「筑後騒乱」/三



 鵬雲六年十月二〇日。
 聖炎軍団が肥後-筑後国境を越えた。

 主力となる大牟田口を越えたのは以下の軍勢だ。

 先鋒:堀希忠(堀晴忠の弟)八〇〇(目付:三浦雅俊)
 次鋒:瀬堂且元一〇〇〇
 本備:火雲珠希二〇〇〇(陣代:名島景綱)
 後備:長谷川家次五〇〇

 計四三〇〇。

 これらは諏訪川を渡り、平野部を驀進してその日の内に甘木城を接収した。

 また、これと同時に南関方面から柳本長治五〇〇が山地を踏破して無人だった三池山城を攻略する。
 柳本勢はこの後、本隊と合流した。

 一方、松風関口を越えたのは以下の軍勢だ。

 先鋒:十波政智八〇〇(目付:野村秀時)
 次鋒:太田貴鐘九〇〇
 本備:立石元秀一五〇〇(後備含む)

 計三二〇〇。

 これらも抵抗を受けることなく、田尻城を接収する。そして、松延城方面へ物見を放って情報収集をした。


 こうして筑後侵攻の一日目は目立った戦闘もなく終結した。


 その流れは二日目も続く。


 この侵攻以前から廃城になっていた今福城(福岡県みやま市高田町今福)に聖炎軍団が集結。
 再編成の上で、田花氏が焼いた浜田城、堀切城、江浦城の跡地にそれぞれ以下の軍勢を前進させた。

 旧浜田城:十波政智、立石元秀の二三〇〇。
 旧堀切城:太田貴鐘、名島景綱の二四〇〇。
 旧江浦城:堀希忠、瀬堂且元の一八〇〇。

 そして、田尻城に本陣と後備として火雲珠希一〇〇〇(長谷川家次含む)が布陣する。

 対する田花勢は矢部川西岸の狭い範囲に津留城(同県柳川市大和町六合字西津留)、鷹尾城、中島城(同県同市同町中島)、佐留垣城(同県同市同町栄字前田)、塩塚城(同県同市同町塩塚)に嵯峨連成が大将の約二五〇〇が分散。
 南北半里もない狭い領域に津留城、鷹尾城、中島城が立ちはだかり、その後方に塩塚城、佐留垣城を置く。
 それぞれ短い距離で連動しており、どこかの城が攻められるとどこかの城が敵の背後をつくなど、連動できる支城群である。
 明らかに防御に秀でた布陣であり、矢部川の防壁を利用した野戦ではなく、敵を引き込んだゲリラ戦で迎え撃つ姿勢だった。



 聖炎軍団が対田花氏に集中したのに対し、遅れて筑後に入った龍鷹軍団はさらに北上する。
 二二日にゆっくりと松延城へ向けて進軍し、夕方には廣田八幡宮に先備三〇〇〇が布陣した。
 これは松延城からしたら目と鼻の先である。
 これを受けて、松延城に残っていた虎熊軍団は夜陰に紛れて城を脱出。
 北回りで山下城砦群に撤退した。

 翌二三日には、二二日までの動きではなく、急進的に虎熊宗国へ侵攻した。
 虎熊宗国と田花氏の事実上の国境であった矢部川南岸の用水路を越え、矢部川に到達。
 これを東進して小田に先備が布陣し、続く次備も長田に布陣する。
 本備は松延城に展開しており、山下城砦群を西から北西にかけて囲む形となった。






鷹郷従流side

「―――さて・・・・久留米は動きませんか」

 鵬雲六年十月二三日夕刻、松延城にて龍鷹軍団は軍議を開いていた。
 出席者は本備の鷹郷従流、相川舜秀、次備の絢瀬晴政、先備の佐久仲綱である。
 仲綱と同じ先備である長井衛勝が、次備は久本繁政が預かり、敵を注視していた。

