開戦経緯 |
燬峰軍団は竜造寺の変を乗り越え、肥前衆を圧し始めていた。これを好機と見た燬羅尊純は主力を率いて肥前衆の中心となっている武雄・小泉氏征伐に乗り出した。両者が鹿島城で激戦を交わす中、肥前衆の後詰めを決めた肥前方面熊将・島寺胤茂が島原半島に上陸する。そして、そのまま南下、燬峰王国本拠・森岳城を目指した。これに反応した龍鷹軍団と森岳城守備隊が迎撃するために森岳城郊外に布陣する。兵力差は三倍近く、野戦は無謀だと思われた。 |
戦闘経緯 |
龍鷹軍団が布陣したのは湿地帯の出口だった。湿地帯内に布陣した虎熊軍団は、足を取られながらも畦道を並進しながら平押しする。山側でも虎熊軍団が圧していたが、海側では龍鷹海軍の砲撃を受け、主将が討ち死にするなどの苦戦を強いられた。頑強な抵抗を行う龍鷹軍団だったが、耐えきれなくなった中央軍指揮官・相川舜秀は撤退を開始、山側の吉井忠之も追い詰められる。虎熊軍団は第一陣が壊滅するも、第二陣が追撃を開始した。
対する燬峰軍団は海側の兵力をあやしつつ、燬羅結羽がわずかな手勢を率いて出陣、龍鷹軍団本陣の鷹郷従流と合流、主力を追撃する第二陣をすり抜け、虎熊軍団本陣に強襲をかける。虎熊軍団は本陣急襲の報に揺れ、突如反転した相川勢に攻められて壊滅した。また、本陣では島寺胤茂を抑えた鷹郷従流ごと、燬羅結羽が霊装攻撃し、島寺を討ち取る。本陣壊滅の報を受けた虎熊軍団は総崩れとなった。 |
戦争への影響 |
島原半島に上陸した虎熊軍団は撤退しようにも北上した龍鷹海軍に有明艦隊が壊滅、海上で多くが藻屑となり、最後まで部隊をまとめた甘利晴良が自害し、島原半島に残った虎熊軍団は降伏した。しかし、連合軍側も島寺胤茂を討ち取る際に鷹郷従流が負傷、多くの将兵が傷つく。燬峰王国は何とか本拠を守ることができたが、迎撃のために手薄にした温泉神社が何者かに滅ぼされた。 |