国家総動員法


 

 戦争とは、国力の全てを軍需に注ぎ込むことが必須である。
 これが所謂「国家総力戦」の概念だ。
 第一次世界大戦の混乱期を抜けた1930年代において、それは常識だった。
 ドイツ帝国を発祥とする、短期決着を目指した動員システムが世界の常識となった第一次世界大戦では、緒戦の優位がそのまま戦争終結まで持たなかった。
 共に緒戦を抜けた後、両陣営には動員システムの結果得られた莫大な戦力がいたからだ。そして、それらは両陣営の資源を食い潰しながら激戦を繰り広げ、力尽きた方が負けたのである。
 よって、如何に国家が「総力戦体制」を採るかが次の戦争の分かれ目だと認識されていたのである。
 忠実において、拡大する中国戦線を踏まえ、近衛内閣は1938年4月、「国家総動員法」を発布、同年5月に施行した。
 これは当時の企画院が立案したが、その背景には陸軍――特に統制派――の意向が大きく反映されている。
 また、社会主義的な面を多く含んでいた。
 一方で当時の企画院には"革新閣僚"と呼ばれ、戦後の政治を動かす政治家たちが所属していた。
 この世界観では日中戦争を回避されている。
 故に陸軍の影響力が弱まった政府において、彼らは勇躍した。
 そのひとつがこの物語における「国家総動員法」の制定である。






東条英機side

「―――は、話にならんぞ、こんな修正法案!」

 1938年4月28日、陸軍省のとある一室でヒステリックな叫びが上がった。

「鈴木少将、佐藤中佐! これはどういうことかね!?」

 声の主は陸軍次官・東条英機。
 第二次上海事変の後、前陸軍次官の梅津が第一軍司令官に転任したために東条が呼び戻された。
 因みに梅津は華北の撤兵および暴発を防ぐために満州へ渡っている。
 この当時の陸軍は二・二六事件で皇道派が一掃され、旧宇垣派や武隼時賢の派閥はあるものの、陸軍最大派閥は統制派だった。
 元々統制派は反皇道派の集団で、陸軍省や参謀本部に多い、陸大出身者の幕僚たちである。
 その目的は、陸軍大臣を通じて政治上の要望を実現し、列強に対抗し得る「高度国防国家」を目指す、というものだ。
 しかし、近年はその手段に統帥権を振りかざすなど政府に非協力的な態度・行動を示していた。
 日中停戦は、頭目格である東条率いる部隊が南京攻略戦で暴走し、一時的に東条が発言権を失ったことで達成されたと言える。
 統制派が無言の間に皇族を動かした政府が結んでしまったのだ。
 当然統制派は巻き返しを図るために、以前から進めていた「国家総動員法」を制定することを目的とした。
 その内容は、陸軍の増強と軍需物資の蓄積による長期戦体制を整えることだ。

「これでは陸軍は歩兵が足らんぞ!?」

 東条は側近に怒鳴りながら、自身の力不足も感じていた。
 陸軍最大派閥などと言っている統制派だが、頭目の東条は陸軍中将である。
 上にいた板垣征二郎は満州事変で退役処分、永田鉄山は暗殺(相沢事件)、岡村寧次は第二師団長として満州に、梅津美治郎は第一軍司令官へ転出。
 陸軍大臣の杉山元は統制派とされるが、風見鶏のように情けない。
 また、陸軍三長官と呼ばれる参謀総長および教育総監は、前者が小磯國昭、後者が安藤利吉。
 小磯は壊滅した宇垣派(長州閥系譜)であり、安藤は無色である。
 統制派が完全に握ってはいなかった。
 また、杉山も元宇垣派である。

(やはり南京は失態だったし、近衛もさすが名門の出か・・・・)

 陸軍内の高官を占められず、頭目の東条が逼塞する間に近衛が存在感を示した。
 その影響は「国家総動員法」にも影響する。
 何せ国家総動員法を進める企画院は、陸軍が影響力を失った今、近衛の側近連中で占められている。
 企画院総裁は瀧正雄(衆議院議員、近衛の家老格の側近)。
 次長に青木一男(大蔵省、近衛の要請で企画院創設に関わる)。