「久留米はしきりに早馬を出したり、方々からの軍兵が集まっていたりなど、まだまだ動ける状態ではないようです」

 報告するのは龍鷹侯国が誇る諜報集団・黒嵐衆のひとりだ。
 忍の立場で直答を許されているのも、効率化を求めた忠流の意向である。

「こうなると、山下城砦群を攻略する必要性があるかもしれませんね」
「野戦決戦の方が楽ではありましたが、ね・・・・」

 従流の言葉に相川は同意した。
 彼自身も当てが外れたという顔をしている。
 本来の作戦では山下城砦群の救援に出てきた筑後衆主力(久留米勢)を矢部川で迎え撃ち、決戦に持ち込むという後詰決戦を想定していた。
 龍鷹軍団が野戦に強いというのもあるが、山下城砦群を攻めるにはどうしても矢部川を背にしなければならない。
 これは久留米を背後にするということであり、できれば避けたいのだ。

「山下城砦群にかかりっきりになっているところに奇襲をかけるつもりでは?」

 言ったのは佐久仲綱である。
 父・頼政が対虎熊軍団戦で行方不明となったために家督を継ぎ、動揺する家中を必死にまとめている青年部将だ。
 先の豊後攻めでも武功を上げており、もし頼政が戻ってきてもそのまま隠居しかねない才覚を発揮しつつあった。

「可能性はありますね・・・・」

 龍鷹軍団が山下城砦群にのめり込み、背後の警戒が疎かになったところを狙う。
 確かに最初から後詰決戦を狙うよりも虎熊軍団にとって効果的だ。

「久留米から矢部川までおおよそ五里ですか・・・・」

 地図を見下ろしながら従流が呟く。

「一日弱の距離なので、久留米から仮に兵が出てきたとしても、まだ奇襲を受ける距離ではない、な」

 絢瀬晴政が言う。
 もちろん、強行軍であれば深夜に出て、早朝には攻撃を仕掛けられる。
 だが、久留米から矢部川までほぼ平野であり、見張りがいればすぐにバレる。
 また、長い距離を走ってきた軍勢は疲れており、奇襲効果が発揮できなければ返り討ちにあう可能性も高かった。

(そんな賭けはしないでしょう)

 となれば、こちらに圧力をかけることのできる地点に一定以上の戦力を集中すべきである。

「・・・・この知徳城の状況は?」

 知徳城(現福岡県八女郡広川町広川)は先備が展開する小田までおおよそ一里半の距離であり、こちらの動きを牽制するにはいい位置と言えた。

「城番は各地より兵糧や兵をかき集めていますが、味方の進軍拠点化というよりは自身の防衛のためと見えました」
「となると、久留米から指示が来ておらず、とりあえず自衛に動いているということか」
「そうですね」

 知徳城の動きは上位軍団から指示が来ないので困っているとき特有のものと言える。

「・・・・ここまで来ると、兄上の予想は正しいようですね」

 感心半分、呆れ半分のため息をついた。
 どう考えても筑後衆の指示系統は麻痺している。
 それは出陣前に兄・忠流が予想した通りだった。
 兄曰く『筑後方面を統括する熊将が肥前にいて、何の手当てもしてこない。留守居は留守居だ』と。
 つまり、虎熊軍団上層部は筑後が侵略されるとは想定しておらず、この時の対処方法を筑後衆には伝えていなかったことになる。
 これを予想した兄に感心する一方で、「想定していなかった」という虎熊軍団上層部の杜撰さに呆れたのだ。

「さあ、この場合、我々はどう動くか、です」

 本来の作戦が未発な以上、次善の策に進まなければならない。
 後詰決戦に挑もうとした理由は、これに勝利することよって山下城砦群の戦意を挫き、これを落とすことにあった。
 城攻めは損害が大きくなるから、避けたかったのである。

(でも、ここは攻略する必要があります)


 山下城砦群。
 山下城を中心に西に国見岳城、東に禅院城、南東に小田城がある。
 出城的な扱いにさらに南東の女山神籠石、北西の矢部川北岸に溝口城も含むことがあった。
 今回、女山神籠石や溝口城には少数の兵が確認されているが、おそらく防衛線は敷いていない。
 このことから兵数的には二〇〇〇程度しかいないのではないかと見積もられていた。


(力押しで落とせないこともないのですよね)

