それぞれの日常



 3月。
 卒業式が行われるなど、「別れ」のイメージが強いこの月。
 熾条一哉以下、第二次鴫島事変を戦った者たちは日常を取り戻しつつあった。
 旧組織の反撃において、強硬派筆頭とも言えた太平洋艦隊が消滅。
 SMOは組織改編と戦略の練り直しに追われ、旧組織も主攻勢に出ることなく、新たな勢力圏の運営にいそしんでいた。
 このため、目立った動きはなく、故に嵐の前の静けさという状態でこの月を迎えているのである。



「―――卒業おめでとう」
「・・・・ありがとうございます」

 3月14日、統世学園中等部校庭。
 ここには百数人の人が集まっていた。
 本日は、中学三年生の卒業式だったのだ。

「まさか保護者として出席させられるとは・・・・」

 熾条一哉は第一ボタンを窮屈そうに外す。
 服装は冠婚葬祭なんでもOKという制服だ。

「ふふ、確かに変な気分だったね」

 そのとなりでにこにこと笑っているのは彼の同居人・渡辺瀞だ。
 彼女も高等部の制服を着ているが、一哉のように第一ボタンを外したりはしない。
 というか、若干大きめなのか、ボタンをしていても窮屈そうに見えない。

「ふたりはいいですよ。私は無茶苦茶恥ずかしかったです」
「あ、あはは・・・・」

 本当に恥ずかしいのか、頬を赤らめるポニーテールの少女は今日卒業した鹿頭朝霞だ。
 因みに恥ずかしかったのはもうひとり保護者として出席した家宰が始終号泣していたからである。
 体育館を出て、彼女がまずしたことは泣きながら寄ってきたその僧侶を殴り倒したことだ。そして、今はその襟首を掴んで移動している。
 客観的に見れば、今の姿の方が恥ずかしいが、その光景は「統世学園」の空気に溶け込んでいた。

「そんなことより、瀞さん、時間じゃないですか?」

 傍にやってきた鹿頭家の人間に卒業証書の筒と家宰・香西仁を渡した朝霞は腕時計を確認しながら言う。

「あ、そっか。―――じゃ、一哉行ってくるね」
「・・・・本気なんだな?」

 説得しても無駄だと分かっているが、言わずにはいられないというようにため息混じりに一哉は訊いた。

「もちろん、いつまでも世間知らずじゃいられないからね」
「だからって・・・・なぁ?」
「いや、私に振られても。・・・・まあ、奇特な人だとは思うけどね」
「お前も当事者なんだぞ?」
「ま、私も世間知らずだから、いい機会だと思って」
「はいはい、これまで散々同じ話したんだからもういいでしょ?」

 瀞は諦めの悪い子を叱るように、やや頬を膨らませて腰に手を当てて一哉を睨む。
 見ようによっては瀞の方が諦めの悪い子だが、朝霞はその感想を呑み込んだ。

「じゃあ、私たちは管理人さんの店、『花鳥風月』の面接に行ってくるね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・不安だ」

 ひとり取り残された一哉は、マンションの管理人の性格を思い出し、思いため息をついた。

「―――すみません」

 そんな背中に声がかかる。
 一哉は瀞ほど敏感ではないが、素人に容易に背後を取られるほど落ちぶれていないつもりだった。

「統世学園の方ですよね?」

 一哉が振り返った先にいたのは男女の一組だった。

「高等部の入り口ってここでしたっけ?」
「いや、高等部はもう少し上だ」
「あ、やっぱり? どうもありがとうございました」

 少年は照れ笑いを浮かべて一哉に頭を下げる。
 やや無表情の少女も会釈して踵を返した。

「ほら、合ってた」
「あれー? おっかしいなー」
「・・・・兄さん、私たちが方向音痴って笑えない」
「うっ。・・・・確かにそれは笑えない・・・・」
「そう言えば、心優は?」
「・・・・今さらそれを訊くのか、妹よ」
「どうでもよかったから忘れてた」

