「筑後騒乱」/四



 久留米城。
 筑後川と宝満川が合流する左岸の丘に築かれた平山城である。
 縄張は連郭式を採用し、本丸は高石垣と複数の櫓が睨みを利かせていた。
 北側に本丸を置き、南方に二の丸、三の丸、外郭と続き、城下町が広がっている。
 城域はそれほど大きくないが、城の北東から西までが筑後川によって阻まれていた。
 この天然の堀の影響で攻め手はほぼ限定されており、その攻撃に対する縦深防御を企図した縄張りと言える。
 つまり、堅城ということだ。


 虎熊軍団筑後方面軍はここに主力を集中させており、籠城する兵力は四〇〇〇と見積もられていた。
 主力というには少ないが、城の外に出丸を築かず、住民も城内に避難させているとなると、この程度の兵力が限界と言える。
 しかし、その代わりと言うのもなんだが、東南東に位置する高良山に築かれた城砦群には一五〇〇程度が展開している。
 同地には高良大社があり、宗教一体となってなかなかに攻めにくい状況だ。
 また、さらに東方には小規模な山城がいくつも築かれており、ここにも守備兵がいると見られた。
 ただし、この方面の戦力には主に豊後から侵攻する鹿屋利孝が担当するため、筑後を南側から攻め上がってきた鷹郷従流率いる龍鷹軍団には関係のないことだった。






鷹郷従流side

「―――さて、どう攻めますか・・・・」

 鵬雲六年十月二六日、柳川戦線がほとんど戦闘もなしに小康状態に陥ったのと同じ時期、従流率いる龍鷹軍団は、その昔、大宰府を守るためにあった上津土塁跡地に布陣していた。
 ここは北の浦山丘陵と本山丘陵とった高台があり、筑後平野を東西に流れる小川がいくつもあり、防御に適した地形だ。
 主だった城は築かれていないが、それ故に土木量を投入して臨時の駐屯地を作り上げるのは簡単だった。
 なお、余談だが、同地は今現在、自衛隊関連施設が集中している。
 久留米=軍都という戦前のイメージを残すエリアでもあった。

「知らせでは鹿屋殿は無事、筑後に入られた模様です」

 側近である後藤公康が書状を見ながら言う。そして、居並んだ諸将の中心に置かれた筑後地図を指差した。

「二四日時点では玄関口の高井岳城を落とし、二五日以降は筑後平野を進軍している見込みです」
「ううん、筑後川南岸を進むにしても、南には山城群、北岸にも虎熊軍団筑前衆がいるとなると、それほど進軍速度は上げられませんね」
「退路の確保が必要ですからな」

 常に横撃を喰らう可能性を残したままの進撃は、緊張感が伴う。

「とすると、先に合流してしまうのもありかもしれませんな」

 そう言ったのは相川舜秀だ。

「鹿屋勢と我らとの間にあるのは、高良山城砦群と発心城、妙見城と言った山城です」

 相川が高良山を含む耳納山地を指差す。

「この中で厄介な位置にあるのは高良山城砦群です。しかし、これを攻略してしまえば、合流を阻む城砦はありません」

 平野部を進む場合、いくつかの城館はあるにはあるが、これは統治のための城であり、軍を迎え撃つには力不足だった。

「その場合、久留米城の戦力が厄介ですが・・・・」

 柔らかな横腹を晒して進むのだ。
 久留米城に籠もる四〇〇〇が打って出てきた場合が厄介である。

「打って出てくるのであれば、これを粉砕してしまえばいい」

 そう言ったのは長井衛勝だ。

「確かに籠城されると厄介だが、野戦となればたかが四〇〇〇か・・・・」

 絢瀬晴政も同意する。
 四〇〇〇とは、彼が率いる兵力と同数なのだ。
 彼の部隊だけで渡り合うことも可能だった。

「となると、目的は鹿屋勢との合流だが、そのためには久留米勢の撃破が目標となる・・・・?」

 従流が首を傾げながら言う。
 言いながら違和感を覚えたのだ。

「久留米城の無効化が目的で、そのために久留米城勢の撃破が目標。その目標のために鹿屋勢との合流を餌に久留米城を釣り出すってのに変わったかもしれませんね」
「それです」

