第九章「赤鬼、そして鎮魂歌」/


 

「―――はぁ・・・・嫌です・・・・」

 あの日、心優はベッドに腰掛けて体を揺らしていた。
 いや、自発的に揺らしていない。
 船に乗っているが故に、体が揺れているのだ。

「お義父様はもう・・・・」

 叔父のことを「お義父様」、従兄のことを「お義兄様」と呼べるようになるくらいは打ち解けてきている。
 それが嬉しいのは分かるが、今回のことは大げさだ。

「なんでパーティーの余興でわたしが歌わなければいけないのですか?」

 歌は好きだ。
 だけど、見世物にされるのは好きじゃない。
 父や兄が心優を自慢したいだけなのは分かっているが、少々親馬鹿が過ぎるような気がする。

「それにまたいますし・・・・」

 心優はこっそりと舞台脇から観客席を窺った。
 そこには数多くの観客と共に隣家の子供がいる。

「う~」

 期待にざわめく観客から逃げるように顔を引っ込め、ころころと両手の掌の上で彼に貰った黒珠を転がした。
 どう見ても宝具。
 これを持っているということは彼も裏の人間なのだろう。

(全くそんな気配を感じませんが)

 日常を謳歌している。
 そんな印象が羨ましい。


「―――お、いたいた」


「ひゃわあああああああああっ!!!!!」

 背後からの声に思い切り悲鳴を上げた。
 振り返った先にあの少年が立っている。

「さっきあそこにいましたよね!?」

 観客席の方へ指を向けた。

「うん。その時にこっちを見たから、呼ばれたのかと」
「呼んでません!」
「あれ?」

 首を傾げる少年に毒気が抜かれる。

「ま、いいや!」

 少年は満面の笑みと共にこちらの肩を叩いた。

「歌、楽しみにしてるから!」
「え?」
「前に聞いたけど、すっげぇうまかったから」

 この少年は義父への義理立てのために集まったのではない。
 本当に心優の歌を楽しみにしていた。

「・・・・分かりました」

 心優は自分の胸に手を当て、宣言するように告げる。

「わたしの歌を聞かせてあげます」

 「今日はあなたのために歌います」と、心優も満面の笑顔で返したのだった。



「―――懐かしいです」

 目を閉じ、思い出に浸っていた心優は【力】の高まりと共に目を開けた。

「お目覚めですか?」

 眼前では巨大な鬼がその両目を開けている。そして、その眼は忙しなく動き、自らを縛る者たちを認識していた。
 怒りの意志を込めた方向と共に、その体に巻き付いた鎖が次々と千切れ始める。
 それは完全復活まで時間がないことを示していた。
 だが、それは鬼が"未練をまとって"実体化しつつあるということ。

「歌いましょう」

 心優は"気"を活性化させる。

「でも、あなたのためではありません」

 "気"の活性化と共に体の中で致命的な何かが動き始めた気がした。しかし、それは関係ない。

(政くんは"自分自身のため"にわたしを助けに来てくれた)

 一哉との戦闘前に切った啖呵。
 それはしっかりと心優に届いていた。
 その"自分のため"とはどういうことかをちゃんと聞いてみたい。

(でも・・・・)

 ほんのりと色づいた頬を白に戻し、心優は想う。

(わたしも"政くんが生きる世界を守りたい"という自分自身の想いのためにここにいるの)

 だから―――

「政くん、わたしは歌いますよ」

 凛藤流森術最高位・"御霊送り"。

「最初で最後の本気の歌、聞いてくださいね」

 言葉と共に心優の体から膨大な【力】が迸った。




 現世より溢れし者よ
 現世に囚われし者よ
 狂い、惑い、怯えし者よ

 汝、我を求むるか、"あちら"を望むるか
 汝、逡巡する必要なし
 汝連れると我が決した
 現世と幽世の扉、いざ開かん


 人が土に
 鳥獣が土に
 草木が土に
 全てが土に帰すように全てのモノに帰するべき所あり

 魂魄の世も然り
 然るべきモノに帰すなり

 生命尽きし者、"帰す"が道理
 器は現世にて
 魂魄は幽世にて
 各々が帰すこそ、未来永劫普遍なる"理"なれ

 我、現世に彷徨いし魂魄、幽世に送り届けるを業とする者なり
 我、理より離れし者、導く者なり

 集え、我に従いし者たちよ
 応じよ、我が意に
 奏でよ、我らの総意たる旋律を

 我、鎮魂師
 理より外れし者、導く者なり
 ここにありし、現世に漂いし御霊、帰すべき所――幽世に送り給わん

―――"御霊送り"





