第三章「テスト、そして神馬」/5


 

(―――この世なぞ・・・・)

 疾走する神馬は邪魔する騎兵を蹴散らし、町を駆けていた。

(この世なぞ滅びてしまえばいい)

 神馬が、神馬として神社に奉納されたのは延暦十一年(七九二年)のことである。
 時は桓武帝が対蝦夷戦略を展開しており、三年前には朝廷軍の大軍が胆沢の首領――阿弖流爲と交戦して世界戦史上稀の大敗を喫していた。
 狂気と戦意が蔓延し、妖魔の活動も活発だったこの時期、この馬は神社に奉納されたのだ。
 時の狂気を払うために、狂気の中を進んでいくための乗り物として、その馬は時の狂気を一身に引き受けることとなった。
 本来は来るべく決戦に向けての願掛けだったが、それが終わっても神馬は神馬として拘留され、ただの馬ではなくなった時、封印されたのだ。
 弄ばれた命。
 生を謳歌できなかった命。
 忘れ去られた命。

(ん・・・・?)

 追跡してきた騎兵が速度を上げて肉薄してきた。

(愚かな)

 不用意に背後から迫った一騎を蹴り飛ばし、もう一騎のランスを角で弾く。そして、返す角で斬り裂き、新たな【力】――邪気を流し込んで崩壊させた。
 この世の武人など造作もない。

(いや、勝てぬと分かっていても勝負を挑むことができるのも武人というもの―――って、これは・・・・結界!?)

 騎兵の無謀な突撃はこの結界に気付いたからだ。

(いったい、誰が・・・・)

 思わず足を止めた神馬の前にひとりの少年が立ちはだかった。
 肩には真紅の大身槍がかけられ、もう一方の肩にはリスがいる。

「さあ、鬼ごっこはお終いだぞ」
『神の使いならばそれらしく振る舞ってもらいたいものです、私みたいに』

(こいつらは・・・・)

 神馬に選ばれるほど、卓越な頭脳を持つ馬の脳が動き出した。だがしかし、それは横槍が入ってひとつの思考に誘導される。

(・・・・何でもいい。タダ、踏ミ潰ズノミッ!!)

 そう結論づけ、神馬は大地を蹴った。






穂村家scene

「―――はっ」

 直政は大身槍・<絳庵>の石突をアスファルトに打ちつけた。
 ひび割れたアスファルトは直政の意に従い、宙で一瞬だけ制止した後、弾丸のように撃ち出される。

「なっ!?」

 その奔流は神馬の角を中心に浮かび上がった呪印に弾かれた。

『止まっちゃダメですッ』
「―――っ!?」

 刹の声で我に返った直政は横っ飛びで神馬の突撃を避ける。
 受け身を取って立ち上がった時、角をこちらに向けて神馬はすでに次の突撃態勢に入っていた。

『戦車ですか、あれは・・・・』

 正面からの攻撃を弾き飛ばす、装甲に似た呪印。
 その防御力は確かに陸戦最強兵器を彷彿させる。

「あの突撃態勢だと、サイだと思うけどな」
『いえいえ、得てしてこういう時、あの角から・・・・』

 そう呟き、ピタッと口を閉じる刹。

「お、おいおい・・・・」

 展開していた呪印が回転し、角へと収束していく。
 嫌な予感がし、直政は一歩下がった。

『御館様、防御―――』

 回転が止まり、逆回転を始めた瞬間、その角から閃光が放たれる。
 それは夜闇を引き裂く流星のような一瞬の輝きで直政を襲った。

「・・・・ッ、竹束ッ」

 それでも、反射的に防御術式を組み上げたことは賞賛に値しよう。
 御門流地術第三位防御術式――竹束。
 竹束とは火縄銃が普及する前からある防御機構であり、普及して以後は対鉄砲装甲の切り札として扱われた盾だ。
 しかし、それは言わば小銃に対する備え。
 戦車砲に匹敵するであろう威力の前には無意味だった。

