巨星墜つ
高松嘉斗side
「―――ガダルカナル島の戦いが片付いたというのに・・・・」 「一向に休まる気配はないな」 1942年4月18日、大日本帝国首都・東京の海軍軍令部第三部所内。 「全く、輸送船を何だと思っているんですか・・・・」 嘉斗は報告書を机の上に放り投げ、目頭を押さえた。 報告書には「ビスマルク海海戦詳報」と書かれている。 「もしかして、あのおっかない嫁さんに何か言われるのか?」 報告書を持ってきた軍令部第一部作戦課航空部員――源田実海軍中佐が言った。 「輸送船のやりくりで民需用を確保しようと躍起ですからね」 「それは・・・・まずいな」 「・・・・はい」 ふたりして沈んだ面持ちに、お茶を持ってきた随員が思わず引く。 「・・・・いかんいかん。すでに済んだ話だ」 「ですね」 ビスマルク海海戦とは、1942年3月2~4日に南方戦線のビスマルク海~ダンピール海峡にて勃発した日本軍輸送部隊と米軍航空部隊との戦闘だ。 ガダルカナル島の戦いの後、日本軍はニューギニア戦線重視を決定。 ソロモン方面から分離し、第十八軍はニューギニアを担当する。 この大規模な戦力配置転換のために同海域での輸送作戦が増加。 これを阻止せんとする米軍との海空戦が激化していた。 その輸送作戦において、この海戦で日本軍は甚大な被害を受ける。 駆逐艦8隻および直衛機に守られた輸送船8隻が、米軍の大規模空襲を受けて駆逐艦4隻、輸送船8隻が撃沈されたのだ。 当然物資は全て海没。 乗船将兵約3,000名が戦死した。 後に「ダンピール海峡の悲劇」と呼ばれる海戦だ。 「僕も教訓を記して提出しましたね」 嘉斗は手元から手帳を取り出して源田に示す。 ラエ輸送船団失敗の原因を思つくままに挙げれば、 一、戦闘機集中の不十分。 二、事前敵飛行場攻撃の不徹底。 三、事前に敵情(偵察、通信判断)に対し輸送計画の変更をしなかったのか。 四、基地航空部隊の陸攻は当日に雷撃訓練をしていたり、ツラギ島へ夜間攻撃をしたりしたが、これらは他の日に実施すべきだった(戦力集中の不徹底)。 五、基地航空部隊の直衛戦闘機兵力区分はあらかじめ十二分の出せる兵力を配備する必要がある。前日になって兵力の逐次投入を実施した。 六、作戦立案時に輸送船半数の被害はあるとしても、輸送船全滅に加えて駆逐艦半数の損失は考えもしなかった。 「原因と言いつつ、六については感想じゃないか?」 源田の指摘を受け、嘉斗は自身のメモに目を落とす。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 「おいこら、無言で斜線入れんな」 六をこの世から消し去った嘉斗は改めてメモを源田に突き出した。 「ったく。・・・・まあ、その通りだな」 「まとめれば、戦力の集中が足りていなかった」と続けた源田は肩をすくめる。 「その点を考慮したのがい号作戦だったってわけだ」 「ならば僕の指摘は採用されたわけですね」 「・・・・・・・・・・・・」 「はいそこ、目をそらさない」 「はぁ~、考慮はしたぞ?」 源田がため息をつきながら言った。 「ため息をついている時点で嫌な予感しかしないのですが?」 「まあ、聞け」 「はい」 い号作戦はポートモレスビーなどのニューギニア方面およびガダルカナルなどのソロモン方面に対する一大航空撃滅作戦だ。 その攻撃戦力としてラバウルを中心とする基地航空部隊と第三艦隊や第二航空機動艦隊が投入された。 基地航空部隊は陸海の戦闘機、爆撃機が約400機。 母艦航空隊は大型空母4隻、中型空母6隻、小型空母3隻分の約800機。 実に1,200機に及ぶ大戦力だ。 ただし、二正面作戦で一方面に展開する戦力は限定的だった。 「作戦内容もいまいちだからな」 「別々の作戦を同時期に多重発動しているだけですしね」 基地航空隊の内、陸軍戦闘機隊は基地防空、海軍戦闘機隊(零戦二二型配備)は敵基地昼間上空制圧、爆撃機隊は夜間爆撃を担当する。 これは滑走路等を破壊し、その修理を阻害するだけで、効果は限定的と予想されていた。 一方、母艦航空隊は夜間行動制限もあるので、より積極的に動いている。 第三艦隊はソロモン海域に展開。 ガダルカナル島周辺の敵輸送船団への攻撃や各島の港湾・基地設備への空爆を実施。 