軍縮の終焉と新たな火種


 

 1938年3月13日、ドイツはオーストリアを併合した。
 同時に正式にワシントン海軍軍縮会議の脱退を宣言する。
 これは1936年ラインハルト進駐において、第二次ロンドン軍縮会議における議決案の拒否から宣言していた通りになった。
 第二次ロンドン軍縮会議はワシントン軍縮会議に臨んだ関係国でもう一度軍縮会議を開くことを宣言していた。しかし、ドイツは半年も経たずにこれを拒否していた。
 このため、拒否から2年後にワシントン体制が崩壊することになる。
 もちろん、各国は軍縮会議実現にドイツを説得しようとした。だが、その努力も報われることなく、1938年3月にワシントン海軍軍縮条約は失効した。
 故に、日米英伊仏独は海軍力増強に向かう。
 第一次世界大戦後の建艦競争が、再び始まったのだった。


 アメリカ合衆国海軍。
 建造中の戦艦2隻に加え、追加で5隻を建造開始。航空母艦も1隻建造。


 大英帝国海軍。
 戦艦5隻、航空母艦6隻の建造を開始。


 イタリア王国海軍。
 戦艦4隻、改龍驤型2隻の建造を開始。ドイツと共に多数の潜水艦を建造する。


 フランス共和国海軍。
 戦艦4隻、航空母艦3隻の建造を開始する。


 ドイツ連邦海軍。
 戦艦6隻、航空母艦2隻の建造を開始。イタリアと共に潜水艦の大量生産も開始する。


 大日本帝国海軍。
 第三次海軍軍備充実計画に従い、戦艦2隻(後の「大和」、「武蔵」)、空母2隻(後の「翔鶴」、「瑞鶴」)、長門型戦艦大改修、空母「赤城」改修。
 大型建造可能ドック8個中7個を使った軍備拡張だ。
 すでに条約失効を視野に入れて計画を進めていたが、失効後、正式にこの計画を内外に布告した。
 おまけに旅順、釜山に送られて解体工事を行っていた伊勢型戦艦の空母換装も始まった。
 日本海軍は1941~1942年にかけて大型艦の配備、1945年までに巡洋艦や駆逐艦の更新を行う建艦計画を発表した。
 尤も、廃艦にしたはずの伊勢型戦艦の改修は隠した。






高松邸scene

「―――欧米がいつ気付きますかね」

 1938年9月29日、チェコスロバキアのズーデン地方の帰属を巡って、欧州が危機に包まれていた。
 ミュンヘンにてドイツ、イギリス、フランス、イタリアの首脳会談が行われている時、日本の高松宮邸でも会談が行われる。
 出席者は高松嘉斗少佐を筆頭、堀悌吉元中将を議長にし、山本五十六中将、小沢治三郎少将、角田覚治大佐、大西瀧次郎大佐、源田実少佐、淵田三喜雄少佐、柴田武雄少佐だ。
 嘉斗と小沢を除く全てが航空屋であった。
 航空屋は戦闘機無用論で一度分裂したが、空母「龍驤」被弾において、必要論に統一されている。

「『伊勢』、『日向』のことですね」

 堀が嘉斗の呟きに答えた。

「戦艦二隻を廃艦にするとしながら、武装撤去後の工事は工員不足で放置。軍縮条約失効後に空母への換装を開始」
「『比叡』の再就役に抗議したイギリスが、また怒りそうですな」

 堀の説明に、山本が苦笑いをする。

「当初からドイツが軍縮会議を受けないと分かっていないとできない謀ですね」

 嘉斗が人の悪い笑みを浮かべた。
 日本海軍の艦艇は、突貫工事で建造を続けている。
 1941年末には、戦艦は新型戦艦2(後の「大和」、「武蔵」)、「長門」、「陸奥」、「奥羽」、「相武」、「金剛」、「榛名」、「比叡」、「霧島」の10隻。
 航空母艦は「鳳翔」、「龍驤」、「赤城」、「加賀」、「蒼龍」、「飛龍」、新型大型空母2(後の「翔鶴」、「瑞鶴」)の8隻。
 改造空母として「祥鳳」、「瑞鳳」、「隼鷹」、「飛鷹」、「雷鷹」、「鳴鷹」の6隻が配備される予定だ。
 重巡洋艦も利根型、改高雄型、改利根型といった新造艦、最上級軽巡の改装で追加される。

「問題は、アメリカがどう動くかだ」

 日本は軍縮時代を利用して、大きく経済発展した。
 さらに欧米に頼らない資源調達方法を駆使している。
 ドイツと共同開発した人工石油精製も朝鮮半島で工場建設に入っていた。
 ヨーロッパはドイツ問題で必死である。
 日本はドイツとイタリアに協力し、海軍力増強を行っていた。
 現状、どちらかの陣営に肩入れして戦争を起こす気はないが、イギリスとフランスの目をヨーロッパに向けておく必要がある。

