第二戦「翻弄されしも輝ける群雄」/ 二



「―――では父上、決意は変わられないのですね?」

 日向国飫肥城。
 龍鷹侯国が領有する南日向において、唯一の貞流派である寺島家の本城である。
 飫肥城には各集落から集められた足軽の他、士分の者たちが集結している。
 その兵力は寺島家の総兵力であり、迫る討伐軍に備えていた。

「変わらん。秋賢は儂の娘婿。その決意に答えてこそ舅という者だ」

 寺島春国の娘――鞠姫は貞流方の有力部将――有坂秋賢の正室である。
 その縁もあり、早くから貞流方に付くことを決めていた春国は宮崎港代官――御武昌盛の使者を城門で追い払っていた。

「だが、春久、お前は違う」
「・・・・え?」

 揺るがない決意を見せられ、戦いを覚悟した寺島春久はぽけっとした返事をする。

「寺島春国は有坂秋賢の舅である。しかし、春久はその意地には関係ない」
「な、何を言われるのですか!? 父上が舅ならば、私は義弟だっ」

 春久は穏やかで儚げな姉が大好きだった。
 その姉を大切にしてくれている秋賢も今では好いている。
 確かに秋賢は姉と比べれば年が離れてはいた。だが、それでも変わらぬ愛情を注いでいた秋賢の人となりは知っているし、彼が困っているならば力になりたかった。

「いや、お前は寺島家の跡取りだ。当主が私情に走った以上、お前は家を保つために公の感情でなくてはならない」
「・・・・ッ」

 家を絶やさぬこと。
 それが当主となる者たちに綿密と紡がれる使命である。

「だから、春久以下、次代を担う者は飫肥城に置き留める。二〇〇で万一の別働隊に備えよ」

 寺島家は一万八〇〇〇石であり、その総兵力は九〇〇。
 宮崎に放っていた忍びの者からの報告は途絶えたが、物見の兵が見てきた兵力は七〇〇らしい。
 そうなれば野戦にて激突する兵力は同数だった。

「敵は武藤家。防衛戦ならば鉄砲は最大の利点だろうが、攻撃ではどうかな?」

 春国はそう呟くと立ち上がる。
 討伐軍を領国深くに侵入させてから殲滅する計画なのだ。
 敵中に孤立しているからとはいえ、負けるつもりはない。
 飫肥城と言えば日向の最南端であり、元々孤立しやすい地勢なのだ。
 今更周囲全てが敵と言われても驚きはしない。

「討伐軍を押し返し、日向に寺島ありと言わしめてくれるわッ」

 ただ一度しか使えない総力戦。
 まさに国運をかけた一世一代の勝負に寺島春国は出陣した。




「なるほど・・・・」

 討伐軍総大将――武藤統教は物見の報告を聞いて軽く頷いた。
 討伐軍七〇〇の内、円居としての完成度が最も高いのは先鋒を務める吉井直之である。
 白兵戦においても最強であろうこの軍勢は元・貞流勢だった。
 藤丸勢の主力軍――鳴海勢と戦い、多くの損害を被ったが、その後に精鋭中の精鋭である長井勢と互角の戦いを展開した猛者である。

「吉井殿、寺島勢はやる気らしいです」
「だろうな。寺島殿の娘婿は有坂秋賢だ。また、日向の国人衆は我が強い。孤立しようとも自分の考えは変えん」
「飫肥城を出撃した寺島勢は約七〇〇。こちらと同数ですね」
「しかも、結束している分、質が悪い」
「そうですね・・・・」

 存亡の危機に瀕している寺島家に対して、討伐軍は烏合の衆とも言える。

「やはり、この戦法しかないですね」

 そう呟き、統教は空を見上げた。






飫肥城攻防戦scene

「―――考えましたね・・・・」

 五月二一日、討伐軍は日向国南那珂郡に侵攻した。
 南那珂郡は寺島家が領する場所であり、熾烈な抵抗が予想されていた。しかし、その予想に反し、飫肥城に至るためのふたつの川――広渡川と酒谷川の内、広渡川を渡りきったところで物見が酒谷川西岸に布陣する軍勢に気が付いた。
 その数は七〇〇であり、飫肥城から出撃した総兵力と言える。
 言わば、寺島家は地の利を生かした不正規戦ではなく、真正面からの正攻法を選択したのだ。

