「筑後騒乱」/六



鷹郷忠流side

「―――行くか」

 龍鷹軍団と聖炎軍団の連合軍が筑後へ攻め入った頃、鷹郷忠流が率いる龍鷹軍団本隊は鹿児島城に集結していた。
 鷹郷忠流を総大将とし、鳴海直武を副将とする龍鷹軍団の陣容は以下の通りだ。


 先鋒:武藤統教二〇〇〇。
 次鋒:鳴海盛武二〇〇〇。
 三鋒:御武幸盛一〇〇〇。
 本陣:鷹郷忠流二〇〇〇(鳴海直武、加納猛攻・忠猛、瀧井信輝ら)。
 後陣:瀧井信成一〇〇〇。
 計:八〇〇〇。


 先に派遣した鷹郷従流一万二〇〇〇および鹿屋利孝五〇〇〇と合わせて二万五〇〇〇。
 龍鷹侯国は表石一〇〇万石を超える大大名だが、遠征となればやはりその動員力に陰りが出ざるを得ない。

「事前に物資は送り込んだ。気楽に行けよ」

 忠流に声をかけたのは鷹郷勝流だ。
 侵攻と同時に龍鷹海軍は有明海中部まで勢力圏を広げる予定だった。そして、その中で最も北に位置する三池港を占領し、物資集積場を建設するのである。
 武器や弾薬、御貸具足などはここに運搬されるため、これから出陣する八〇〇〇名は身軽な状態で筑後へ行ける状態だった。

「はっは、そこは気にしていないぞ」

 忠流は勝流の発言に笑い声を上げる。

「・・・・むしろ、橘次の奴がやりすぎて、三池では後方過ぎることにならないか心配だ」
「・・・・ああ」

 勝流が遠い目をした。
 橘次=橘次郎。
 従流の字である。

「あいつ、普段慎重な癖して、調子に乗るとヒャッハーするからな」
「ヒャッハーって・・・・」

 勝流の表現に苦笑する忠流。
 伯父の気質を表す表現としてどうかと思うが、忠流はひとつ頷く。

「まあ、分かる」

 忠流も同じ印象を抱いていた。

「事前の打ち合わせにない行動を戦場でしておいて、『え? でも、こうしません?』とか平気な顔して言いやがる」
「戦略家泣かせだな」

 忠流の苦言に、勝流が的確な表現をした。

「戦場で状況を打開できる勇将であることは間違いないんだが、それ故に読めない」
「あいつの行動まで読み切ったら、もはや人の所業じゃないだろ」

 「ぐぬぬ」と悔しがる忠流に呆れた勝流は、大きく右手を振る。
 それと同時に法螺貝が港中に響き渡り始めた。
 鹿児島港から前路哨戒用の船団が出航するのだ。

「まあ、さすがに何も見つからないだろう」

 有明海の虎熊水軍は壊滅したとはいえ、まだ玄界灘等の海域を担当する虎熊水軍本隊が残っている。
 いや、戦力で言えば虎熊水軍本隊の方が有明艦隊よりも大きい。
 その本隊が遠征してくる可能性は無視できない。
 そのために龍鷹海軍は小規模な偵察船団をいくつも近海に放っていた。
 とは言え、甑島沖海戦以来、虎熊水軍が龍鷹海軍の領域に進出したことはない。
 今回も空振りだろうという予想が龍鷹軍団の上層部にはあった。

「こういうのはマメにやるのがいいんだ」

 という忠流の言葉に勝流は肩をすくめた。

「わかっちゃいるが、空振り続きだと兵の士気が下がるんだよ」
「そこは指揮官の腕の見せ所だろ」

 忠流は言う。そして、この言葉を聞いた勝流は船団から視線を忠流に移した。

「じゃあ、お前はどうしているんだよ」

 その質問を受け、忠流は胸を張る。

「家臣に任す」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「具体的には直武に任す」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それでダメなら・・・・放置?」
「いや、放置はダメだろう・・・・」