「どわぁっ!?」

 屹立した"対重火器用障壁"は四散し、凄まじい衝撃が直政の身を襲う。
 直政の防御を突き破った閃光は川面に直撃し、水蒸気爆発を巻き起こした。
 眼前で障壁が破壊された衝撃に吹き飛んでいた直政は背後からやってきた同程度の衝撃に挟まれる。

「ガハッ!?」

 自動車であろうとぺしゃんこになる衝撃。

「ぐ、ふ・・・・」

 物理攻撃には滅法強い直政でも脳が揺れ、平衡感覚を保つことができずに膝をついた。

『御館様ッ』

 ハッとした時には目の前にあった角により、直政は再び宙を舞う。
 幸い、突き刺さったのではなく、角の前に復活していた障壁が直政をはね飛ばしたのだ。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」
『ご無事ですか? というか、油断しすぎだ馬鹿野郎』
「ああ、そうだったな・・・・っ」

 軽い退魔活動だと思っていた。
 戦闘能力が低いであろうカンナが病院送りされていようとも、自分ならば、御門宗主ならばなんとかなると何の証拠もなく戦場に出た自分が恥ずかしい。
 宗主になったからと言っても、亜璃斗が前衛として戦っていた時と何ら変わりない。
 高雄研究所で奮戦したと言っても、所詮一人であの巨体を倒せたとは思えない。

(俺は・・・・ただ、知っただけなんだな・・・・)

 妖魔を狩るために亜璃斗と駆けてきた時とは世界に対する認識は大きく変わっている。だが、それでも直政の戦力は変わらない。
 あるとすれば、この手にした<絳庵>のみ。

(それも・・・・使えてないけどねっ)

 <絳庵>を支えに立ち上がる。
 神馬はその様を見遣り、圧倒的に有利というのに駆け去った。

「へっ、余裕のつもりかよ」

 そう呟きながら、直政は再び膝をつく。
 全身を駆け巡った衝撃がしびれとして残り、体の自由がきかないのだ。

『お、御館様、立って立って』

 刹がしっぽで直政の頭を叩く。

「な、何だよ・・・・ちょっとくらい敗北感に浸らせろよ」
『マゾっ気のある浸り方ですが、状勢はそれを許してはくれませんよ』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・みたいだな」

 直政を取り囲む数十の気配。
 それは結界に神馬が突入した際に付き従うように行動していたあの気配だった。

「あの女、まだいたのか・・・・」

 直政を取り囲む騎士たちの中には強烈な存在感を示す女性の姿はない。しかし、この騎士たちが彼女の使役するものである以上、音川町にいることは間違いなかった。

「長良川で斎藤道三はこんな気持ちだったのかな・・・・」

 下克上を体現し、"美濃の蝮"と名高い斎藤道三は息子である斎藤義龍に裏切られ、数倍以上の軍勢に取り囲まれて討ち取られている。
 河畔であることと大軍に囲まれている事実が酷似していた。

『諦めてはなりませぬぞ、御館様』
「分かってるよ。罠にかかったのかどうかはわかんねーけど、こんなところで終われるか」

 体が動かなければ、念じればいい。
 精霊術師とは"白兵戦もできる"、術者なのだから。

『来ますッ』

 騎士たちから殺気が沸き上がり、馬蹄を轟かせて一斉に突撃してきた。
 全員が全員、ランスの鋒を直政に向け、刺し貫かんとしている。

「なめ―――」


「――― 一の陣、攻撃」


「お?」

 横合いから飛来した飛礫の奔流が騎馬隊を飲み込み、一角を押し潰した。
 その攻撃だけでは倒せなかったようだが、それでも突撃態勢に穴が空く。

「続いて二の陣、打ち込め」

 葦の影から数人の人影が飛び出し、崩れ立った騎兵に襲いかかった。
 彼らは倒すことよりも騎兵を後退させるために戦い、彼らが広げた道を別の者たちが進む。

「三の陣・・・・」
「亜璃斗・・・・」

 第三陣であろう部隊の最前線を駆ける少女を見て、ため息に似た声が漏れた。

「蹴散らせ」

 静かだが、覇気に満ちた指示の下、これまた見知った男女が喊声を上げて騎兵と激突する。
 飛翔する飛礫。
 大地から突き立つ石の槍。
 中でも率先して敵に突撃した亜璃斗の奮戦はすごかった。
 あっという間に敵に囲まれたが、逆に言えばそれは包囲網の外にいる者たちに敵が背中を向けることになる。
 敵中で奮戦する間に連携を取り、確実に一騎一騎葬っていた。