「骨抜きもいいところではないか・・・・ッ」
「面目次第もございません・・・・」

 鈴木貞一陸軍少将(第一六師団司令部附、企画院調査官)が項垂れながら言った。

「し、しかし、我々が目指した総力戦体制は整えることができます!」

 佐藤賢了陸軍中佐(陸軍省軍務局課員、法令審議時の証人)が食い下がるが、"陸軍"としては不服だ。
 理想を説く佐官級と現実を見る将官とでは捉え方が違うのだ。

(誰かいるぞ、近衛の後ろに・・・・ッ)

 お坊ちゃまの近衛は人脈だけは豊富だ。
 そこからの入り知恵だろう。

(でなければ、こんな内容は作れない・・・・ッ)


 統制内容。
 1. 労働問題一般
 国民の産業への徴用、総動員業務への服役協力、労働条件、労働争議の予防、"資源開発および製造業における工員徴兵の原則禁止"。
 2. 物資統制
 物資の生産、配給、使用、消費、所持、移動。"特に資源・軍需関連の生産、供給、使用法等"。
 3. 金融・資本
 会社の合併・分割、資本政策一般等。


 まず、忠実にあった「4. カルテル」と「5. 価格一般」、「6. 言論出版」については触れられていない。
 この部分については社会主義的すぎるとして反対が起きて削除された。
 だが、東条も鈴木もこの辺りはどうでもいい。
 というか、本人たちも社会主義的すぎると感じていた。
 問題は「" "」部分だ。
 1. に含まれる"資源開発および製造業における工員徴兵の原則禁止"は事実上、これらに属する労働者は召集できないこととなる。
 どれほどの数になるかは分からないが、数十万単位で陸軍は潜在歩兵を失った。
 次に2. に含まれる"特に資源・軍需関連の生産、供給、使用法等"だ。
 資源については別に問題ない。
 効率的な資源開発ができれば、軍需品生産も順調になる。
 問題は"軍需"の文字だ。
 これは陸海軍で物資の融通をなさなければならない。

「鈴木、この"軍需"についてどう思う?」
「普通に考えれば、陸軍用、海軍用の資材を効率的に動かせ、ということでしょう」
「それは分かっている。具体的にはどうだ?」
「・・・・共用兵器の開発、でしょうか? もしくは既存の兵器を両軍で採用とか・・・・」

 陸軍が開発した兵器を海軍が採用するパターンをもっと増やす、またその逆とかだ。

「・・・・いえ、そうではないでしょう」

 佐藤がおずおずと発言した。

「もちろん、それもありますが、砲弾や実包の互換性改良もあるでしょう」
「互換性?」

 陸軍と海軍は例え同じ口径の大砲であろうとも独自開発をしている。
 航空機用機銃の7.7mm機銃もオリジナルが一緒でも採用・開発過程が異なるために弾薬の互換性がなかった。
 砲兵出身かつ現航空兵の佐藤は、その辺りのことをよく知っている。

「互換性があれば製造効率も上がり、戦場での融通が利きます」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
「また、我々には小火器口径問題がありますし・・・・」

 小火器口径問題。
 1930年代前半における日本軍の主力小火器は三八式歩兵銃、十一年式軽機関銃、三年式重機関銃、九一式車載機関銃である。
 これらの弾薬は口径6.65mm、全長76.5mm、全重量21.2g、薬莢長50.8mm、装薬量2.15g、薬莢形状はボトルネックのセミ・リムド(半起縁型)の三八式実包で統一されていた。
 しかし、満州事変以降の日中間の様々な事件から威力不足が露呈する。
 結果、陸軍は機関銃の口径を7.7mmに増径させた。
 九二式重機関銃用の九二式実包、九七式車載重機関銃用の九七式実包が開発され、実戦配備されている。
 だが、このふたつの実包は薬莢形状が半起縁型と無起縁型と異なり、機関銃の射程などに違いが出ていた。
 また、増径した関係で、主力歩兵銃である三八式歩兵銃や十一年式軽機関銃との弾薬互換性がなく、補給が大変だ。