「武藤家は守りの戦を得意とする。だから、攻めの戦は不得手、と・・・・」
「それだけではないでしょうな」

 副将が統教の独り言に反応した。

「ええ。このふたつの川というのを見事に利用されました」

 広渡川を渡河した討伐軍の主力は川の東岸に一部隊を残したまま目の前の酒谷川を渡ろうとしていた。
 これは酒谷川西岸に敵軍が布陣しており、広渡川を渡った瞬間に広渡川東岸に敵軍が現れた場合、敵中に孤立する可能性を少しでも潰すためだった。
 だから、この場には討伐軍六〇〇しかいない。

「飫肥城にいるはずの寺島春久は?」

 寺島春国には将来を期待される嫡男がおり、彼は未だに飫肥城に留まっているのだ。

「出撃したという報告はありませんが、そもそも飫肥城を見張っている者のほとんどが主力に目を向けていたため、その情報が正しいかどうか分かりません」

 つまり、寺島春久が北回りに迂回し、広渡川東岸に現れる可能性が無視できないと言うことだ。

「ならば、この六〇〇で突破するしかありませんね」

 統教は使番を各円居に送り、突撃陣形である魚鱗の陣を組むことを命じた。だが、その鋒に布陣した者たちは武藤勢と傭兵たちの混成部隊であった。
 普通ならば、隊列の一番前を歩いていた吉井勢であるが、彼らは第二陣に甘んじている。

「ふむ、代替わりしたことで自分の存在を示そうというのか?」

 対岸でその陣替えを見ていた春国が呟いた。
 彼が率いる軍勢は川を渡ろうとする敵勢に矢玉を撃ち掛け、半途に乗ずる王道とも言える迎撃戦を展開する気だ。
 この半途撃つは川が持つ天然の防御力を利用しており、これを無視するには船を持ってくるしかない。だが、ここは寺島家の領土であり、侵攻軍である討伐軍がそんな用意をしているわけがないのだ。

「この戦、もらった・・・・」

 討伐軍が山を越えてくれば、山岳戦に持ち込んだが、彼らは海沿いを進軍して南側から押し寄せてきた。
 それならば堂々と野戦で決着をつける。
 春国の脳裏には龍鷹軍団の野戦主力部隊に所属する娘婿の勇姿が浮かんでいた。

「撃てッ」

 寺島勢の最前線指揮官の腕が振られ、鉄砲足軽たちは同時に引き金を引く。
 ズシリと来る反動に耐え、自分が撃ち放った弾丸の行方を見遣った。
 照りつける太陽が鋼を纏う兵たちを焼く。
 合戦の火蓋が切られたのは二一日の正午だった。

「押し渡れッ」

 討伐軍の先鋒が一斉に川を渡り始めたのだ。
 その最前線向けて放たれた弾丸の多くは、展開された竹束によって弾き飛ばされる。しかし、川の水は火を使う鉄砲にとって鬼門でもあり、普通ならば渡河軍は対岸で援護射撃をする。

「今の内に敵を打ち砕けッ」

 だからこそ、寺島勢は対岸からの鉄砲が届かない距離に布陣し、押し渡る軍勢のみに集中して撃ちまくったのだ。
 武藤鉄砲隊とまともに撃ち合えば、物の数分で壊滅的打撃を受けることは分かっている。
 それを避けるには鉄砲戦を避ければいい。
 そんな誰でも思いつくが難しい状況に寺島勢は地の利を生かして持ち込んでいた。

「・・・・さすが、半途撃つは敵の十八番。よく心得ている」

 討伐軍最前線では横に広い竹束が広げられ、水面下に竹が沈んで行軍の妨げにならないように工夫されている。
 竹束は二〇間近くまでは効果的な盾であり、最前線の死傷率を激減させる。だが、足場の悪いところではどうしても隙間が空いてしまう。
 だからこそ、渡河戦は防衛側の有利は決まっているのだ。