『ほう、あの娘、成長しましたなぁ』

 刹は見入るように亜璃斗の戦いを眺める。

『しかも、御館様よりも統率力がありそうです』
「いきなり暴言キタ!?」

 文句を言う直政だったが、刹の言葉は納得してしまった。

「すごいな・・・・」

 亜璃斗が率いてきた者たちはとても戦い慣れているとは思えない。だがしかし、亜璃斗がさり気なくフォローしているために、まるで軍勢同士がぶつかり合っているかのような戦いが繰り広げられていた。



「―――ふっ」

 突き出されたランスをトンファーの横殴りで鋒を逸らし、さらなる回し蹴りで吹き飛ばした。そして、着地点にいた者がトドメを差す。

「やっ」

 振り回されたランスをトンファーで受け、その勢いを以て囲まれつつあった者の増援に向かった。また、地術を発動させ、別の場所で戦う味方を援護する。

(とりあえず・・・・互角・・・・ッ)

 周囲を気にしながら戦うのは割と得意だ。
 直政が周囲を気にせず、目の前の敵に向かっていくタイプなので、必要だったといえばそうなのだが、性にも合っているのだろう。

「・・・・ッ」

 繰り出された神速の刺突を寸前で回避し、騎士の喉元にふたつ合わせたトンファーの鋒を突き込んだ。そして、そのまま体内にまで埋め込まれた鋒から<土>を送り込んで活性化させる。
 それは瞬く間に騎士を構成する因子に介入。
 完全に石化させた。
 突然止まった騎兵に別の騎兵がぶつかり、砂塵と共に砕け散る。さらにその影に隠れた亜璃斗は渾身の力で体勢を崩した騎兵の脚を砕いた。

「・・・・ん?」

 激戦を展開したのはほんの数分だろう。
 押し切れないことを悟った騎兵たちは一斉に退却に移った。
 彼らの中に指揮官はいない。だからこそ、颯爽とした引き際を見送る以外に道はなかった。
 亜璃斗にできたことは、久しぶりの実戦で逸る術者たちを止めることだけだ。
 実体化したまま逃げた以上、どこかに伏兵がいるかもしれないからだ。

「・・・・ん」

 全員が全員、大した怪我がないことを確認し、亜璃斗は満足げに頷いた。
 集団戦は久しぶり、というか、全軍集結は初めてだ。
 それで、このレベルまで戦えるならまだいい方だろう。

「―――亜璃斗」

 背後から聞こえた声に亜璃斗だけでなく、周囲の術者たちにも緊張が走った。
 振り向くことが怖い。
 今更何を言えばいいのか分からない。

(でも、逃げちゃダメ・・・・)

 さっきのは品評会。
 現在の、御門宗家の戦力を宗主の前で示したのだ。

(でも・・・・)

 本来は直政が率いる戦力。
 それを我が物顔に使っていたのは他ならぬ自分である。
 現在における御門の戦力を見せつけるだけでなく、現在の御門を率いるのは自分だ、と示したに等しい行為だった。

「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 宗主に背を向けたまま、瞳を泳がせる亜璃斗を見遣った男女は困った顔でお互いの顔を見合わせる。そして、全員同じ気持ちだと言うことを納得した上で、笑い合った。

「遅くなったな、直政」
「ごめんね、怪我大丈夫?」

 得物を肩に担ぎ、いつも通りに話し出す。

「え?」

 その様子に亜璃斗はポカンと口を開けた。

「いや、まあ、傷は大丈夫ですけど・・・・」

 あまりにいつも通りなので、直政ですらタジタジになっている。

「ちょ、ちょっと・・・・っ」

 慌ててみんなの前に出て止めようとしたが、逆にひとつの言葉で止められてしまった。

「―――無理に主従を意識しなくてもいいんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ってわけで、俺ら明日も早いんでこの辺りで。ふたりもテスト近いんだから早く寝ろよ」