 忠流の言葉に勝流がげんなりした。

「ま、とにかく、予定通りにはいかないんだから、状況把握と判断は急いでやらないとな」
「海上でそれができるといいな」
「そこは頼むぜ、海将様」



 鵬雲六年十月二二日。
 鷹郷忠流率いる龍鷹軍団本陣二〇〇〇が鹿児島城を出発した。
 忠流らは市来鶴丸城(現鹿児島県日置市東市来町長里)-平佐城(同県薩摩川内市平佐町藤崎)へ至り、二四日に川内港から龍鷹海軍の輸送船へ乗り込む。
 護衛の艦船を含めて数十隻になる大船団は甑島列島東方を北へ抜け、天草諸島沿岸を見ながら航行を続けた。

 二五日には天草諸島下島北西部に上陸(現都呂々港~富岡西港のエリア)。
 上陸後は志岐城(現熊本県天草郡苓北町内田)に入城し、船旅の疲れを癒す。
 二六日に志岐城を発し、吹の峠を越えて本渡城(同県天草市本渡町本戸馬場)へ入り、二七日には本渡港で早崎瀬戸を超えた海軍輸送船団と合流した。
 早崎瀬戸は島原半島と天草諸島の間にある海峡で、日本三大潮流に数えられる急流で知られる。
 ここを越えるために陸兵は足手まといと言うことで下ろしたのだ。

 こうして有明海に至った本隊は本渡港で再び乗船し、宇土半島を横目に北上。
 有明海を制圧していた龍鷹海軍第一艦隊の一部隊と合流した船団は、二九日に三池港の南方二里半(約9.5km)に位置する長洲港へ到着した。
 鹿児島城を出発して八日目のことである。
 陸路ではおおよそ十日かかる距離を二日ほど短縮した形となる。


 そして、仮の陣所とした四王子神社で受けた戦況報告に、忠流は叫んだ。



「―――いや、進みすぎだろ!?」



 十月二九日時点、従流率いる龍鷹軍団は久留米に達していた。
 忠流の予想では矢部川を越えて田花氏を柳川城に押し込め、これから本格的に虎熊宗国領内へ進撃を始めるくらいと考えていたのだ。

「しかも、明日には久留米城の外郭に取り付きそうな勢いじゃねえか」

 柳川城は落ちていない。
 聖炎軍団が外周包囲する状況であり、城攻めもなされていなかった。
 そんな状況で、従流率いる龍鷹軍団は筑後の要衝・久留米城に臨んでいるのだ。

(想像以上に進んでいてビックリだな)

 予想外ではあったが、既定路線の進路だ。
 これで「今は佐賀城を攻めています」とか言われたら、物を投げていたかもしれない。

「驚くのはほとんど損害を受けていないってことか・・・・」

 従流は戦域全体を使って部隊機動で敵を押し込み、時には強襲して撃破するなどし、虎熊軍団に主導権を奪わせずに後退に次ぐ後退を敷いているようだ。

(とは言え、結果としてまとまった戦力が久留米に集結してしまったと)

 占領域は拡大したが、敵主力軍も残存したままである。

(そのまま久留米城を攻めるわけではないだろう)

 十中八九、従流は久留米城から敵を釣り出し、野戦決戦に出る。

「となると、俺がすべきことは~♪」

 地図と睨めっこを始めた忠流を尻目に、昶がため息をついた。

「楽しそうで何よりだ」
「まあ、あれが生きがいなんですよ、きっと」

 昶に応じたのは紗姫だ。
 紗姫の体調は微妙に悪そうだ。
 吐き気があるのか、蒼い顔で口元を抑えている。
 今回は船による強行軍であったため船酔いが継続しているのかもしれない。

「勝流、とりあえず、船団は用意しておいてくれ」
「おいおい。じゃあ、海軍の実戦部隊に佐嘉軍港を抑えさせた方がいいな」

 佐嘉軍港とは虎熊水軍有明方面の根拠地だ。
 沖田畷の戦いの折に壊滅しているが、驚異的な造船能力で復活している。
 とは言え、有明海北部の制海権を維持しているに過ぎない。
 龍鷹海軍第一艦隊の前には逼塞するしかなく、軍港に引きこもっている。