「―――どう、でしたか、政くん」

 歌い終えた時、辺りに荒ぶっていた妖気は落ち着いていた。そして、それらはゆっくりと拡散していく。
 "御霊送り"は成功した。
 後は妖気が消えると共に鬼も消え失せるだろう。
 守った、という充足感と極度の疲労を隠すことせず、心優は直政の方へと向き直った。
 遠く離れているが、鋭敏になっている感覚ははっきりと彼の姿を捉える。
 彼は槍を取り落していた。
 御門宗家の神宝である大身槍・<絳庵>。
 その槍から黒い靄のようなものが昇華されていく。

「政、くん・・・・」

 愛しき者の名を呟き、心優は喀血して倒れた。






御門直政side

「―――み、ゆ・・・・」

 歌い終わってこちらを向いた心優が、血を吐いて倒れたのを目撃した。
 能力を使えば、呪いが発動する。
 御門宗家と違い、凛藤宗家が全滅したのはこれが原因だ。
 それを抑え込んだのが神代神社の管理の能力。
 だが、それは呪いの感度を鈍くしたに過ぎない。
 大きすぎる【力】――例えば術式など――を使えば、一気に呪いが進行する。
 だから、心優が鬼を鎮魂すれば、必ず呪いが発動するのだ。
 呪いが発動する。
 それは心優の"死"を意味する。
 それを阻むため、直政は御門宗家の戦力を率い、神代カンナの協力を得て襲撃をかけた。
 守り手は陸綜家の戦闘部隊・<鉾衆>。
 その中でも主力と言える鹿頭家だ。
 しかし、それを率いる鹿頭朝霞が戦闘を回避し、霊体の処置に回った。
 結果、直政は無傷で心優と一哉の下に辿り着いた。
 いや、正確には鬼に対応するために心優から離れていた一哉に遭遇したのだ。
 だから、戦いに行った。
 一哉が心優から離れているのをチャンスと思わず、心優の死を前提とした作戦を立てた一哉への怒りをそのままに戦いに行った。
 そして、一哉は自分の勝利条件を理解しており、そのための手段として直政を倒さず、時間を稼ぐことだけに始終したのだ。
 結果、鬼は復活し、それを鎮魂するために心優は能力を使った。
 つまり―――



―――心優は死ぬ。



「・・・・ッ」

 ズキンッと直政の胸が痛んだ。

(心優が・・・・死ぬ・・・・・・・・・・・・?)

 さっき血を吐いて倒れたのが見えた。
 それは誰のせいだ。

(こいつが・・・・ッ)

 もはや邪魔する気はないのか、刀を鞘に納めてこちらを窺っている一哉を見た。

(いや、違う)

 一哉の言う通り、心優を救い出す方法は他にもあった。そして、何より自分が選んだ正面対決で勝利を得られなかった。
 この敗北は戦略眼で劣り、戦術面でも力不足だった直政が悪い。

(俺にもっと【力】があれば・・・・)

 直政はどちらかというと防御力を前面に押し出し、技で戦うタイプだ。
 それは御門家と言うよりも穂村家の戦い方だったが、力押しするにも直政の出力がやや弱いということもある。

(力があれば・・・・力押しもできた・・・・)

 一哉の火力に負けず、押し返すこともできたはずだ。
 それができれば、直政が一哉に勝つことは容易かったに違いない。

「もっと【力】があれば・・・・ッ」

 直政がその願いを口に出した時、鎧の中で何かが砕け散った。

「これ、は・・・・」

 懐からそれを取り出し、掌の上に広げる。
 それは心優から返却された黒珠。
 それが粉々に砕け散っていた。

「え・・・・?」

 それだけでなく、その欠片が吸い込まれるようにして掌の中に消えていく。



―――ドクンッ



 そして、直政の体から【力】が溢れた。

「カハッ」

 鼓動が不自然に高鳴り、それに押されるように呼気を漏らす。
 胸を押さえようにも甲冑が邪魔してできない。

「うぐ・・・・」

 前に倒れようとする体を意地で押しとどめた。
 それでも行き場のない両手が甲冑を引掻き、溢れ出る【力】に翻弄される。
 痛みにも似た圧迫感に涙が滲む視界で、刹が地面に平伏していた。

『おめでとうございます』
(は? 何が?)

