第163歩兵連隊および第186歩兵連隊を輸送する輸送船17隻と前日に輸送失敗となった豪軍輸送船7隻がポポイに上陸作戦を実施した。
 連合軍の戦闘機40機の護衛を受けながらの昼間上陸である。しかし、上陸作戦を開始してすぐに日本軍機の大軍がラエ空域に到達した。
 ウェワクから飛来した一式戦は手前で阻まれたが、ラバウルから飛んできた零戦はラエ上空で戦闘に入る。
 さらに40機ほどの零戦が飛来して連合軍戦闘機を蹴散らした。
 エアカバーが剥がれた輸送船団にそれぞれ30機ほどの彗星、天山が突入して次々と輸送船を襲ったのである。

(敵攻撃隊は空母機だろう? いったいどこに・・・・?)

 単発機の急降下爆撃機と攻撃機は空母艦載機の特徴だった。
 日本海軍が2群の空母艦隊を運用していることは陸軍であるフラーも分かっている。
 主力である第一航空機動艦隊は7月にアメリカ海軍空母部隊を撃破した。
 一方、準正規空母で構成される艦隊は8月にラエへの補給を支援している。

(どっちだ? ・・・・いや、どっちでもいいか・・・・)

 フラーは自分に近づいてくる短艇を発見し、手を大きく上げた。

(どちらにせよ、我々は地獄に来てしまったようだ)

 短艇は艦隊の所属ではなく、オーストラリア第9師団所属のようだ。
 フラーを乗せて、陸の方へ向かっていく。

「ありがとう。ところで、どの程度、揚陸できそうだい?」
「ハッ。・・・・どの程度の物資を持ってきていただいたかわかりませんが、戦力の回復は難しいかと」

 上陸したフラーを待っていたのは、第9師団の参謀と名乗るオーストラリア人だ。

「となると・・・・持久か・・・・」

 フラーは背後を振り返った。
 そこには炎上しながら座礁や傾斜しながら海上に停止している艦船が見える。
 艦船と言ったのは、その中に輸送船だけでなく、駆逐艦などが含まれるからだ。
 第一線の駆逐艦ではなく、第二次世界大戦用に整備を始めたエヴァーツ級護衛駆逐艦である。
 基準排水量1,140tと小さく、主砲も3インチと小さい。
 一方で、ヘッジホッグや爆雷投射機、爆雷投下軌条を装備していた。
 レーダーやソナーもあり、対潜水艦戦では効果を発揮する。

(だが、対空戦は荷が重かったか・・・・)

 Mk.22 3インチ砲も対空射撃はできる。
 40mm連装機銃も持つ。
 しかし、主力艦隊に配備されている艦艇に比べると、見劣りするのだ。
 結果、日本軍機の突入を阻止できず、多くの損害を出した。

(いったいどれだけの戦力が陸揚げできたのか・・・・)

 1年前にガダルカナル島で日本軍が陥っていた状況に連合軍も叩き込まれているのである。

「―――何ィッ!?」

 案内された司令部で、ひとりの佐官が叫びを上げていた。

「すぐに退避命令を出せ!」
「ハッ」

 伝令と思しき兵が司令部を飛び出していく。そして、それを見送った佐官がフラーの階級章を認め、慌てて敬礼した。

「アメリカ陸軍第41師団長、ホレス・フラー少将だ。さっそくだが、どういう状況かね?」

 返礼を返したフラーは将官としての威厳を保ちながら訊く。

「ハッ。・・・・それが・・・・」
「どうした? 我々は連合軍だ。オーストラリア軍が得た情報をアメリカ軍に伝えるのは義務ではないか?」

 言いよどんだのが、オーストラリア軍の機密情報に当たるからだと思ったフラーはにこやかな笑みを浮かべながら促した。

「いえ、そうではなく・・・・少し整理をさせていただいていました」
「それは失礼。君も先程情報を受けて混乱していたのだな」

 あれほど取り乱していたのだ。
 無理もない。

「それで?」
「はい。我が軍の輸送船団からの通信で、水平線向こうに日本海軍と思しき艦艇を発見したと」
「・・・・なんだと?」
「その通信も途中で途絶えました」
「・・・・となると、先程から聞こえている砲声は対空射撃ではなく・・・・」

 「水上戦闘の音か?」という言葉を飲み込んだが、周囲の人間には間違いなく伝わった。

「・・・・壕へ退避させてもらっても?」
「当然です、ご案内します」

 海軍が持つ艦砲は例え駆逐艦でも生身の人間にはオーバーキルの威力を持つ。
 隠れないなどという選択肢は馬鹿らしい。




「―――砲撃止め」
「砲撃止め!」

 1943年10月8日午後4時52分、ラエ南東方海域。
 ここに進出した日本海軍の第六戦隊および第二水雷戦隊の12隻であり、戦力は以下の通りだ。


 第六戦隊:「国見」、「雲仙」、「石鎚」、「有珠」
 第二水雷戦隊:軽巡「神通」
  第十一駆逐隊:「冬雲」、「春雲」、「島雲」
  第二四駆逐隊:「海風」、「江風」、「涼風」
  第三一駆逐隊:「長波」、「巻波」、「大波」、「清波」


「これで悪いことをしようとは思わないだろう」

 第十一駆逐隊司令・浅野新平海軍大佐は傍に立つ駆逐隊旗艦「冬雲」の艦長に言った。

「ええ、12.7cm砲とは言え、あれだけ正確に撃ち込めば、相手も堪らんでしょう」

 艦長は少し気の毒そうに炎上する敵陣を見遣る。
 叩き込まれた12.7cm砲弾(榴弾)は陸揚げされた物資や海岸線近くにいた艦船だけでなく、陸上の敵陣奥深くまで叩き込まれた。
 事前に潜入していた海軍特殊部隊による砲撃誘導のため、かなり正確に叩けたはずだ。