 龍鷹軍団は一万二〇〇〇だ。
 攻撃側は防御側の三倍を用意するという法則は達成している。
 おそらくだが、力攻めすれば数日中に落とせると思われた。
 また、三〇〇〇を抑えに残して北上する案もあるが、山下城の確保は必須と軍団首脳部は考えている。

(山下城の東側は手付かずになりますからね)

 残すとする三〇〇〇では、山下城砦群を完全包囲することは不可能だ。
 山下城砦群は筑肥山地北部に位置しており、南東には熊ノ川城(同県八女市立花町上辺春熊川)があり、さらに東方には猫尾城(同県同市黒木町北木屋)を中心とする城砦群が控えている。
 これらの城を経由して兵糧が送り込まれる以上、山下城砦群を封殺することは不可能だった。

(猫尾城とかまで攻めるのは現実的ではないです)

 第一作戦とも言える山下城砦群の攻略目的は、さらに北上するための補給路を確保することだ。
 抑えを残してはその目的を達成できない。

「城攻めですか・・・・」
「こうなると・・・・まずは禅院城と小田城を攻略し、山下城を攻めるのが常道ですか・・・・」

 相川が言うが、それをゆっくりと従流が否定した。

「いえ、ちょっと奇策で行きましょう」
「「奇策?」」

 絢瀬や佐久が首を傾げる中、従流は側近に告げる。

「刻家を呼んでください」
「はあ・・・・?」

 従流は疑問を抱きつつ、自身の馬廻衆をまとめる真砂刻家を呼んだのだった。




 鵬雲六年十月二四日、山下城陥落す。
 この情報は筑後に激震を与えた。

 山下城は城砦群の中心であり、もしその他の支城が落ちたとしても単体でも堅固な城である。
 麓からの比高50メートルの独立峰――その標高105メートル――の山頂にあり、周囲には空堀を巡らせている。
 本丸と二の丸の周囲は傾斜35度を超す急傾斜となっており、さらには堀切や土塁などでアクセスできない要害だ。
 攻めるとすればさらに南方の三の丸方面からだが、そこにも空堀がある。
 また、その三の丸に至ろうとすると北側から谷を進むしかない。
 そうなると本丸や二の丸からの射線に晒され続けることとなる。
 それが嫌ならば、支城である国見岳城を攻略した後、東回りで南方に回るしかなかった。

 しかし、龍鷹軍団は山下城西方の禅院城を圧迫しつつ、少数部隊が矢部川南岸沿いを東方へ突破。
 山下城からの射撃を真正面から受ける位置から攻撃を開始。
 山下城も二の丸から鉄砲や弓矢による迎撃を開始したが、その射手を悉く真砂勢が狙撃していった。
 狭間ではなく、柵に竹束という防御設備だった山下城は射手の体を完全に隠せておらず、次々と死傷して火力が減少。
 従流の霊装・<鷹聚>で防御力を強化した部隊が三の丸の城門を破壊して城内へ侵入。
 侵入と共に従流は<鷹聚>の効力を切ったが――敵味方とも装甲の耐久力が向上するため――、思わぬ攻撃に動揺する守備兵を制圧しながら従流麾下の近衛衆が二の丸、本丸へと進んだ。

 こうして、短時間で従流が直卒する兵だけで山下城を攻略する。
 これを受け、支城群の末路は以下の通りだった。
 国見岳城は守備隊が東方へ逃走。
 禅院城は山下城の陥落を目の前で見ており、動揺していたところを攻撃されて短時間で陥落。
 小田城は時間軸的に最後まで残ったが、抵抗を諦めて翌朝に降伏した。

 こうして矢部川東岸・南岸の安全を確保した龍鷹軍団は矢部川を越え、溝口城を接収。
 久留米城への足掛かりを確保した。






火雲珠希side

「―――やるねぇ・・・・」

 山下城陥落の詳報を聞いた火雲珠希は素直に感心した。
 セオリーを大事にするのかと思いきや、奇策で落として見せる従流の手腕は驚きである。

(これは怖いね)