 声を出すことができないので、思念で聞き返す。

『<黒土>、発現です』
(はい?)
『周囲の<地>をご覧ください』

 見れば<地>が歓喜に震え、やや暴走気味の【力】で顕現した土が黒色を呈している。

『御館様が幼い頃に持てし【力】。あの忌まわしき管理の巫女が奪いし【力】』

 平伏したままの刹からどす黒い感情が伝わってきた。

『ですが、今ここに! その【力】は返ってきたぁぁぁぁぁッ!!!!!!』

 カッと目を見開き、刹は牙を剥いて叫ぶ。

『さあ、【力】が返ってきたところで―――あいつを殺しましょう!』

 いつの間にか方によじ登った刹が血走った眼を光らせ、右前脚で一哉を示した。

(アホか!? そんなことできる余裕は俺にはない―――)
「―――っ!?」

 だが、右腕が勝手に動き、いつの間にか握り締めていた<絳庵>を振るったのである。
 殺気も何もないその攻撃は、黒い土石流という何の統率も取れてない力任せの一撃だった。
 しかし、これまでのものとは桁違いに強力だ。
 まるで駆逐艦が戦艦の主砲を放ったかのような変わりようだった。

「・・・・ッ」

 一瞬で建物三階ほどの高さに達した土石流に、一哉は迎撃の炎を放つ。しかし、不意打ちだったこともあるのか、大した抵抗もできずに流された。

『よっしゃー!』

 刹が狂喜乱舞している。
 団扇を与えたら踊り出しそうだ。

「お前・・・・ッ」

 ようやく絞り出した声に、刹は血走った眼をこちらに向けた。

『さあ、止めを刺しましょう!』

 <絳庵>が黒い光を放ち、それに反応した<地>が顕現する。

『さあ!』
「・・・・ッ」

 槍が振られ、土の槍が土石流堆積物に次々と突き刺さった。
 刹に促され、直政が持った意志は拒否だった。しかし、その意志に反して直政は地術を発動させたのだ。

(いや、違う!)

 地術を発動させたのは刹だ。
 刹は<絳庵>を通し、直政の体を使って地術を発動させたのだ。

(狂ってる・・・・ッ!?)

 掌から伝わる感情は憎悪。
 そして、戦いへの狂喜だ。

「・・・・くっ」

 直政はそれに突き動かされ、次々と追撃の地術を放っていた。だが、それは直政の干渉を受けて半数以上が外れている。

『こんなものでは! 私の憎悪はこんなものではありません!』

 刹の動揺が伝わってきた。

『私が殺した者の未練を晴らすために、戦わねば・・・・ッ』

 刹――<絳庵>が溜め込んだ憎悪が薄れている。
 そう刹は言っていた。
 それは何故なのか。

(心優・・・・まさか、お前が・・・・?)

 死者の未練を昇華する。
 それは鎮魂に他ならない。
 心優が鬼を鎮魂するために広範囲に行き渡らせた鎮魂歌。
 それが倒したものの怨嗟を蓄積していた<絳庵>にも作用した。
 もし、本当に刹の言う憎悪があれば、直政は刹の言うがままに破壊衝動を開放していただろう。

「心優ッ」

 階段上を見上げた。
 ここからでは倒れた心優は見えない。だが、彼女が命を懸けて屠ろうとした鬼がいた。
 復活直前に発した妖気。
 それだけで分かってしまった。
 あれは現代の退魔師の手には負えない。
 正しく復活して相対していれば、直政の命はなかっただろう。
 まさに国を滅ぼしかけた鬼の力だ。