 もうすでに一哉を意識していない。

(警戒しすぎか・・・・)

 どうやら暗殺者ではないようだ。

「はぁ・・・・日常って暇だ」

 一哉は思わず天を仰いで呟いた。




「―――はぁ、なんでこんなことに・・・・」

 結城晴也はそう呟きながら首を振った。しかし、それでも番えた矢の鋒は揺るがず、的の中心を指している。
 ここは統世学園高等部弓道部弓道場。
 今日は入学が決まっている入学生向けのイベントが行われていた。
 時間は中等部の卒業式が終わってからすぐであり、中等部の生徒も参加している。だが、弓道部のイベントに訪れた新入生たちは驚きに固まっていた。

「さあ? とりあえず、吐けばこの状況は回避できるけど?」
「んー、なんのことかさっぱり」

 晴也の首元には逆手に握られた矢が突きつけられている。
 握っているのは晴也ではなく、背後を取った山神綾香だ。

「ネタは挙がっているのよ、晴也。すでに不正委員の精鋭部隊が実働部隊を無効化しているわ。でもね、メンバーから頭脳を務められる者がいないの」
「そこはほら。意外な人物が裏で糸を引いているんだ」
「そうね。彼らも言ってたわ。手紙が来たって」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「あの馬鹿どもが」と口の中で呟き、晴也は矢を放つ。そして、その矢はこれまでと同じように的の中心を見事に射貫いた。
 だからこそ、新入生たちは綾香をイベント関係者だと思い込んでいる。
 ただひとりを除いて。

「―――お待たせしました」

 彼女が現れた瞬間、道場の空気が変わった。
 それほど大きな声ではない。しかし、道場に行き届いた声音は戦場を統べる指揮官のようだった。そして、道場に一歩踏み入れた瞬間から漂う圧倒的な威厳は、只者ではないと素人にも分からせるものだ。

「おー、来たか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 弓道着と弓矢を持った少女は綾香に取り付かれた晴也を見るなり、その場で矢を番えた。

「―――っ!?」

 そして、プロの退魔師を戦かせるほどの闘志をその鋒から叩き込む。

「はっはー、形勢逆転!」
「・・・・何者?」
「俺の弟子だ!」

 そう言い放った晴也は神速で矢を番えて放つ。そして、それに少女も機敏に反応した。
 左足を軸にして右足を左後方に踏み出し、同時に重心をやや後ろに傾ける。

「・・・・ッ」

 そのまま晴也の矢の未来位置に己のそれを射った。

『『『『『いやいや』』』』』

 綾香以下、観客は全員同じ言葉を口にする。
 ふたりが放った矢は空中で激突し、矢が爆ぜた。
 鏃が擦れ合ったことで生じた火花が矢全体を包み込み、矢の中心に仕込んであった火薬に引火、爆発したのである。

「う、嘘・・・・って、あ!?」

 綾香は己が拘束していた少年がいないことにようやく気付いた。

「協力感謝!」

 まんまと逃走に成功した晴也は弓道場の壁をよじ登り、屋根の上で手を振る。
 それに、弓道少女はわずかに頷くことで応じた。




「―――ズズ・・・・・・・・あむ・・・・もぐもぐ・・・・・・・・ズズ」

 音川町にある河原。
 かつて、鬼族によって破壊された封印跡地にて、鎮守杪は茶会を開いていた。
 といっても、もてなす客はなく、ただひとり、大傘の下で茶を飲んでいる。

「うん、『花鳥風月』の新作、おいしい・・・・」

 お気に入りの店の新作に舌鼓を打ち、杪はボロボロになった封印石を見遣った。

(熾条を血祭りに上げたのも懐かしい)

