因縁



「―――あー、もう・・・・どうして、私・・・・」

 2月14日、統世学園1−Aの自席にて、渡辺瀞は突っ伏した。
 その頬は真っ赤に染まっており、端から見ても恥ずかしがっているのか分かる。
 目を瞑れば、二週間前のあの戦いが思い出された。
 新旧戦争初の両軍主力軍が激突した激戦であり、ひとつの局面を終わらせる、または始めさせた決戦である。
 だがしかし、瀞の脳裏に再生されたのはそれらの死線ではなかった。
 唇に残る生々しい感触と、その後の頬を触れた大きな掌の感触―――

(―――ってわぁぁぁぁぁぁっ!?)

 ゴンゴンと二度ばかり、机に頭を叩きつける。
 突然の奇行だが、周りに配慮したささやかな所作だったため、誰も気が付かなかったようだ。

「いったい、どんな顔で一哉に会えばいいの・・・・」

 机から顔を起こし、両肘をついて両手で頬を押し潰すような体勢になった瀞は、頬の熱さを感じながら呟く。
 緋が命懸けで行った火山活動終結後、安全圏に脱出した強襲揚陸艦「紗雲」から飛来したヘリによって救助されたふたりは、そのまま病院へ直行した。
 応急処置の後、いつもの病院に搬送されている。
 瀞も重傷だったが、それに輪を掛けて一哉は重傷だった。
 瀞が退院した後でも、面会謝絶の状態だ。
 その面会謝絶も本日で解かれる予定である。

「はぁ・・・・」

 重苦しいため息をついた。そして、頬から手を離し、窓の外でも見ようと視線を動かす。

「―――で、何をため息ついているの?」

 向いた先にあったのは景色ではなく、超ドアップの山神綾香の顔だった。

「キャアア―――モガモガモガッ!?」

 思わず悲鳴を上げかけた瀞の口を綾香が素早く塞ぐ。
 時間は放課後直後だったので、周りに十数人の生徒たちがいた。だが、彼女たちの席は窓側で、綾香の対応が素早かったために誰も注目しない。

「はいはい、騒がないの」

 綾香は瀞を解放するなり、前の席に座った。

「プハッ。・・・・綾香、いつからそこに?」
「瀞が百面相してた時から」
「杪ちゃんまで・・・・」

 瀞の隣にいすを持ってきた鎮守杪は机にお茶菓子を広げ始める。

「ってか、あたしたちの中で、晴也を抜けば一番気配に敏感な瀞が気付かないとはね」
「何かあった?」
「な、何にもなかったよ!? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ」

 どう見ても、何かあった反応だ。

「さあて、どうしようか、杪」
「・・・・とりあえず、荷物チェック?」

 杪の視線は瀞の鞄に向かっている。

「なーるほど、確か、今日はバレンタインだったわね」
「そう、和風喫茶『花鳥風月』期間限定版、『抹茶チョコまんじゅう』がおすすめ」
「・・・・話ずれている上に、ありそうでなさそうな、よく分からない組み合わせね・・・・」
「あうあうあうあう・・・・」

 どこかへ逸れてくれているのに、瀞は自らの失言にショックを受けて動けずにいた。






(―――ああ、これは夢だな・・・・)

 同じ頃、音川町の隣、神居市にある病院にて、一哉はそう思った。
 今の一哉は二年前の、背が数センチばかり低い状態になっており、立っているのも病院のリノリウムの上ではなく、洞窟内の堅い岩盤である。

「ここを通過し、正規軍の背後に回る!」

 幼い一哉はアラビア語で、控える三〇名ほどのゲリラ兵に下知を飛ばした。
 その言葉に、突然こんなところに連れてこられて混乱していた兵たちは大人しくなる。
 彼らは小さな、同じ民族ですらない一哉に対し、畏敬の念を抱いていた。
 衛星や空撮を回避し、ことごとく正規軍を苦しめる戦略家・"東洋の慧眼"。
 登場以来、華々しい戦果を挙げ、ゲリラ部隊最強という名誉を彼らに与えた存在。