<―――オォ・・・・オォォォォォ・・・・・・・・・・・・>

 しかし、その鬼の体が点滅し、今にも消えそうになっている。
 そんな儚い姿に、空気のように辺りを侵食した絶大な妖気はなかった。

(俺は二度、心優に助けられたのか・・・・)

 ひとつは鬼の脅威から。
 もうひとつは、刹の操り人形になる脅威から。

『御館様、止めを!』

 刹は思考に沈む直政に思念の圧力をかけた。
 同時に槍を持った手が勝手に動こうとする。

「・・・・待て」

 それを直政は止めた。
 歯を食いしばって溢れ出す【力】を抑える。
 元々、<絳庵>の狂気と<黒土>は別物だ。
 <黒土>に翻弄される直政に、一時的に刹が干渉しているに過ぎない。
 【力】さえ抑えてしまえば、心優の鎮魂で鈍った狂気を抑え込むことは不可能ではなかった。

「心優が・・・・待ってる・・・・」

 呪いは十数年前のものだ。
 それが神代家の【力】に管理されている間に弱まったかもしれない。
 もしかしたら、まだ何かできるかもしれない。

『しかし、あいつを―――』
「捨て置け!」

 直政は手振りで避難していた神馬を呼んだ。

<呼んだか? ―――っと>

 やってきた神馬の背に飛び乗り、槍で階段上を示す。

「行くぞ!」
<しかし、階段は苦手ぞ?>
「大丈夫!」
<お、おお!?>

 槍の示した直線状に土が集まり、階段上までの一本道が出来上がった。

「行け!」
<おお!>

 神馬は力強く踏み出し、一気にその道を駆け上がっていく。

『ああ! 敵が!』

 肩に乗った刹は未練がましく一哉向けて手を伸ばしていたが、相手するのが面倒なので叩き落とした。

『ああぁっ!?』

 何やらシリアスな雰囲気が吹き飛んだが、それを引き戻すために直政は叫ぶ。

「心優!」

 階段上に達した直政が見たのは、点滅する鬼とその前に倒れた心優の姿だった。






傍観者side

「―――ほう、面白い事態だな」

 統世学園の戦いを外から観測する者がいた。

『フフ、でしょう?』
「まさかあの鬼を鎮魂してしまうだけの能力を宿しているとは」

 観測する者は携帯電話を耳元に当て、スカーフェイスと話している。

「さすがは凛藤宗家の直系、といったところか」
『ええ。ですが、管理の能力で呪いの効果が弱まっていたのでは?』
「一理ある。あれは余剰の【力】を発散させるもの。呪いを余剰と見て、封印と同じ役割をしていたのかもしれない」

 心優が、森術師が受けた呪いは発動した【力】の大小によって効果の大きさが変わる。
 心優が使用した術式レベルだと即死してもおかしくない。

『フフ、どちらにしろ、彼女は終わりですね』
「ああ。熾条一哉も怒れる御門宗家の攻撃を食らって戦闘不能。・・・・いや、さすがに死んだか」

 男は喉の奥で笑った。
 視線の先では黒い土山に動きはない。

「奴が仲間割れで逝くとは痛快だな」
『・・・・元々仲間に誤解されやすい質ですから、フフ』
「それは貴様も言えないだろう」
『・・・・フフフ』

 電話の向こうは不気味な笑いを漏らすだけで反論しなかった。

「そちらは終わったか?」
『ええ、さすがは宰相閣下の子飼い、見事な戦闘力です』
「しかし、これほどの鬼の災厄を囮にするなど、貴様も"東洋の慧眼"のように策謀家だな」
『フフ、"侯爵"閣下も、でしょう?』

 "侯爵"閣下と呼ばれた神忌は得意げに胸を逸らす。

「無論。故に介入する」
『介入? フフ、確かに今は"風神雷神"もいない。御門宗主を討つ絶好の機会でしょう』

 それでなくても陸綜家に仕える家人が多くいる。
 これを討つだけで敵戦力は激減するはずだ。

「では、な」

 神忌は電源ボタンを押して通話を終える。
 その瞬間、電話口でスカーフェイスが不気味な笑い声をこぼしていることには気付かなかった。









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