 相川の言葉にしっくり来た従流はそれだとばかりに膝を打った。

「・・・・そのためにはまずは高良山城砦群の攻略が必要ですか」

 ここから一里ほどしか離れていない山城。
 しかし、それは高良大社とほぼ一体になっている。

「社殿を焼かずに攻略するのは骨が折れるな・・・・」

 長井が渋面を作った。
 高良大社は筑後一宮であり、周辺の信仰心を集めている。
 これを焼いてしまったとなれば、今は大人しくしている南筑後の民衆も一揆を起こしかねない。

「次の条件を?んでいただけるのであれば、日向衆が攻略して見せますよ」
「・・・・・・・・・・・・条件とは?」

 絢瀬の言うことに耳を傾け、少しの間だけ考え込んだ従流は、絢瀬に向けて頷いて見せた。




 翌二七日午前、日向衆三二〇〇は高良川を越え、現久留米競輪場に布陣した。
 ここは高良山神籠石の目と鼻の先である。このため、城砦群の防衛部隊も同地に集結していったのが旗の動きで分かった。
 そのまま午後には寺島春久七〇〇が高良大社の大鳥居を無視して北上し、高良大社北西に位置する東光寺城へ攻め寄せる。
 虚を衝かれた防衛側は各所から守備兵をかき集めて交戦。
 数刻の戦闘の末に寺島勢は撤退し、夕暮れには本隊と合流した。
 二八日には高良山神籠石に対して圧迫を開始し、鳴り物で威圧。
 高良大社境外末社である愛宕神社、大学稲荷神社の周辺で鉄砲戦となるも、槍合わせはせずに撤退する。

 こうして、高良山城砦群の戦力が西方の外郭陣地に集中していった。




(―――まさか、こんなにうまくいくとは・・・・)

 三〇日朝。
 従流は"降伏した"高良大社に招かれていた。
 目の前には宮司が平伏している。
 高良大社には目立った損傷はなく、往時のままとなっていた。

(山岳戦に慣れた日向衆ですか・・・・)

 日向衆は四〇〇〇だった。
 しかし、高良山正面に展開したのは三二〇〇で、八〇〇足りない。
 この八〇〇は絢瀬の妹婿・香月高知が率いていた。
 彼の本城は高鍋城だが、九州山地東側の山岳地帯も治めている。
 このため、山岳戦も得意だった。

 香月は本隊陣地から西方に移動し、明星山南方から山に入り、山頂付近に築かれていた明星岳城――廃城であり、守備兵はいない――を接収。
 そのまま北へ抜ける登城路を下って高良川へ出た後、耳納山地の尾根へと駆け上がった。
 耳納山地はいくつかの登山道が整備されており、ここを登ったのである。
 こうして尾根に至った香月勢は尾根を下りながら西進。
 東側から高良山城砦群の主郭である毘沙門岳城――別所城とも――へ二九日夕刻に襲い掛かった。
 毘沙門岳城も東側尾根に三条の堀切と小さな曲輪があるが、人知れず侵攻した香月勢に気付くのが遅れる。
 気付いた時には最高部である本丸に敵兵が迫っており、多勢に無勢で押し崩された。
 混乱した守備兵はすぐ下の杉ノ城へ逃げ込むが、その守備兵を収容する前に香月勢が付け入って城内で乱戦となる。
 ふたつの城を合わせても守備兵が三〇〇に満たない守り手はここでも突き崩され、降伏。
 高みを取られた城砦群守備兵は夜陰に紛れて城を脱出し、久留米城へと逃亡した。

 結果的に言えば高良山城砦群の一五〇〇の内、一〇〇〇強は久留米城に吸収された。

(条件というのは久留米城勢が強化されても良いか、でした)

