第六章「鏡、そして百合の花」/4
「―――ふん、何もないな、ここは」 19時20分、黒塗りの自動車数台が、駅のロータリーに集った。 明らかに異様な光景だが、すでに電車もなく、辺りも薄闇に包まれていたために誰も気にしなかった。 図書館に長居した亜璃斗も、人目に付かない場所を移動中だったため、彼らに気付くことはなかったのだ。 「大久保さん、全員集結しました」 大久保と呼ばれた男は副長に頷いた。 「うむ、敵らしき影はないな?」 「はい、この者が言うには、敵は『真田十勇士』と」 彼らは支配地域に多くの諜報員を配置している。 情報をもたらしたのは、そのひとりだった。 「真田、か・・・・。矮小な地方組織らしい、安易な名前だな」 組織自体はどうにでもできる。 だが、問題は彼らが狙っているという鏡だ。 「見つけた者は本当に異能者ではないのだな?」 「はい。ただの骨董品卸売業者です」 巨漢な諜報員の言葉に大久保は大きく頷いた。 「ならば、そやつに鏡の在り処を聞き、鏡を壊せば終わりだ」 単調な作戦を決定した大久保は、副長に訊く。 「副長、今日はもう遅い。どこか泊まれるところはないか?」 副長と呼ばれた男の出身地はここに近い。 「駅周辺と鏡池に民宿がひとつずつあります」 副長・浅井は周囲を見回し、一斑10人を見遣った。 「分散すれば、十分泊まれるかと」 「よし、決まりだ。半分は俺に、残り半分は副長に従え」 大久保は大雑把に割り振り、再び自動車に乗る。 「主戦場からこんなところにやってきたんだ。さっさと片付けて、『正義』を掲げる時代遅れたちをぶっ飛ばしたいよ」 そう言い、大久保は駅前の民宿へと向かっていった。 姦し?scene 「―――広いお風呂・・・・」 「田舎の武家屋敷、ってだけじゃないわね・・・・」 亜璃斗と朝霞は、大浴場と言ってもいい檜風呂に尻込みした。 亜璃斗は名門・御門宗家の分家・穂村家の人間でお嬢様。 朝霞も鹿頭家の当主としてお嬢様である。 だが、それでも家に檜風呂はない。 「わふぅ~い・・・・・・・・・・・・って、アツッ!?」 ふたりとは格が違う規模のお嬢様は気にせず入浴――というか、ダイブ――したが、あまりの熱さに飛び上がった。 「あんたは子どもか・・・・」 熱さで赤くなった肌に息を吹きかけて冷ます心優にツッコミを入れる。 「・・・・子ども」 そんな心優を見ろし、亜璃斗は判定を下した。 「・・・・確かに一番背が低いですけど」 160cm後半の朝霞と亜璃斗に比べ、心優は159cmだ。 あと数ミリで160cmの大台に乗るが、ここ数年、全く伸びる気配はなかった。 「「いやいや、そこじゃない」」 「むきー!」 分かっていたのだろう。 叫びつつ、ふたりの視線が集中した胸元を両手で隠した。 「ふ、ふたりだって、言うほど大きくないくせに!」 「「・・・・ッ」」 グザリと言葉が胸に突き刺さる。 ふたりとも身長からすれば平均的な胸囲を持っている。 そう、決して自慢できるわけではない。 「・・・・でも、心優は身長的平均以下であることは確実」 「ぐはっ!?」 下には下がいるともとれる発言に、心優は沈んだ。 「身長的平均以上って言えば・・・・瀞さんよね・・・・」 朝霞は呟く。 未だ入院している渡辺瀞が、病院のベッドで体を拭いているのを見たことがある。 服の上からでは分からなかったが、脱ぐとけっこう大きかった。 (あれが着やせする、というものなのだろう) 「渡辺先輩ってそんなに大きいの?」 横で聞こえたのだろう、亜璃斗が興味を持ってくる。 「世間一般に言えばそれほど大きいってわけじゃないと思うけど・・・・」 「ああ、背か」 瀞は152cmだ。 4月の身体測定で「縮んだ・・・・」と言っていたのが印象的だった。 「渡辺先輩?」 心優がきょとんとしている。 「あれ? 知ってるでしょ?」 「花鳥風月のウェイトレス」 「・・・・あ、あー・・・・あの人・・・・」 心優が来る時の接客は直政(指名)だったので、あまり印象になかったのだろうか。 