「座礁するなよ」
「わぁーってるって」

 北部有明海の水深は5~10m程度と言われている。
 大型船が容易に近づいては、すぐに座礁するだろう。
 特に龍鷹海軍が誇る戦列艦は、要注意だった。

「さすがに関船や小早で囲むさ。・・・・まあ、港から出てきて決戦を挑んでくるって言うなら、沖合から砲撃してやるが」

 近現代戦で言う海上封鎖をすると言う勝流に忠流は満足そうに頷く。そして、視線を瀧井信成に向けた。

「旗本の内、白兵戦に長けた精鋭を集めてくれ」
「・・・・お言葉ですが、そういう能力に長けた人員は近衛に入っていますが?」

 瀧井がチラリと近衛衆頭目である加納猛攻を見遣る。

「当然、近衛はそうだ。だが、数が足りない。だから、旗本が必要だ」
「そういうことでしたら・・・・御意」

 瀧井が頷き、部屋から出ていった。

「さて―――直武」
「ハッ」
「お前は残る部隊を率い・・・・そうだな・・・・」

 忠流は視線を地図に落とす。

「・・・・ま、いいや。適当に久留米まで進め」
「適当・・・・」
「そりゃあ、誰かさんが戦線を大きく押し上げたからだろ。文句は直接あいつに言え」

 ひらひらと手を振って、鳴海直武の不満を流す。

「・・・・まあ、ここからは熊将が出てくるがな」

 筑後戦線を指揮した虎熊軍団の杉内周輝は、軍団指揮経験に乏しい。
 それでも戦線を崩壊させずに耐え切ったのは見事な手腕と言えよう。
 だが、次に出てくるのは熊将だと見ていた。
 特に豊前熊将・白石長久は堅実な手腕で、こちらの攻勢を耐えようとしてくるはずだ。

(それをどう食い破るか・・・・)

 その防衛戦略を覆す、アイディアが必要だった。



―――ただし、結果としては、とある一手が連鎖的に虎熊軍団の戦略を崩壊させたのだった。




「―――第一作戦は完了だな」

 一方、その頃の肥前戦線。
 鵬雲六年十月二六日、肥前国・乙宮山城。
 ここに燬峰軍団の主力が集まり、燬羅尊純を前に軍議を開いていた。
 鹿島方面から侵攻した本隊五〇〇〇と武雄・塩見勢八〇〇、佐世保勢一二〇〇を加えた七〇〇〇である。
 十月二〇日の侵攻以来、須古城や樺島山城等を落としてきたが、虎熊軍団肥前方面軍の主力は佐賀城から動いていなかった。
 動かないどころか、前線に指示を送っていないらしく、多くの城は動けずに包囲されて各個撃破されている。
 故に作戦は順調に進捗し、二六日には第一作戦の目的地であった乙宮山城を落としたのだった。

「他の戦線は?」

 主要戦線は三つ。
 この内、ふたつは攻略済みであり、合流もした。
 残るひとつは川古-多久戦線である。

「まだ梶峰城で足止めされているようです」

 川古-多久戦線を担当するのは、津村信隆だ。
 先の伊万里遠征で臣従した北松浦衆の頭目であり、尊純の継室の出身家だ。
 この縁から伊万里遠征後は一門衆として臣従している。

「敵兵はそんなに多いのか?」
「・・・・いえ、近隣住民を糾合しても一五〇〇を上回ることはないかと・・・・」

 一方、津村勢は約二〇〇〇だ。
 伊万里遠征時に一門の有力部将――信隆からして叔父――を粛清したため、兵はともかく部将の能力に不安があった。

(あの信隆殿だ。慎重に事を運んでいるのだろう)

 津村勢は川古城から女山峠を越え、国境の砦でもある山下城(現佐賀県多久市西多久町板屋)を攻略。
 その後、牛津川沿いを東進した上で渡河、松瀬川も越えて自落していた津山城(同県同市同町岡)を接収。
 津山城の修築を進めながら吉野川を挟んで梶峰城(同県同市同町広平)を臨んでいた。

「梶峰城は堅城か?」

 尊純が宰相・時槻尊次に訪ねる。

「巨城ではありませんが・・・・」

 標高約200m(比高160~170m)の山城であり、山頂付近の主郭と北西尾根の山腹にある曲輪が中心だ。
 城域は標高100m付近から始まり、それ以下は竪堀や堀切などで遮断されている。
 また、南方や北方にも防御設備が整えられており、「小規模ながらも堅い」、そんな城だった。