 一哉が訊けば、声を大にしてツッコミを入れるだろうが、どうやっても今のような涼しい顔を変えることはないだろう。

「残る封印はひとつ。・・・・それが壊れれば・・・・」

 視線が統世学園が建つ山――烽旗山を見る。そして、すぐにその視線を下げた。

「何、やってる?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 杪の視線の先には左こめかみ部に小さなリボンを付けた叢瀬央葉がいる。
 その格好はまさに少女然としており、あの戦いで身に付けていた戦闘服とはイメージが違っていた。
 ただ、インカムをつけている辺り、任務中なのだろうか。

『おい、のぶ。どうした?』

 無線から、これまた知った声が聞こえる。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 その声をBGMにし、ふたりは見つめ合った。




「―――うん、似合うわー・・・・にへへ」

 地下鉄音川駅から統世学園に向かう道に立つ和風喫茶「花鳥風月」。
 その控え室で、瀞と朝霞は着物に着替えていた。

「これで接客するんですか?」

 襷掛けにされた衣服を物珍しそうに見遣る朝霞。
 しかし、それでも助けをいらずに着て見せたのは、さすがは旧家の娘と言えようか。

「そっ! 瀞ちゃんがバイトに来るって言うから、にゃへへ、管理人さん頑張って制服を一新してみた」
「えっと・・・・今日が面接なんじゃ・・・・」
「そうよ、制服の、にゅへへ。せっかくだから似合う奴がいいでしょ?」
「あー・・・・」

 至極当然に言われた言葉に瀞は苦笑いを浮かべた。

「でも、さすがは唯宮製ね〜。気品があってきめ細やかで〜。これ、繊細そうに見えて頑丈よ。―――って、瀞ちゃん、和服に現代風下着は厳禁よ、にょへへ」
「って、生地を確認するフリしてなんで前開けるんですか!?」
「見たいからよ! ハァハァ」

 握り拳を作って堂々と宣言する管理人。

「あからさまに興奮しないでください!」

 何となく、一哉が嫌がった理由が分かった。

「ま、ふたりが来てくれたら間違いなく戦力ね。きっと男の子も来てくれるようになるわー、ぐへへ」
「管理人さん、よだれよだれ」
「おおっといけない・・・・。キリッ」
「もう手遅れです・・・・」

 よだれの跡を残しながら表情を改めるマンションの管理人――「花鳥風月」の店長に、瀞はガックリと肩を落とす。

「それより、唯宮製って言ってましたけど、高いのでは?」

 いち早く管理人から距離を取っていた朝霞が冷めた目で彼女を見ながら言った。
 唯宮というブランドは昨今、英語やカタカナなどに変える日本企業の中で、漢字を使っているメーカーである。
 明治の頃に紡績関連で財をなし、戦後の財閥解体も軍需と結びついていなかったために回避し、順調に成長した財閥だった。
 元々和服系統に強かったこともあり、旧家のお嬢様たちからすればよく耳にするブランドだ。
 故にその値段も知っている。

「大丈夫。実は唯宮財閥の唯宮家ってこの音川町に邸宅を持ってるのよー。だから、地元の人たちにはちょっとだけ安くしてくれるのー」

 意味もなくくるくる回っている管理人の言葉にふたりは軽く驚いた。

「ま、実はその社長令嬢がここのファンってのが大きいんだけどね」
「「・・・・え」」

 管理人の視線は窓の外に向いている。
 そこには高級車が止まっており、それに向かって歩く少女の後ろ姿が見えた。




「―――あ、政くんですか? 今どちらにいらっしゃいます?」
『今? 今統世学園にいるけど』
「なんと!? 初めて同じ学園に通うのに、初登校をひとりですませるとはなんたることですか!?」
『ひとりじゃない。私もいる』
「む」

 唯宮心優は待たせていた車に乗り込むなり、幼馴染みに電話をかけていた。
 たった今、ひいきにしている喫茶店に会社の製品を届けたところだ。
 相変わらず変な店長だったが、振る舞ってくれた和菓子はいつも通りおいしかった。
 そんな満足気も、電話のやりとりで吹き飛んだ。