ガダルカナル島撤退後、急速に強化されつつある同海域の米軍にダメージを与えることを目的としている。 また、第二航空機動艦隊はニューギニア方面に展開し、輸送船団の護衛を担当している。 陸軍も一大輸送作戦を展開し、師団以上の部隊、野砲・戦車を含む武器弾薬、数か月分の糧秣を届ける予定だった。 「米軍は出てこなかったな」 「まあ、2月に軽空母1隻が撃沈されていますからね」 日本が掴んでいる米軍の空母は「エンタープライズ」、「エセックス」、「プリンストン」、「ベロー・ウッド」の4隻。 航空機はおおよそ290機だ。 決戦部隊である第三艦隊は空母8隻570機とほぼ倍であり、勝負を挑むなど正気の沙汰ではない。 おまけに軽空母である「プリンストン」、「ベロー・ウッド」はここ2ヶ月の間に就役した新造艦だ。 「二の舞を避けたのでしょう」 完熟訓練を終えていない空母の末路は彼女たちの姉――「インディペンデンス」が物語っている。 先のレンネル島沖海戦では「インディペンデンス」は訓練不足であり、対空機動がややぎこちなかったと報告を受けていた。 尤も対艦攻撃も稚拙で、命中率低下は母艦航空隊の課題となっている。 「ま、こちらもひよっこどもの毛色がまだ黄色いままだからな」 「立派な鶏には程遠いです」 ふたり揃って自軍の惨状にため息をついた。 「まあ、気を取り直して。作戦の成果はいまいちなんですか?」 「い号作戦の目的である安全な輸送は達成したのだがな」 ニューギニアへの補給及び増援は成功。 日本陸軍は師団を含む有力な陸上部隊および迫撃砲などの歩兵支援火力を増強。 さらにこれらを運用するための弾薬、食糧の輸送に成功した。 これはラエ・サラモアの防備が強固になったことを示している。 (ソロモンへの成功も吉報ですね) ブーゲンビル島やそれ以東の島々への建設重機、建設資材が届き、陣地や飛行場建設にも拍車がかかるだろう。 また、補給物資の中には対空兵器も多くあり、陸兵も含まれていた。 「敵の反攻の前に陣地が立ちはだかれば、敵に消耗を強いることになるでしょう」 「だが、一方でな・・・・」 源田が肩を落としながら続ける。 「航空戦力の消耗が馬鹿にならん」 「まあ、元々ポートモレスビーとガダルカナルへの二正面航空攻勢作戦が破綻したから両戦線で防勢を余儀なくされていますからね」 期間限定とはいえ、両地への航空作戦は搭乗員を疲弊させていた。 「ですが、それを緩和させることを目的とした母艦投入だったのでは?」 「先程説明しただろう? 母艦隊は航空撃滅戦には動いていない」 「ああ、そう言えば。ガダルカナル方面はともかく、ニューギニア方面では防空でしたね」 嘉斗はチラリと壁に飾られた南方地図を見遣る。 「本来、基地航空隊が担当していた任務の一部を請け負っただけで、最も被害が出る攻勢作戦を協同しているわけではない」 「展開する戦力は多くなったが、敵地侵攻戦力はこれまでと変わらない、と」 むしろこれまで止めていた分、敵の防空陣地が強化されていたため、被害が大きくなっているということだろうか。 「昼は戦闘機のみ、爆撃は夜間としているために被撃墜の数は少ないが、それでも損傷機が多く、日に日に稼働率が下がっている」 「長くは続けられないですね」 嘉斗はため息をつく。 「ああ、だから、連合艦隊は作戦中止を命じたようだ」 「この作戦、山本長官以下連合艦隊司令部がラバウルに前進し、前線指揮を採られていましたからね」 それだけ連合艦隊はこの作戦を重視していたと言えた。 基地航空隊と母艦航空隊による一大作戦は、海戦劈頭の航空撃滅戦に並ぶ大きなものだから当然と言えば当然だ。 「しかし、中止命令は16日でしたか」 作戦開始が7日なので、航空攻勢作戦は9日しか持たなかったということだ。 (我が国の限界と言えますね) 主要航空基地がラバウルしかない現状で、この地を長く守ることは無理だろう。 (機動部隊の役割が非常に重要となります) そのために必要なのは情報だ。 「―――失礼します!」 (噂をすれば、ですか?) 慌てて入ってきたのは第三部員だ。 慌てているということはよほどの情報が入ったのだろう。 (この時期で予想できるのは米機動艦隊が動いたか、欧州戦線で何かあったかですかね) 「・・・・えーっと」 入ってきた第三部員は源田の顔を見て困ったような表情をした。 彼も源田を知っている。 