 「じゃなー」とひらひらと手を振り、"唯宮家の使用人"たちは帰途につく。
 後には何とも言えない表情をした亜璃斗と直政が残された。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 亜璃斗は未だに直政に顔を向けられないでいる。

『おい、そこな娘っこ―――モガッ!?』

 刹が何か言おうとして、直政に止められた。

「亜璃斗、とりあえず帰―――」
「ごめんなさい」

 何か言い出した直政に反応し、亜璃斗は振り返るなり頭を下げる。

「御門家の戦力を占有してた」
「あ、まあ、うん」
「その事実を隠してた」
「まー、そだな」
「・・・・それに、まだ、いっぱい隠してる」
「・・・・だろうな」

 亜璃斗は自分で言いながらどんどん気持ちが沈んでいくのを感じていた。
 全てを話さなければならない、という気持ちはある。だが、全てを話すと言うことは、今までは全てを話していなかった、直政を騙していたという事実を肯定してしまうことである。

(うぅ・・・・)

 どんどん自己嫌悪に苛まれていく亜璃斗は直政が近くに歩いてきたことに気付かなかった。

「でも」

 ぽんっと頭の上に手が置かれる。

「別に悪意があったわけじゃないだろ?」
『悪意がなければなんだと―――ふぎゅる!?』

 はっと顔を上げた亜璃斗が見たのは直政の優しい笑顔と、その手の中で手足をばたばたさせる刹だった。

「ずっと俺を守っててくれたんだろ?」
『死ぬ、死んじゃうっ。助け―――アーッ!?』

 手首のスナップだけで刹を川へと放り投げる。そして、空いた手で再び俯こうとしていた顔を上げさせられた。

「いろいろ、教えて欲しいけど・・・・これだけは言えるぜ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 何も言うことができない亜璃斗に直政はにこりと笑い、宣言する。

「戦力与えられても使える自信はないッ」
『そこは自信持つなっ・・・・ですぅっ』

 ザッパァッと川面をはね飛ばし、刹は神速の勢いで直政に襲いかかった。そして、齧歯類特有の鋭い前歯で噛みつこうとする。

「ノォォォッッッ!?!?!?」

 危ういところでその口をホールドし、流血沙汰を回避する直政。
 そのまま両者は刹の勢いに押される形で河原に倒れ込んだ。

「いやだってさっ、軍勢の指揮の仕方わかんねえしっ」
『覚えろッ』
「自分自身もまだまだだしっ」
『鍛えろッ』
「そもそも情報整理とかめんどくさいしッ」
『それはそうかもッ』
「納得すんのかよッ」
『ああ、しまったッ!?』

 ごろごろと転がって口論していた直政と刹は情けないオチを付けて立ち上がる。そして、刹は何もなかったように、直政の肩に収まった。

「あ、あの・・・・」

 最近、隣のクラスまで伝わってくる直政の奇行を目の当たりにした亜璃斗は珍しく、たじたじとなる。しかし、それはすぐに新たな緊張に上塗りされた。

「ま、待って・・・・っ」

 慌てて歩き始めた直政を呼び止める。

「・・・・帰るぞ、亜璃斗」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」

 伝えたかったことを全て飲み込み、亜璃斗は素直に付き従った。






傍観者side

(―――あの角・・・・)

 河原を見回すことのできる建物の屋上で少女は双眼鏡を下ろした。
 早鐘のように鼓動する胸を無意識に押さえ、己の中に眠らせている聖剣をイメージする。

「一哉」
「なんだ?」

 同様に双眼鏡で直政の戦いを見ていた一哉は渡辺瀞に呼ばれて振り向いた。

「結城くんは一哉に言ったんだよね? 手を引け、って」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうなるな」
「そっか」

 そう呟き、瀞は歩き出そうとする。

「おい、勝手に―――」
「私は一哉の部下じゃないよね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 振り向かずに言い放った言葉が一哉を縛ったのが分かった。