よくも悪くも直政しか見ていないのだろうか。 (いや、何か穂村と話すウェイトレスを威嚇してたこともあったか) 朝霞と心優の仲がぎくしゃくしていたのも、これが原因だった。 「まあ、とりあえ、ずっ」 「フギャ!?」 ガシッと背後から迫り来た心優の顔を鷲掴みする。 「なぁに、手をワキワキさせながら迫ってくるのかしらぁ?」 「お゙、おお? 頭がミシミシ言っていますよ・・・・」 それでも懲りずに手を伸ばしてくる心優。 「・・・・穂村妹、やっちゃいなさい」 口元までつかり、こちらを観察していた亜璃斗に言う。 風呂なので眼鏡を外しているが、そもそも伊達メガネなのでこちらをしっかりと認識できているだろう。 「・・・・この場合、どちらに味方するのが楽しいか・・・・」 やや顔を上げた亜璃斗の視線がふたりの胸元に注がれる。 「・・・・ここで値踏みしているあなたは、私たちにとって等しく、敵じゃないかしら?」 「お゙お゙?」 「ここで兄さんが踏み込んで来れば楽しいのに」 「え!?」 バッと朝霞の手からの逃れ、湯船から脱出する心優。 その動きは、運動神経の悪い彼女からは想像できない見事なものだった。 「・・・・いつもなら、『見てください!』とか言って突撃するのに?」 亜璃斗は運動神経ではなく、反応に疑問を持ったようだ。 「あ、あはは・・・・」 心優が苦笑いをする。そして、その手は自分のおなかに回った。 「・・・・もしかして、太った?」 「ぅぐ!?」 ド直球の直撃を受け、心優がうめく。 「上もないのに真ん中が大きくなると・・・・」 「・・・・はぁ」 溜息と共にやれやれと肩をすくめるふたり。 「絶対ふたり仲いいですよね!?」 涙目で心優は叫んだ。 ―――旅先でも姦しい少女たちだった。 「―――ふわぁ・・・・」 「兄さん、だらしない」 「うん、ごめん・・・・ZZZ――ぬごっ!?」 「・・・・起きた?」 「起きたので、その拳を仕舞っていただきたく・・・・」 翌日、直政と亜璃斗は兄妹漫才に興じていた。 昨夜は音川に比べて涼しい気候に誘われ、爆睡したものである。 「ふふ、たいていのお客さんは翌朝も眠そうにしておられますよ」 香里奈が上品に微笑みながら、お膳に食事を置いていく。 「・・・・義明さんは食べられないんですか?」 上座には空っぽのお膳が置かれていた。 「・・・・さあ、いつもならばもう起きていらっしゃるんですが・・・・」 香里奈の話では寝起きが良く、彼女が起こしに行くことはないそうだ。 「穂村妹、"いる"?」 「・・・・・・・・・・・・いない」 視線を中空にさまよわせた亜璃斗が、義明の不在を告げた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 朝霞が考え込む。 因みにこの場には心優がいた。 このため、おおっぴろげに話すことができない。 (いつもは俺が起こしに行くまで寝てるくせに) ちょっと恨みがましく眺めると、何を思ったのか顔を赤くしてもじもじし始めた。 「ま、政くん。そんなに見つめられますと・・・・どうにかしてしまいそうになります」 「何をだよ!?」 「なりそう」ではなく、「してしまいそう」である。 受動的ではなく、能動的な表現であるところに危機感を抱いた。 (まあ、受動的であっても、同じツッコミしたと思うけど) ともかく、義明の行方である。 「とりあえず、香里奈さんと・・・・そうね、穂村妹が義明さんの寝室に行って確認してきて」 「で、でも、いらっしゃらないのですよね?」 「何か痕跡があるかもしれないから」 そう告げ、朝霞は立ち上がった。 「俺たちは?」 「侵入者の痕跡がないか、探す」 「侵入者?」 香里奈と亜璃斗はすでに寝室に向かい、直政たちは玄関で靴に履きかえている。 「義明さんがひとりで出て行った可能性は低いわ」 「なんで?」 「香里奈さんが知らないはずがない」 一晩しか知らないが、確かに義明ならばそうするだろう。 