短編「異名」


 

 異名。
 二つ名とも呼ばれる、本名とは違う名前。
 その多くはその人物を評価して名付けられる。
 つまり、異名=個々人ではなく、異名=その者の特徴を表すのだ。

 穂村直政、いや、御門直政は、後に烽旗山の戦いと称される、<祗祇>の侯爵・神忌撃破戦の後、ひとつの異名をもらった。

 赤鬼。

 さて、いったいどういう由来なのだろうか。






『―――過去に赤鬼の名前で呼ばれた御門宗主はいません』

 8月に入って夏本番どころか、『夏』の定義を置き換えかねない酷暑が続いていた。
 穂村直政は自宅の縁側に座って涼んでいる。
 純日本建築の穂村家は風の通りを意識した作りで、影になる場所では比較的涼しかった。
 尤もそれは先程庭に打ち水をしたからかもしれない。

「代々宗主に与えられる名前ってわけじゃないのか・・・・」
『そうですね。まあ、"鎮魂の巫女"は代々優れた女森術師に与えられる名前だそうですが』

 当代の襲名者は凛藤心優である。

「ってことはやっぱり、アレの影響か・・・・」
『ですね~』
【なんだ、貴様ら。文句あるのか?】

 直政と刹の視線の先。
 居間に飾られた甲冑が言葉を発した。
 その姿は越中頭形金箔押天衝脇立兜(エッチュウズナリキンパクオシテンツキワキタテカブト)に朱漆塗桶側胴具足(シュウルシヌリオケガワドウグソク)だ。
 これは徳川四天王のひとり、井伊直政の甲冑デザインとして伝わっているものだ。
 井伊直政は自身だけでなく、率いる軍兵の装備を赤で統一した。
 このため、"井伊の赤鬼"と呼ばれている。

「異名ってもっとかっこいい由来が良かった・・・・」
『全くですね』
【貴様ら・・・・】

 もし甲冑――守護神の頬面が動けば、口元が引きつっていたことだろう。

「一度だけ着けた甲冑が異名の由来とか、そんなコスプレみたいな」
『まごうことなくコスプレでしたがね』
「うっさいわ!」

 刹を引っつかんで庭へと投げた。
 日差しに焼けた石に着地し、その表面の熱さにピョンピョン跳びはねている。

「何が不満?」

 そこに冷たいお茶を持った穂村亜璃斗がやってきた。
 タンクトップに七分丈のパンツと、ずいぶん涼しそうな格好である。

「いや、異名がさ」
「"赤鬼"。字面だけだとすごい強そうだけど?」
「字面だけとか言ったし!?」

 やはり由来まで知っていると、いまいちと感じるのだろうか。

「井伊直政、すごい人だと思うけど」
「それに関しちゃあ、否定はしない」

 代々徳川氏――松平氏に仕えてきた三河武士ではない。
 幼少の家康を支えてきた老臣でも同じ苦労を分かち合った同年代でもない。
 それでも徳川軍の先鋒として、自分と同じ被支配地域の部将たちのまとめ役として活躍。
 ついには対豊臣家の最前線――彦根城を任されるまでになった。
 本人自身は対豊臣の決戦となった大坂の陣前に亡くなっている。
 また、息子たちが真田幸村を前に惨敗したのも別の話である。

(負けた時、あの甲冑だったはずだけど)

「兄さんはどんな名前がよかった?」

 直政の隣にお茶の入ったグラスを置き、自分自身もその向こうに腰を下ろす。そして、一口お茶を飲むと、亜璃斗はこう切り出してきた。

「具体的なのはないけど、聞いた瞬間敵が逃げ出すみたいな?」
「イージス、とか?」
「カタカナでかっこいいけど、それ『盾』ってことだからな?」
「間違っていない」
「ひどい・・・・」