「城下町は吉野川と牛津川の間に広がっており、専称寺の門前町でもあります」
「戦火で焼くわけにはいかない、か」
「左様」

 後の統治のことを考えても城下町は残した方がいいが、それ以上に数百年前から続く専称寺を焼いてしまうわけにはいかないのだ。

「とは言え、抑えを残し、牛津川北岸に渡り、その川沿いを進んだとしても中通川との合流点が隘路となっていますから、後方に脅威を残したままでは難しいでしょう」
「となると、梶峰城を攻略するしかないが、攻めあぐねていると」
「そういうことですね」

 尊純は顎に手を当て、地図に目を落とす。

「まあ、捨ておいてもいいか」

 津村勢二〇〇〇が欠けるのは惜しいが、致命的ではない。
 そもそも、津村勢は多久を圧迫し、小城郡の兵を拘束することが目的だった。
 梶峰城が落とせずとも、その戦略目的は果たしている。

「問題はここからどう攻めるかだな」

 その言葉を契機に燬峰軍団の諸将は地図に目を落とす。
 ここで見ている地図に描かれている海岸線は現代のものと異なる。
 有明海は現代以前から干拓されてきた歴史を持ち、本格的に始まったのは江戸時代(17世紀初頭)からだ。
 このため、諸将が眺めている地図の海岸線は今よりも内陸に引かれていた。
 なお、その前からも干拓は続けられており、歴史に残る最古の記録は推古天皇の時代――飛鳥時代――である。
 龍鷹戦記における海岸線は、以下の通りだった。
 現白石町内:国道207号線以東が有明海。
 現江北町内:六角川南は有明海、
       国道444号線と六角川が交差した以東は国道444号線以南が有明海、
       早津江川は有明海であり、大野島は存在する
 つまり、佐賀空港は海の底ということだ。

「まず目指すのは佐留志城です」

 佐留志城(同県杵島郡江北町惣領分)は南に六角川、東に牛津川を持つ、城と言うよりも屋敷と言える平城だ。
 防御力よりも地域の支配を確立するためという築城目的である。
 ここを落とせば、燬峰王国は牛津川以西を制圧したことになるのだった。

「しかし、守備兵はほとんど確認されていませんから、先遣隊で攻略は可能だろう」

 よって、虎熊軍団主力は牛津川以東に集中していることになる。

「大平山東方の八幡山城、川越城も焼失しています」

 八幡山城(同県小城市牛津町下砥川)、川越城(同県同市同町上砥川)は牛津川以西に位置し、虎熊軍団はこれを利用されないように焼いたのだ。

「虎熊軍団の最前線は牛津城と陣の森城です」

 牛津城(同県同市小城町池上牛尾)は現牛津神社のある標高90mほどの独立峰に築かれている。
 牛津川沿いに西方から迫る敵を迎え撃つ地点にあり、東西を晴気川と牛津川に挟まれた要害の地だ。
 これより北上すれば小城郡の城砦が立ちはだかっており、佐賀平野北部に至るのだ。

「牛津城は守備兵程度しかいませんが、問題は陣の森城です」

 陣の森城(同県同市芦刈町芦溝字庄左衛門 )は牛津川と福所江川に挟まれた地域――芦刈――を支配する拠点城である。
 平城で防御力はそれほど高くないが、ここを突破したら福所江川と嘉瀬川しか佐賀城への防波堤はない。
 虎熊軍団が決戦を挑むとしたら、陣の森城を拠点に牛津川での戦いとなると予想されていた。