「ってことは攫われた? でも、予告状では明日だろ?」 「馬鹿正直に信じるの? 相手は、忍者などを中心とした不正規戦で武士軍団に勝負を挑んだ輩を名乗っている」 言わば、真正面から勝てないから、何でもしてきた、ということだ。 「護衛をだまし、義明さんを誘拐して鏡の在り処を吐かせてもおかしくない」 「でも、鏡の在り処はここだと思っているんだろ?」 「義明さんの見立てでは、ね」 素人の見解など、あてにならない。 「最初の襲撃で屋敷にはないことを看破し、先の小競り合いでこちらの動きを牽制、昨夜押し入って拉致、といったところかしら?」 「大変じゃないのか?」 「大変ね。・・・・死にはしないでしょうけど」 拷問はされているだろうか。 「・・・・えらく淡泊なんだな」 直政は不満だった。 自分と同い年の少女が、あまりにも闇に染まりすぎていることに。 「焦っても仕方ないわ。焦ると・・・・仕損じるわよ」 だが、朝霞は闇に染まりきらねば乗り切れぬ修羅場をくぐってきた。 一族の浮沈にかかわるわけでもない、たかが枝葉の案件に戸惑ってはいられない。 「さて、どう動くかな?」 ご丁寧に庭木が折れているところを発見した朝霞は、空を睨みつけながらそう呟いていた。 SMOside 「―――こいつが鏡の持ち主か?」 大久保は呆れた声音でそう言った。 朝起きれば、諜報員が枕元に立っており、朝食もそこそこにして山の中に連れ込まれたのだ。 滝の脇に建った小さな小屋には、青年が寝間着のまんま放り込まれている。 布を噛ませてあり、声が出せないようになっているが、瀑布の音がうるさいので布がなくても声は届かないだろう。 「外せ」 大久保は顎で支持し、諜報員が布を外す。 小屋は防音性に優れ、小屋の中であれば会話は可能だった。 「ぷはっ・・・・・・・・はぁ、はぁ・・・・あなたは?」 義明は息を整えつつ、大久保を見上げる。 「真田十勇士・・・・とは、敵対するもの、かな」 大久保は黒いスーツの襟を正した。 その襟元には≪血輪に三剣≫のバッジがある。 「SMO・・・・」 「その通り。国民の味方だ」 大久保は大真面目に頷いた。 「国民の味方が善良な国民を誘拐しますか?」 「それには不幸な行き違いがあったようだ。謝罪する」 大久保は形だけ頭を下げ、自分の話へと軌道修正する。 「独自調査の結果、滋野義明氏が発掘した鏡を狙い、真田十勇士とかいう組織が暗躍していると聞く」 義明は縛られたまま彼の話を聞く。 「心無い組織ならば、それを囮にして危険極まりない組織をブチのめすのだが、それではあなたが危険だ」 こんなことをして何を言うのか。 「だから、真田十勇士が狙っているという鏡を破壊する。それで万事解決だ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「と、いうわけでだ。どこにある?」 人の話を聞かない、独りよがりな者のようだ。 異能者にありがちな選民思考と言うやつだろうか。 「言うと思いますか?」 義明は首を振った。 例え、本当に国民の味方だとしても、こんなことをする組織に国民は好印象を持たない。 「そこまで調べているのならば分かっているでしょう? こちらはすでに護衛を頼んでいることを」 「ああ、我々の敵だな。あなたを攫っても気が付かなかった無能なガキども」 実際、大久保はどうやって義明を拉致したのかは知らない。 「別に、今からそ奴らを殺してもいい」 所詮、旧組織の子どもたちなど、銃の前には非力だ。 放置してもいい存在だと割り切っていた。 「ま、それはいいとして、滋野氏はいったいどこ―――」 「―――へぇ、舐められたもんだな」 「「―――っ!?」」 突然聞こえた声に、大久保と義明は驚いた。 「別にこっちだって、SMOの下っ端はどうでもいいんだけどな」 滝の脇に建つ小屋に通じる小道に、長い棒を持った少年が立っている。 こちらは木々の陰にいるため、彼はシルエットになっていた。 「はっ! 飛んで火にいる夏の虫、ってな!」 