戦 闘 記 録

沖田畷の戦い
佐敷城攻防戦
加勢川の戦い

沖田畷の戦い
戦争 沖田畷の戦い(燬峰王国-龍鷹侯国 vs 虎熊宗国)
年月日 鵬雲三年三月二四日
場所 肥前国森岳城郊外(現長崎県島原市)
結果 燬峰王国-龍鷹侯国の勝利
指揮官
燬羅結羽
鷹郷従流
相川舜秀
吉井忠之
島寺胤茂(討死)
甘利晴良(自刃)
兵数
二六〇〇 八〇〇〇
開戦経緯 燬峰軍団は竜造寺の変を乗り越え、肥前衆を圧し始めていた。これを好機と見た燬羅尊純は主力を率いて肥前衆の中心となっている武雄・小泉氏征伐に乗り出した。両者が鹿島城で激戦を交わす中、肥前衆の後詰めを決めた肥前方面熊将・島寺胤茂が島原半島に上陸する。そして、そのまま南下、燬峰王国本拠・森岳城を目指した。これに反応した龍鷹軍団と森岳城守備隊が迎撃するために森岳城郊外に布陣する。兵力差は三倍近く、野戦は無謀だと思われた。
戦闘経緯 龍鷹軍団が布陣したのは湿地帯の出口だった。湿地帯内に布陣した虎熊軍団は、足を取られながらも畦道を並進しながら平押しする。山側でも虎熊軍団が圧していたが、海側では龍鷹海軍の砲撃を受け、主将が討ち死にするなどの苦戦を強いられた。頑強な抵抗を行う龍鷹軍団だったが、耐えきれなくなった中央軍指揮官・相川舜秀は撤退を開始、山側の吉井忠之も追い詰められる。虎熊軍団は第一陣が壊滅するも、第二陣が追撃を開始した。
対する燬峰軍団は海側の兵力をあやしつつ、燬羅結羽がわずかな手勢を率いて出陣、龍鷹軍団本陣の鷹郷従流と合流、主力を追撃する第二陣をすり抜け、虎熊軍団本陣に強襲をかける。虎熊軍団は本陣急襲の報に揺れ、突如反転した相川勢に攻められて壊滅した。また、本陣では島寺胤茂を抑えた鷹郷従流ごと、燬羅結羽が霊装攻撃し、島寺を討ち取る。本陣壊滅の報を受けた虎熊軍団は総崩れとなった
戦争への影響 島原半島に上陸した虎熊軍団は撤退しようにも北上した龍鷹海軍に有明艦隊が壊滅、海上で多くが藻屑となり、最後まで部隊をまとめた甘利晴良が自害し、島原半島に残った虎熊軍団は降伏した。しかし、連合軍側も島寺胤茂を討ち取る際に鷹郷従流が負傷、多くの将兵が傷つく。燬峰王国は何とか本拠を守ることができたが、迎撃のために手薄にした温泉神社が何者かに滅ぼされた。


佐敷城攻防戦
戦争 佐敷城攻防戦(龍鷹侯国 vs 聖炎国)
年月日 鵬雲三年九月四日~十月十一日
場所 肥後国佐敷城(現熊本県葦北郡芦北町)
結果 聖炎国の勝利
指揮官
藤川祟宗
佐久頼政
瀧井信輝
火雲珠希
名島景綱
十波政吉
兵数
三〇〇〇 四〇〇〇
開戦経緯 雲仙普賢岳の噴火で西西海道の諸国は深刻な兵糧不足にあり、遠征が不可能だった。しかし、聖炎軍団は外交で手に入れた兵糧を手に佐敷、津奈木を奪還、水俣までの道を付けるために電撃戦を実施することを決定。総大将は火雲珠希、実質指揮官として名島景綱が任命された。
戦闘経緯 珠希はまず佐敷城へ行き、そこから一気に津奈木城へと駆ける。また、別働隊を水俣城へ派遣した。結果、水俣と佐敷両戦線に対応するために津奈木へ向かっていた鷹郷忠流を遭遇戦で撃破。津奈木城を奪還する。龍鷹軍団は孤立した佐敷城を救援するために人吉城から佐久頼政が出るが、聖炎軍団も十波勢を投入、戦線は膠着した。以後、聖炎軍団の地道な攻めに佐敷城は限界に達し、瀧井信輝の入城と共に突出・玉砕へ至る。
戦争への影響 戦争中に火雲珠希が親家と共に泰妙寺の変で雲隠れし、その策謀で十波勢が打撃を受ける。この戦いは火雲氏のお家騒動へ発展する契機となった。また、忠流が当主になって以来、はっきりとした敗戦となった。龍鷹軍団は虎熊-聖炎-銀杏連合軍と戦うために兵を整備していくこととなる。


加勢川の戦い
戦争 加勢川の戦い(龍鷹侯国 vs 聖炎国)
年月日 鵬雲四年二月二〇日
場所 肥後国加勢川(現熊本県熊本市)
結果 龍鷹侯国の勝利
指揮官
鷹郷忠流・従流
鳴海直武・盛武
鹿屋利孝
(名島景綱)
火雲親晴
国木田政次
十波政吉
堀元忠(自刃)
兵数
八〇〇〇 七五〇〇
開戦経緯 龍鷹侯国と結んだ火雲珠希は、熊本城奪還を目指して北上を開始する。火雲親晴は虎熊軍団の来援を得て籠城しようとしていた。そこに、龍鷹軍団主力が宇土城に抑えを残し、加勢川北岸に布陣したことを知る。籠城策という消極的策よりも華々しく野戦で撃破する理想に取り憑かれた親晴は、鈴の音の後押しもあって突撃を開始した。
戦闘経緯 開戦直後から総攻撃をかけた親晴勢は、名島勢に目もくれずに龍鷹軍団を攻撃。鳴海盛武、鳴海直武の軍を無理矢理こじ開けて本陣へと突撃する。忠流本陣もその圧力に耐えかね、加勢川と緑川に挟まれた中州で迎え撃った。そこに熊本城陥落の方が舞い込んで混乱したところに、これまで不活発だった『名島勢』が旗を掲げ代え、鹿屋勢として行動を開始する。結果、親晴勢は総崩れとなり、堀は包囲された将兵の助命嘆願のために自刃した。
戦争への影響 珠希による熊本城奪還のため、敵主力を誘引。さらに撃破することで熊本城確保という戦略目標を間接的に支持した。また、ここで敗北した親晴勢は肥後中部を完全に喪失し、中立だった益城衆なども珠希に忠誠を誓った。加勢川の戦い・熊本城占拠は、龍鷹侯国・虎熊宗国といった二大大名の勢力圏が接することとなり、両国による戦争が秒読み段階へと移行する。また、珠希が正式に聖炎国主として国内外に認識されることとなった。

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