 普通に言えば、ここで殲滅した方がいい。
 みすみす分散している敵兵を逃しても良いのならば、早期に陥落できると絢瀬は言ったのだ。
 だが、短い思考の中で従流はメリット・デメリットを考えた。


 デメリット:久留米城勢が強化されること
 メリット :強化された久留米勢が打って出てくる可能性が拡大すること


 これを天秤にかけた従流は作戦を許可したのである。
 つまり、従流も野戦決戦を決意したのだった。




 鵬雲六年十月三〇日午後。
 龍鷹軍団は上津土塁や高良山に絢瀬晴政二五〇〇を残し、残りの八〇〇〇を連れて耳納山地の北方へ出た。
 なお、鹿屋利直一〇〇〇は山下城に、畑野朝成五〇〇が生津城(同県久留米市三潴町生岩)に配されている。
 敵地に入るにつれて徐々に戦力が減少するのは仕方がないことだった。
 本隊は飯田の渡し場という巨瀬川の渡河点で野営する。
 翌日には巨瀬川と筑後川を越え、すぐ傍にある赤司城(同県同市北野町赤司)を攻めるか、発心城(同県同市草野町草野)を攻めるかと思われた。






「絶好の機会だ」

 杉内周輝は久留米城の抑えとして置かれた絢瀬勢を見遣って呟いた。
 周囲の反対を押し切って物見に出てきた杉内は、敵軍の布陣を読み解く。

 上津土塁に本陣を置き、絢瀬晴政が一五〇〇を率いる。
 久本繁政五〇〇が現久留米競馬場に、南郷繁満五〇〇が高良山に布陣する。
 二五〇〇が約一里に渡って布陣しているよう見えるが、高良川から上津荒木川までは空白地帯となっていた。

(この隙間に軍を入れて連絡を遮断、北方に展開する一〇〇〇を殲滅し、返す刀で絢瀬勢本隊を撃破すれば・・・・)

 二五〇〇の内、一〇〇〇程度は削れるはず。
 それに絢瀬勢が潰走となれば、後方を遮断された龍鷹軍団本隊も動揺して裏崩れを起こしかねない。

(白石殿からは「待て」と言われているが、絶好の機会だ)

 白石長久は豊後国境から動かない銀杏軍団を見切り、豊前衆主力を率いて豊前の要衝・香春岳城(同県田川郡香春町大字香春)に入ったと情報が来た。
 秋月城(同県朝倉市秋月野鳥)を経由するのであれば、久留米までおおよそ三日の距離である。
 とは言え、途中で陣容を整える必要もあるため、最短四日と杉内は見ていた。
 四日もあれば、龍鷹軍団本隊は鹿屋勢と合流し、より強大となって帰ってくるだろう。


 龍鷹軍団本隊は一万五〇〇。
 侵攻時は一万二〇〇〇であり、減った一五〇〇は後方残置組だ。
 恐ろしいことに侵攻当初からほとんど損害を受けていないことになる。
 一方、筑後を東側から侵攻してきた鹿屋勢は五〇〇〇と見られていた。
 これが鷹郷従流と合流すると一万五五〇〇という大軍になる。
 豊前衆主力も一万は超えていないため、単純戦力的には龍鷹軍団の方が多い。
 このまま久留米城に籠城していても、後詰で来る豊前衆と龍鷹軍団の野戦決戦には関与できない。
 それどころか、より兵力差が開いた状態での野戦となり、豊前衆が不利となるだろう。

(今ここで、敵を削れるのであれば、削るべきだ)

 そう決心し、杉内は馬首を巡らせた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 そんな物見の様子をじっと窺っていた視線があるのに気づきもせずに。