大久保は素早く拳銃を抜き、彼向けて発砲する。 部下の数人が同調し、合計5発の弾丸が彼に命中した。 「・・・・・・・・・・・・で?」 命中した衝撃を踏ん張って耐え切り、彼はSMOを睥睨する。 「チィッ」 ドンッという轟音と共に滝水の流れが変わった。 その奔流が敵に直撃する。 普段、その辺りにありふれている水だが、1g/cm3という密度を持つ。 これに速度が加われば、人間を押しつぶすことなど造作もない。 「はっ、旧組織のガキが・・・・ッ」 大久保は念動力者だ。 さっきのは滝の水の流れを変えたに過ぎない。 ただそれだけで、水が本来持つ威力を人体に叩き込んだのだ。 おそらく、あの子どもは全身の骨が砕けて即死だったろう。 「ほら、こうやって護衛も死んじまうんだ。早いとこ鏡の在り処を話せ」 大久保からすれば、念願の一部隊を預けられたとはいえ、主戦場から離れては意味がない。 早くここを終わらせ、川中島に帰らなければならない。 「死んでねえって!」 いくつかの木々を吹き飛ばし、少年が立ち上がった。 「な、な・・・・っ」 大久保は動揺する。 「あいにく、物理攻撃には強くてね」 「ま、まさか・・・・」 聞いたことがある。 旧組織の本拠地攻防戦に参加した同僚から、戦車砲の砲撃を受けても死なずに本隊へ突撃をかけたものがいた、と。 そいつは紅い槍を持っていたとも。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 大久保は他の隊員を下がらせ、義明を引き寄せた。 「ふ、どうやら我々の敵は精鋭を送り込んでいたようだ」 義明のこめかみに銃口が押し付けられる。 たった今発砲したばかりの銃口は熱を持っており、その熱さに義明は顔をしかめた。 「いいのかよ、情報源だろ?」 「別に鏡も十勇士も探せばいい。こんな小さな村なのだ」 大久保はジリジリと後退りする。 「人海戦術は我々SMOの十八番でな!」 「SMO?」 ここで初めて直政の戦意が鈍った。 (よし、逃げ―――っ!?) 義明を突き飛ばそうと腕に力を込めた瞬間、殺気を感じる。そして、体を捻った。 結果、何かが腕をかすめるだけで済んだ。 「・・・・ッ」 義明を手放し、無理な体勢を無理矢理立て直した大久保はすぐ傍で、殺意に染まった瞳を見た。 木の上から飛び降りてきたのであろう。 衝撃を逃がすために膝を曲げ、振り落したであろう右腕を地面から引き抜いた。 その手は槍の穂先のように尖っている。 肉体変換系の能力者のようだった。 「くっ」 咄嗟に能力を発動し、周囲の物を手当たり次第投擲する。 そのまま大久保は逃走に入った。 自分の攻撃が効かない少年よりも、物を見るような冷徹な瞳と無表情を持つ女性の方が怖い。 大久保は自分たちだけでは手が足りない案件だと痛感し、増援を求める覚悟を決めた。 そうでなければ、きっと自分たちは全滅するだろうから。 「―――香里奈、さん?」 直政は呆然と呟いた。 彼は広域索敵をかけ、数人の人間が山奥に入っていくのを捉え、念のため付けてきたのだ。 朝霞は屋敷に残り、町は亜璃斗が捜索していた。 その捜索メンバーには香里奈は入っていない。 というか、多少裏の知識はあっても戦闘能力のない香里奈を矢面に出すわけがなかった。 「義明さん、大丈夫ですか?」 香里奈は直政の疑問の視線を受けながら、義明を助け起こす。 「・・・・ええ、大丈夫です。ありがとうございました」 「いえいえ」 義明の衣服に付いた汚れを叩き落とし、香里奈は視線を直政に向けた。 その瞳に宿るのは、見知った輝きだ。 先程の戦いで見せた、暗殺者のような輝きではない。 また、右手も普通の手だった。 「とりあえず、帰りませんか?」 「・・・・そ、そうですね」 穏やかな声音に、ひきつった声しか返せない。 (正直、俺だけで判断できねー) 『・・・・御館様はもう少し頭脳戦も学んだ方がよいと思われます』 肩でため息をつく刹を滝つぼに放り込もうか真剣に悩みながら、直政は帰途に就いた。 |