 しかし、その完璧さ故に、軋轢を生み、結果、それが一哉部隊の壊滅を招いた。


 事の発端は、参謀の裏切りである。
 ひとりで全て決めていく一哉には、補佐である参謀などいらない。
 故にお飾りであった彼は、一哉に対する忠誠心がなく、とある人物に脅されて作戦内容を漏らしたのだ。そして、一哉はそれすらも見通していた。



「―――我が名は"男爵"、貴様らは完全に包囲されている」

 突然、岩肌から数十個のフランス人形が躍り出て、様々な武器をこちらに向けた。そして、それらを睥睨するように、岩盤の高い位置に見るからに貴族と分かる格好をした男が立っている。
 抵抗しようと銃器を向けた者たちが精密射撃によって無効化されたことで、一哉たちは完全に動きを止められていた。

「"男爵"殿、私はこの通り、連れてきました故、どうか命だけは・・・・ッ」

 動きを止めた男たちの間を縫い、参謀が"男爵"のすぐ下で這いつくばる。
 それは明確な裏切り。
 だから・・・・だから、一哉は撃った。
 一切の情けなく、数ヶ月死線を共にした、端から見れば側近中の側近であった人物を、全く躊躇せず撃ち殺した。
 「何故?」とは問わず、撃たれた本人が撃たれたと認識する暇を与えずに葬り去ったのだ。


 そして、それこそが"男爵"が用意した宴の始まりだった。


「ふはははは! 儂は別に見逃さんとも言っておらんかったのにの・・・・」

 豪快に笑って、続けて放たれた弾丸を人形で防いだ"男爵"は続ける。

「ゲリラの者共よ! 儂が求めるのはそこの東洋人の首のみ! 見事挙げた者はこの地獄から生還させてくれるわ!」

 冷静に考えれば、政府側に雇われたであろう"男爵"がゲリラを逃すわけがなかった。しかし、畏敬の念を抱いていた人物が傍目では窮地に立たされる現状となり、さらに部下を容赦なく殺す冷酷な面を見せられていたゲリラたちに、そんな冷静さはない。
 次々と殺気を膨らませ、それを一哉に叩きつける。
 冷静な一哉と激昂したゲリラの、まさに温度差。
 これを利用した"男爵"を睨むが、状況は全く好転しない。
 瞬く間にひとりとなった一哉は、それでも動じず、左手に軍用ナイフを引き抜いた。
 これは説得などをせず、不信感から敵に回った味方を、一哉自身も敵と判断したことになる。
 これは、仲間だと思っていた一哉に対してのゲリラの気持ちを逆撫でし、その反感はやがて民族主義に帰結。
 東洋の摩訶不思議な術で自分たちを惑わせた子どもを駆逐する聖戦だと決めたゲリラたちは突撃した。そして、足場の悪い、跳弾が発生する洞窟内にて壮絶な同士討ちとなって壊滅した。

「はは! 全く素晴らしい。"本当の【力】使わず"、智略と体術だけで精鋭を壊滅させるとはな」

 "男爵"は火薬と血の匂いに満ちた中で哄笑する。
 乱戦の中、一哉の銃撃を浴びせるが、"男爵"は軽く回避するばかりでダメージを与えることが出来なかった。
 対する一哉は跳弾やら何やらで傷だらけだ。

「高みの見物は・・・・楽しかったか?」

 一哉は片膝をつきながら、"男爵"を見上げる。
 その間にも、生き残りのゲリラがいないか確認していた。
 現状、息を吹き返した者は誰もいない。
 戦っている最中に、傍を流れる川に叩き落とした者は生きているだろうが、戻ってくるとは思えなかった。

「ああ、楽しかったわ。やはり宴はいい」

 "男爵"は一哉の前に降り立つなり、両手を広げて宣言する。

「さあ、武器もなくなったろう? そろそろ本当の【力】を見せてもらおうか?」
「ははっ、本当に、こんなナイフじゃ、お前の首をかききることはできないな」

 一哉はボロボロになったナイフを掲げる。

「やっぱり、無理をしてでも日本刀を手に入れるべきだったか。あれは拳銃弾如きで刃こぼれはしないからな」
「・・・・貴様、この期に及んでまだ隠すか?」
「いや、そろそろお披露目する!」
「―――っ!?」

