緋という少女2
守護獣。 それは精霊術師の中でも高貴な血筋を持つ者が極稀に保有する神獣である。 その神獣は彼の家の守護神が眷属であり、膨大な精霊を従えていた。そして、その守護獣は主人である術者に絶対服従である。 魔術師が持つ使い魔によく似ているが、魔力で従わせているわけではない。 魔術師と使い魔の間で交わされる契約に相当するものが存在しない術者と守護獣の関係は退魔界における謎のひとつだった。 日本に集う六宗家の始祖はそのほとんどが守護獣を従えていたという。しかし、六宗家体制が確立して以降、その存在は確認されていなかった。 このため、十六年前に確認された熾条一哉と緋龍・緋の関係は熾条宗家にとって大事件であり、今後のために研究議題とされる。だがしかし、その研究試料として扱われる一哉に嫌気が差した熾条厳一による出奔を引き起こすとは、誰も思わなかった。 「―――さむい、な・・・・」 1月の宮城県仙台市大崎八幡宮。 辺りには裸参りを行う参拝客で溢れており、年中行事・松焚祭の真っ最中だった。 その一角に、緋色の髪をふたつくくりにした派手な色彩の着物を着た、幼女が膝を抱えて座っている。 あまりに目立つ格好というのに、辺りに満ちる人々は全く気付かない。 だからこそ、この光景が見える者からすれば、胸が締め付けられるような想いがするだろう。 「ここにもいない・・・・。こんなに人があふれてるのになぁ」 生まれた時からいちやはあかねのそばにいた。 守護獣だから当然とかそういうのは、あかねにとっては後付けだった。 いちやがそばにいる。 それだけで毎日が楽しく、人間界に興味が湧いた。だから、外の世界が知りたくなった。 忍びの一族だからか、熾条宗家の本邸は世俗から少し外れた場所に建てられている。 外に出るのは比較的簡単だが、入るのが難しい熾条宗家。 それを知らずにあかねは出てしまった。 初めて知る外の世界は新鮮で、ほんとうに楽しかった。 だから、想った。 この世界をいちやに見せたい、と。 しかし――― 『いち、や・・・・?』 今でも鮮烈に思い出せる。 いつだって、どこにいたって感じられたいちやの気配がない絶望感。 広いとはいえ、所詮は屋敷であった熾条邸と比べ、この外の世界はなんて広いのだろう。 『ここ、どこ・・・・?』 こうしてあかねは迷子になった。 「はぁ・・・・」 あかねは手に息を吹きかけて擦り合わせる。 もう体温というものを感じられなくなっているが、周りの人間がしていることを真似すれば戻ってくるのではないかと思ったからだ。 あかねは特に姿を消しているつもりはない。 それでもみんながあかねに気付かないのは、それだけあかねの存在が希薄化しているということだろう。 熾条宗家という、一般世界から隔絶した場所にいたいちやを見つけることができなかったあかねはいちやを求めて彷徨い始めた。そして、運命とは残酷であり、その間にいちやを連れ、厳一は海外へと旅立った。 数千キロも主と離れてしまった。 守護獣が生きて行くには主からの【力】の供給が必要だ。 それは主と共にあることで得られる繋がり。 本来はこの世にいることのできない神獣を繋ぎ止める役割を果たすための、主との繋がり。 それを失ったあかねはどんどん消耗していった。 「ちょっと・・・・ぼーっとするよ・・・・」 端から見れば、あかねは熱病に侵されたように見えるだろう。しかし、時折、鱗粉のように火の粉が舞い散る様は、祭りに溶け込む幻想さがあった。 それでも、あかねを構成する<火>が自然に返りつつある様はひとりぼっちの事実よりも胸にくるものがあったろう。 だからだろうか。 突然、抱き締められたのは。 「―――やっと、見つけました・・・・っ」 突然現れた女の人は、汚れるのも構わずに膝をついてあかねを抱き締めた。 けっこう強く抱き締めているのだろうが、あかねにはそれが感じられない。 「・・・・だれ?」 