「わかりました。私もすぐに学園に行きます」
『ヘリで来るとか、禁止な?』
「大丈夫です。今はもう車に乗っていますから」
『乗ってなかったらヘリで来るのかよ!?』
「大丈夫です。手配する時間がもったいないですから」
『その理由が非常に納得できないが、ご近所様に迷惑をかけないのならばいい』

 なにやら向こうで胸をなで下ろすような声が聞こえるが、心優は気にしない。そして、何気なく、運転手にこう命じた。

「時速200くらいで学園に向かってください」
『道路交通法違反だから! ってか、さっき俺は「ご近所様に迷惑をかけないならば」とか言ったよね!?』
「何を言っているんですか、政くん。ここから学園まで『私たちのご近所』は通りませんよ?」
『そういう意味じゃねえよ!』
「じゃ、お願いしますね」
「かしこまりました」
『出るのかよ、その速度!? 』
「はっは、直政くん。時速200チェーンくらい出るさ、車だからね」
『何その単位!?』

 チェーンはヤード・ポンド法の単位であり、メートルに直すと約20m。
 つまり、200チェーンは、

「でも、逆に時速4kmを維持するのは大変だねー」
『え、遅ッ!? 人が歩くくらいの速度じゃねえか!?』
「冗談ですよ、政くん。ちゃんと時速100くらいにしておきますから」
『さらに遅くなった!?』
「いえ、今度はkmです」
『違反だっつの!』
「お嬢様、到着いたしました」
『早ッ!?』
「まあ、ほとんど一直線ですからね。山道を登る程度です」

 心地いい漫才をしていた心優は車から降りると、この4月からお世話になる学園を眺めた。

「烽旗山、ですか・・・・」

 4月から通う統世学園はこの山のほとんどを敷地としている。
 この町で育ってきた子どもとして、統世学園は一種のあこがれを持っていた。

「ふふ、これからの政くんと過ごす学園生活が楽しみです」


「―――おーい、心優ー」


 穂村直政は校門前に高級車を止まらせ、地味に周囲に威圧感を与えている幼馴染みに手を振った。
 すると、なにやらにこにこと笑って山を見ていた彼女がより一層に表情を輝かせる。

「政――ふぎゃっ!?」

 こちらに向けて駆け出した瞬間、校門のレールに足を引っかけて派手に転倒した。

「相変わらず、か・・・・」

 直政は幼馴染みなのに朝くらいしか会うことのない少女に苦笑する。
 幼馴染みと言っても相手はお嬢様。
 放課後は習い事、仕事の手伝いなどで埋まっており、そもそも同じ学校に通ったことがなかった。

「兄さん、これからの毎日、私たち保つかな?」
「さあな」

 それでも竜巻のように周囲を巻き込む彼女の被害に遭ったのだ。
 これから同じ学園に通うことになれば、どうなるのか、見当もつかない。

「ただ、それが"日常"だぜ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 わずかに表情を強張らせた妹に笑いかけ、直政は続けた。

「ま、戦争なんて俺たち弱小には関係ねえよ。せいぜい手練れが戦争に行って手抜きになった退魔活動をせっせとこなすだけだよ」
「弱小・・・・」

 穂村亜璃斗は何か言いたそうだが、心優が近づいてきたために口をつぐむ。

「政くん、これからの学園生活、よろしくお願いしますね」




 旧組織とSMOの戦端は開かれた。
 しかし、両者共に裏組織故の不文律をしっかり守っていた。
 故に、日常生活においてあまり変化はない。
 また、多くの裏の住人にとっても、戦争は殿上人たちの出来事であった。

 熾条一哉の物語は市井にありながらも、世界に波紋を及ぼすものだった。だが、それは一部の人間でしかなす事のできない事業だ。
 ならば、いきなり戦争に巻き込まれた者たちはいったい何を為すのだろうか。










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