「確かに兵は確認されていますが、五〇〇程度と見られます」
「少ないな。やはり主力は佐賀城のままか」

 五〇〇と言っても、周辺地域の民衆が城に籠もっているだけだろう。

「時槻殿、陣の森城の何が問題なのでしょうか?」

 侍大将のひとりである為石純敏が言った。

「兵が少ないのであれば奪い取り、前線を押し上げるだけではないでしょうか?」

 敵が決戦を臨まないのであれば、手薄の前線を取ってしまえというわけだ。

「確かに陣の森城を攻略することは可能だろう」

 時槻が為石の言葉に頷く。しかし、続いて首を振りながら言った。

「しかし、それでは虎熊軍団は佐賀城に籠城してしまう」
「それはそうでしょうが・・・・」

 話が見えない為石が首を傾げる。

「我々は佐賀城を攻めるつもりはない」

 尊純が説明を引き継いだ。

「我々は野戦決戦を望んでいる」

 燬峰軍団主力は七〇〇〇。
 佐賀城に籠もる虎熊軍団主力も七〇〇〇~八〇〇〇と見られていた。
 このような状態で城攻めは不可能だ。



―――だから、佐賀城から敵主力を引きずり出す。



「故に敵が陣の森城を拠点に野戦決戦に出てきてくれればよかったのだが・・・・」
「ああ、問題と言うのは『陣の森城が攻略できない』ということではなく、『陣の森城に敵主力がいない』ということだったのですね」
「その通りだ」

 合点がいった為石に尊純が答える。

「他に野戦決戦に誘引する方法があるか?」
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 尊純が周りを見回すが、諸将は沈黙した。
 元々、燬峰軍団は野戦決戦を望んでいた。
 戦場として想定していたのは、須古城攻め中の後詰決戦、六角川の渡河決戦、牛津川の渡河決戦である。
 その三つ全てが空振りに終わったのである。

「これ以上の深入りは危険でしょう」

 軍部を司る燬羅紘純が言う。

「陣の森城を攻略した場合、それは敵の片翼包囲を招くことになります」

 紘純が持つ指示棒が小城郡に向けられる。

「牛津城北方から牛津川を渡河された場合、我々は退路を失います」

 懐に誘い込まれて包囲殲滅されるというわけだ。

「では牛津城を取るか?」

 尊純が訊いた。
 そうすれば、その方面からの攻勢はなくなるだろう。

「それでも脅威は去りません。さらに北方の晴気城から回り込まれては同じです」

 この場合の虎熊軍団の進撃路は現多久江北線となるだろう。

「・・・・それじゃあ、津村勢が梶峰城を攻略し、牛津川南岸の背振山地東方を確保するまでは、我々は動けないということではないか?」

 先程、尊純は「捨ておいて良い」と言ったが、それが間違っているということだ。

「いえ、背振山地東方が虎熊宗国のものであるならば、敵は野戦を挑んでくる可能性が高いと思います」

 時槻が言った。

「虎熊軍団が『自軍に利があり』と思わぬ限りは佐賀城から出てこないでしょう」
「・・・・つまり、不利を承知で、陣の森城か牛津城を攻略し、退路を断とうとする虎熊軍団と戦うという形か?」

 尊純の問いに、時槻はしばらく考え込んだ。

「・・・・・・・・・・・・ここは逆転の発想をしてはどうでしょうか」
「逆転?」
「我々は決戦を望んでいますが、虎熊軍団は望んでいません。ならば、虎熊軍団が望まざるを得ない状況に持ち込めばいいのではないでしょうか」
「それをしようとして、今失敗しているんだろう?」

 「何言っているんだ、こいつ」との表情を尊純が浮かべる。

「我々の行動は虎熊軍団の予想の範疇だったということです。だから、予想外の行動に出ればいいのではないかと」
「・・・・言うには易いが、どうするんだ?」

 虎熊軍団は燬峰軍団が須古城を始め、六角川周辺を攻略することを読んでいた。
 読んでいた上で、放置を選択している。
 その後、燬峰軍団の目的が佐賀城攻略である以上、佐賀に来るのは間違いないと踏んでいたのだろう。

「目的を変えた、と思わせることです」

 虎熊軍団主力が籠もる佐賀城を落とすことはできないと考えた燬峰軍団が目的を変え、○○をしようとしている。
 その○○次第では、虎熊軍団は佐賀から出てくるだろう。

「例えば―――」

 時槻が周囲を見渡しながら言った。

「佐賀攻略を諦め、肥前西部の切り取りにするのはどうでしょう?」

 燬峰王国と虎熊宗国の国境線は長い。
 基本的には北部は松浦川を挟んで東西に分かれている。
 ただし、岸岳城周辺は松浦川西岸に位置するが、虎熊宗国に位置している。
 中部は山々が国境となっている。
 ちょうど、現伊万里市と唐津市の境界、武雄市と多久市-杵島郡大町町の境界となる