それでも出し渋る情報というわけだ。 「構いません。言いなさい」 パチンっと指を鳴らして防音障壁を張った嘉斗は部員を促す。 「はっ。まだ、第一報で未確認とのことですが―――」 「―――山本五十六連合艦隊司令長官の乗機が4月18日ブーゲンビル島上空で撃墜されたとのことです」 「「はぁっ!?」」 座っていたふたりは思わず立ち上がった。 「前線視察に出た連合艦隊司令部は1番機に長官、2番機に宇垣参謀長を乗せていたところ米軍機に襲われた模様です」 そして、護衛の零戦による奮戦もむなしく、両機とも撃墜された。 1番機は陸地に、2番機は海上に墜落したという。 「現在、現地の特別海軍陸戦隊が捜索中ですが・・・・・・・・難航しているようです」 「・・・・なんということだ・・・・」 力を失ったように源田はそのまま椅子に崩れ落ちた。 「報告御苦労。分かっていると思うが、口外厳禁だ」 「はっ」 言うまでもなく、情報将校ならば分かっているだろう。 だが、嘉斗はその言葉を口にするだけで精いっぱいだった。 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 部員が退出した後のこの部屋を沈黙が支配する。 窓から差し込む日の光が大きく傾いても変わらなかった。 「どうして、長官が・・・・」 絞り出すように源田が口にする。 「い号作戦の直後にブーゲンビル島で米軍に撃墜されただと・・・・ッ!? 現地の部隊は何をしていたんだ!?」 やがてそれはヒステリックな叫びとなった。 「い号作戦は決戦でもない、予防的な側面の強い作戦だ。その結果が敵航空戦力の撃滅失敗、総司令官の戦死では割に合わなさすぎるッ!?」 両握り拳を何度も自身の膝に叩きつける。 「源田」 「重大な過失をやらかしたことを現地の奴らは分かっているのか!?」 「・・・・源田」 「これでは勝てるものも勝てなく―――」 「源田ッ」 嘉斗は源田の胸ぐらをつかみ、そのまま椅子の背もたれに押し付けた。 「ぐふっ」 搭乗員や参謀として兵並みの体躯を誇る源田が軍政畑の嘉斗に抑え込まれる。 それは嘉斗が魔力で身体能力の底上げを行ったからだが、今は関係ない。 力づくで抑え込まれたという信じられない状況に源田の意識が嘉斗に向く。 「落ち着きなさい」 「―――っ!? しかし―――」 「落ち着け。喚き散らすのが帝国軍人か?」 「・・・・ッ」 嘉斗の眸は冷え切っていた。 溢れ出す魔力を威圧に変え、まるで睥睨するかのように同期を見下ろす。 そこにあるのは千年以上に渡って列島に君臨し続けてきた皇族の威厳だ。 「・・・・すまなかった、もう大丈夫だ」 一瞬で頭が冷えた源田はそう言いながら嘉斗の手を叩いた。 それを受け、嘉斗は手を放す。 「・・・・・・・・おそらく、次の長官は古賀大将だろう」 昨年11月に横須賀鎮守府司令長官に親補にされたばかりだが、それ以外の適任はいない。 年次的には豊田副武大将も候補だが、名誉職でもある軍事参議官から実戦部隊のトップである連合艦隊司令長官に就くとは考えにくい。 「忌憚ない意見と言えば、能力、人柄的には十分でも欠けている要素がありますね」 「航空作戦に対する知見だな。致命的とも言える」 ただ航空作戦を理解している現役将官で連合艦隊司令長官に就ける地位にいる者はいない。 そう考えると山本五十六を喪ったのは非常に大きい。 「樋端さんも絶望的だろうな」 司令部が撃墜されたということの航空甲参謀の樋端久利雄海軍中佐も戦死した可能性が高い。 「誰か航空戦が分かる者を司令部に送らなければこれからの作戦が瓦解する」 「分かりました。それは僕に任せてください」 「・・・・お前が?」 顔を上げた源田が嘉斗を見遣る。 日が暮れ、薄暮と言われる明かりが部屋を支配する中、嘉斗の眸は炯々と輝いた。 「・・・・・・・・いや、分かった。俺は俺のできることをする」 源田は立ち上がり、そのまま部屋から出ようと扉のノブに手をかける。 「それと・・・・」 大きく息をついた源田がややおちゃらけた口調で言った。 「胸が痛いぞ。少しは手加減しろよ」 小さい擦過傷から血が染みた胸元を示し、源田は退出する。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 虚を突かれた嘉斗は一瞬目を見開くが、すぐにそれを伏せた。