 鵬雲六年十月三一日、龍鷹軍団主力である鷹郷従流は佐久仲綱に竹井城(福岡県久留米市草野町吉木)を攻めさせた。
 竹井城は発心城の支城扱いであり、標高約160mの字古城山に築かれた山城だ。
 小規模ながら畝状竪堀等の竪堀群や堀切が良く整備された城である。しかし、守備兵がほとんどおらず、佐久勢は昼前にはこの城を占領した。
 こうして発心城西部を制圧した龍鷹軍団は鷹郷従流の旗本衆を前面に押し立てて、発心城の北方から迫ろうとする。
 これに対して、発心城麓部の居館域からは矢玉が飛んできて、山上部分の本城ではなく、麓から守ろうとする意志が見て取れた。



「―――総大将! 総大将はおられますか!?」

 従流以下幕僚が昼食を取っていた時、従流を呼ぶ声がした。
 それを受け、従流は顔を上げ、傍にいた後藤公康に頷く。

「従流様はここにおられるぞ!」

 念のため槍を手にした後藤が大音声で答えると、一人の騎馬武者がその声を頼りに駆け寄ってきた。

「絢瀬晴政殿が臣・南郷繁満の使いの者です」

 ひらりと馬から飛び降りた若武者は片膝を衝きながらそう言う。

「従流です」

 従流が対面して名乗りを上げた。

「我が主より伝言を預かってまいりました」
「はい、言ってください」

 従流は直答を許す。

「はっ」

 応じた若武者が片膝を衝いたまま頭を上げた。

「本日早朝、久留米城より敵勢が打って出てまいりました―――」


 要約すると以下の通りだ。
 久留米勢五〇〇〇が打って出てきた。
 一五〇〇は絢瀬本隊に正面から攻め寄せてきたが、それは抑えであり、本命である二五〇〇は伝令の主である南郷繁満五〇〇やその兄である久本繁政五〇〇を攻撃してきた。
 残りの一〇〇〇は高良川東岸に布陣し、戦闘には参加していない。
 なお、一五〇〇は絢瀬本隊と南郷・久本部隊を分裂するように部隊をねじ込んできたという。
 目下、絢瀬・久本・南郷は防戦に徹しているが、兵力差のある久本・南郷兄弟は苦戦中。
 至急救援を求む、ということだった。


「動いてきましたな」

 傍にいた相川舜秀が立ち上がった。
 部下に動くことを伝えるためだ。

「舜秀殿、少し待たれよ」
「は? しかし、敵が思惑通り出てきたのです。取って返すのでは?」

 元々の戦略は手薄になった龍鷹軍団の後方を襲う久留米勢を従流勢が反転して撃破するというものだ。

「意外と敵は連携しているようです」

 前線での喚声が大きくなってきた。

「まさか、発心城勢が打って出てきたのですか?」

 信じられないと相川が表情を変える。

(そのまさか、みたいですね)

 従流勢は即反転できるように以下の陣立てでいた。


 発心城攻め先手:鷹郷従流旗本衆
 東脇備:相川舜秀
 本陣:鷹郷従流
 西脇備:長井衛勝
 後備:寺島春久、香川高知

 これに竹井城を落とした佐久仲綱がいる。

 反転する場合、そのままの態勢で、先鋒・長井衛勝、次鋒・鷹郷従流、後陣・相川舜秀で駆け抜け、寺島春久・香川高知は殿、佐久仲綱は発心城の抑えとする予定だった。
 ただし、これは発心城の兵が城に籠もったままの場合だ。
 今のように打って出てきた場合、従流勢はそう簡単に動けない。
 前線で戦っている兵がいるのに、反転すれば、前線の兵たちは自分たちが見捨てられたと思って、崩壊しかねない。
 所謂、見崩れという現象である。


(こういうことならば、城攻めを旗本に任せず、舜秀殿に任せればよかったかもしれませんね)

 旗本は明確な大将がおらず、本隊からの指示に従って戦っている。
 細やかな指示を末端まで行き届かせる方法としてはこの方が良かった。しかし、その本隊が移動を開始したら指揮系統が乱れて見崩れを起こす可能性がある。
 一方で、明確な大将が存在する部隊に任せていれば、その大将が将兵をまとめて本隊の離脱を可能にしたかもしれなかった。