(ただし、武雄市の樺島山城は虎熊宗国が保有)

 南部については武雄市-嬉野市-鹿島市と杵島郡白石町が境界だ。

「今はすでに南部国境を突破し、杵島郡はほぼ占領した」

 尊純が口を開いた。
 燬峰軍団の軍事行動により、牛津川と背振山地東方が新たな国境線になっている。

「単純にこれを北方に延長する案はどうだろうか?」
「要するに背振山地東方を踏破し、多久へ進出するということですかな?」

 主力軍団を預かる綺羅紘純が尊純に確認する。
 尊純の発言は津村勢と合流し、小城郡南部を席巻するということだ。
 もしこれができれば、厳木川上流を支配し、下流に位置する岸岳城への補給路は完全に断たれる。
 そのようなことになれば、虎熊軍団は岸岳城を放棄し、三方山と作礼山の間を抜け、鬼ヶ城(佐賀県唐津市浜玉町岡口)まで撤退するしかない。

「つまり、先の伊万里・唐津攻めの仕上げにかかるということだ」
「なるほど」

 尊純の言葉に紘純は顎をさすりながら考え込んだ。そして、ゆっくりと顔を上げ、地図を指差しながら提案する。

「ならば、いっそのこと、多久制圧後に晴気城に攻め寄せればどうか」

 晴気城(同県小城市小城町晴気)は笠頭山中に位置し、多久盆地――脊振山地と天山山地に挟まれた比較的平坦な地形――や佐賀平野を睨む要衝である。
 ここを抑えた場合、佐賀城との間には祇園川-嘉瀬川しか防波堤はなくなると言えた。
 例え燬峰軍団が撤退しても、晴気城を抑えられている限り、佐賀城には刃が突き付けられた状態となるのだ。

「晴気城を守るために虎熊軍団は後詰決戦に出るのではないだろうか?」

 晴気城を攻めるために牛津川を越え、城南西に布陣した燬峰軍団と晴気川もしくは牛津江川を挟んで決戦に臨むという構図だ。

「・・・・アリ、だな」

 尊純は紘純の提案に頷いた。

「となると、この乙宮山城は策源地として維持しなければならないな」

 もし、佐賀城から出てきた虎熊軍団が燬峰軍団本隊ではなく、乙宮山城を襲って奪還したら、燬峰軍団本隊は補給路が断たれる。
 退路としては多久-川古が生きているので武雄までは戻れるだろうが、そうなると鹿島まで失陥しかねない。

「敵が来ても逆にこの城を維持しておけば、後詰決戦ができる」

 だから、乙宮山城の維持は必須条件だった。

「塩貝、今度も頼むな」
「ハッ」

 武雄を任されている塩見純貞が平伏する。
 武雄の戦いでも武雄城を維持した部将だった。

「お前は城の守りを固めてくれ」
「御意」



 鵬雲六年十月二七日、燬峰軍団は乙宮山城に塩貝勢八〇〇を残し、佐世保勢一二〇〇が佐留志城を落とした。そして、主力は両子山西の街道を抜け、この両子山山頂部に抑えとして為石純敏五〇〇を残して陣所を築かせた。
 翌二八日、両子山北部の羽佐間城(同県多久市東多久町大字別府字羽佐間山)を攻略し、ここに森山尊満五〇〇を残した。
 つまり、佐賀平野から押し寄せてくる虎熊軍団に対し、牛津川を防波堤にする戦略だ。
 乙宮山城を中心に佐留志城~羽佐間城までの防衛線で支える。
 そこに配置された兵は三〇〇〇。
 綺羅尊純率いる主力四〇〇〇は旧多久館を含む延寿寺に本陣を置き、多久地方の攻略を開始した。



これは結果として、佐賀を締め上げて龍鷹軍団の筑前討ち入りを支援する役目を放棄した形となった。










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