「岩の坩堝」/四



 阿蘇結界。
 いつしかそう呼ばれるようになった霊的結界は、阿蘇カルデラ内外の奇岩や水源を要としている。
 中心の阿蘇神社を下に、太古より機能していた。
 伝承では、白村江の戦いで敗北した朝廷軍が北九州や瀬戸内の守りを固める一方で、その後背に位置する阿蘇の堅牢化を望んだからと伝わる。
 阿蘇カルデラの北西にある鞠智城――古代山城――が九州防衛の要とされていたが、これが陥落した際、天然の要塞である阿蘇に立て籠もるのだ。
 今より神話時代に近かった古代は、大陸の霊的存在から防衛するために阿蘇の地形や【力】が重視されたと考えられていた。
 阿蘇神社が力を持ったのも、この結界が関係している。
 中国や朝鮮の侵攻脅威がなくなった後も、結界は維持されて現在に至っていた。






阿蘇合戦scene

「―――しかし、それが破られたんだね」

 鵬雲六年九月十三日。
 この日は列島史に残る日となるだろう。

(・・・・まあ、生き残って、伝える者がいれば、ね)

 珠希は在所である内牧城(現熊本県阿蘇市内牧)の本丸に建った物見櫓の上で思う。そして、すぐに視線を北と東に走らせた。

「耐えているね」
「はい、準備していましたから」

 隣に立つ名島重綱が応じる。
 内牧城の北東に位置する大観峰から駆け下りてきた死人の群れは、その勢いを黒川南岸に展開した聖炎軍団に阻止された。しかし、そこから西に流れて死人群は聖炎軍団本陣の内牧城に攻め寄せている。
 さらに北方の湯浦城(同県同市湯浦)にも攻め寄せており、激しい攻防戦が交わされていた。

「どうやら、黒川は突破されそうな模様ですな」
「仕方ないね。死人相手に野戦は危険だよ。川が防波堤に使えないならば城へ撤退するべきだ」

 黒川南岸に展開した兵団の後方には二辺塚城(同県同市黒川)がある。
 現在は使用していない古城であるが、今回のために再整備されていた。

「まあ、ボクたちの役割は敵先鋒の撃破。その後続の拘束だよ」
「・・・・それが大変そうですなぁ・・・・」

 重綱の目には、死人が溢れかえっているように見える。

「一〇〇〇や二〇〇〇の数ではない」
「だろうね。・・・・そして、変な奴もいるね」

 そう言うと、神装・<矢村>を構えた。
 弓形の神装は生き生きとその【力】で矢を顕現させる。

『さあ、射ちゃって』
「・・・・名前分かってから、なんで女口調なのか気になるんだけども・・・・」

 『矢村』の語源は、阿蘇神社の祭神・健磐龍命が在所を決めるために矢を射り、突き刺さった場所の地名に由来するだろう。
 健磐龍命は男神なのだから、その所縁の<矢村>の口調も男調であるのではないだろうか。

(まあ、もしかしたら、その射られた矢自体が元になった神装なのかもしれないけども)

「とにかく、薙ぎ払ってくれるかな」

 そう言って射られた矢は、非力な女が射ったとは思えない轟音と共に敵陣に突き刺さった。そして、一瞬後に衝撃波と共に死人やそこに混じっていた鬼を粉々に破砕する。

「どうやら死人は雑兵。主力兵は鬼やら妖怪の類いのようだね」
「ええ。ならば、この兵種構成は当たりだったと言うことですね」
「みたいだね。長柄隊も鉄砲隊もいないなんて、考えられない構成だよ」

 苦笑した珠希の耳には、長柄隊のかけ声も鉄砲隊の発砲音も聞こえない。
 聞こえるのは、戦場特有の喊声と爆音だった。そして、その目に届く霊術の煌めきだ。

(兵種構成の主力は、霊術を使える士分やその郎党・・・・)

 農民兵を動員していなかった、黎明期の武士団のようなまとまりだ。

(もし敗北したら、軍団にとって大打撃だね)

 ここに集うのは、軍団の指揮官も兼ねるような重要人物ばかりだ。

「ま、それはどの軍団もそうだけどね」

 そう言い、迎撃準備を整えているであろう東方を見遣った。

「せっかくウチのとっておきを差し出すんだ、存分にね」




「―――これを、圧巻、と言っていいのでしょうか」

 珠希ら聖炎軍団が死人と干戈を交えていたのと同時刻。
 燬峰軍団は踊山神社で、兵装を整えていた。
 聖炎軍団と同じく、霊術の使える士分らで構成されている。
 神官出身でもある燬羅氏の出自のためか、霊術を使える兵は多い。だが、それでも大観峰を駆け下りてくる死人の姿には動揺が走っていた。