 一挙動でナイフを放つ。
 それを"男爵"は回避したが、そもそもナイフは"男爵"を狙ったものではなかった。

「粉微塵になれ!」

 一哉はそのまま浮き袋にしがみついて川へと身を投げる。
 ナイフはとある装置を貫き、それが起爆スイッチとなり、"事前に仕掛けられていた"爆弾が爆発した。

「な!? 貴様、逃げ―――ぐああああああああああああああああああああッ!?」

 爆風に煽られた無数のピアノ線が乱舞する中に"男爵"や人形たちの影が取り込まれる。そして、その光景を最後にし、冷たい水に入った一哉の意識は急速に遠のいていった。



「あれが・・・・始まり、か・・・・」

 一哉は意識が覚醒したのを自覚し、目を開けた。
 中東で起きた"男爵"との一戦。
 思えば、第一戦は両者とも奥の手を隠したまま、小手調べで"男爵"が大打撃を被った戦いだ。
 あれ以降、"男爵"はヘレネや新生≪クルキュプア≫の作成に必死になったことだろう。
 結果、第一戦時とは比べものにならないほど強くなったに違いない。
 そもそも、第一戦の勝敗は、戦場でついたのではない。
 "男爵"は奇襲したつもりだったかもしれないが、一哉は参謀が裏切っていたことに気付いていた。
 だからこそ、一哉は彼を容赦なく討ったし、彼が誘い出す場所には事前に罠を張った。そして、仲間割れになった時、一哉は自らの手で誰ひとり殺さず、乱戦の中で河に叩き落とすことで、十数名の命を救っていた。
 卓越した戦場支配能力を持つ"男爵"と言えど、その戦場を予め抑えられていては戦いようがない。
 一哉と"男爵"は本来、ベクトルの違う戦略家なのだ。

「―――ふむ、起きたか」

 その声がかかると同時に一哉は炎術を起動させたが、それをさらに上回る速度で展開された防御術式に阻まれた。
 病院を吹きとばさんばかりの威力が相殺され、辺りの余波すらも燃やし尽くす一撃で、何事もなかったかのように振る舞う人物。
 それが一哉の隣に座っていた。

「元気そうで何より。久しぶりだな」
「親父・・・・」

 退魔界において、もはや伝説と化した"戦場の灯"・熾条厳一。

(そういや、あの時もこうして座っていたな・・・・)

 "男爵"から逃れた一哉は河原に横たわった状態で目を覚ました。そして、その傍では一哉を暖めるためにおこされた火をいじる厳一がいた。

(で、何も聞かずにこう言ったんだよな・・・・)

『日本に・・・・帰るか』

 そうして、一哉は中東から去ることとなる。
 それからすぐに、あの喧噪とは遠く離れた学園生活を送ることとなった。


―――渡辺瀞に出会うまでの、短い間は。


「お前に言わなければならないことがある」
「だろうな。そうじゃないと、親父は俺の前に現れない」

 見舞い用の椅子に腰掛けた厳一は珍しく茶化すことなく、真面目な顔をしていた。

「大晦日から続いた、お前の戦いは終わったな」
「ああ、結果、病院送りにされたがな」
「だが、戦いが終わっていないのは分かっているな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そう、終わってない。
 終わったのは「渡辺瀞奪還作戦」という、言わばひとつの戦役だ。
 まだまだ多くの謎が残っている。
 瀞を攫ったのは誰なのか。
 "男爵"が属していた組織は何なのか。
 そもそもどうして"男爵"は一哉を襲ったのか。

「お前が抱える謎に追記してやろう」
「ん?」
「・・・・渡辺宗家の守護神を暴走させたのは誰なのか、一哉と・・・・緋を研究していた者たちを狂気に取りつかせて暴走させたのは誰なのか。儂を除いたために鎮圧には数年を要したらしい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 一哉は深く思考に沈む。
 そこに、さらにピースが加わった。

