序章「山へ集う者たち」


 

 今より10年前、退魔界に激震が走った。
 旧組織として中部・東北地方の重鎮であった地術最強御門宗家、森術最強凜藤宗家が相次いで滅亡したのだ。
 先に滅亡したのは御門宗家である。
 御門宗家は最高峰の防御力を中心にした「絶対防御」を信条にし、青木ヶ原に砦を構える武門の家柄だ。
 それが6月2日の夜、わずか一夜にて陥落したのだ。
 そして、さらに悲劇は続く。
 6月27日、武闘派の御門宗家を滅ぼした勢力に対抗するための会議を開いた凜藤宗家が滅亡する。
 白神山地に居を構えた名家であり、戦闘力は他宗家の中では最弱なのだが、精霊術師なのだから弱くはない。
 凜藤宗家はこの会議に当たり、熾条宗家に倣って戦力の集中を実現していた。だが、それが仇となり、国内の森術師は一掃された形となる。
 この時より、旧組織は神経過敏でSMOといざこざを起こすようになり、両者の溝は深まって、今年の1月2日に開戦するに及んだのだった。






少年side

―――最初はただの暇つぶしだった。

「―――うわ、何だ、ここ?」

 あの頃の俺は豪奢な廊下にびっくりしたのを覚えている。
 病院で頼まれた通りに入った屋敷はこの世のものとは思えないほど輝いていた。

「うわーうわー」

 俺はようやく退院して歩けるようになった足で絨毯の上を走る。

「・・・・ん?」
「・・・・っ・・・・ッ」

 とある部屋の前を通った時、中から小さな声が聞こえてきた。

「だれか、いるの?」

 俺はドアを開けて中を覗き込む。

「う・・・・ぅぇ・・・・っ」

 すると、天蓋つきのベッドの上に座り込んでいる小さな背中が見えた。

「・・・・ッ、ふ・・・・っ」

 押し殺すように小さな嗚咽を漏らす少女。
 栗色の髪は日の光を反射して輝いていたのをよく覚えている。

「どうしたの?」
「ふぐ?」

 気が付けば俺は少女に話しかけていた。

「だ、だれ?」

 今思えば当然と思える疑問を放ち、少女は怯えたように後退る。
 じわりと目尻に新たな涙が浮かび出した。

「あ、あやしいやつじゃないよっ」

 それを見て、慌ててそう言ったが、実際不法侵入であったし、充分怪しい奴だ。

「・・・・うそ」

 当然の如く、少女も信じてくれなかった。

「ホントだよ。・・・・それで、どうして泣いてるの?」

 俺はベッドに近寄り、大胆にも少女の手を取る。

「・・・・ヤッ」

 パシッと振り払われたが、俺はめげずにもう一度握り込んだ。

「・・・・っ!?」

 少女の瞳にはっきりとした怯えが覗く。

「あ・・・・」

 俺は今まさに自分を怖がっていると分かって、その手を離した。
 少女は膝を立て、そこに顔を埋めてしまう。

「出ていってッ」
「う・・・・」

 涙を浮かべた冷たい視線を受け、俺は後退った。

「―――御嬢様? 如何なさいました?」

 部屋の外から聞こえた誰かの声。

「じゃ、じゃあ、また来るよっ」
「もう来ないで」

 即答の拒絶に笑みが漏れる。

「絶対に、来るから」

 これが俺――穂村直政と少女との出会いだった。






少女side

―――最初はただ鬱陶しいだけだった。

「―――うっ・・・・ふ、ぐす・・・・っ」

 あの頃のわたし――唯宮心優は泣いてばかりいた。
 ベッドで布団にくるまったり、部屋の隅で膝を抱えていたり、ベッドの下やクローゼットの中にもいたりした。

「来たぞ―――っていねえ!?」

 最後のふたつは初対面以来、ほぼ毎日忍び込んでくる少年のせいだ。
 時々、使用人に見つかって追いかけられているのを見たことがあった。そして、捕まれば屋敷の外に叩き出されている。
 それでも少年はやってきた。

「きょうはどこだ〜?」

 喉の奥で転がしたような、楽しげな声。
 絶対に楽しんでいる。
 きっと彼にとって、これは遊びと一緒なのだ。

「わたしであそびたいなんてさいてーだわ」
「―――ちがうよ」

 カチャリと絶妙なタイミングでクローゼットの扉が開く。

「きみであそびたいんじゃないよ。きみとあそびたいんだよ」
「わたしと・・・・?」
「うん。だから」

 すっと手が差し出された。

「いっしょにあそぼうよ」

 その手は温かそうで、その笑顔は眩しくて、わたしは何だかドキドキして―――

「ほんとうに・・・・いっしょにいてくれる?」

 気が付いたらそう問い掛けていた。

「うん」

 そろそろと上げた手を力強く握り締め、少年は笑顔で頷く。

「やくそくするよ」

 握られた手はやっぱり温かくて、その笑顔にポカポカしてきて、頬が熱くなるほどドキドキした。

「あ、そうだ」

 座り込んでいたわたしを立たせても離さぬ手。
 それとは逆の手でズボンのポケットを漁る。

「はい」
「え?」

 声と共に差し出される手に、わたしはもうひとつの手を出していた。

「あげる。やくそくのあかし」

 私の掌を転がる漆黒の珠玉。
 それは不思議な光沢を以てわたしを惹きつける。

「ほら、いこう」

 くいっと少年は手を引いた。
 わたしはその珠玉を握り締める。
 次いで少年の手を握り返した。

「うんっ」

―――だけど、今はもう、一緒にいることが当たり前となっていた。






登校scene

「―――すぅー、はぁー」

 少女はとある豪邸の横に建つ一軒家の前で深呼吸していた。
 栗色の艶やかな髪は同色のゴムでまとめられ、ツインテールに象られている。
 平均身長と言える体躯を包むのは真新しい統世学園高等部の制服。