そして、壁際まで歩くとその拳を思いきり叩きつける。 ―――ドゴンッ 魔力で強化された拳が壁に放射状の亀裂を生み出した。 「・・・・・・・・ッ、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・」 行き場のない激情を何とか吐き出しつつ、嘉斗は決意する。 (四の五の言っていられませんね) 机の引き出しから書類を取り出し、それに判を押す。そして、厳重に魔術的封緘処置をした。 「ちゅ、大佐! 失礼します! 今、ものすごい音が―――」 「―――ちょうどいい。これを宛名の下に持っていきなさい」 慌てて入ってきた従兵に封緘した封筒を投げ渡す。 「おお!? ・・・・あ、はい。・・・・・・・・・・・・って、え?」 咄嗟に受け取った後、部屋の中を見た従兵は盛大に頬を引き攣らせた。 その視線は壁に走った亀裂を捉えているが、嘉斗は気にしない。 「大至急。お願いします」 「は、はい!」 従兵は敬礼もそこそこに脱兎のごとく逃げ出した。 「謀略戦を先に仕掛けたのは米軍です」 従兵を見送った嘉斗は小さく呟く。 山本乗機の撃墜は偶然ではないと、彼は確信していた。 米軍は山本の行動を察知し、待ち伏せ、決行したに違いない。 これは要人暗殺だ。 そして、それは情報を司る全ての部門の敗北を意味していた。 (僕が長官を殺したも同然です・・・・ッ) もちろん、責任は嘉斗だけではない。 嘉斗の冷静な部分は分かっている。 だが――― 「感情に流されるといいことはないと分かっていますが、抑える気になれないのも事実です」 嘉斗は先程の書類の写しを手に取り、指先から発した炎で焼き尽くす。 そこには「米本土における諜報戦概要」と書かれていた。 海軍甲事件。 山本五十六連衡艦隊司令長官の戦死は後にこう名付けられた。 なお、アメリカ側の名称は「ヴェンジェンス作戦」と呼ばれる。 当時、ブーゲンビル島上空の制空権は日本軍のものであり、前線視察とは言え、陸軍のような砲火を交えている激戦地という認識はなかった。 このため、護衛の零戦も8機程度であり、厳重な警戒とは言えない状況だった。 米軍は艦隊司令部が発した電文を解読し、この前線視察を知った。そして、大統領の許可の下、この暗殺作戦を実行した。 ブーゲンビル島前線"電探基地"が先の航空戦で損傷し、一時的に電探網に穴があったことも米軍に味方する。 特別任務を負ったP-38(18機、2機が途中トラブル帰還)がガダルカナル島ヘンダーソン基地を出撃したのは午前5時25分。 ガダルカナル島の基地は日本軍のい号作戦で多大な損害を被っていたが、空襲の止んだ17日に全力で修復を実施し、P-38の離陸が可能になるまで機能が回復していた。 この事実だけでもい号作戦は中途半端だったと言える。 ブーゲンビル島にP-38が到着したのは午前7時35分前後。 その直後に前線視察隊を発見、攻撃に入った。 これは前線視察隊が当初の時間通りに行動したこと。 米軍の特別攻撃隊が作戦予定通りに現地に到着したこと。 両軍関係者の計画通りの行動が、全て米軍側に傾いた。 山本の到着がもう少し遅い、もしくは米軍の到着が少し早ければ地上にいた日本軍関係者が米軍の来襲に気付いて急報を発することができたはずだ。 結果的に偶然を含む全ての要素が米軍に有利に傾き、大作戦である山本五十六暗殺作戦は成功した。 成功要因として挙げられるのは、何より前線視察計画を察知したことである。 その手法は通信傍受、暗号解読であり、諜報活動の大成功と言えた。 情報戦の敗北と言える事態の要因を大日本帝国海軍軍令部第三部はすぐに突き止めた。 日本海軍はい号作戦のために暗号を変えていたが、前線視察計画は前の暗号で打電されていたのだ。 だからと言って米軍が計画を知ることができたかどうかは反論もあったが、事実として米軍は待ち伏せとも言える状況を作り出していた。 そこで第三部は「暗号は解読されていた」と判断し、それを逆手に取ることを第一部に提案する。 その推進者は、第三部は高松嘉斗大佐、第一部は源田実中佐だった。 その裏でもうひとつの作戦が動き出す。 だが、それを語るにはまだ早い。 命令許可書が東京から彼の地に届くまで、まだ数千キロメートルの旅をしなければならないのだから。 |