(これは僕の失敗ですね・・・・)

 いざ久留米勢と戦う折に相川を連れていきたいと考えた従流の判断ミスだ。

(早く行かなければ、如何に備えていたとはいえ、大きな被害が出る・・・・)

 絢瀬勢全体が崩壊することはないだろうが、餌として撒いた久本・南郷兄弟は壊滅しかねない。
 それは避けるべき損害だった。


「―――お邪魔するッス」

 そう言って本陣に顔を出したのは、長井衛勝の嫡男・忠勝だった。
 忠流の小姓であるが、今回の遠征では父親と共に出陣している。

「弥太郎ですか。どうしました?」
「父上からの意見具申ッス」

 「まあ、そうだろうな」とは思った。
 さすがにこの場で「遊びに来ました」とかは言わないだろう。

「衛勝殿は何と?」
「長井勢だけで先駆けし、久留米勢を撃破してもよいでしょうか?」
「それは・・・・」

 歴戦の強者である長井衛勝は、本陣に飛び込んだ伝令とその後の動きのなさから正確に事態を把握しているようだ。
 その上で、本隊が動けないのであれば長井勢だけで動くと言ってきた。

(確かに長井勢だけで動くのはアリです)

 長井勢だけが動くのであれば、見崩れが起きることはないだろう。

 長井勢は約二〇〇〇。
 久留米勢の半分以下だが、絢瀬勢と合わせれば、兵数的にはほぼ互角となる。
 何より今は拙速を貴ぶ時だ。

「許可します」

 従流は即断した。
 忠勝はやや驚いた表情を浮かべたが、すぐに表情を引き締めて一礼した。

「承知いたしました!」

 忠勝は踵を返して幔幕から出ると、腰に差していた旗を大きく振る。
 それを見た長井勢は素早く陣払いの準備を始めた。

「さすがは軍団最強部隊・・・・」

 対虎熊軍団戦である砂川の戦いで不覚を取ったが、それでも部隊単体としての精強さは変わらない。
 陣払いを始めてわずか四半刻(約30分)で西へ向けて進み出した。
 戦場まで二里半ほどの距離がある。
 これは通常の行軍速度では約一刻(約2時間)はかかる予定だ。

(攻撃の烈度によりますが、絢瀬殿には負担をかけますね)

 そう考えた従流だが、すぐに首を振った。

「いえ、それを覚悟で志願されたのです。心配するだけ失礼と言うものですね」
「はい?」

 思わず呟いてしまった。
 その言葉を近くにいた後藤が聞き止める。しかし、従流は繰り返すことはせず、後藤に別のことを命じた。

「長井勢を送り出しました。我々は発心城に集中しましょう」
「はい。見たところ、我々の転進を防げずに動揺しているようです」
「押し返すだけでなく、付け入る隙はありますか?」
「・・・・試してみる価値はあるでしょう」

 撃退するだけでなく、逆に城内に攻め込めないかという従流の強気発言に、後藤はわずかに考える。だが、「可能性はある」と判断した。

「では、あなたが部隊を率いて試してみてください」

 後藤公康は従流の側近として本陣に控えているが、後藤家の自前軍団もここにはいる。
 これを率いて付け入れと命じたのだ。

「御意」

 頷いた後藤が急いで幔幕から出ていく。

「刻家。輿を用意してください」
「へぇ。出るんで?」

 幔幕の隅で鉄砲を磨いていた真砂刻家に命じると、彼は従流を見てニヤリと笑った。

「はい、僕の<鷹聚>でごり押しした方がいいでしょう」

 そう言って、従流は懐から数珠を取り出す。
 霊装・<鷹聚>。
 範囲内の装甲を敵味方問わずして性能を上げると言うものだ。
 白兵戦では不向きだが、こちらの数が多いのであれば、敵を倒せないにしてももみ合いながら押し込むことは可能となる。

