2.4. 行軍速度


2.4.1. 陸上
2.4.2. 海上

※※※※
太字を読めば要約可能
考察根拠は本文を参照
文末に引用・参考文献名も記載

2.4.1. 陸上
 全軍および歩兵は時速4kmで計算する。そして、一日の行軍限界は約六里(約23.6km)である。しかし、強行軍の場合、一日に80~100kmも進む場合があり、この場合は時速2~3kmで行軍している。
 歩兵を連れない騎馬でも口取り(馬の口の部分にある綱を引く)をする従者がおり、その速度は時速6km。
 口取りをせずに早駆けすれば最速だが、約20kmで馬が潰れてしまう。


2.4.2. 海上
 小早ならび関船は快速が可能だが、安宅船は構造上速度が出せない。将軍御座船関船「天地丸」※は平時3.1kt/h、最大6.8kt/hで航行できたと推定される(石井, 1995)。
 これはそれぞれ約5.7km/h、約12.6km/hとなり、これを使用した場合、安宅船を含まない船団速度は約5.7km/hとなる。
 ただし、漕ぎ手の数、海流の速さ・向き、積載量によって速度は大きく変化する。
 第一次木津川口海戦の毛利軍は7月12日に淡路島北部を出て、13日早朝に海戦が勃発している。約50kmの航路であり、船団到着と同時に海戦勃発下とした場合、剪断速度は約2.1kmとなる。
 これは兵糧船を多数連れてきており、戦闘船だけではないことが影響しているのかもしれない。

※ 天地丸
 江戸幕府による大船建造禁止令の中、幕府主導で将軍が乗る船として建造された関船。
 1630年より幕末に至るまで約200年も使用された。
 大船建造禁止令上限ギリギリの500石積と同規模で、推定排水量は約100t



引用文献:
石井謙治(1995), 和船 Ⅱ, 法政大学出版局<ものと人間の文化史>, 128

参考ホームページ:



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