「撃てぇっ」

 鉄砲組頭の号令に足軽たちは目当てをつけた場所に弾丸を撃ち込む。
 多くが竹束に弾かれるが、それでもいくつかは隙間に吸い込まれ、その向こうに隠れた敵兵を撃ち抜いていた。
 川の中に侵攻していくごとに下流を流れる水に赤いものが混じり出し、時たま、犠牲者が放り出したものが流れていく。
 名だたる武藤鉄砲隊による反撃は一切ない。
 そんな一方的に見える戦況に寺島勢は酔っていた。

「はははっ。高名な武藤鉄砲隊も加治木城攻防戦で壊滅したと見える。何も恐れることはない、撃ち崩せッ」

 鉄砲物頭が嗤い、麾下の組頭に指示を出す。
 命令を聞いた末端の鉄砲足軽たちが思わず盾から身を乗り出し、目当てを付けた時だった。

『『『・・・・ッ!?』』』

 ぬっと、これまで寺島勢の鉄砲を弾き返していた竹束の隙間から漆黒の銃口が突き出される。そして、照星を通してその光景を目の当たりにして硬直していた寺島鉄砲隊向け、その銃口が咆哮した。
 見る者によっては竹束から直接火が噴いたかのように見える圧倒的な火線が討伐軍最前線から伸び、盾から身を晒していた寺島鉄砲隊を吹き飛ばす。

「ぐふッ」

 慢心に囚われていた鉄砲物頭の胴中にも命中し、胴具足を砕いた鉛玉は体内で砕けた。
 無数の欠片となった焼け玉は内臓を破壊し尽くしてその生命の炎を消し飛ばす。

「な、なんと・・・・っ」

 ほぼ一回の一斉射撃で三〇名以上の兵が薙ぎ倒された。
 その事実に春国は床机から立ち上がる。

「と、との・・・・」

 側に控えた部将も真っ青になっていた。

「伝令ッ、鉄砲物頭、内藤良則殿を始め、組頭などにも被害が出ています。このままでは前線が揺らぎますッ」

 前線からやってきた伝令の言う通り、討伐軍から送り出された一斉射撃に対する応射は驚くほど少ない。
 寺島鉄砲隊は約五〇挺の鉄砲を使っていたが、討伐軍の前線に配備された鉄砲は寺島勢のそれを大きく上回っていたようだ。

「なんという、非常識・・・・」

 武藤勢が見せた鉄砲術は従来の鉄砲戦を覆す代物だった。
 竹束に隠れて侵攻していたのは鉄砲隊に援護されるはずの足軽隊ではなく、先鋒を援護するはずの鉄砲隊だった。そして、どうやったかは分からないが、火縄が濡れるのを防いで、両者の距離が必中距離とも言える二〇間近くまで達した時に撃ち放ったのだ。
 一斉射撃が寺島勢に大きな打撃を与えた原因には寺島鉄砲隊が盾から身を乗り出していたことはもちろん関係する。だが、川底に足をつけ、水流を体に感じながら撃ったのにもかかわらず、驚異的な命中率を発揮した武藤鉄砲隊を褒める以外にこの戦果は立証できない。

「・・・・っ、いかんっ」

 果敢に対戦した寺島鉄砲隊は次の斉射で文字通り、薙ぎ払われた。
 弓組が矢数で必死に応戦しているが、最大の脅威とも言える鉄砲隊が壊滅した以上、後方で待機していた白兵戦部隊が一斉に渡河を始めるはずだ。

―――ドンドンドンッ、ドンドンドンッ

 案の定、討伐軍本陣で寄せ太鼓が鳴り響き、これまで槍を立てて制止していた軍勢が動き出した。

「突撃ぃっ」

 吉井直之自身が先頭に立ち、一気に川を押し渡るべく吉井勢二〇〇が進軍を開始する。
 彼らは先鋒の脇を駆け抜け、寺島勢の左翼方面から斜めに突撃するように動きを見せた。そして、それに対応し、寺島勢の一部が矛先を転じた時、先鋒が酒谷川の西岸を踏む。

