戦 闘 記 録

北薩の戦い
人吉城攻防戦川内川の戦い
えびの高原の戦い
加治木城攻防戦えびの高原の戦い
地方戦線
湯湾岳麓−岩剣城の戦い
大隅平定戦湯湾岳麓の戦い岩剣城の戦い

 
人吉城攻防戦
戦争 北薩の戦い(龍鷹侯国 vs 聖炎国)
年月日 鵬雲二年四月十四日
場所 肥後国人吉城(現熊本県人吉市)
結果 龍鷹侯国の勝ち
指揮官
絢瀬晴政(D)
鷹郷藤丸(C)
佐久頼政(B)
三浦雅俊(A)
野村秀時(@)
兵数
一三〇〇 一六〇〇
開戦経緯 鷹郷朝流が刺客にて倒れた折に聖炎国が龍鷹侯国に侵攻したことで始まった「北薩の戦い」の局地戦である。聖炎軍団は度重なる小競り合いで消耗していた人吉城を包囲することで、佐久勢の自由を奪った。この人吉城を開放し、聖炎軍団主力軍の後方攪乱及び小荷駄隊の撃滅など、戦争継続を困難にさせるため、鷹郷藤丸が後詰めに現れた。
戦闘経緯 瀧井信輝により、久七峠麓での戦いに勝利した龍鷹軍団は人吉盆地に雪崩れ込む。傭兵衆壊滅の方を受けた聖炎軍団はこれを撃滅しようと動き出し、球磨川北方にいた軍勢も南方に引き寄せた。しかし、絢瀬晴政は三浦雅俊の眼前を通過して人吉城に入城する。これに付け入ろうとした三浦勢は待ち受けていた人吉勢の銃撃を受けて大損害を被った。また、北方から呼び戻された野村秀時は人吉城を駆け抜けた絢瀬勢に横撃されて混乱する。さらに人吉城に向いている時に後方から龍鷹軍団本隊に奇襲されて戦線が崩壊、潰走に陥った。
戦争への影響 球磨川沿いから聖炎国に侵攻可能になり、手薄の防衛線を突破して後方を攪乱した。この結果、川内川の戦いで勝利した聖炎軍団は退却せざる得なくなった。


川内川の戦い
戦争 北薩の戦い(龍鷹侯国 vs 聖炎国)
年月日 鵬雲二年四月十四日
場所 薩摩国川内川(現鹿児島県薩摩川内市)
結果 聖炎国の勝ち
指揮官
鷹郷貞流(D)
有坂秋賢(C)
鳴海直武(E)
火雲親家・名島景綱(@)
堀元忠(A)
国木田政次(B)
兵数
六五〇〇 一万一〇〇〇
開戦経緯 鷹郷朝流が刺客にて倒れた折に聖炎国が龍鷹侯国に侵攻したことで始まった「北薩の戦い」の野戦決戦である。侵入した聖炎国の大軍を鷹郷貞流率いる薩摩勢が長年、龍鷹侯国が迎撃決戦用に戦場指定していた川内地域にて迎撃した。ただ、急進行であったために十分な準備ができず、不本意な真正面からの衝突となった。
戦闘経緯 中央軍、左翼軍、右翼軍は正面の敵と戦う前面衝突となった。渡河戦となった緒戦は龍鷹軍団は鉄砲と半途撃つの戦術を駆使して大打撃を与えたが、渡河されてから消耗戦となる。兵力差で圧倒されていたが、鳴海直武、有坂秋賢という名将を備えた両翼はよく支えた。しかし、聖炎軍団が誇る名将・名島景綱の巧みな戦術に中央軍は磨り潰され、徐々に追い詰められていく。両翼は援護したいが、しっかりと押さえ込まれており、遂に貞流は圧力に耐えることができず、全面撤退を命じた。
戦争への影響 巧みな戦略を用い、龍鷹軍団主力軍を圧倒した聖炎軍団は野戦決戦に勝利したという名声を獲得した。川内城は玉砕したが、出水城の村林信茂は降伏することなく、頑強に抵抗を続ける。また、鹿児島城に鹿屋利直率いる大隅衆四〇〇〇が到着したことで、川内川の戦いは決戦ではなく、局地戦のひとつに成り下がった。そして、同日に行われた人吉城攻防戦に敗北し、後方を脅かされた聖炎軍団は退却を決断することとなる。