「これを解決することも暗に求められているのではないでしょう・・・・・・・・・・・・か」

 言葉の途中でふたりの将官からじっと見つめられていることに気付いた。

「あの・・・・なんでありましょうか?」

 やや後ずさり、背中に冷や汗をかきながら問う。

「貴様、その意見を誰から聞いた?」
「え?」
「実包云々や生産性についてだ」
「はぁ、整備局ではいつも弾薬調整でぼやいていましたし・・・・」

 彼の整備局課歴は7年近く、彼個人の軍歴の中でも抜群に長い。

「アメリカ出張時に向こうの軍人にそれとなく聞いたのですが、彼らにはそんな心配はないと言っていました」

 弾丸や砲弾はないと戦えないのだから、その生産ラインを簡略化して大量生産するのが常識だったのだ。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
「あ、あれ?」

 東条は歩兵畑、鈴木は軍政畑(政治寄り)で、兵器供給体系などには詳しくなかった。
 というより、陸軍は伝統的にこの分野が弱い。
 兵器を司る陸軍工科学校卒の、いわゆる陸軍技術仕官が陸軍内で出世した試しがなかった。
 だから、佐藤に指摘された内容が目新しかったのである。

「・・・・私は整備局長と話す」
「それがよろしいかと」

 統制派が思い描くのは欧米と戦える軍隊である。

「あの、私は・・・・・・・・」
「貴様は私について来い。先程の話を整備局長にしろ」
「はっ、了解であります!」

 後ろに佐藤を従え、陸軍省内を歩く東条は次のことも考えていた。

(海軍の航空本部長にも話を通さなくては)

 東条は陸軍航空本部長でもある。
 航空兵器についての責任者であり、この立場で海軍航空本部長に話があった。
 今の海軍航空本部長は山本五十六海軍中将に代わったばかりである。

(あの博打打に会うのは気が引けるが、止むを得ん)

 東条と山本の会談が開かれたのは、それから3日後だった。






海軍side

「―――いきなりの話でビックリしたわ」

 1938年5月5日、横須賀にあるとある料亭で、嘉斗は海軍航空本部長・山本五十六と会っていた。
 山本の隣には航空本部教育部長・大西瀧次郎海軍大佐がいる。

「こちらもその知らせを受けて驚きですよ」

 嘉斗は小さくおちょこに口をつけ、それを見て目の前の二人が酒を飲む。
 山本はタメ口だが、嘉斗のこの場での立場は皇族だった。
 何せ隣に亀がいるのだから。

「で、東条中将はなんと?」
「陸海の装備品見直しと共通化だそうだ」
「へぇ・・・・。国家総力戦法を受けてですかね」
「だろうな」

 この法案はもう間もなく国会を通過する。
 その法案が通る前に動き出すとは、切れ者の東条らしい。

「話の中に出てきたのは、九七式7.7mm固定機銃とあちらの八九式固定機銃についてだった」

 両者とも7.7mm口径で、オリジナルはイギリスのヴィッカース社が開発した機関銃である。
 主に航空機搭載の機銃で、海軍は九六艦戦、陸軍は九七式戦が搭載していた。
 共に日本軍を代表する機銃と言ってよい。

「それが?」
「実はな。別々に採用したため、使用する実包が異なり、九七機銃の弾丸は八九機銃では使えないのだ」
「は?」

 嘉斗は間抜けな声を出してしまった。

「オリジナルが同じなのにですか?」

 海軍はヴィッカース社と同じ.303ブリティッシュ弾を使用している。だが、陸軍は八九式旋回機銃との互換性も考えて八九式普通実包を使用していた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そういうことですか・・・・」
「生産ラインを統一した方が生産効率が上がり、戦場での融通も聞くと東条は言っていたよ」
「へぇ、それは―――」
「まともな意見」

 無言で黙々と食べていた亀が発言する。

「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 画期的な意見だと思っていた三人の軍人が沈黙した。
 用兵や性能ばかり気にし、調達にまで頭が回らないのは海軍も一緒である。
 亀は性能など分からないが、どんなにすごい兵器でも数がなければどうしようもないことを知っている。
 亀が学んだ世界では、兵器ではなく、金だったが。

「そ、それで東条中将の要求は?」

 己が海にいる間に妻がくぐり抜けた修羅場を想像した嘉斗は、その想像を振り払いながら山本に聞いた。
 どちらにしろ、武器も使わずに屍の山を築いたのだろう(注:本当の死体ではない)。

