プロローグ
| 西暦2023年9月1日、日本皇国皇居。 歓喜に打ち震える東京の中心であり、皇族が住む区画の一角で、彼らは言葉を交わしていた。 「―――で、何か用ですか?」 青年は自室に戻るなり、自分のベッドに身を投げ出していた女性にため息交じりに訊く。 ふたりとも軍服で、軍に身を置く身分だと分かる。 「・・・・不思議な戦争だったなぁ、と」 「でしょうね。ここから世界の軍事改革、いえ、世界の改変が始まるでしょう」 この2年間、大きな事がありすぎた。 世界大戦ではないが、世界大戦級のインパクトを世界に与えている。 「何はともあれ、今回も国体護持を達成しました。日本の勝ちです」 幕末の開国以降、150年近くも変わらずに掲げる国家目標――国体護持。 それは天皇が治める日本国を維持することである。 日本を守る防波堤を得ようとした日清戦争。 その防波堤を守ろうとした日露戦争。 欧州に追いつこうと介入した第一次世界大戦。 乾坤一擲の勝負に出て、敗戦するも辛うじて国体を守った太平洋戦争。 日本が戦争する時は、全ての国家存亡の危機だった。 (それは、今回も同じ・・・・) 「―――ねえ・・・・」 女性はベッドの上で体勢を変え、頬杖をついた状態で青年に向き直る。 「どうして世界は変わったの? 昔は科学一択だったのに」 科学。 この場合、近代科学を差すのだろう。 「・・・・僕に授業をさせると?」 「いいでしょ、"大学教授"」 「・・・・キミ、ずいぶん性格が変わりましたね」 半眼で文句を言った後、青年は第一ボタンを外して襟元を楽にした。 「では、始めましょう。全ては近代科学の・・・・"近代"から始まります」 近代。 近世と混同されることの多い言葉だが、両者はよく対比され、明確な差異を持つ。 それは近代が資本主義社会、近世が絶対主義に代表される封建社会だと言うことである。 前者が社会システムを重要視し、後者が王により社会が決められた時代で、とある技術のあり方が大きく変化する。 「その技術が・・・・魔術です」 青年は寝転がったままの女性にそう説明し、とある魔術を発動させた。 「わぷっ」 大気中の水蒸気を急速に凝集させた結果、圧力が上昇して水へ相転移、女性の顔に滴程度の水が落ちたのだ。 「宗教改革に伴う戦争の時代において、魔術は王政に保護されて発展しました」 魔術師は国勢にも関わったし、東洋で軍師と呼ばれた者たちも魔術師だった。 「その崩壊の兆しは銃の発達です」 科学の申し子とも言える銃が世界に現れたのは、意外と古い。 9世紀前後に中国で発明されたそれは、火薬製法や様々な科学技術の発展に支えられ、戦争の主役になった。 火縄銃で有名な戦国時代はその発展途上である。 近世後期に位置する、銃の発展は戦場における魔術師の存在感を希薄にさせた。 大規模な攻撃魔術も安価で大量生産でき、誰でも使用可能な銃の威力の前に膝を屈した。 国家が強大になり、動員できる兵力が増したこともそれに追い打ちをかける。 戦場での優位を失った魔術師は、その不可思議な術から忌避され、国家の信用を失った。 そこに介入した教会派魔術師の扇動により、多くの在野魔術協会は壊滅する。 所謂、「魔女狩り」である。 これを受け、民間の魔術結社は地に潜る。 「そして、革命の時代です」 「処刑の時代ね」 「・・・・間違いでもありませんし、魔術師にとってそう言える時代ですね」 王の意向から議会制政治へ、それどころか国民主体の政治体系へと変わっていく中、魔術師は社会的地位を失っていく。 多くの宮廷魔術師はこの時に倒れた。 所謂、王を惑わした傾国の輩、と。 国はひとりの意向ではなく、システムで動くようになり、魔術という理解されにくい学問よりも科学が重視された。 近代科学は産業革命を成し遂げ、現代へと続く科学社会を形成する。 「こうなれば世界共通の法則に則られない魔術の存在は【世界】を構築するのに邪魔なものとなります」 だから、国家――特に新興国家は魔術をなかったものとして扱い、それを教会が後押しすることで、社会的に魔術は忘れられたのだ。 教会は宗教改革で野に放たれた在野魔術師の壊滅により、再び魔術をほぼ独占した。 「日本は? 陰陽師や神道、仏教などの他宗派が入り乱れた日本では?」 「日本がヨーロッパの定義する近代に移行したのは、明治だと言われています」 日本は古くから国王に位置する天皇が国を治めていた。しかし、国政を担うものは時代により変遷した。 古代から奈良時代までの皇族主義。 