加治木城攻防戦
戦争 えびの高原の戦い(藤丸 vs 貞流)
年月日 鵬雲二年五月三、四日
場所 大隅国加治木(現鹿児島県姶良市)
結果 貞流の勝ち
指揮官
鷹郷貞流
向坂由種
武藤家教(討死)
長井衛勝
兵数
四〇〇〇 一〇〇〇
開戦経緯 鷹郷朝流を鷹郷貞流が斬殺したことで、侯位継承権を失うことを恐れた貞流は兄の実流を忍びによって暗殺、さらに弟の藤丸を武力で押さえ込もうとした。これに対し、藤丸は旗本衆を率いて鹿児島城から脱出、別府川にて鳴海氏、長井氏、武藤氏の協力を取り付けた。貞流は大口城や出水城、人吉城、枕崎城などの諸将が藤丸につかないうちに藤丸を撃破しようと、子飼いの軍勢のみで国分城目指して進撃を開始した。
戦闘経緯 大口城を抑えるために植草憲正を送り、長井氏の蒲生城には佐々木弘綱を向け、貞流は有坂秋賢、相川貞秀、向坂由種ら主力を率いて武藤氏の加治木城へと向かった。三日に別府川と加治木城にて激戦が展開され、武藤家教を討ち取り、翌日には向坂勢が加治木城後詰めの長井衛勝と激突する。加治木城を巡る戦いは貞流の戦略的勝利に終わるも、貞流勢は甚大な被害を被った。また、蒲生城に向かった佐々木勢が霧島神宮を急襲、霧島騎士団を蹴散らして"霧島の巫女"を確保する。この霧島神宮攻防戦に参加した藤丸はその奪還のため、反攻作戦を約束した。
戦争への影響 別働隊が交通の要衝・大口城を確保し、難敵であった武藤氏をわずか一日で撃破した貞流勢は長井勢との遭遇戦に敗れるも、国分城への進撃路を確保した。早い展開と霧島神宮陥落による国分城包囲の危険を悟った藤丸は国分城を放棄、北上を開始する。無人の国分城で大隅の名族・鹿屋信直の来援を受けた貞流は藤丸追撃のため、霧島山系へと足を踏み入れた。


えびの高原の戦い
戦争 えびの高原の戦い(藤丸 vs 貞流)
年月日 鵬雲二年五月六日
場所 日向国えびの高原(現宮崎県えびの市)
結果 藤丸の勝ち
指揮官
鷹郷貞流
有坂秋賢
相川貞秀
佐々木弘綱
吉井直之
湯浅兼家(討死)
鷹郷藤丸
武藤統教
鳴海直武・盛武
長井衛勝
絢瀬晴政
兵数
三七〇〇 二〇〇〇
開戦経緯 国分城を捨てた藤丸を討つため、貞流は追撃を決意。鹿屋信直勢は国分城とその周辺に残し、長井勢と激しく戦う向坂勢を捨て置き、貞流は霧島山中へと踏み込んだ。対して藤丸も武藤家教を失い、長井衛勝は向坂勢と戦い、鳴海直武も大口周辺で植草勢と戦っている。このため、藤丸本隊の五〇〇が必死に貞流の追撃を躱そうとしていた。
戦闘経緯 狭い山道を長く伸びた隊列で追撃する貞流勢は前方に現れた鳴海盛武勢に苦戦する。隘路と寡兵の利点を最大限に利用した盛武勢に先鋒の吉井直之勢は大損害を被り、続く埜瀬義定を討ち取られる。しかし、感情的にならず、隊列を整えた貞流勢はえびの高原にて、遂に藤丸本隊を捕捉した。
鳴海勢を追撃して急進してくる貞流勢に奇襲を仕掛けることに失敗した藤丸が布陣した場所はかつて城だったえびの古城である。野戦でありながらも籠城戦の様相をなした決戦はその防衛線が破られる寸前に藤丸方に傾いた。それぞれ策略を巡らし、相手を振り切った鳴海直武、長井衛勝が貞流勢の後方に、日向国小林城の絢瀬晴政が東方に現れて攻撃を仕掛けたために貞流勢は戦場離脱にかかる。そして、貞流勢の殿を務めた吉井勢が降伏することで、藤丸方が勝利した。
戦争への影響 鹿児島城から始まった藤丸追撃戦は貞流の敗北で幕を閉じた。藤丸は生き延び、鳴海氏、長井氏、武藤氏の他、絢瀬氏を始めとした日向衆を味方につけ、宮崎へと移動する。貞流は蒲生城、加治木城、国分城、大口城などを確保して勢力的に大きく藤丸を突き放した。しかし、霧島神宮急襲の報は龍鷹軍団を構成する諸侯を惑わし、未だ沈黙を続ける大名が多い。何はともあれ、えびの高原の戦いでは決着が付かず、内乱は長期化することになった。