(聖炎軍団の一部は予定通り、二辺塚城へと退いているようですね)

 燬峰軍団からすれば、左翼を構成する聖炎軍団が崩れずに動いていることを確認した従流は防衛線を見遣る。
 二辺塚城とこの踊山神社の間には西岳川に注ぐ支流が南西から北東に向けて走っている。
 これが目下の燬峰軍団の防衛線となる。しかし、二辺塚城を攻めようとする敵群の背後を取る位置でもあり、聖炎軍団がそう簡単に崩壊しないように援護できる位置でもあった。

(耐えるのであれば、僕の"これ"が最適なんですがね)

 そう思って従流は自身の数珠型霊装・<鷹聚>を握る。
 効力は範囲内の装甲の防御力上昇だ。
 敵味方に効いてしまうが、敵が装甲も付けていないような死人であれば、効果は味方だけとなる。

(まあ、逆に言えば押し出す時にも使えるんですが)

 そのためには従流も移動する必要があるが、この霊装を使っている時には従流の脚は動かなくなる。

(・・・・・・・・ま、だから、僕は戦場では輿に乗るんですがね!)

 まだ地面に置かれたままの輿に座し、従流は強がる。だが、その視界の中に入った炎の煌めきを見て苦笑した。

「元気だ」

 燬峰軍団の最前線にて、錫杖型霊装を振って、その先から炎を吐き出している。そして、その業火に焼かれた死人は炭化して崩れ落ちていた。
 彼女に付き合って前線で馬を走らせる兵も次々と霊術を放って死人の前線を蹴散らしている。

(とりあえず、初撃は耐えたってことでいいでしょう)

 今現在における燬峰軍団の役割は、これでいいのだ。




「―――ぅわぁ・・・・」

 正一位三閑稲荷神社一帯に布陣した銀杏軍団は古城ヶ鼻と呼ばれる高台に移動した。そして、その上から西方を見遣った刈胤は頬を引き攣らせる。
 阿蘇カルデラの底にうごめく死人の群れ。
 それは大観峰を駆け下りた後に黒川を越え、その西方で聖炎軍団と激突した。しかし、 東方へは誰も遮る者がいないため、洪水の如く西岳川と東岳川に挟まれた役犬原を占拠。
 その中心地である霜神社が盛大に燃えている。
 さらに占領範囲を広げるべく死人は東方へ拡大していた。だが、さすがの阿蘇神社は個別結界を用いて持ちこたえている。

「増援に出ますか?」
「いや、待機だ。・・・・というか、まもなく目の前に来るぞ」

 阿蘇神社北方を迂回するように移動する死人の群れが前面に押し出してきた。

「やれやれ。―――頼んだよ」
「は、はい!」

 刈胤が声をかけたのは冬峯律だ。
 銀杏国の当主は刈胤だが、その体に冬峯氏の血は入っていない。
 さらに言えば、冬峯氏と関わりが強い霊装を使うことはできなかった。
 銀杏国には龍鷹軍団との決戦となった戸次川の戦いで冬峯勝信が振るった<西寒多>の他に、もうひとつ象徴的な霊装がある。
 それは八幡竈門神社(現大分県別府市)に祭られていた柄杓型霊装・<白亀>だ。
 神社には多数の祭神がおり、さらには周辺の別府温泉のバラエティーに富む泉質からか、それを振るうことで非常に多彩な攻撃を繰り出すことができる。
 また"地獄"とも言うべき、広範囲攻撃が可能だが、その地獄を選べないという欠点もある。

(結構酷なお願いだったが・・・・よくやってくれている)

 冬峯氏は高城川の戦いや豊後攻防戦で多くの犠牲を出している。
 一門衆も多く欠けた中、さらには岡城を守っていた冬峯利邦との確執を抱えていた。

(連携が大事なこの戦で、つまらない確執が原因でいらぬ恥を他国に見せる必要はないな)