平安時代の摂関政治に代表される主義(末期の院政も含む)。 鎌倉時代から室町時代に至るまでの血族的武士主義。 「これらの時代は魔術師も強大な力を持っていました」 先程の陰陽師、神道、仏教に代表される学問的魔術の他に在野の神々の信仰が大きく残っていた。 「それが戦国時代になって変わりました」 戦争の主役は歩兵となり、それを効率よく指揮するためのシステムが生まれる。 鉄砲伝来後はおおよそヨーロッパと同じ歴史を辿った結果、為政者は魔術を嫌った。 特に顕著だったのは徳川家康が創立した江戸幕府である。 忍びを代表する諜報集団となっていた在野魔術師やそれを統括する大名家は、土地を切り離されることで力を失った。 キリスト教弾圧で知られる踏み絵は、それ自体が魔術師捜索を目的としており、東洋的魔女狩りだった。 だが、大藩を中心に魔術師抱え込みは続いており、対魔術師用にお庭番が置かれていたことは有名だ。 「明治になると政府は脱亜入欧を掲げてヨーロッパ式の社会制度を取り入れたため、魔術師の存在は公式に消されました。しかし―――」 「民間的魔女狩りはほとんど行われず、かつ後押しする教会勢力もなかった、ってわけ?」 「ええ、何せ天皇自体が神の子孫なのです。そんなことをすれば、自分たちのトップを倒さなくてはならなくなります」 天皇をトップに国家観を作り上げようとした明治政府にとって、魔女狩りは諸刃の剣だったのだ。 「何にせよ、植民地世界ができあがった以上、ヨーロッパの主流――科学主義が世界を覆うようになる」 だが、自治政府すら許されなかった場所には、その限りではなかったらしい。 「それが一変するのは第一次世界大戦です」 「ようやくね」 女性は息をつき、ベッドに突っ伏した。 「・・・・げんなりしないでもらえませんか?」 欧州大戦。 それは国が持つ全ての力を動員する総力戦だった。 勃発の理由はオーストリア皇太子暗殺事件だが、開戦を回避できなかったのは各国の総動員システムだという。 魔術師を駆逐して以降、研究開発された人の意志を反映しないシステムが、悲劇を生んだのだ。 「国家存亡の危機に立たされた各国は科学を発展させることで打開を図りました」 航空機による空爆、戦車による塹壕線突破など、科学技術が大きく発展した時代だが、ひとつの回帰も行われた。 「国が倒れそうな時に、少しでも優位になれるようにとある戦力を投入しました」 「それが魔術師、ね」 主に諜報戦に投入された魔術師は特に連合国側に優位に働いた。 魔術大国・イギリス、日本が参戦しているに加え、教会勢力のお膝元・イタリアが連合国側として参戦したことが大きい。 これらの魔術師は敵国家体制に打撃を与え、第一次世界大戦は終結した。 「講和会議であるヴェルサイユ条約の裏で、魔術は社会体制の崩壊に繋がるので、使用禁止になります」 「その表のヴェルサイユ条約がドイツを苦しめ、第二次世界大戦への階段を駆け上がる?」 「ええ。その過程でヒトラーは親衛隊内部に魔術師専用部隊を設立。これに呼応し、イギリスやオランダ、イタリアは近衛騎士団を復活させ、魔術師専用部隊を配備します」 あくまで戦争での魔術使用を禁じたヴェルサイユ条約なので、"護衛"と銘打てば保有できた。 「戦間期って・・・・本当に次の戦争の準備、なのね」 「僕の曽祖父はそう思っていたみたいです」 「私の曽祖父もそうだったみたいね」 ふたりの曽祖父は太平洋戦争での重要人物であり、戦間期があったからこそその地位に就いたのである。 「曽祖父はこう思っていました」 『―――魔術という使える戦力を見逃すほど、総力戦は甘くない』 「という考えの下、確実に次の大戦――第二次世界大戦の準備をし、戦い抜いた」 青年は窓の外を見遣る。 そこから遠くには観光客の姿が見えた。 「言葉と血の繋がりを用いて人々を導いた」 「言葉・・・・言霊を司る家としての責務?」 「ええ。家――血、とは東洋が古来より持つ考え方の一種です」 東洋人の名前が、最初に姓から始まるのはそういう理由だ。 だが、日本人の名字は元々、それ自体が生業を意味していた。 責務こそ、存在意義なのだ。 「僕が持つ今の名字には意味はありません。ですが、受け継ぐべき責務はありました」 国内最高級の魔術師である彼は、そう言って、 「この戦争で僕が・・・・僕たちがしたように、祖父たちも時代を駆けたのです」 「これまでの社会が崩壊した、激動の時代を・・・・か」 女性は仰向けになって天井を見上げる。 