地方戦線
戦争 地方戦線(藤丸 vs 貞流)
年月日 鵬雲二年五月十九〜三一日
場所 薩摩枕崎城、日向飫肥城、肥後人吉城、大隅笠野原
結果
指揮官
相川貞秀
寺島春国(討死)・春久
火雲親晴
鹿屋信直・下澤秋胤(討死)
瀧井信成・信輝
武藤統教・吉井直之
佐久頼政
鹿屋利孝
兵数
四〇〇〇
九〇〇
三〇〇〇
二五〇〇
三〇〇
一〇〇〇
八〇〇
三〇〇〇
開戦経緯 えびの高原の戦いで命運を繋いだ藤丸は御武昌盛の招きで日向国宮崎に本拠を移す。そして、日向衆は飫肥城主・寺島春国を除いてその麾下に加わっていた。対して、貞流は地盤固めのために薩摩国の豪族に帰属を求め、枕崎城主・瀧井信成は反抗した。また、肥後国人吉城主・佐久頼政、大隅鹿屋城主・鹿屋利直など大身の大名たちはそれぞれの理由で動向をはっきりさせていなかった。
戦闘経緯 枕崎城を強襲した相川貞秀は海軍の援軍で瀧井信成・信輝父子を逃すも薩摩統一に成功する。そして、飫肥城を攻撃した武藤統教・吉井直之は野戦で寺島春国を敗死させ、春久を帰属させて日向国を統一した。また、貞流は従わない人吉城を聖炎国に渡すことで、内乱の介入を阻止し、藤丸は自らが出陣し、佐久頼政を救出。貞流の素質に不満を持った鹿屋利直が信直の廃嫡を決し、利孝を差し向け、両者は笠野原で激突、信直は敗北する。高隈城を攻略し、下澤秋胤を討ち取った利孝勢は損害の大きさから矛を収めた。
戦争への影響 藤丸は日向を、貞流は薩摩を統一。肥後人吉は聖炎国の手に落ち、代わりに貞流は薩摩勢を総動員することに成功する。また、大隅国は鹿屋氏家督争いにて利直・利孝は藤丸方に、信直は貞流方につき、利孝は大隅中部以南、信直は大隅北部を領有した。突発的に始まった内乱は龍鷹侯国全土に飛び火する。そして、二週間に及ぶ淘汰の結果、両者の版図は確立した。


大隅平定戦
戦争 湯湾岳麓−岩剣城の戦い(藤丸 vs 貞流)
年月日 鵬雲二年六月二九〜七月二日
場所 大隅国財部−大隅国国分城
結果 藤丸の勝ち
指揮官
鹿屋信直(討死)
加藤長泰(討死)
鷹郷藤丸
楠瀬正成
鹿屋利直・利孝
兵数
一一〇〇 七〇〇〇
開戦経緯 日向国飫肥城を攻略し、人吉城から佐久頼政を救い出した藤丸方は新たに”翼将”鹿屋利直が陣営に加わった。そして、人吉城を明け渡す決断を下すなど、これまでの龍鷹侯国を否定するやり方に反発した大口城城主・山野辺邦通が藤丸方につくと、藤丸は反攻を決意した。主攻勢は鹿屋勢と合流するために都城を経由して大隅国に入る道を選択。都城城主・楠瀬正成は大隅国財部に物資集積点として砦を建設した。そこに、藤丸方の反攻が近いと見た鹿屋信直が襲いかかった。
戦闘経緯 財部の戦いは信直勢が優勢だったが、藤丸方の増援・長井勢が到着すると形勢は逆転。信直は大隅国廻城に撤退した。藤丸主力軍は鹿屋勢と会合した後、主力軍は国分城を、鹿屋勢は廻城をそれぞれ攻略した。再び合流した藤丸方は、貞流方との決戦を求め、西進を開始する。
戦争への影響 決戦へと動き出し、えびの高原の戦い以来となる両軍主力軍の戦いに向けて動き出した。また、大隅国、日向国をほぼ完全に手中に収めた藤丸は後の政権では新たな枠組みの元で政治を行うと宣言する。これは戦国大名への転生を目指す貞流とは決定的に違い、惰性で戦うのではなく、明確に戦争目的を示したこととなった。