「さ、後は陸さんのお助けだ」
「はい」

 浅野がそう言うと、艦長が指示して「親潮」は回頭を始める。
 その脇を数隻の輸送艦が並んだ。

「頼むぞ、新進気鋭の新型艦」



 1943年10月8日、ラエ。
 ここに突入した日本海軍初の輸送艦――第一号型輸送艦は搭載する大発を次々と下ろし、海岸線に並んでいた独立歩兵大隊の兵士を積み出した。
 第一号型輸送艦はガダルカナル島の戦いで優良輸送船を喪ったことで、"民間から提起されて"建造された艦艇である。
 戦時に優良輸送船が徴発されることから"戦前から民間で案のあった海軍用輸送艦"という構想があり、海軍がその案をそのまま受け入れたことで、早期建造に入った。
 戦時を想定しているためにブロック工法を採用した短工期を達成。
 1943年1月に竣工し、同年6月にはネームシップである第一号輸送艦が就役する。そして、ある程度の数が揃った後に艦隊行動訓練を経て本日が初陣だった。
 その任務はラエに残る独立歩兵大隊の救出だ。
 速度と自衛力、早期荷下ろし力を誇る第一号型輸送艦には打ってつけの現場である。
 なお、まだ数が足らないため、第十五駆逐隊の3隻も陸兵を積む予定だった。



「砲撃止め」
「砲撃止め!」

 ラエで陸兵の積み込みが始まった頃、ラエ南方でも日本海軍は活動していた。
 第六戦隊司令官・小柳冨次海軍少将が指示をすると、麾下の重巡4隻は砲撃を止める。
 周囲には輸送船団を守ろうとした護衛駆逐艦の残骸が散らばっていた。

「劣化版とは言え、これだけの隻数を揃えるとは米軍は恐ろしいな」

 第六戦隊が破壊した駆逐艦は7隻。
 到達前に沈みかけていた駆逐艦が2隻いた。
 取り逃がしたものも含めると、護衛駆逐艦は10隻以上いた計算となる。
 なお、輸送船に関しては20隻以上いたとされ、空襲と水上戦闘で過半数は沈めたと思われた。

「陸を撃っている三一駆逐隊にも砲撃中止命令を出せ。暗くなってきたら弾の無駄だ」
「ハッ」

 日が暮れ、薄暮となっている中、ジャングルに逃げ込んだ陸兵を捉えるのは容易ではない。

「とはいえ、行きがけの駄賃としては最高だったな」

 第六戦隊は第三一駆逐隊(「長波」、「巻波」、「大波」、「清波」)を連れ、輸送船団を襲った。
 蹴散らしたと判断した後、残党狩りに入ったが、上空を支援していた水偵がサラモアからラエを陸路で目指す連合軍を発見。
 砲撃具申をしてきたのだ。

(生きた心地がしな・・・・いや、生き残ったのはいるのか?)

 小柳は即断し、駆逐艦を派遣。
 12.7cm砲が放つ三式弾で滅多打ちにした。

「どうやらあそこにいたのはサラモアを占領した後にラエに向かっていた豪軍第5師団だったようですね」

 参謀が出撃中に受け取った現地占領まとめを見ながら言う。

「ということは、2ヶ月近くも戦っていたというのに、最後には艦砲射撃の餌食か・・・・」

 「かわいそうなことだ」と全くそう思っていなさそうな声音で言った小柳は、すぐに副官に命じた。

「日が暮れた。次は潜水艦の出番だ。警戒を厳とせよ」
「ハッ」




 1943年10月8日。
 ラエ沖海戦――連合軍命名、日本側に名称なし――の結果、連合軍は護衛駆逐艦13隻、輸送船18隻が撃沈された。
 その中にいた陸兵と艦砲射撃での被害の結果、オーストラリア軍は第9師団および第5師団が壊滅的打撃を受ける。
 さらに米軍も第41師団が壊滅的打撃を受けた。
 このため、ラエ・サラモアの戦いにおいて、連合軍はオーストラリア軍4個師団が打撃を受けて戦闘不能に、アメリカ軍も1個師団と1個特殊旅団、1個空挺連隊が壊滅する。
 兵士数に換算すると合計3万8,000名の兵が死傷した。
 このダメージは非常に大きく、特にオーストラリア軍はニューギニア戦線に展開している5個師団中4個師団が戦闘不能になったことで、これ以上の攻勢作戦どころか防衛作戦すら困難になる可能性があった。
 アメリカ軍もニュージョージア島の戦いで2個師団がダメージを受けたこともあり、積極的な攻勢に出ることはできなくなる。

 一方、日本軍は最終的に3個師団および6個独立歩兵大隊、その他の総勢6万5,000強を投入していた。
 6月30日から10月8日までの約3か月の戦闘で、死傷者2万名を出している。
 大半がサラモアで戦った第五一師団と3個独立歩兵大隊から出ており、第五一師団はニューギニアを離れて再編に入ることが決定した。

 日本軍のニューギニア戦線防衛線も再構築される。
 ラエを完全放棄し――10月10日に豪軍第6師団が占領――、マダン-ラエ道路を破却して連合軍の追撃を阻んだ。
 連合軍に多大な犠牲を強いたことで得た時間で、どれだけの防衛線を構築できるか。
 それにニューギニア戦線の行方がかかっていた。









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