「聞かせて。私たちの祖父たちが経験した戦間期と大戦の話を・・・・」 彼女はこちらを向いた時、すでに軍人の目をしていた。 「・・・・・・・・・・・・私たちが経験するかもしれないから」 始まりの時scene (―――いよいよか・・・・) 大日本帝国大本営特務参謀・高松嘉斗(ヒロト)中佐は、伏見宮海軍元帥より賜った懐中時計で時間を確認した。 その日時は皇紀2601年(西暦1941年)12月8日午前1時30分。 しかし、周囲は夜明け直前である。 それはここが日本ではないことを意味していた。 では、どこなのか。 嘉斗がいるのはアメリカ合衆国ハワイ準州近海であり、大日本帝国海軍連合艦隊第一航空艦隊旗艦・航空母艦「赤城」の戦闘艦橋であった。 「長官、攻撃隊、発進準備整いました」 航空参謀・源田実海軍中佐が僚艦の発光信号を確認し、暗に長官に発進許可を求めた。 その言葉と共に艦橋にいるほぼ全ての要員が第一航空艦隊司令長官・南雲忠一中将へと向く。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 南雲中将は目を閉じ、大きく深呼吸した。そして、カッと目を見開くと大音声で宣言する。 「第一波攻撃隊発進! 続いて第二波攻撃隊も早急に発艦準備。徹底的に叩き潰せ!」 水雷屋出身である猛将・南雲中将は戦闘艦橋に響き渡る大声で攻撃命令を下した。 「赤城」から五隻の僚艦に発光信号が発せられ、各飛行甲板から零式艦上戦闘機の発艦が始まる。 そう、これは大日本帝国海軍による、アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊根拠地・真珠湾基地への奇襲攻撃の一幕であった。 (日本はここまで来ましたよ・・・・) 「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。 大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。 帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」 ―――時は遡る。 「―――ああ、ここにいたの、ひろさま」 「ん?」 幼い声で名を呼ばれた少年は、思考の中から現実に回帰した。 「探ひたよ、ひろさま」 寝転んだ彼の視界に、ひょこっと少女が現れる。 おかっぱ頭のかわいらしい少女だが、東京育ちの江戸言葉がまだ治らない。 というか、治す気がない。 見た目のかわいらしさに反して、なかなかに強かな少女だ。 「でんぽーです」 ピラッと視界に電報の紙を見せた。 本当ならば電報は従者が持ってくるものだが、彼女はまた勝手に拝借したらしい。 「全く、勝手に・・・・・・・・・・・・」 『ヒサカタコウキトクスグキテレ』 久賢公、危篤、すぐ来たれ。 「―――っ!?」 内容を理解した嘉斗はガバリと体を起こし、目の前に星を散らした。 「~~~っ!? 何ひよっと!?」 「すみません!」 同じく星を散らした彼女の頭を少しだけ撫で、嘉斗は駆け出す。 途中、やっぱり目が眩んで地面にヘットスライディングを決めた。だが、その騒動で従者を見つけ、車を用意するように命じる。 目的地は日本陸軍の重鎮中の重鎮、山県有朋と双璧を成した武隼久賢元陸軍大将の家だった。 武隼久賢。 天保9年(1838年)、薩摩国生まれ。 戊辰戦争では島津久光の命で新政府軍に従軍し、長州藩・大村益次郎に感銘を受けて弟子入り。 大村益次郎も薩摩流兵法を修めた久賢を重宝し、久賢は膠着状態に陥った戊辰戦争の長岡-白河戦線を突破する海上機動戦を進言した。 戊辰戦争勝利の若き英雄だったが、新政権では島津家の下に戻り、陸軍を辞退。 その後も島津家の命で動き続け、西郷隆盛の決起を思いとどまらせるために薩摩に赴く。だが、若者を抑えることが無理と判断した彼は、山県有朋に早期兵力展開のための策を授けた。 この結果、新政府軍は薩摩蜂起後すぐに、九州に主力を上陸させられた。 また、薩摩海上機動戦を高島鞆之助大佐と共に立案、黒田清隆に従ってその指揮を補佐する。 西南戦争後、陸軍の高官たちに請われ、陸軍大佐として軍へと戻る。 以後、力を増す山県有朋への対抗馬として陸軍に残り続けた。 山県の妨害で要職に就くことはなかったが、陸軍の意識および装備に多大なる影響を与え、徹底的な理論主義を植え付ける。 