感じられるのは、彼女が従える莫大な<火>。 この会場に溢れる<火>たちを一瞬で従えるであろう圧倒的な【力】だ。 「覚えていませんか。無理もありませんね。あなたと最後にあったのはもう随分前で、その時、あなたは今よりも幼かったのですから」 あかねたちが生まれた時、熾条宗家は膨張の過渡期にあった。 取り込んだ諸家とそれらに関する些事を処理するため、分家を主力とする部隊は全国各地に散っていた。 大きな戦闘が起きるごとに、宗主を筆頭にした司令部が出陣して直系を投入する戦争がいくつも起きる。 その戦争はSMO九州支部設立を断念させる目的があったらしく、宗家首脳部は常に視線を外に向けていた。 それは、いちやのおかーさんも一緒だ。 彼女は、熾条宗家が抱える現役最強術者であり、いちやのおとーさんと組めば、近代最強コンビだったらしいのだ。 故に、あかねたちの養育及び研究は新参の諸家に任された。 「すみませんでした」 そう言って綺麗な着物を着た女の人はあかねを抱き上げてくれた。 「私たちが不甲斐ないばかりに、あなた方に迷惑をかけてしまって・・・・」 女の人の後ろには数十人の炎術師たちが並んでいる。 彼らは一様にほっとした表情を浮かべており、そこにはあかねが知らない、けど見覚えがあるような顔をした女の子がいた。 研究。 そう、研究だ。 いちやとあかねは伝承では数百年ぶりに、存在確認としては初めての主人と守護獣だ。 その契約関係などを中心とした知識はほとんどなく、これとないテストケースであった。 このため、養育係となった諸家は不測の事態にも対処できるよう、信頼の置ける家系が選ばれる。 そして、これが歯車を狂わせた。 「まさか・・・・功に焦るばかりにあのような・・・・」 あかねは少し昔のことを思い出した。 あかねはいちやの隣で眠ることが大好きだった。 生まれて初めて目を開けた時に見たものはいちやの寝顔であり、そして、それは強烈に脳裏に焼き付いている。 「本当に・・・・申し訳ありません・・・・」 それが、寝ている間に別々の部屋に移されたり、目隠しをされたりなどされた。 諸家の言い分では、結びつきの強さなどを実証したかったようだが、それは幼子にはきつい仕打ちだった。 目が冷めた時にいちやがいない恐怖。 確かにいるのに姿が見られない恐怖。 他の物がすぐ隣に置かれていた恐怖。 成長すれば笑い飛ばせそうな行為も零歳児には過酷だ。 「もう、もう大丈夫ですからね」 あかねは知らなかったけど、あかねが熾条宗家からいなくなってから5年が経っていたらしい。 その間にいちやはいちやのおとーさんに連れられて家を出て行ってしまった。 諸家はあかねが消えた失態を取り戻すため、ひそかにいちやを屋敷の外に連れ出し、まるでレーダーのように使っていたらしい。 それに気付いたいちやのおとーさんが諸家を滅ぼし、宗家への不信感からいちやを連れて出奔してしまった。 妻と娘を放り出しての出奔は賛否両論だが、いちやが守護獣付であったための仕打ちであるならば、ただの術者である鈴音には何の影響もないはず、という考えがあったのだろう。 と、後で聞いた。 「あ・・・・」 あかねを胸に抱いた女の人から流し込まれる強大な【力】。 それは、あかねをこの世界に留め置くための【力】だ。 でも、それは人には過ぎたる行為である。 しっかりとした契約を結んだのではない関係でこれをすれば、一方的に術者の【力】は喰われるだけだった。 それでも、おさなかったあかねは、とりあえずその【力】をむさぼり食った。 久しぶりに感じる圧倒的なまでの【力】。 全身が満たされる感覚に思わず涙をこぼす。 ―――こうして、あかねは一命を取り留めた。 (―――だから、今まで存在してられたのは・・・・あの人のおかげなんだよね・・・・) だから、あの人に助けられてから、あかねはいちやを探しながら、もうひとつ、捜し物をしていた。 