戦 闘 記 録

岩国の戦い
岩国城攻防戦錦川の戦い

岩国城攻防戦
戦争 岩国の戦い(椋梨氏 vs 虎熊宗国)
年月日 鵬雲四年八月二七日
場所 周防国岩国城(現山口県岩国市)
結果 椋梨氏の勝利
指揮官
椋梨加奈
御武幸盛
不明(討死)
兵数
四〇〇 五〇〇
開戦経緯 石見戦線が落ち着いたことから、虎熊宗国は山陽・山陰担当の虎将・虎嶼晴胤が岩国椋梨氏討伐を決意。八〇〇〇を率いて侵攻を開始し、椋梨氏もこれを迎え撃った。両軍の主力は玖珂地域(鞍掛山城周辺)で激突した。しかし、瀬戸内海を移動した海上機動で、虎熊軍団が椋梨氏の本拠・岩国城を奇襲する。岩国城にはわずかな兵しかおらず、それを率いるのは椋梨宏元の妹・加奈だった。
戦闘経緯 奇襲をしかけた虎熊軍団は錦川を小舟で遡上、途中の関所山城を抑え、岩国城に攻め込んだ。守り手は山頂部の二の丸で交戦することを決意し、一〇〇でこれを迎え撃った。しかし、兵力・勢い・練度に勝る虎熊軍団が間もなく城門を突破、二の丸から本丸までが戦場になる。落城寸前かと思われたが、虎熊水軍による海上封鎖をこじ開けた龍鷹軍団・御武幸盛率いる三〇〇が後方から奇襲。敵本陣を壊滅させ、敵寄せ手も蹴散らした。
戦争への影響 虎熊軍団は奇襲岩国城攻略が失敗し、鞍掛山城の後詰に出た椋梨勢を抑えていた三〇〇〇も撃破された。それでも鞍掛山城を攻略した。後詰に失敗した椋梨勢は岩国城へ引き上げ、決戦は岩国に持ち越された。


錦川の戦い
戦争 岩国の戦い(椋梨氏 vs 虎熊宗国)
年月日 鵬雲四年九月一日
場所 周防国錦川(現山口県岩国市錦川)
結果 虎熊宗国の勝利
(一部、椋梨氏の勝利)
指揮官
椋梨宏元
御武幸盛
虎嶼晴胤
小瀬晴興
兵数
二〇〇〇 六〇〇〇
開戦経緯 鞍掛山城を喪失した椋梨勢は岩国城へ帰還した。一方、野戦で少なくない損害を被った虎熊軍団は再編を行い、六〇〇〇を本隊に岩国へと進撃した。途中、北方から岩国城に向かっていた別働隊が壊滅したが、それでも錦川左岸へ到着。そこで待ち構えていた椋梨勢と決着をつけるべく、陣立てを整える。その時、龍鷹軍団に守られた脱出部隊を視認した。
戦闘経緯 敵が逃げる気だと判断した虎熊軍団は、徳山勢が突出したこともあり、総攻撃に出た。晴胤が持つ霊装と宏元が持つ霊装がぶつかる中、幸盛は女子供と言った足弱を守りながら海岸を目指す。そこには制海権を得た龍鷹海軍第三艦隊の輸送船団が待っていた。虎熊軍団の猛攻の中、幸盛は殿として残り、最後に脱出。虎熊軍団の追撃を振り切って椋梨氏の次代を逃がすことに成功した。
戦争への影響 幸盛は椋梨氏の戦力化には失敗したが、血筋を残すことには成功した。一方、虎熊軍団は錦川を強引に突破、岩国城攻防戦を経てついにこれを下した。結果、虎熊宗国は周防国を統一し、当面の東方の問題を解決した。

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