偉大な功績に相応しくない好々爺とした様は人気があり、海軍に比べて影響力が小さかった薩摩藩出身陸軍軍人の中で、その発言力は群を抜いた。 山県有朋と共に元帥に昇進するはずだったが、「老骨は去りぬ」と宣言して、辞退。 この言葉を直接聞いたと言うに、元帥になった山県には批判が集まった。 しかし、どんなことにも負けず、飄々といていた薩摩隼人も、年には勝てない。 今日、1920年4月3日、彼は力尽きようといていた。 「―――父上、殿下がご到着されました」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 武隼尚賢は昏睡状態の父に耳打ちした。 尚賢自身も陸軍の重鎮であり、現役を退いたとは言え、元陸軍大将だ。 欧州大戦への出兵を取り決め、薩摩閥の英才を向かわせた。 結果、大損害を出したが、軍事的技術革新を体験した日本軍は、今まさに再編中である。 「失礼します」 そんな彼に紹介された齢15の少年が、薩摩閥と政財界の重鎮たちを目にしても臆することなく、部屋に入ってきた。 「高松嘉斗です」 そっと寿命尽きようとしている老人の側に座る。 「・・・・・・・・・・・・嘉斗か」 『『『『『―――っ!?』』』』』 昏睡状態だったはずの久賢が目を開けた。そして、しっかりした口調に衝撃が走った。 「これから・・・・荒れるぞ」 陸軍と海軍の垣根を取り払った総合的な戦略を得意とし、それを成すための大戦略をも身につけた稀代の英雄が告げた言葉。 それは重く部屋に集ったものたちにのし掛かる。 「やはり、北、ですか?」 現在、日本陸軍はシベリアに出兵中である。 そして、ニコラス港において、激戦が起きそうだった。 いや、もう起きていてもおかしくはない。 日本軍は撤退の流れであり、赤軍の政府が安定化することは明白だった。 故に、日本陸軍は中国ではなく、赤軍――後のソビエト連邦――を仮想敵にするつもりである。 「いや、違う」 (ロシアではない・・・・) ロシアの主要都市は西に集中している。 大陸で日本と激突するにしても、限られた兵力となるだろう。 日本は日露戦争とは比べものにならないほど近代化している。 赤軍の政府も本腰を入れなければ戦えない。 故に日露戦争時代ほど怯えなくてよい。 と、嘉斗は判断した。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 「うむ」 確認を取るため、嘉斗は尚賢を見遣る。そして、彼が頷いたことで予測が当たっていたことを確信した。 尚賢は引退したとは言え、未だ薩摩閥に影響力を残し、山県閥を継承している田中義一たちに対抗している。 軍事参議官として、天皇を補弼する立場にあるため、世界情勢にも詳しい。 「脅威は東からやってくる」 大日本帝国は極東の端に位置する島国である。 東には広大な太平洋が横たわっていた。 「・・・・・・・・・・・・アメリカ、ですか」 『『『『『―――っ!?』』』』』 嘉斗の言葉に、陸軍軍人たちはハッとする。 アメリカ合衆国。 かつて、ペリー提督を寄越して江戸幕府を滅亡に追い込んだ張本人。 南北戦争を経験し、モンロー主義に浸ったが、欧州大戦に参戦し、シベリア出兵を主導するなど、最近は外征的だ。 「備えよ、海軍と共に」 「僕にそれができますか?」 「血統に甘んじる輩は嫌いだが、血筋がなければできないこともある」 「・・・・確かに僕にしかできないようですね」 久賢最後の弟子を自他共に認める少年は、一度目を閉じ、頭に浮かんだ物事を決心した。 「分かりました。僕は海軍に入ることにします」 「任せた」 そう言った久賢が目を閉じる。 そして、二度と目を開けることはなかった。 高松嘉斗。 後に海軍軍人として太平洋戦争を戦った軍人である。 変わった経歴を持つも、幕末の英雄であり、元老であった武隼久賢の弟子として、大戦略を叩き込まれた彼は、幾度も日本の政策決定に関わった。 何故、彼がそんなことができたのか。 幕末の戦いを指揮官として経験しなかった者たちが主導権を握るようになった時代。 薩摩、長州などという言葉は薄れ、軍はハンモックナンバーが出世に関わるようになっている。 故にもう血筋は関係ない。 だが、それを唯一例外とする一門がある。 そう、彼は皇紀2565年(1905年)に生まれた今上天皇の三男だった。 彼は久賢の死後、学習院中等科3年を退学、海軍兵学校予科に入学する。 言葉通り、海軍軍人としての道を歩み始めたのだった。 |