「よしっ」

 ぐっと両拳を握り込み、少女は目の前のインターホンを押した。そして、満面の笑みを以て言葉を放つ。

「まーさーくん、遊びましょ♪」
「―――インターホン鳴らした意味ない上にこれから学校だぁっ!!!」

 打てば響くように2階の窓が開き、幼馴染みの元気なツッコミが返ってきた。

「おはようございます、政くん」

 姿勢を正して一礼。

「ああ、おはよう。・・・・この言葉をベッドの外にいるお前に言う日が来るとはな」
「ま、大胆ですね」

 ポッと頬を染め、身をくねらせる。

「そういう意味じゃねえっ。いい加減、脳内の桃色思考を一掃しろっ」
「それじゃあわたしという人格が消えちゃいますっ」
「もう手遅れかいっ」
「兄さん、近所迷惑」
「んがっ」

 悲鳴と共に少年が窓から落下。
 ちょっと洒落にならない角度で地面と激突した。

「亜璃斗、おはようございます」
「おはよう。私たち準備があるから、もう30分くらい待ってて」

 兄を窓から突き落とした少女はキラリと眼鏡を光らせ、小声で付け足す。

「そこで」
「ええ!? 入れてくれないのですか!?」
「ダメ。・・・・朝は、ダメ」
「ずるいです。わたしも朝ご飯を政くんと一緒したいですっ」
「ダメなものはダメ」
「うーっ」

 バチバチと両者の間で火花が散った。

「いいです。こうなれば実力行使ですっ」
「させない」

 ダッと栗色の髪を持つ少女が玄関へと駆け寄り、眼鏡の少女が窓から消える。

「ふぬーっ」
「むむむ」

 こうして口論は玄関攻防戦へと発展し、ふたりの少女はドアノブを武器に顔を真っ赤にして戦い出した。
 そんな光景を見ながら、地面に転がったままの少年は寂しそうに呟く。

「2階から落ちて、未だ起き上がれない俺のことは無視ですか、キミたち」

 そう嘆く少年の頭に春を象徴する桜の花びらが舞い降りた。





「―――じゃ、行ってきます。留守を頼むわ」

 周囲を1メートルほどの石垣と漆の塗られた塀で囲まれた屋敷。
 その「門」と呼ぶに相応しき玄関からひとりの少女が姿を現した。
 真新しい制服とポニーテールが風に翻り、右耳に付けられたイヤリングが弾む。

「「「行ってらっしゃいませ、姫っ」」」

 その背中を屋敷にいた人間が声を揃えて送り出した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 少女はしばらく歩くと足を止め、腕を組む。

「私はヤの付く職業の令嬢?」

 肯定するように、ウグイスが一鳴きした。





「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 弓道用の弓を担いだ少女がしっかりとした足取りで石段を下りていた。
 彼女の家は音川町唯一の神社で山の上にある。
 石段の段数もかなりのものだが、毎日上り下りしているので苦ではない。だが、何をしようにも時間がかかるために、あまり外に出ない春休みを送っていた。

「・・・・?」

 いらないと言ったが、無理矢理持たされた携帯電話が振動し、その着信を知らせる。

「めーる・・・・?」

 画面に便箋のマークが踊っており、とりあえず、決定ボタンと教えられたボタンを押してみた。

「あ・・・・」

 画面が変わり、その文面が表示される。
 それは一目で読破できる短い内容だった。

「先輩・・・・」

『入学おめでとう。学園で待ってるぞ』

 少女はポケットに携帯を仕舞うと、先程とは違って弾むような足取りで石段を下り始める。
 その背後を2ひきのチョウが絡み合いながら飛んでいった。





「―――制服は・・・・着てるな。カバンも持ってる」
「あの・・・・」

 玄関の外に出ているのはスケッチブックを持ったひとりだけ。
 他の十数人は銀髪の少女を筆頭に家の中にいたままだ。そして、無表情の外にいる者と銀髪の少女以外、困惑した表情を浮かべている。

「あ、ハンカチは持ったか?」
『大丈夫』
「えっとぉ」
「はっ、生徒手帳はどうだ?」

 その問いに先程のページを開いたままのスケッチブックをぐいっと突き出した。

「そのーですね」
「何なんだ、お前たちは」

 背後に控える者たちの中でも先頭に立っていた三人を銀髪の少女が振り返る。

『行ってくる』

 それを隙と見たか、玄関から出ていた者が踵を返した。

「「「「あ・・・・」」」」

 呟きは4人分。だが、1:3で込められた意味が違う。

「ど、どうする?」
「あのまま行っちゃいましたね」
「・・・・奇妙」

 同じ感想から呟きを漏らす3人。

「何なんだ。別に何もおかしくないだろう?」
「それがそもそもおかしいノヨ」

 3人を押し退けて前に出た隻腕の少女が呟いた。

「違和感ない上、怖いほど似合ってる」

 全員の気持ちを代弁した言葉に、全員が何度も頷く。
 さらに庭を埋め尽くすほどに植えられた草花が風にざわめいた。





 4月10日。
 この日は統世学園の入学式である。
 新入部員確保に燃える在校生は前日から泊まり込み、その洗脳準備に余念がなかった。そして、それを相手にする不正取締委員会は2、3年生という手薄の陣容ながらも総員を集結させている。
 そんなこんなで毎年『盛況な』賑わいを見せる入学式の主役――新入生はただ無垢に、期待と不安に胸膨らませ、学園が建つ烽旗山を目指しつつあった。









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