湯湾岳麓の戦い
戦争 湯湾岳麓−岩剣城の戦い(藤丸 vs 貞流)
年月日 鵬雲二年七月三日
場所 大隅国湯湾岳麓(現鹿児島県姶良市)
結果 藤丸の勝ち
指揮官
鷹郷貞流(@)
有坂秋賢(A)
相川貞秀(B)
村林信茂(C)
植草憲正(D)
向坂由種(E)
鳴海直武・盛武(@)
鹿屋利孝(A)
御武昌盛(B)
鹿屋利直(C)
武藤統教(D)
長井衛勝(E)
兵数
一万二〇〇〇 八〇〇〇
開戦経緯 藤丸方の大隅国侵攻に対し、貞流は決戦を求めて鹿児島城を出陣。藤丸方の予想以上の進軍速度で薩摩−大隅国境を踏破、湯湾岳南麓にて藤丸勢主力軍を捕捉した。そして、合流しようとしていた大口城主・山野辺邦通率いる軍勢を奇襲攻撃し、邦通を討ち取り、遭遇戦に近い形で両軍は相対した。
戦闘経緯 両軍が真正面から激突。中央と両翼で激戦が展開される。予想以上の戦いぶりを発揮し、藤丸勢最強を誇る長井・武藤を押さえ込む中央軍と猛攻を続ける貞流勢左翼の村林信茂によって藤丸勢は防戦一方となる。しかし、「鹿児島城陥落」の報を受けた貞流が軍勢を反転させる。しかし、主将を欠いた主力軍は両軍の采配を振るう秋賢と直武の下で激闘を続けた。結果、岩剣城の戦いにて貞流が討死したことが伝わると両軍は兵を引き、貞流勢は全面撤退した。
戦争への影響 華々しい決戦となり、両軍は壮絶な射撃戦、白兵戦、迂回戦術などを駆使して戦ったが、戦争全体に対する影響は小さい。両軍とも本隊に合流することはおろか、本隊同士の、本当の決戦に介入することが出来ず、徒に兵力を消耗しただけだった。しかし、元々あった兵力差を大きく縮めることに成功した藤丸勢は戦術的に引き分け、されど戦略的に勝利した戦いである。


岩剣城の戦い
戦争 湯湾岳麓−岩剣城の戦い(藤丸 vs 貞流)
年月日 鵬雲二年七月三日
場所 大隅国岩剣城(現鹿児島県姶良市)
結果 藤丸の勝ち
指揮官
鷹郷藤丸・御武時盛(討死)(@)
瀧井信輝(A)
寺島春久(B)
吉井直之(討死)(C)
鷹郷貞流(討死)(@)
平手貞秀(A)
前野(B)
生駒貞長(討死)(C)
平岩貞親(討死)(D)
佐々木弘綱(討死)(E)
兵数
七〇〇 二〇〇〇
開戦経緯 藤丸本隊の奇襲によって鹿児島城は陥落。藤丸は紗姫を確保し、貞流方の後方策源地を掌握した。そして、主力と決戦に及んでいるであろう貞流勢を奇襲するため、再び船に乗って錦江湾を北上する。しかし、その行動は貞流に読まれており、両者は遭遇戦に近い形で岩剣城下にて相まみえることとなった。
戦闘経緯 藤丸が岩剣城中腹に布陣し、吉井直之勢を麓の旧平松城に配して貞流勢を迎え撃った。これに対し、貞流は子飼いの部将たちによって旧平松城を攻めさせる。兵力に勝る貞流勢は平松城を陥落寸前にまで持ち込むが、瀧井信輝率いる騎馬隊によって平岩貞親が討ち死にする。だが、貞流は手薄となった藤丸正面に本隊を突撃させた。途中、吉井直之の旧平松城ごとの自爆で生駒貞長が討ち死にするも、伏兵を見破った貞流勢は優位に戦闘を進める。
壮絶な白兵戦の最中、藤丸勢を率いた御武時盛が戦死し、本陣奇襲によって加納猛政が負傷し、ついに藤丸と貞流の一騎打ちとなった。そこに<龍鷹>が降り注ぎ、侯王が確定。貞流が鈴の音によって暴走して藤丸に討たれることで内乱は終息することとなる。
戦争への影響 両軍の名だたる部将たちが次々と戦死する、壮絶な戦いが展開され、最後は両軍総大将の一騎打ちという話題性抜群の場面があった。さらに<龍鷹>が顕現し、藤丸は歴代侯王の中でも希有な存在となる。「鈴の音」を敵とし、余命宣告された幼き侯王の覇道が始まった。

第二会戦へ
龍鷹目次へ