「車撃ち、開始ッ」

 水を吸って重くなった具足に耐え、先鋒を任された鉄砲隊は数段に折り敷いた。

「撃てっ」

 一斉射撃と比べると少ないが、それでも数十の弾丸が寺島勢を襲う。そして、勇名を馳せる武藤鉄砲隊はここからが真骨頂だった。

「前へっ」

 先程撃ち放った一列目はその場で装填作業に移り、その正面へと後列が走り込む。

「目当て付け・・・・撃てっ。前へっ」

 鉄砲を撃てば装填作業に移り、次々と後方から射撃位置に着いていく。
 これは鉄砲隊自体が前進しながら射撃を繰り返すものであり、移動力と命中率の両方を選んだ戦法だ。
 そんな鉄砲戦術の横撃を受けた寺島勢に吉井勢は思い切り打ち込んだ。
 長柄と長柄がぶつかり合い、鋼と鋼がぶつかり合う。だが、しっかりと隊列を組んでいた吉井勢と違い、寺島勢は櫛の歯が欠けるかのように隙間があった。
 その隙間向けて繰り出された騎馬武者の突撃に苦戦する。

「斯様なことがあるかッ」

 春国は突きかかってきた騎馬武者を一刀の下に切り捨て、血飛沫が舞う中で叫んだ。
 戦っている兵は寺島勢の方が多い。
 討伐軍は吉井勢を中心に猛攻を仕掛けてくるが、それを吸収して余りある兵力があったはずだ。

(それもこれも・・・・武藤の鉄砲か・・・・)

 兵たちの中には武藤鉄砲隊の恐怖が植え付けられている。
 いつ狙撃されるのか、という恐怖でビクついている兵たちに白兵戦部隊は容赦なく穂先を繰り出しているのだ。
 さすがに士分は必死に戦っているが、それ故に兵との気持ちの違いが出てきている。
 このままではマズい、と思った時、討伐軍が次の行動を取った。
 白兵戦に突入したことで射撃を控えていた武藤鉄砲隊が動き出したのだ。
 盾を持っていた兵や本陣を固めていた兵たちが自分たちの得物を持って寄せて来る。
 その光景を見た春国は電流を浴びたかのように硬直した。

「しまった・・・・奴ら、手明ではないッ。傭兵かッ」

 武藤勢は加治木城攻防戦で壊滅した。
 そんな中で生き残った兵を手明などにして封印するはずがない。
 全てを鉄砲兵にし、宮崎で雇った兵を手明にする。そして、いざ白兵戦になると彼らに得物を持たせて突撃させるのだ。

「山梨隊を差し向けよッ。なんとしても支えるのだッ」

 春国の命令を受け、吉井勢と戦っていた山梨隊は旋回する。そして、その隙間に打ち込もうとした吉井勢を春国の旗本が抑え込んだ。

(なんとしてでも退かねば・・・・)

 この様子ではいつ崩れてもおかしくはない。
 この野戦は勝機なしと見て、飫肥城に退却しなければならなかった。

「寺島春国はあそこぞっ、首を上げろッ」
「馬鹿め、貴様らにやる首はないッ」

 一斉に群がってきた足軽を吹き飛ばし、駆けてきた騎馬武者を数合の末に打ち据える。
 味方が討たれ、また討っていく視界の中で、徐々に包囲の幅が狭まっていることを知った。

(所詮、中央で戦慣れした部将に・・・・田舎部将は勝てぬか・・・・)

 思わず肩を落とした春国の耳にこちら向けて駆けてくる馬蹄の音が聞こえる。
 顔を向けてみれば、汗みずくになった顔面に焦りの色を浮かべた使番が走ってきた。

「殿っ、大変ですっ」

 その声に顔を向け、いち早く急を知ろうと辺りを見渡した春国だが、寺島勢本陣はちょうど討伐軍に挟まれる態勢にあったために周囲は全て戦場で見えない。

「油津に敵輸送船団が上陸。数百規模の陸軍が飫肥城向けて進軍しています」
「なっ!?」

 盲点だった。
 確かに海軍は藤丸派ではあるが、陸戦部隊は全て指宿に集中している。
 まさか、輸送艦に陸軍を乗せて運んでくるとは、考慮の外だった。

「殿ッ」
「―――っ!?」

 反射神経を以て伸びてきた穂先を回避する。そして、体勢を立て直した時には馬廻りたちが敵を突き倒していた。

「とりあえず、この状況から脱することだ」

 態勢さえ立て直してしまえば、まだまだどうにかなる。
 春国は使番を送り、逆に乗り込みをかけて吉井勢を押し返した。
 やはり、えびの高原の戦いで少なからぬ傷を負っている吉井勢は押し返されると弱く、彼らも再編に入る。