 断定されたことにショックを受け、直政は項垂れる。
 そんな膝の上に、庭から戻ってきた刹が着地した。

『まあまあ、御館様』
「ん?」
『御館様は盾ではありませんよ』
「そうか、そうだよな!」

 まさかの刹に励まされ、直政は再浮上する。

『よく思い出してください、これまでの戦いを』
「うむうむ」

 山中に隠された研究所での戦い。
 煌燎城でのSMOとの戦い。
 上田での悲劇。
 統世学園で熾条一哉との戦い。

「あれ? 意外と俺の戦歴、少なくないか?」

 他に暴走した神馬を追いかけたとか、遠い異国の島での亡霊騒ぎとか、他にもあった気がする。
 しかし、その出来事の中で、直政が活躍した記憶がない。

『そんな些細なことはどうでも良いのです』
「いや、割と重要・・・・」
『どうでもいいのです!』
「お、おう」

 膝から胸にまでよじ登り、至近距離から念を押された。
 シマリスに詰め寄られ、たじたじになる少年の図。

「端から見ると、ホントおかしいよね、兄さん」
「黙らっしゃい」

 妹――義理――からの指摘に文句を返し、視線を刹に戻す。

『そんな。御館様とイケない関係だなんて・・・・・・・・ポッ』
「・・・・ッ」

 もだえる仕草に頬が引きつり、直政は右手で刹を鷲掴みにした。

『お、おお!?』
「こいつは・・・・ッ」

 大きく振りかぶって、穂村家と唯宮家を隔てる壁に狙いを定める。

『ちょっとストップです! 御館様、話を戻しましょう!』

 テシテシと短い前足としっぽで必死に直政をなだめる刹。
 さすがに剛速球で壁に叩きつけられるのは避けたいのだろう。

「なんだよ、話の続きって」
『御館様が「盾」ではないことです!』
「・・・・ああ、そうだ、それだ!」
『ふぅ、危ない危ない』

 解放された刹が前足で器用に額を拭い、再び直政を見上げた。

『これまでの戦いで、御館様は盾として戦っていませんよ』
「ほう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?」
『研究所では任された戦いで不覚を取って猛毒に倒れ―――』

 神馬では得意の探知術も空振り。
 煌燎城の戦いでも結局敵部隊を止められていない。
 サイパン島では戦闘を感知せず。
 上田でも何もできずに命をひとつ散らした。
 烽旗山でもかっこいいこと言って心優の奪還に失敗。

『ほら、その実、御館様は何もなしていないのです!』
「ぬおおおおおおおッ!?!?!?!?」
『そんな人物が"イージス"とかうぬぼれてんじゃねえってもんですよ!』
「ぐわああああああッ!?!?!?!?」
『所詮、大一番で着てきた一張羅が評価される程度ですね!』
「だらっしゃあああッ!?!?!?!?」
『へぶッ!?』

 立ち上がって頭を抱えて悶絶していた直政は、何故か勝ち誇っていた刹を引っつかんで放り投げる。
 結構な勢いで飛んだ刹は先の壁に激突した。
 穴こそ空けなかったが、かなりいい音を鳴らして壁にひっついたままだ。
 数秒後に地面に落下し、動かなくなった。

「そうだよ! 俺何もしてないな!? びっくりだよ!」

 直政でなければ支えきれなかった戦線もあるだろう。
 しかし、直政がいなければ勝利できなかった戦いはない。

「何を今更」
「今日で一番ひどいな、亜璃斗ォ!?」

 先の戦いでの功労者は以下の通り。
 研究所では鹿頭朝霞。
 神馬捜索や煌燎城では渡辺瀞。
 サイパンでは凛藤心優。
 上田は誰もなし。
 統世学園は、認めたくはないが、熾条一哉だろう。

「ぅわビックリ!? なんもしてねえよ、俺」

 何が宗主だ。
 何が二つ名持ちだ。
 何一つ戦果を残していないではないか。

【その様子だと・・・・不憫な現実が見えてくるな】
「何ですか?」

 精神的に悶え苦しむ直政。
 ようやく痛みを知覚できたのかのたうち回る刹。
 それらから視線を甲冑――御門宗家の守護神――に移す亜璃斗。

【御門宗家を迎えるに辺り、ひとりも二つ名持ちがいないのは体裁が悪い】
「まあ・・・・」

 異名があるということは、それだけでステータスだ。

【だから、異名を授けようと思ったのだが、思いつかなかったのではないか?】
「え゙?」

 今度は亜璃斗が顔を引きつらせた。

【だが、やはりバランスを取るために異名は必要。―――だから、】
「最近のトピック、赤備の騎馬武者現る。その姿は井伊直政公を模していることから。おまけに名前も直政。だから―――」
【「"赤鬼"」と名付け、た?】