「その他の陸軍兵器の互換性も考えて、海軍の機銃を改良するのが妥当だと言っていたよ」

 陸軍の八九式機銃は陸上兵器としても利用されており、年次を見ても古いことから広く普及していた。

「その改良費も一部は陸軍で持つ、とさ」
「それはなかなか太っ腹ですね」

 ただ九七式だけでなく、九二式旋回機銃も改良しなければならない。

「ちょっと難しいですね」
「いや、受けたよ」
「え!?」

 山本の言葉に嘉斗は目を剥いた。

「代わりの提案を向こうさんが受けてくれたからね」

 山本が茶目っ気を見せてウインクをしてみせるが、嘉斗は無反応を貫く。

「・・・・うぉっほん。九七式機銃は威力不足だ」

 優秀な機銃だが、小口径のためにどうしても威力が足りない。
 アメリカ軍は重防御の爆撃機を開発中であり、これを撃破するためには機関銃の大口径化が必要だと考えていた。
 これを東条に言ったところ、東条も同意見とのこと。
 華北・華南戦闘で九七式戦の攻撃力不足を感じたという。

「そこで陸海共同でさらにひとつ上の口径の機銃を開発しようというのだ」

 その開発費を陸軍が出す。
 これはアメリカのブローニングAN/M2重機関銃がオリジナルに選ばれ、1940年初頭に試験終了。
 結果良好ということで一式12.7mm機銃として陸海で共同採用された。
 以後、日本軍は"零式艦上戦闘機"、一式戦闘機から本格採用して実戦投入する。

「本部長は同じ考えでエリコン社の20mmも導入しようとしています」

 大西が発言し、山本が大きく頷く。
 12.7mmに20mm。

「九六艦戦の後継機はとてつもない火力を持った戦闘機、ということですか」
「いいこといいこと」

 亀も頷く。

「とにかく、今のところ陸軍の主流である統制派の首魁が歩み寄ってくれたおかげでいい兵器開発ができそうだ」

 山本がニヤリと笑い、亀を見た。

「国家総動員法、なかなか良い法案ですな」
「そうやね」

 影の生みの親である亀は、そっぽ向くことで山本から表情を隠す。しかし、嘉斗はその顔が「してやったり」と笑っていることを確信していた。






 国家総動員法から生起した東条・山本会談の影響は大きかった。
 両者は側近とも言える佐官級の打ち合わせを通じ、多くの二重開発・生産を抑制する。
 また、技術提供と言う形で多くの無駄をなくした。
 元々少ない国力を二分する意味などない。
 ただ、「陸軍」と「海軍」の垣根が高かっただけだ。

 陸軍は航空機輸送船として建造している通称"陸軍空母"・あきつ丸型特殊船に、海軍の造船技術を取り入れる。
 結果、船内の無駄をなくし、搭載力と航空機整備性が上昇した。
 また、海軍が開発していた20mm航空機関砲(後の九九式20mm機関砲)を導入、共同生産することも決定している。
 さらに、小火器問題の解決にも動いた。
 九九式短小銃、九九式軽機関銃、九七式重機関銃、一式重機関銃で使用可能な九九式実包を開発する。
 これで主力機関銃の実包は口径7.9mm、全長80.0mm、全重量25.5g、薬莢長58.0mm、装薬量2.8g、薬莢形状はボトルネックのリムレス(無起縁型)に統一された。
 さらにこの兵器の更新を早めるために、相模、"札幌"、"台湾(台北)"、朝鮮(仁川)、満州(南満)に造兵廠を開設する。
 東京2カ所、名古屋、大阪、小倉と倍増した造兵廠生産能力をフル活用し出した。

 海軍は大発の本格調達と機銃など共用できる兵器の共通化および共同開発を実施し、主に航空機開発で無駄な資金を使わずに済む。
 主な例で言えば、九三式13.2mm機銃の代わりに陸軍が開発していた12.7mm機銃(後の一式12.7mm固定式機銃)を導入した。
 弾薬の違いはあったが、陸海共用による大量生産で早期更新に成功する。
 これらの成果は1940年よりじわじわと表れてくるのだった。









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