 彼は非常に有力な一門衆であった。
 彼は日出城を本拠としつつ、甥っ子が立て籠もる岡城に増援に赴く。そして、龍鷹軍団と聖炎軍団を相手に一歩も引かずに抵抗を示した。
 結果、銀杏軍団本隊の敗北によって岡城を明け渡して日田方面に撤退することとなるが、銀杏軍団の武威を示したと言える。
 その後、銀杏国が日出城を本拠と定めると、利邦は領国である日出城に帰ることなく、日田方面を治めていた。

(本当に悪いことをしている・・・・)

 日出城を本拠にしたことは、事実上の乗っ取りでもある。
 これには刈胤も申し訳なく思っていた。そして、その不満を利邦は隠そうとしていない。

(でも、それを説明させてもくれないし、どうしようもないな)

 日田方面は対虎熊宗国最前線でもあり、それを理由に利邦は本城出仕を拒んでいた。
 そのような状態の利邦に、一門の宝と言える霊装は任せられない。
 結果、一門の中で誰も文句を言えない律が、その使い手として選ばれたのである。

「え、えーい!」

 屈強な武士に守られつつ、最前線である黒川東岸に出た律が柄杓を振った。
 水をすくっていなかったにもかかわらず、その軌跡から飛翔した何らかの液体は死人の最前線に降り注いだ。

「ゥゲッ!?」

 いいとこのお嬢様を地で行く律が思わず汚い悲鳴を上げる。だが、それは仕方がないだろう。
 多量の液体――酸を浴びた死人たちが異臭を放ちながら溶け落ちたのだから。

「放てェッ」

 溶け落ちた仲間を気にせずに進もうとした後続が仲間だった者を踏みしめた足を酸にやられて転ぶ。
 そんな地獄を前に立ちすくんだ死人を銀杏軍団の霊術が吹き飛ばした。



 西方で止められ、南方で止められ、北東方でも止められた。
 その結果、鬼等の妖怪を含む死人群は役犬原や阿蘇神社周辺に滞留することとなる。しかし、それは当然、死人の攻勢を阿蘇神社が前面に受け止めることとなった。


 阿蘇神社の軍事部門は、先の聖炎軍団との戦いで解体されている。
 このため、迎え撃つとしてたら神人たちとなるのだが、今回はもぬけの殻だった。
 彼らは阿蘇山上神社に避難している。しかし、人がいないから無防備と言うわけではなかった。




「―――ぅわ、えげつな・・・・」

 阿蘇神社は境内奥深くまで死人を飲み込んだ後、大地から溢れ出した溶岩流によって壊滅した。
 物見の話では一五〇〇を超える死人や鬼が巻き込まれたという。

「じゃ、そろそろか?」
「だな」

 その光景を阿蘇神社の東方から見ていた忠流は、声をかけてきた昶に返した。
 彼女は馬に乗った忠流の横で、同じく馬に乗った彼女の護衛に抱きかかえられる形でいる。
 その滑稽さに笑いをこらえながら忠流は続けた。

「だいぶ減ったしな」

 阿蘇カルデラに攻め込んできた死人らは一万。
 それが四方に散らばり、東方への一手であった阿蘇神社方面はほぼ全滅。

(敵本陣への道がはっきり見えるってもんだ)

「突撃ィッ!!!!!」

 戦況を眺めていた先鋒・鳴海盛武が大音声で下知し、自身も一番槍争いのために馬腹を蹴った。
 慌てる彼の護衛も続く中、龍鷹軍団が誇る最強と言っても過言ではない武者集団が総攻撃に移る。
 死人との防衛線と考えていた黒川を、彼らは思い思いの方法で飛び越えた。
 多くは浅瀬を馬で進むが、馬に負けない走力を誇る徒歩武者の一部は、一息に飛び越えたり、水上を走ったりと、本当に思い思いだ。
 そんな徒歩武者は地形が変わり、未だ赤い炎を上げている溶岩を物ともせずに突っ切った。そして、炎に阻まれて立ち往生していた死人の一隊を粉砕する。

「よそ見は、いけねえぜ!」

 その真正面から攻め込んできた徒歩武者に群がろうとした死人らは、溶岩を北回りで迂回してきた盛武率いる騎馬隊に横合いから引き裂かれた。
 悲鳴を発することのない死人らは、ただ弾き飛ばされる凄惨な音を立てて血だまりに沈んでいく。
 霊術の煌めきと轟音が阿蘇神社周辺を支配する中、鳴海隊の後方をさらに迂回して西方へ進出する一団があった。