 「まさかな」という願望を込めた守護神と亜璃斗の言葉が、刃となって直政の精神を刻む。

「ぅ、ぅぅぅ・・・・」

 縁側に四つん這いになりながら、心の涙を流した。
 「異名持ちだぜ!」と喜んでいた直政はもういない。

「異名って誰が決めたと思う?」
『そ、それは当然あの戦いにいた人物でしょう』

 痛みが収まってきたのか、刹が応じた。

『ただ"鎮魂の巫女"と"浄化の巫女"は省けると思います』
「なんで?」
『あのふたりが甲冑を見て井伊直政のものだと気がつかないでしょう』

 それは甲冑について質問した鹿頭朝霞も含まれるだろう。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、ことは?」
『熾条一哉が最も妥当かと』


「―――あんの野郎ッ!!! あの時トドメを刺していれば・・・・ッッッ」


 「やっぱりあいつは嫌いだ」と思い直す直政。




 それを遠くから眺める視線があった。




「―――やん♪ 四つん這いになってなんか悶え苦しむ政くん、かわいいです」

 唯宮心優。
 またの名を凛藤心優。
 直政の異名の元になった戦いで命を落としかけた少女。

「むふん、しかし、素晴らしい仕事です。建設工にはボーナスを上げましょう」

 隣家――穂村邸を覗いていた双眼鏡の接眼レンズから顔を離す。
 この双眼鏡はただの双眼鏡ではない。
 構造は潜水艦の潜望鏡と同じ、反射鏡などを利用して視点の位置を変えるものだ。
 詳しい構造は省くが、心優は部屋にいながらレンズを覗けば、屋敷の外に設置されている視野レンズの窓から穂村邸を見ることができた。
 これはベランダから直接覗いている怪しい姿を見られないためである。
 結局は覗いているのだが。

「いやぁ、何度見てもいいですね!」

 視線を自室の大スクリーンに移す。

「囚われの姫を助けるために突撃する王子様♪」

 映っていたのは烽旗山の戦いだ。

「まあ、乗っているのが白馬ではないし。白い王子と言うより赤い王子ですけど。金色の耳みたいなのが伸びてますし」

 七不思議調査にかこつけ、一哉がスカーフェイスたちを罠にはめるためにしかけた監視カメラ。
 本来なら取り外されていたのだろう。
 だが、烽旗山の戦いで敵の動向を知るには必要なものだったから残置されていた。
 このため、一哉は早い段階で御門宗家の実戦部隊が侵入していたのを知っていたのだ。
 だからか、遠隔操作ができるそれは見事なカメラワークで突撃する直政を捉えている。
 その映像を心優は大枚を叩いて入手した。

「それにしても、政くんは井伊直政がお好みですか、政くんだけに」

 「『直政』ってだけなら、『塙直政』とか『堀直政』もいるんですけどね」と続けながら、スクリーン脇に置いていたひとつの本を手に取る。

 甲冑全集。

 カラー写真が多く、なかなかお高いその本をパラパラめくった。そして、お目当てのページに行き着くと手を止める。

「赤備は赤備でも、政くんはどちらかと言えば山県昌景の方だと思うんですけどね」

 「そう思って全集買って調べたんですけど」と心優は続けた。
 心優は直政が槍の稽古を始め、リスを飼い始めた時から穂村邸に甲冑がやってきたことに気がついていた。
 そっちの趣味があるのかと、調べていたのだ。

「先日、熾条の御曹司に甲冑のこと聞かれましたが、まさかああなるとは思いませんでしたね」

 「ああ、あの"井伊の赤鬼"の甲冑ですか、と答えてしまいました」と続けた心優は、再び直政を双眼鏡で見る。

「まさかそれで"赤鬼"とはね~」

 心優は直政の甲冑姿を想像した。

「ぷっ。確かに敵が怯むかもしれません」

 さすがに心優は穂村邸にマイクを仕込んではいない。
 それでも直政が"赤鬼"という異名を気にしていたのは知っていた。

(きっとかっこよくないとか言っているに違いないです)

「・・・・・・・・でも」

 赤い甲冑、紅い槍を持った武者振り。
 打たれても打たれても立ち上がる気概。
 屹立する土槍を従え、大軍の前に立ちはだかる一個人。

「政くんは、立派な"鬼"だと思いますよ」

 そう言って、笑いながら画面の中の直政を指先で弾いた。









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