「今だ」

 春国は何とか生き残っていた鉄砲隊に射撃を命じ、一斉に陣を後退させた。

「殿、後退させすぎると武藤鉄砲隊が・・・・」
「分かってる。だから・・・・ッ」

 いち早く後退した春国が馬腹を蹴る。
 慌ててついてきた馬廻衆三〇騎を率い、春国は討伐軍本陣へと突撃をかけた。
 その突撃は再編で忙しい寺島勢、武藤勢先鋒に隠れて寸前まで武藤勢に察知されない。
 ひとつの戦場で起きた奇跡に近い奇襲。

「本陣を崩すッ」

 遅まきながら気付いた旗本の指揮官が本陣前に布陣した長柄組に隊列を変えることを命じた。だが、それは遅い。
 長柄組は正面からの攻撃には強いが、武器が長すぎる以上、持ち回しに苦労する。
 その結果、横合いからの攻撃に対応するだけの時間が長いのだ。

「どけぇっ」

 春国が持つ槍に霊力が集中し、次の瞬間には長柄組を吹き飛ばす塊が放たれていた。
 たった一撃でぽっかりと堅陣に穴が開き、慌てて隙間を埋めに来た徒歩武者は主将に続けとばかりに霊術攻撃を開始した馬廻衆によって跳ね飛ばされる。
 本陣を守るはずの長柄隊は一瞬で崩れ立ち、武藤勢の馬廻衆が―――

「いないっ!?」

 それもそのはず。
 武藤勢の士分たちはそのほとんどが前線で戦っていたのだから。

「はっは、ならば好都合ッ。武藤統教、覚悟ぉっ」

 その声に床机に座っていた若武者が立ち上がった。
 鯰尾蜻蛉前立兜に黒漆塗二枚胴具足という出で立ちの彼はその手に鉄砲を握っている。

「―――っ!?」

 その姿を認識した瞬間、鞍から体が吹き飛んでいた。

(お・・・・っ)

 宙を舞う自分が妙にゆっくり感じる中、統教が持っている鉄砲の銃口からうっすらと硝煙が立ち上っていることに気付く。

(春久・・・・寺島を頼んだぞ・・・・)

 春国の御霊は体が大地に叩きつけられた反動で黄泉へと旅立った。




「―――西方に布陣した兵力は全軍で八〇〇といったところです。・・・・昼間の負傷兵は後方に下げたとして、それでも二、三〇〇の兵を海上輸送したということですね・・・・」

 副将の言葉に春久はゆっくり頷いた。

「中華帝国との戦いでも海軍は奄美諸島に一〇〇〇を超える陸軍を一斉輸送してる。前例がないわけではないさ」

 松明に照らされた春久の顔に涙はない。だが、昼間の戦いは父――春国を始め、多くの部将が討ち死にした。
 城に引き上げてきた兵力も二〇〇ほどで、実に七割を損耗したことになる。
 それでも城兵四〇〇、攻城兵八〇〇ならば、何とか戦えるはずだ。

(いや、無理か・・・・)

 飫肥城は鉄砲伝来以後に発達した対鉄砲用の城郭ではなく、昔ながらの建築方法で建てられた城である。
 それでも従来の兵種割合の戦力ならば持ち堪えた可能性がある堅城だ。だが、今回は相手が悪い。
 武藤勢と言えばその戦力の六割近くが鉄砲兵という龍鷹軍団最大の火力軍団だ。
 鉄砲を前面に押し出して攻め寄せられた場合、瞬く間に死傷者が続出して籠城どころではなくなるだろう。

(藤丸様はそこまで考えて武藤勢を主力としたのだろうか・・・・)