「・・・・ごめん。でも、私は一哉の指揮下じゃない。ただの水術師だよ」
「・・・・行くのか?」

 勘のいい一哉はこれだけのやりとりで瀞のしたいことを正確に把握する。

「うん。ちょっと、あの神馬は放っておけない。【渡辺】の意向としてではなく、私自身の気持ちで」

 瀞は振り返り、決意を込めた視線で一哉を見た。

「だから、この件に関しては絶対に一哉の指図を受けないし、一哉を制止した結城くんの言葉もきくつもりはないよ」

 それは渡辺家を出奔してから久しぶりに見せた、自己主張だ。

「・・・・俺は前に言ったぞ」

 一哉は屋上の手すりに背を預け、瀞の視線を受け止める。

「『お前は誰と戦うんだ?』と」
「私は『一哉の敵と戦う』と答えたよね」

 今のふたりの関係が始まった宣言。
 そう、だけど、瀞は一哉と対等の存在として歩んできたつもりだ。

「私の行動が一哉の計画を狂わせてしまうかもしれないけど・・・・」

 ここで瀞は満面の笑みを見せた。

「一哉なら、きっと修正してくれるよね♪」

 その笑顔にガクリと肩を落とした一哉を置き、瀞は屋上を後にする。

(ちょっと、流されるだけでなく、自分から戦う理由ができたよ)

 屋上から下りる階段にて、暗闇の中で青白い光が引き抜かれた。

(瑞樹は今、忙しいけど・・・・)

 自分が離れた渡辺宗家を再興させようと必死な従兄弟を思い出し、瀞はゆっくりと<霊輝>を格納する。
 思えば、瀞が生まれた時から起きた、渡辺宗家の事件は未解決のままである。
 滅亡寸前まで追い込まれ、それを回避した後に新体制をスタートさせたが、SMOの攻撃を受けて再び壊滅状態に陥った。
 それでも、渡辺瑞樹という新しい宗主の下、戦力の再編を行う新生渡辺宗家は対SMO戦争という、自分たちを直接脅かしているもので精一杯である。
 父の戦死と共に現状打破を政策に盛り込んだ渡辺真理が宗主になってからは、守護神狂乱の原因を探るよりも戦力維持に必死だったこともある。
 だがしかし、そもそも瀞誕生と共に渡辺宗家を襲った厄災の原因究明は渡辺宗家の悲願だ。
 特に当時の渡辺宗家を率いていたのは瀞の祖父、父であり、血筋的にも瀞は嫡流だ。

(本当なら、【渡辺】に知らせた方がいいんだけど・・・・)

 瀞は階段を下りきり、建物の出入り口に向かう。

(これは私がもらうよ、瑞樹)

 渡辺宗家の一員としてではなく、父祖から受け継がれた悲願と、自身出生を語るに避けられない出来事の続きとして、瀞は参戦を決めた。



「―――いいの?」

 走り出した瀞を、屋上の手すりから身を乗り出して見ていた幼女はそのままの体勢で一哉を振り返った。

「別に、いいだろ。晴也は確かに俺を止めたが、瀞を止めなかった」
「それは暗黙の了解とか言うやつだと思うけど」
「さあ、俺は聞いてないからな」

 そう返し、一哉は携帯電話を取り出して、瀞宛にメールを打つ。

『目の周りに双眼鏡を押しつけた跡が付いてるから、今日会うのは間抜けだぞ』

「送信、と」
「鬼畜だねっ」

 一哉の肩によじ登っていた少女は文面を見るなり楽しそうに笑った。

「お?」

 送信から数十秒後、着信を告げる振動が携帯電話を襲う。

「はいもしも―――」
『ぅわぁんっ。もっと早く言ってよぉっ』

 電話をしてきたのは当然の如く瀞だ。

「なんかさぁ」
「ん?」
「最近、オチが間抜けじゃないか?」
「そうだねっ。間抜けなしーちゃん見てるととっても和むねっ」
『力一杯肯定しないでっ』
「さあて、帰るか」
『うぅ。ちょっとかっこよく出て行ったと思ったのに・・・・』

 一哉は携帯電話を耳に当て、肩を落として戻ってくる瀞を見て、ふっと小さく笑った。









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