「東岳川の西岸には敵はいない! このまま乗り切るぞ!」

 鳴海隊に代わって最前線に躍り出たのは、近衛衆だ。
 特にその前線を駆けるのは瀧井信輝率いる龍鷹軍団の中でも指折りの武芸者たちである。

「橋、確保!」

 東岳川には阿蘇神社に行くための橋がかけられている(現熊本県道110号阿蘇一の宮線 東岳川橋)。
 ここを確保した近衛衆は忠流らを守りながら、一気に押し渡った。

「行け行け行け!」

 忠流は馬腹を蹴りながら必死に周囲についていく。そして、前線のさらに奥―――死人らが屯する地点を睨みつけた。

「本陣だな!」
「そう、みたい、じゃの!」

 隣で輿に乗る昶が必死に輿にしがみつきながら応じる。
 舌を噛みそうで怖い。

「幸盛、"いるか"!?」

 反対側の隣を駆けている幸盛に訊く。

「・・・・おそらく、中央にいる"女性"がそうでしょう」

 忠流は馬を操るのに必死で、敵陣の詳しい状況は分からなかった。だが、武芸の鍛錬も怠らない幸盛はこちらを見て嗤っている女性が見えている。
 にゅっと女性の背後から出てきた別の女性形らが口を開いた。そして、その口から光線が放たれる。

「障壁!」

 幸盛の言葉に咄嗟に障壁を展開した近衛衆だったが、数人が間に合わずに巻き込まれた。

「チッ」

 光線が収まったそこには、兵の影も形もない。
 そのことに舌打ちした忠流は昶を見遣った。

「じゃ、後はよろしく」
「―――ッ!? ちょっと早すぎんか!?」
「近づくためにはこれが最善だろ!」

 先程の光線は距離が離れていたからこそ障壁で防げた。
 これ以上距離を詰める場合、障壁を貫通される兵も出てくるはずだ。

(それは無駄な犠牲だ)

 そう心で思い、忠流は手で近衛衆に散開を命じる。そして、自身はその場で下馬した。
 万一に備えて、幸盛や加納郁も傍に控える。だが、前には立たなかった。

「やるぞ」
『おーっ!』

 謎に元気な声で紗姫が応じ、忠流は手に持った<龍鷹>の穂先を敵陣へ向ける。
 危険を感じ取ったのか、再び女性形の口が空き、その視線が忠流に向いた。

『こんな時、必殺技っぽいのを叫んだ方がよくない?』
「っんな、悠長なこと考えていられるか!?」

 ごっそりと霊力が吸われていく感覚に歯を食いしばって耐える忠流。
 逆に力が満ち満ちているのか、本当に楽しそうな紗姫=<龍鷹>。

「斉射ァッ!!!」

 忠流を守るために一歩前に出た幸盛が叫び、応じた近衛たちが思い思いの霊術を放つ。
 それらは同じように前に出た死人に命中し、これを粉砕した。しかし、死人は女性形を守り切る。

「いかん、"黄泉醜女"のが早いぞ!」

 昶の危険を告げる言葉に忠流は溢れ出る【力】を抑えながら思った。

(名前、知っているのかよ!)

 歯を食いしばっているので声は出ない。だが、"それは些細なことだ"。

(確かに打たれるが―――)

 思っている途中に女性形――黄泉醜女の口から再び光線が放たれた。
 狙いはそのまま忠流だ。

「散開!」

 忠流の前に展開していた幸盛が叫んで横ッ飛びに射線から逃れる。
 それとほぼ同時に近衛たちも飛び退いた。

『「ヤアアアアアァッ!!!!!」』

 それに一拍遅れて忠流が叫ぶ。そして、手前に引いていた大身槍・<龍鷹>を押し出した。

「「「―――ッ!?」」」

 その穂先から黄金色の光線が放たれ、正面から黄泉醜女の光線と衝突する。

『「ラァッ」』

 拮抗は一瞬。
 黄金色の光が押し切り、あっという前に敵陣に着弾した。

「へ、どんなもんだい」

 モクモクと砂塵が舞い、敵陣を覆い隠す。
 その中に蠢く者は見えなかった。

「じゃ、後は頼ん、だ・・・・」

 攻撃を放ち終わった忠流は槍で体を支えていたが、すぐに意識を手放す。
 駆け寄った幸盛がそれを支え、他の近衛に忠流を渡した。

「役目を果たしました」
「ああ、任せよ」

 昶がそう言うと、幸盛は後退るようにして距離を取る。そして、昶は輿から降りてゆっくりと前へと歩き出した。










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