「16年前に渡辺宗家の守護神暴走、13年前に我々が出奔後の内乱、11年前に<土>の御門宗家、<森>の凜藤宗家が滅亡」

 厳一は指を折りながら順番に列挙していく。

「年は不明だが、"風神雷神"を結成させるに至る、何かが両宗家に起きたに違いない。そして、3年前の第一次鴫島事変と、去年の地下鉄音川事件、鹿頭家滅亡、第二次鴫島事変」

 ここまで言われれば、さすがに一哉だけでなくとも気付く。

「精霊術師を対象にした攻撃が十数年も続いている、か・・・・。そして、それはSMOではない、未知の組織が相手」
「これから・・・・お前はどうする?」

 厳一が言いたいのはこの一言だろう。

「お前自身の戦いは終わった。しかし、それはとある戦いの局地戦ですらなかった」
「俺は・・・・」

 すぐに言葉が出てこない。
 瀞に何故戦うのかを問うたことがあったが、それがそのまま自分に向けられれば迷いが出た。
 昔は戦う以外に選択肢がなかった。
 音川に帰ってからは戦いが一哉を待ってくれなかった。
 だがしかし、今、一哉は選択の時が来ている。
 音川にいる限り、全く戦わないのは無理だろう。しかし、それは一哉が最も苦手とする遭遇戦だ。
 一哉が一哉らしく戦うには、戦略的に考えて、厳一についていった方がいいに決まっている。
 それでも、大戦略的に、いったい何を成すために戦おうというのか。

「ふ、結論を急ぐことはない」

 悩む一哉に小さく笑みを見せ、厳一は立ち上がった。

「育った環境がそうさせたのか、お前は判断を急ぐ傾向がある。たまには悩め」

 そう言って、病室のドアを開ける。

「「―――あ」」

 ドアの向こうに立っていた人物と目が合い、一哉と彼女は小さく呟いた。

「久しぶり、瀞さん。・・・・息子を頼んだよ」

 硬直した瀞の肩を叩き、厳一は一哉に向けて笑みを見せる。
 それは、先程のような大人の笑みではなく、悪戯に成功した子どもが見せる、意地の悪いものだった。

(あの野郎・・・・)

 顔を合わせた瞬間の微妙な空気で、ふたりに何かあったのか気付いたのだろう。

「えっと・・・・入るよ」
「・・・・ああ」

 瀞はやや俯いたまま病室に入り、白いコートをハンガーにかけた。そして、さっきまで厳一が座っていた椅子に座る。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 もじもじと膝の上で重ねた手を弄る瀞の頬は赤く染まっており、一向に話し出す気配がない。

「・・・・瀞は、まだ軽傷だったんだな」

 制服を着ているということは学園に通っていたということだ。

「はは、この病院のおかげだよ」

 この病院は結城宗家が経営する病院であり、裏の負傷者を受け入れるだけでなく、治療法も工夫していた。
 具体的に言えば、精霊術師の"気"を応用した早期治癒法などだ。
 一哉は大きな戦いの後に必ず入院しているが、この病院のおかげで早く退院できていた。

「瀞は、【渡辺】に帰らないのか?」
「え・・・・・・・・・・・・?」

 再び訪れた無言に耐えきれず、一哉は厳一の話を考えていた。そして、自分の身の振りから、瀞はどうするかを聞きたくなったのだ。

「ほら、渡辺宗家は今大変だろう? 瀞一人いるだけで、分家何個分かの戦力になるからな」

 渡辺宗家は宗主・真理を含む十数人が正月に戦死している。
 後を継いだ渡辺瑞樹は残存戦力で第二次鴫島事変に参加。
 ミサイル発射基地攻略に尽力するなど、その戦力を見せつけた。
 本拠地に帰ってからは、屋敷の建築から始めているらしい。