 合戦の長期化は全体の戦略を歪ませる。
 ならば、最も短期戦に向いている武藤勢を差し向ける。
 なるほど、幼少ながらも戦略家として歩んでいる藤丸らしい配置だ。

「ん・・・・?」

 討伐軍の陣所から松明を持った兵たちと傘を回している兵が歩いてくる。
 傘は停戦の合図であり、双方が充分な戦力を有している以上、これは降伏ではなく、軍使だろう。

「降伏勧告、か・・・・?」
「・・・・お会いになられますか?」
「会う。手配してくれ」
「御意」

 ほどなくして、軍使ひとりとその付き人数人が本丸に通された。

「寺島春久だ」

 小姓を連れて上座に座した春久は胸を反らす。
 この場所に座ったのは今日が初めてであるが、それを感じさせぬ威厳を放っていた。
 それに対し、両手をついて頭を垂れていた若武者が顔を上げるなり、名乗りを上げる。

「武藤統教です」
「何!?」

 その名に最も敏感に反応したのは昼間の戦いに参加し、敗残兵をとりまとめて入城した副将だった。

「きっさま、ここがどこか分かっていないらしいなッ」
「山梨ッ」
「・・・・ッ」

 太刀に手をかけた山梨を一喝し、春久は大きく息をつく。

「落ち着け。傘を回してきた者を城内で討ったとあれば寺島家の威信は地に落ちる」
「・・・・申し訳ありません」

 顔を真っ赤にし、再び胡座をかいて座った山梨に春久は感謝した。
 父の戦死を受け、正式に家督を継いだとはいえ、まだまだ若輩者の自分に従ってくれているからだ。
 家臣たちの中にはあの敗戦の後、飫肥城に戻らずに行方を眩ませた者も多い。

「用件は?」
「主だった者の首をお返しに」
「―――っ!?」

 端的に言われた言葉にやはり寺島家の者たちは憤りを感じた。だがしかし、春久は統教のやり方に好感を抱く。
 討ち取った首を返却することは礼儀のひとつであるが、合戦が儀礼から本当の死に物狂いのものに変わって以来、無視されがちな風習なのだ。
 おそらく、加治木城攻防戦で討ち取られた武者たちの首は捨てられたに違いない。

「寺島春国殿はまことの武士ですね。あのような父君を持たれ、羨ましい限りです」

 敵を褒める。
 これも心ゆくまで戦った者たち同士が抱く感情だろう。

「いえ、統教殿こそ見事。ただ、野戦で勝ったとはいえ、この飫肥城を簡単に落とせるとは思わないことですね」

 ニヤリと言い放った言葉に居並んだ部将たちは溜飲を下げたようだ。

「確かに。飫肥城は南日向の拠点。容易に落とせるとは思っていません」

 統教は居住まいを正し、懐に手を入れた。

「これを」
「・・・・これは?」

 取り出されたのは一枚の書状。
 表には龍鷹侯国の紋章であり、鷹郷家の家紋である【纏龍】が描かれている。

「藤丸様からの書状です。寺島家を代表する者と出会えば渡せと、出陣前に仰せつかりました」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 春久は首を傾げながら書状を広げ、読み始めた。

「・・・・兵を出さねば・・・・本領安堵、だとぉ!?」

 ざわりと今度は殺気を含まない、純粋な驚きが大広間に広がる。

「ふざけるなッ。これは中立の強要じゃないかッ。どちらが勝とうとも寺島家は軽く見られるッ。所詮辺境の大名は必要ないというのかッ」

 書状を叩きつけ、燃えるような視線を統教に叩きつけた。
 視線は統教に向いているが、怒りは宮崎港にいるであろう鷹郷藤丸に向いている。

「私には藤丸様は寺島家の立場を考慮したと思われますが? それとも、貞流様のように一族郎党根切りをお望みですか?」
「・・・・ッ」

 春久も聞いている。
 藤丸方に付いた長井衛勝の居城――蒲生城は城下の者たちがことごとく撫で斬りにあったと。
 幸いというか、士分たち家族は共に移動していたので被害はない。しかし、蒲生の地には貞流と、見捨てたとも言える衛勝への怨みが蓄積されていた。

「藤丸様は来たる貞流勢本格侵攻に対し、二正面作戦を恐れています。この飫肥城攻めはそのためのもの。ならば、飫肥城が大人しくしているというならば事を荒立てる気がないのでしょう」