 もし忠流の支持基盤が盤石でなかったのであれば、非常に怖い才能と言えるだろう。
 優秀な後継者とも言えるが、自身の器量がその後継者に及ばないと判断されれば、家臣らに担ぎ上げられて自身の後継者ではなく、ライバルとなる。
 その恐怖に耐えながらうまく使うか、遠ざけるかのどちらかを選択するだろう。

(で、忠流殿は過去に遠ざけた、か)

 若かったのもあるだろうが、それで龍鷹侯国がまとまったのであれば正解だったのだろう。そして、今になって呼び戻してきたのも正解だった。
 山下城早期陥落はその結果である。

「矢部川以南がなんなく手に入ったのは僥倖ですね」

 側近の言葉に珠希は頷いた。

「そうだね。・・・・田花氏攻めに集中できるよ」

 福岡を目指す連合軍の主要兵站基地は大牟田だ。
 ここから福岡を目指すのだから現国道209号線を通る。
 このため、柳川を攻略する必要はないが、長大な補給路となるため、これを脅かせる位置に戦力が残っていることが問題だった。
 虎熊軍団であれば、戦力の集中ということを考えて、矢部川北岸から筑後川南岸までの地域から兵を撤退させると思われる。
 一方で、田花氏は本拠地である柳川城を中心にその辺りに戦力を維持し続けるだろう。


 つまり、田花氏は連合軍が福岡に進撃するためには邪魔な位置にいるのである。


(最低でも柳川城に逼塞するしかないほどの打撃を与える必要があるかな)

 そうなると、矢部川西岸で待ち構える田花氏主力撃破が必要だ。

(とは言え、それは簡単じゃない)

 おそらくは田花氏はこの迎撃戦法を何年もかけて準備してきたのだろう。
 それを打ち破るのに必要なのは、"圧倒的な戦力"か―――


(―――"知恵"だよね)



 鵬雲六年十月二五日、今度は聖炎軍団が動いた。
 矢部川東岸の最前線から十波政智、太田貴鐘、立石元秀らを引き抜き、本隊一〇〇〇と合流。
 総勢四二〇〇が龍鷹軍団によって確保されていた山下城北方の矢部川渡河点を越えた。
 さらにそこから進路を西に変え、沖端川の北岸を突き進んだ。
 そして、虎熊宗国の持ち物である蒲池城を攻略したのである。
 蒲池城は柳川城の北方に位置し、距離は半里程度。
 それこそ田花氏と虎熊宗国の国境である沖端川を挟んだ、目と鼻の先と言えた。
 つまり、田花氏の防衛線を北回りに迂回し、一気に柳川城を付ける位置に進出したのである。

 これに慌てた田花氏は矢部川西岸に展開していた戦力を柳川城に引き上げ、籠城戦の構えに出た。
 このため、矢部川東岸に残っていた聖炎軍団は矢部川を越え、塩塚川河口付近を制圧。
 さらに沖端川河口付近まで進軍しつつ、南方から柳川城を窺う態勢を取る。
 まだ柳川城を包囲はしていないが、限りなくそれに近い状態を作り出した。




「これが戦略だよ、若人よ」

 蒲池城に馬印を立てた珠希は胸を張った。

「とはいえ、突出部なのですよね、ここ」

 珠希に応じたのは立石元秀だ。
 実質的な総大将としてこの部隊を率いている。

「肥前方面の三城には兵はいないのだろう?」

 ここから一里もない北西には、津村城(現福岡県大川市津)、榎津城(同県同市榎津)、酒見城(同県同市酒見)がある。
 これらは筑後国と肥前国の国境を流れる筑後川の東岸に当たり、かつ花宗川の南岸に位置していた。
 筑後から肥前に赴く際に通る道のひとつであり、普段であれば守備兵が置かれている。しかし、龍鷹軍団の侵攻に備え、筑後衆は久留米城等に集結したため、空城となっていた。

「しかし、筑後川西岸の蒲池城には兵がいると思われます」

 肥前蒲池城(佐賀県佐賀市蓮池町蓮池)は肥前衆の重要拠点のひとつであり、佐賀城東方を守る上では欠かせない。
 筑後衆が久留米に集結しているとはいえ、指揮系統の違う蒲池城から兵を引き上げるわけがない。