(城内に入るまで効果が続けば、後はこちらのものです)

 兵数はこちらが多いのだ。
 麓にある居館については容易に占領できるだろう。

(問題は山頂の方ですか・・・・)

 麓は平時の統治のための役所であり、それほど難攻不落ではない。だが、そのまま山頂に至るためには多くの防衛施設があり、少数の兵でも守りやすくなっている。
 ついでで落とせる城ではない。

(一打撃を与えたら、我々も西へ向かいますか)

 抑えに佐久仲綱を置けば、鹿屋勢との繋ぎにもなる。



「―――そう考えていた時期もありました、と言うべきですかね」

 一刻後、従流はため息をついた。
 それは発心城の方とは反対側に向いている。
 そこに翻るのは<朱地に黄の豺羆>だ。
 言うまでもなく、虎熊軍団の軍旗である。

「申し上げます!」

 物見に出ていた武将が返ってきた。

「馬印を確認するに、豊前熊将・白石長久が率いる豊前衆と見られます!」
「数は?」
「約五〇〇〇」

 相川の問いに物見に出ていた武将が答える。

(豊前衆の主力ではありますが、やや少ないですね)

 豊前衆に対して、銀杏軍団が牽制をしている。しかし、銀杏軍団は三〇〇〇~四〇〇〇程度であり、豊前衆を全てひきつけることはできなかった。
 豊前国は表石二四万五〇〇〇石であり、一万石当たり三〇〇を動員したとすれば七三五〇名の兵を動員できる。
 しかし、鉱山収入や宇佐神宮等の都市を持つため、実石は三〇万石に迫ると龍鷹侯国は想定していた。
 三〇万石×三〇〇名と計算する九〇〇〇。

(とは言え、こんな単純ではないですよね)

 ただし、この一万石当たり三〇〇とは遠征に出る場合の計算式だ。
 豊前を守るためならばもう少し動員できる。
 豊前は人口も多いため、人口的動員限界も高い。
 銀杏軍団への抑えに四〇〇〇を残したとしても、八〇〇〇程度は振り分ける余裕はあると龍鷹侯国は見ていた。

(ですが、目の前にいるのは五〇〇〇)

 予想よりずいぶん少ない。

「別の場所にも向かっているのでしょうか?」

 従流は相川に聞いた。

「可能性はありますな」

 考えられるとすれば筑後川北岸にある麻底良城(福岡県朝倉市杷木志波)に兵を入れ、筑後東方を侵略する鹿屋勢に対する抑えとしたというものだ。
 これは鹿屋勢が筑後川南岸を西進した場合、筑後川を越えて豊後への連絡線を遮断することができる位置だ。
 このため、鹿屋勢は迂闊に西進できず、従流勢との合流ができない。

(これは・・・・あり得ますね・・・・)

 久留米城を前にして東進した従流勢の戦略目的を破綻させるいい手と言えた。

(ただ、これ以外にも考えられます)

 もうひとつは久留米城へ向かっている場合だ。
 こちらも龍鷹軍団にとっては厳しい状況となる。
 絢瀬勢を襲う久留米城勢と連携していた場合、この救援に向かった長井勢と共に龍鷹軍団は兵数差で苦戦する可能性があった。
 絢瀬晴政や長井衛勝らが如何に歴戦の猛者とは言え、兵数には勝てない。
 むざむざと敗北することはないだろうが、従流らの退路が断たれる可能性があった。

(この場合は急いで鹿屋勢と合流し、我々は豊後口から撤退するしかなくなります)

 それは柳川を制約している聖炎軍団にも影響する。
 最悪、遠征自体の失敗に直結する大敗を意味した。


(戦場での勝敗ではなく、軍の機動だけで大勢を決する)


 それは従流の兄――鷹郷忠流が得意とするものだった。

(白石長久殿。虎嶼晴胤殿に隠れていましたが、さすがは虎熊軍団の熊将ですか)










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