「・・・・帰らないよ」
「ん?」
「帰らないよ。今の【渡辺】には私はいらないんだよ」
「・・・・そうかもしれないな」

 せっかくの新体制で立て直そうという時に、過去の存在がやってきても迷惑なだけかもしれない。

「私は一哉の傍にいるよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 照れもせず、まっすぐこちらを見て言われた言葉に、一哉は赤面しなかった。
 瀞の瞳に浮かぶ、深い悔恨。
 それは難なく攫われたことと救出作戦で重傷を負った一哉へと、そのために払われた犠牲に対する、負い目。
 あの時、溶岩流が迫る時に交わした会話をも吹き飛ばす負い目が瀞に溢れているのだ。
 会えなかった二週間、瀞はそればかり考えていたに違いない。
 いや、考えないようにしていたのかもしれない。

(まだ、言えないな・・・・)

 緋に対し、一哉はまだ確信を持てない事実を瀞に言うつもりはなかった。しかし、それでは彼女が潰れてしまう。

「あ・・・・」

 だから、一哉は何も言わなかった。
 何も言わず、まだ体力の戻らない体を動かし、瀞の頭に手を乗せる。
 力の入らない重い手を乗せられた瀞は、そっと目を閉じて手に頭をこすりつけるように動いた。

「ん・・・・」

 さらさらな髪はいつまでも撫でていたいほど心地よい。

「私、いてもいいのかな?」
「そんなの言うまでもないだろ」
「くす。ここで言って欲しいとか言ったら、どうする?」
「絶対に、言わない」

 撫でる力を強め、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱した。

「ひ、ひど!? 髪が乱れる!?」
「どうせ手櫛で整うんだろ」

 一哉は手を離し、瀞は頬を赤くしながら手櫛で髪を整える。そして、何かを思い出したように鞄に手を入れた。

「今日から食事制限解除されたんだよね」

 何故かテレテレとした表情で箱を差し出してくる。

「い、一応、作ってみたの」
「おお、チョコ・・・・」

 戦場で何度救われたか分からない食材に、食事制限にあった一哉の腹が鳴った。そして、一哉はその時の衝動を後悔することとなる。

「いただきます」
「ちょっと、アレンジしてみた・・・・・・・・・・・・あ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「う、うわわ!? 一哉が白目向いてるよ!? ナ、ナースコールはどこぉぉぉっ!?」

 "劇薬"のおかげで、ふたりの雰囲気は元に戻りそうだった。






「―――前にもこんなことがあったな・・・・」

 厳一は病院の外に出るなり、一哉の病室を見上げて呟いた。
 前の時は、一哉と瀞を同居させた時だったか。
 思えば、それから一哉と会っていなかった。

(雰囲気がだいぶ柔らかくなりおって)

 思わず口元に笑みが浮かぶ。
 厳一は一哉を連れて【熾条】を出奔した後、懇意にしていた中国の一族を訪ねた。そして、そこで【熾条】が内乱に陥ったことを知る。さらにそこで起こった事件を経て一哉の炎術を封じ、敵の炙り出しにかかったのだ。
 結果、連れたのは"男爵"であり、"男爵"は厳一の監視をかいくぐって一哉に接触した。
 厳一は一哉のように優れた戦略眼を持っているわけではない。
 彼が持っているのは苦難に直面した折にそれを乗り越えるための道筋をつけることだ。
 故に彼は"戦場の灯"と謳われ、彼が出陣した戦いにて戦死者を出していない。
 だが、その才は戦場にて初めて光るもの。
 戦場以前の戦略分野で"男爵"に敗北し、一哉を危険に晒した。
 だからこそ、厳一は帰国を決心したのだ。

(炙り出しに大切だからと言って教育を放棄し、あげくに危険に晒して・・・・親としては失格だな・・・・)

 敵が分かった頃には、一哉は自分で降り掛かる火の粉を振り払う、いや、燃やし尽くすほど逞しくなった。

「守るものもできたようだしの」
「―――気が進みませんか?」

 背後から声がかかり、複数人の気配が膨れ上がる。

「正直。・・・・といっても、留まるつもりはないのでしょう?」
「ええ、彼の・・・・"東洋の慧眼"としての才はこれからの退魔界で重要になります。それに・・・・」

 厳一の背後についた老婆は柔和な笑みを浮かべ、一哉の病室を見上げた。

「彼は全てを見たいはずです。ですから、"慧眼"などという異名を与えられたのですから」










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