「肥前衆は燬峰軍団の手当てでそれどころではないさ」

 ほぼ同時期に燬峰軍団は佐賀方面への侵攻を開始している。
 未だ詳細な情報は入っていないが、事前の情報では電撃作戦ではなく、じわじわと圧迫していく戦略だった。
 この場合、肥前蒲池城の兵も残ってはいるが、主力は佐賀城に移動しているはずだ。

「つまり、筑後川を越えて、僕たちを攻撃する余裕はないさ」

 とは言え、放置は怖いので筑後川東岸の河川敷に一定数の物見部隊は配置する必要はあるだろう。

「とにかく、我々は柳川城を取り囲んだ。後はこの包囲網を狭めていくか否かだね」
「城攻めをするか否か、ですね」

 柳川城は複合式五重五階の層塔型天守を兼ね備え、無数の堀が縦横無尽に張り巡らされた難攻不落の堅城である。
 かつては虎熊軍団の猛攻にも耐え、熊本城と並ぶ鎮西の堅城と称されていた。
 籠城する兵が最大四〇〇〇とすると、攻略には最低でも一万五〇〇〇は必要だろう。
 聖炎軍団はその半数程度しかいないので、攻略は不可能と言えた。

(もちろん、龍鷹軍団を加えれば別だけどね・・・・)

 龍鷹軍団の主力を加えれば三万近い大軍となる。
 この大軍を持ってすれば柳川城を攻略することはできるだろう。

「柳川城を確保することに、それほどの戦略的価値はないのが困りものだよね」

 攻略すれば、それはそれで使い道がある。しかし、攻略しなければ困ると言うほどではない。

「このまま田花氏が大人しくしているというのであれば、それはそれで問題ないのだよ」
「武人としては一戦交えたいですが、仕方がないですなぁ」

 田花氏としては生き残ることが第一である。しかし、虎嶼氏の一門衆でもあるため、そう簡単に降伏しないだろう。

「佐賀へ向けて退去するかもしれない。だから、南方の部隊は沖端川を越えて筑後川へ進むことを禁じる」
「御意。柳川城北西を開けておくのですね」

 柳川城北西から沖端川を越え、沖端川と筑後川の間に形成された中州を通過して筑後川を抜けるというルート(現福岡県道・佐賀県道18号大牟田川副線)を開けておくのだ。

「ともすると、我々もこの城から動かず、待機ですな」
「そうなるね」

 この城――筑後蒲池城――から南方に進出した場合、開けている脱出路を扼する位置に前進することになる。
 この場合、「包囲された」と判断した田花氏が徹底抗戦に出る可能性があった。

「降伏勧告の使者でも送るか?」
「事前に『侵略の意図なく、福岡へ至る通路を確保するのみ』と言った手前、降伏勧告は避けた方がいいと思いますが」
「・・・・確かに。話が違うと言われるかもしれないということだね」
「その通りです」

 珠希の言葉に頷いた立石。
 それを見て珠希はゆっくりと息をついた。

「ということは、ゆっくりできるということだね」

 珠希以下四二〇〇は筑後蒲池城に、名島景綱以下二三〇〇が塩塚城に在城する。
 有明海への出口を抑えるため、東宮永村(現福岡県柳川市下宮永町周辺)に瀬堂且元一〇〇〇が布陣してコの字で柳川城を半包囲した。
 対する田花氏も塩塚川西岸の蒲船津城(同県同市三橋町蒲船津字村中)、今古賀城(同県同市同町今古賀)に兵を入れて柳川城への接近を防ぐ。
 また、城砦のない南方は沖端村(現同県同市矢留本町周辺)に一部の兵を野営させていた。

 こうして、両軍が四半里(1km弱)もない距離で睨み合うことになる。
 お互いがその気になれば一駆けで交戦できる距離。
 それは多大な緊張感を兵に敷いた。
 しかし、両軍の指揮官は不可思議な共通認識を持っている。



―――これで、しばらくは手打ち。



 こうした想いの中、両軍は別戦線の結果が出るまで、長期滞陣を覚悟した。










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