「太平洋で戦争が起きた時、タイが重要な役割を持ちますね」

 タイ王国。
 世界大恐慌で打撃を受け、クーデターが起こった同盟国である。
 クーデターは近衛師団の活躍で阻止したが、王族の財産を使って近代化を成し遂げた。
 ここ10年で行った工業化によって、イギリスに近づく。
 結果、マレー半島における工業製品の製造をタイが行っていた。
 イギリスのブロック経済に取り込まれた形だが、資金を得たタイの国力が向上する。

「それでタイは駆逐艦の開発を求めてきたのか・・・・」

 海軍次官でもある山本の言葉に、水雷屋である小沢が発言した。

「タイの敵は仏印ですよね」

 ドイツ、イタリアに対応するために、仏印の海軍戦力はほとんどない。
 タイ海軍は日本海軍の旧式駆逐艦と夕張型軽巡、旧青葉型重巡を保有していた。
 重巡を保有しているだけで有利だが、駆逐艦の性能では負けている。
 タイ王国は可及的速やかに仏印海軍を駆逐、フランス本国からの艦隊を迎え撃つ必要があった。
 それは奇しくも日露戦争の日本海軍のようだ。

「タイ王国の軍事力は陸軍の援助で大きく向上しているぞ」

 堀が資料を手に言った。
 八九式中戦車を中心に装甲車両を配備し、その訓練もじっくりと行っている。
 タイはカンボジア独立戦線の援助を行っているし、かつて奪われた現ラオス地方の奪還を目論んでいた。
 タイ海軍がフランス海軍に勝てるとは思えない。
 故にタイが仏印に勝つには、タイ海軍が稼ぐ時間を使い、決定的勝利を陸軍が掴むことである。

「まあ、仏印はいい」
「太平洋版世界大戦は仏印問題では起きないですしね」

 嘉斗が肩をすくめた。

「起きそうだった日中戦争は回避されましたし」
「そうとも言えませんよ?」

 嘉斗の意見に堀が反論する。

「欧米からすれば日中の戦いは所詮、中国権益の有無に関わるだけです」

 植民地を攻撃されるのとでは違う。

「もし、ドイツと戦争が起きれば、イギリスとフランスは欧州に戦力を展開します」

 その隙にタイが動いた場合、仏印は圧倒的に不利となる。
 もちろん、それを狙ってタイは動くのだが、フランスも黙ってはいないだろう。

「フランスはフィリピンに増援を求めるでしょう。つまりはアメリカアジア艦隊です」

 アジア艦隊は中国の戦火に憂慮し、若干戦力が増強されている。
 何より重巡がいる。

「太平洋艦隊が出張らずに、タイ艦隊など駆逐してしまえる戦力です」
「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」

 高度な会話に佐官級の将校は沈黙を続けていた。

「なあ、俺たちなんで呼ばれたんだ?」
「覚えてはいるが、それを口にできる雰囲気ではないな」

 源田と淵田がこそこそと話をする。そして、その視線はホストを務めるはずの同期に向いた。

「おや? ・・・・ああ、忘れていました!」

 ポムと手を打ち合わせる。
 ふたりには人のいい笑みが憎らしく見えたが、次の瞬間にその笑顔が残像となった。

「―――廊下で待たせて忘れるとは何ぞ!?」

 スパーンと襖が開き、乳児用のおもちゃが側頭部に命中したのだ。

「何が『ちょっと驚かひましょう』や!」

 ツカツカと嘉斗の前まで歩き、腰に手を当てて仁王立ちする亀。
 その背中にはひとりの女の子が背負われていた。
 生後1年になる、ふたりの第一子・霞耶(カヤ)。
 今日は彼女の1歳の誕生日なのだ。

「いつつ・・・・いえ、皆さん驚いておいでですよ?」
「あ?」
「・・・・日本刀は止めましょう。あなたが持つと洒落になりません」

 祖父に武家の頂点・徳川慶喜を持つのだ。

「ひ、久しぶりだな、嬢ちゃん」

 口を引きつらせながら淵田が挨拶する。
 彼と彼女は江田島で会ったことがあった。

「おい、バカ。今は高松宮の奥方だぞ。俺たちと宮様が話すとは違うんだ」

 源田が耳元で注意するが、亀は気にしない。

「別にどうでも。この放浪癖がある人の居場所を教えてくれたら」
「ははは・・・・」

 嘉斗は防衛大学卒業後、軍令部に出仕して部署を順巡りしている。
 高松宮邸にもほとんど帰らない生活を続けていた。

「さ、皆様。料理の準備ができています。今宵は霞耶様のお誕生日をお祝いください」

 そう言い、亀の背後に控えていた八尾富奈が一礼する。

「平和な日本を築かんがことを」

 言霊を司る有栖川の言葉に、軍人たちは表情を引き締めた。






近衛声明scene

「―――近衛首相」
「はっ」

 11月3日、日本は世界に対して新秩序を発表する予定だった。
 1931年の柳条湖事件から続く日中関係について、アジアについての発表である。
 これは後に「東亜新秩序」と呼ばれた。