 統教は敵中にありながら涼やかな顔で挑発的な言葉を放つ。

「最も、降伏せずに抵抗するというならば、容赦なく叩き潰させていただきますが」
『『『・・・・ッ!?』』』

 今度こそ、春久すらも憤り、全員が立ち上がった。しかし、開かれた口が叫びを上げる前に、恐慌にも似た声色で大広間外から叫びが上がる。

「〜〜〜、何だっ」

 出鼻を挫かれた春久はとりあえず、報告を要求した。

「失礼しますッ」

 障子を開けて立っていたのは城の防備を担当していた部将だ。

「油津にさらなる船団を確認。遠物見の結果、指宿港に停泊中の海軍第一艦隊とその艦隊に守られた輸送艦隊と認めましたッ」
「なん・・・・だ、と・・・・?」

 さらなる援軍が意味することは討伐軍に飫肥城を力攻めしても落とせるだけの兵力が揃ったと言うことだ。

「有坂秋賢への義理、充分に果たせたでしょう? 当主が討ち死にするほどの奮戦を見せたのならば、寺島家は褒められはすれ、蔑まれることはないです」

 静かに紡がれる言葉に寺島家の部将たちは悔しそうに拳を握り締めた。

「降伏して武装解除して下さい。それさえ確認すれば、我々は海軍の輸送艦で宮崎に帰ります」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 宣言された決定的な言葉に、春久は思わず周囲を見渡す。すると、主立った者たちは顔を上げ、小さく頷いただけだった。

(任す、か・・・・)

 緊張に唇が強張る中、春久の脳裏に父の言葉が浮かび上がる。

『寺島春国は有坂秋賢の舅である。しかし、春久はその意地には関係ない』

 有坂家の姻族としての責務は春国が果たし、そのまま黄泉へと持ち去った。だから、今の春久が率いる寺島家は有坂家など関係のない武家となっている。

(正直に貞流様と藤丸様を天秤に掛ければ・・・・)

 分からない。
 強大な戦闘力を有する貞流。
 それに戦略で対抗する藤丸。
 どちらが勝つか本当に分からない。

(ならば・・・・どちらについた方が気持ちいい?)

 最後まで有坂家の姻族として筋を通す。
 降伏して一切の口出しをしない。

「どうします?」

 催促の問いに春久は顔を上げ、この内乱で兄たちを失っている若武者を見遣った。
 彼の意志は何となく分かる。
 無残にも敗北し、壊滅状態になった武藤家の再興こそが彼の悲願なのだろう。
 だからこそ、昼間の戦いでは吉井勢を差し置いて先鋒を自分の部隊にした。

(そうか・・・・)

 貞流と藤丸、どちらかを天秤に掛けるのではない。
 自分の目指す寺島家がどちらに付けば実現できるかを考えればいいのだ。

「分かりました、降伏します」

 居住まいを正し、春久はそう口にした。
 その決断に何人もの部将たちが悔しそうに俯く。だが、彼らを視界に収めた後、統教に視線を注いだ春久は自分の考えを口にした。

「ただし、兵は出します。・・・・藤丸方として」
『『『な!?』』
「出せる兵は一〇〇〜二〇〇でしょうが、それでも今の藤丸勢には貴重な戦力になると思いますよ?」

 春久が選んだ道。
 それは辺境大名だからといって、中央に舐められたくない。
 そうならば、中央の戦に関わればいい。
 関わるには藤丸方として参戦する以外になかったのだ。

「・・・・それでいいでしょう。歓迎しますよ」

 全権を任されていた統教は笑顔で春久の案を採用した。



 えびの高原の戦い以後、両軍が起こした軍事行動の結果、貞流は薩摩を、藤丸は日向を完全に平定する。そして、完全に自分の地盤を固めた両者が次に視線を向けたのは地勢的に龍鷹侯国の中心である大隅国だ。
 貞流は枕崎討伐軍を鹿児島に集結させ、次の軍事行動の準備をしている。
 藤丸は飫肥討伐軍の主力を海軍の輸送艦隊で宮崎に帰還させ、軍備の充実に力を注いでいた。
 戦雲はまだまだ龍鷹侯国上空に留まったままだった。