いまのあかねがあかねでいられるために身を削ってくれたあの人の役に立つために。 そうして出会った。 あの人の敵、とある場所を襲って、その増援部隊を圧倒的な戦闘力で無効化した、氷を使う術者。 そう、あいつと初めて会ったのは、この島々で凄惨な戦いがあった、1ヶ月前。 宮内庁書陵部。 書陵部長を長とし、図書の管理、編集と天皇の陵墓の管理を行っている宮内庁の一機関だ。 多摩、桃山、月輪、畝傍、古市の5陵墓監区事務所が管理する「書庫」と呼ばれるものがあった。 常人には分からない様々な防衛措置が施されたそれは、いつも数十人体制で警備されている。しかし、今宵、その周りにはゴロゴロと死体が転がっていた。 「―――あら、もっと大勢の方々がいらっしゃると思ったおりました」 夏なのに、すごく寒い。 そんな中、書庫の入り口では、まるで門番のようにひとりの少女が立っていた。 「氷・・・・?」 あかねは肌を刺す冷たさに眉をひそめる。 「何故、炎術師が宮内庁管轄区の増援部隊として現れたか、気になりますが・・・・」 彼女は渡辺宗家の女直系のみしか使えないとされる氷を支配下に置いていた。 「"悠久の灯"様、御代様にも考えがあられるのでしょう」 パキパキパキ、と周囲の死体をも凍らせつつ彼女は続ける。 「時間もないことですし、とりあえず、仕合ましょうか」 そうして、炎と氷が激突した。 そうして、去年の3月。 いちやがいなくなっても探し続けたあかねは、いちやが帰ってきたって聞いて、本当にうれしかった。 でも、すぐにいちやのおとーさんが入院しちゃって、会いに行けなくなっちゃった。 だから、やっと会えたのは7月も終わりだったね。 おまけにすぐに【渡辺】に行った。 いちやはしーちゃんが困っているか確かめるために。 あかねは・・・・あの氷娘が渡辺宗家の人間か確かめるために。 (あの氷娘が言ってたように、不忠者だね) 走馬燈のような回想から戻ったあかねは火の粉を散らして"敵"を睨みつけた。 荒れ狂う炎の神。 圧倒的な【力】で、矮小な存在を掻き消そうとする暴力。 (でも、いちやはあかねのご主人様なんだよ) それでも、あの人に【力】をもらったとしても、あかねは不安定である。 本来、守護獣というものは主と同速度の成長速度で成長し、主が成熟を完了した段階で守護獣も停止する。 だというのにいちやとあかねは明らかに成熟度で年齢的な差違が存在する。 いちやが帰ってくるまでの12年間、極貧状態で暮らしたあかねの成長速度は著しく低下した。 いちやが高校生だというのに、あかねの見た目は小学校中学年だ。 これは明らかに主からの【力】の供給が滞ったからだった。だが、昨年の夏、再びふたり出会ってから補給は始まっている。 だがしかし、いちやからもらう【力】でも足りなかった。 いちやが帰国してからの戦いは、壮絶の一言に集約される。 その大半に参戦したあかねは強大な炎術師として活躍し、多くの【力】を消耗した。 「「緋!」」 ふたりの声を意識外に追放する必要もなかった。 【力】を解放したあかねには、聴覚を象る【力】さえも放出したからだ。 (でも、それは全く問題ないよ!) 今、後ろにいちやがいる。 あの時守れなかったしーちゃんもいる。 今度こそ、絶対に守ってみせる。 (この半年、すっごく楽しかったよ) 我、炎龍が眷属に連なるものなり 灼き尽くし、燃やし尽くし、全てを灰燼に帰する炎神なり されど、全てを改め、再生させし炎神なり 見る者には鮮烈を 触れる者には感嘆を 敵対する者には消滅を 『緋』は『非』より全てを拒絶し、己を貫き、『糸』が如く包み込む 等しく容赦なく抱擁し、全てを無に還さん 我、炎龍が眷属――緋龍・緋なりっ 詠唱と同時にあかねを構成していた<火>が拡散、再集結する。そして、それはひとつの龍身を象る前に、もうひとつの炎神に突撃した。 両者は激突し、そして、互いに食い潰して消滅する。 そう。 こうして、あかねは消失した。 |