「準備はできているか?」

 天皇・迪斗は頬杖をつきながら首相に問いかける。
 第二次上海事変では中国は世界の非難を浴び、日本は賞賛を受けた。しかし、その前の満州国問題は解決していない。
 リットン調査団の曖昧な結論とその提案を衝突によって呑めなかった日中。
 近衛声明による新秩序で、日中間の不安を一気に取り除けることができるか否か。
 それは全て中国と欧米諸国の反応にかかっていた。

「政府の工作により蒋介石と汪兆銘の間に亀裂が生じている。今ここに畳み掛け、戦争を終わらせろ」

 第二次上海事変と、それに続く南京停戦によって日本軍の進撃は止まっている。しかし、依然として中国には日本陸軍の大軍が展開しており、いつでも戦闘再開できるのだ。
 その状態を解消し、本格的な撤兵に向けた準備があるという宣言である。

「分かりました」

 この宣言は、文章ではなく、電信によるまさに宣言なのだ。
 千年以上に渡って日本を支えた政治家一家。
 世襲制などと言う批判を一切寄せ付けない、政治をするために生まれてきた一族。

(私は、その当主・・・・)

「準備できました。各波長による電信、できます」

 電信員たちが頷く。
 自分たちが歴史に残ることをしようとしていると分かっているのだ。



「―――全世界に、大日本帝国内閣総理大臣が告ぐ」



 近衛の言葉を、電信員が電信として世界に発信を始めた。
 すでに各国の大使を通じて各国政権に通じている。
 だから、これは各国の政府が聞いていた。


「1931年柳条湖事件から始まった一連の日中紛争は、現在終息に向かっている」



「―――ふん」

 蒋介石と汪兆銘は隣国からの宣言に耳を傾けていた。



「当国は両国の緩衝地として満州国を認め、中国政府がこれを認めるのならば、2年以内に中国大陸から撤退する準備がある」



 それは外国租界地を捨てると言うことだった。
 上海、山東半島などの地点からの全面撤退。



「また、日本国は朝鮮半島の独立も視野に入れている」



「―――なあに!?」

 アメリカ合衆国大統領・ルーズベルト・フランクリンは叫びを上げた。



「日本民族、朝鮮民族、満州民族、漢民族、蒙古族による東亜民族自決! これが日本の東亜における新秩序である!」



 これまでも日本は民族自決を訴えてきた。
 それが満州国建国の理由だったからだ。しかし、欧米がなかなか認めなかったのは、日本自体、朝鮮を併合して実質的な植民地にしていたからだ。
 今回の宣言で、日本は朝鮮の独立を謳った。
 これにより、少数民族はともかくとして、東亜に展開する一定以上の数を有する民族による国家樹立がなる。



「―――やるな。極東の劣等民族もなかなか考えるようだ」

 ドイツ第三帝国総統・アドルフ・ヒトラーはニヤリと笑った。



「―――精鋭部隊を失った蒋介石はこれ以上の戦争を望んでいません。日本が中国本土から全面撤退するのならば、これを阻む謂われはありません」

 イタリア王国首相・ベニート・ムッソリーニが国王に報告する。



「―――そもそも、国民党の目的は第一に共産党、第二に日本であったが、途中でそれが入れ替わった」

 フランス共和国首相・エドゥアール・ダラディエは閣僚たちに告げる。



「―――本来の方針を共産党とソ連の陰謀で入れ替えられたのです」

 大英帝国首相・ネヴィル・チェンバレンは皇太女を脇に従えた国王に言う。



「―――しかし、これで本来の方針に帰る」

 共産党党首・毛沢東はおもしろくなさそうに吐き捨てる。



「―――国民党は失った戦力を再編、第三次北伐を開始する。大きな混乱が生まれるだろう、覚悟しろ」

 満州国執政・愛新覚羅溥儀は国軍司令官たちに自分たちが国を守ることを命じる。



「―――蒙古族を含むとなると・・・・日本は・・・・くくく」

 ソビエト社会主義連邦総書記・ヨシフ・スターリンは整列する赤軍部隊を満足そうに見る。






 1938年11月5日、蒋介石はこの声明文言に同意する方針を日本政府に伝えた。
 12月22日、日中首脳は最大の激突になった上海にて共同宣言を行った。

「「日中両国は『善隣友好、共同防共、経済提携』を元に一連の戦闘に終止符を打つ!」」

 12月の第三次近衛声明により、7年続いた日中紛争は終結する。
 日本は朝鮮国の独立準備に入り、同時に軍事改革を始める。
 中国国民党も日本の援助を受けて軍隊の再編に着手する。
 これに対し、ソ連はモンゴルを通して中国共産党への援助を拡大。
 中国共産党自体もモンゴル国内において軍事訓練を開始。

「くはは、おもしろい。日露戦争の再現と行こうではないか!」

 モスクワクレムリンにおいて、スターリンは極東の地図を眺めた。
 その場所はノモンハン。

「今度は負けず、一気に極東に赤い旗を翻してみせるわ!」









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