許嫁


 

 許嫁。
 現在の概念では幼少時に本人たちの意志にかかわらず、双方の親などが合意で結婚の約束すること。また、約束された当人たちを指す。
 その昔、武士の時代ではあれば、子どもが生まれた時点で決めることもあったが、現代社会では廃れた習慣である。
 それでも名家などでは口約束などが行われている場合が・・・・あるかもしれない。
 どちらにしろ、一般的にはあまり使われず、主にフィクションの場で使われる言葉だ。
 例えば・・・・
『朝起きたら俺の知らない女が料理を作っていた云々(1人暮らしバージョン)』
『明日から許嫁が来るから失礼のないように云々(男親バージョン)』
 といった王道を持ち、それから派生したもので始まるのがセオリーだ。
 基本的に「小さい頃から決まっていた」であることに変わりはない。
 他にバージョンがあるとすれば何なのだろうか。


「この度はお悔やみ申し上げます」

 ここは渡辺宗家本邸の一室だ。
 現在、鴫島事変における戦死者たちのお通夜を行っている。
 その参列者として、全国の諸家が集っていた。そして、喪主である渡辺真理はその応対に追われていた。
 対面にいるのは諸家の中でも戦力を持つ水無月家当主とその跡取りがいる。

「宗主だけでなく、多くの方が亡くなられ、再編に苦労しそうですね」

 水無月家当主は気弱な笑みを浮かべる。
 その昔は武闘派として名を馳せたそうだが、数年前に病に倒れてからは第一線から退いていた。

「いえ、不幸中の幸いか、断絶する分家はないので・・・・組織としては再編可能です」

 真理自身、夫を失っているが、気丈に笑ってみせる。

「まあ、戦力、という面では7割を喪失したと見えます」
「まあ、それに関しては大丈夫でしょう」
「ええ、期待しています」

 にこにこと表面上で渡辺宗家宗主と水無月家当主は笑い合った。

「というわけです、瑞樹」
「え、あ、はい?」

 真理の隣にいた瑞樹は不意に名を呼ばれてビクリと体を震わせる。
 向こう側でも水無月当主が隣にいた少女に何かを言っていた。
 彼女はそれを聞き、驚きの表情を浮かべてこちらを見遣るが、すぐに瑞樹も同様の仕草を彼女に返すこととなる。

「水無月雪奈嬢と婚約致しましょう」

―――こうして、渡辺瑞樹と水無月雪奈は許嫁となった。





水無月雪奈side

「―――それでですね、瀞。渡辺宗家は水無月家を分家として取り込むことで戦力回復を図るようです」

 その夜、瑞樹は従姉妹の寝室を訪れていた。
 彼女も鴫島事変に出兵したが、瑞樹とは違い、本陣付となっていたために戦闘経験はあまりない。
 あるとすれば、彼女の父――渡辺宗主が戦死した敵戦力による本陣奇襲くらいだろう。
 生き残りの話では宗主は瀞を守って戦ったようだ。しかし、その事実が瀞を苛んでいる。
 彼女が生まれてから不慮の事故でなくなった直系は多い。
 彼女が生まれるまでは熾条宗家と並ぶほどの戦力を有していた渡辺宗家だが、わずか十数年で多くを失っているのだ。

「君に、姉ができますよ」

 そっと瀞の手を握る。
 彼女の手は元々白くて細かったが、今はやせこけた、という表現が似合うほど、か細いものとなっている。

「もっとも、僕はまだ結婚できる年ではありませんがね」

 瑞樹は自嘲気味に笑い、彼女の瞳を覗き込んだ。
 そこに映るのは虚無だ。
 彼女は未だ目の前で父親が死んだ事実を乗り越えていない。
 決して強くない心をズタズタに引き裂かれてしまったのだから、仕方ないと言えば仕方ない。
 母はそんな瀞を省みることなく、宗家再建に躍起になっていた。
 今この家で、彼女を気にしているのは自分だけだ。

「大丈夫、大丈夫ですよ」

 瑞樹は瀞の後ろに回ると、その小さな身体を抱き締めた。

「僕は君を残して死にはしませんし、君が背負おうとしている宗家のしがらみは僕が引き受けます」

―――だから今は・・・・ゆっくりとその心を癒して。




「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 小さく呟かれた言葉は空気に溶け、瑞樹以外の耳に届くことはなかった。しかし、それを拾い集めてとある少女に<水>は届けてみせる。

(許嫁、か・・・・)

 少女――水無月雪奈は読経の声を背景に、壁に背中を預けていた。
 渡辺瀞。
 当代直系次子であり、先代の娘。
 いや、嫡流の娘と言える少女だ。

(なんだ、やっぱり政略結婚じゃない)

 きっと渡辺瑞樹の心は瀞にある。
 もし、戦力を大幅に失うことがなければ、ふたりは直系統合という名目で結婚していた可能性が高い。
 現実主義に見えた瑞樹も、宗家の弱体を許さず、雪奈の背中にある水無月家という戦力を手に入れるために結婚するつもりなのだろう。
 自らの気持ちを偽り、最愛の従妹が幸せになれるように。

(私は水無月にとっても、渡辺にとっても道具・・・・か)

 水無月家。
 飛騨国の水術師として、江戸時代から栄えた名門である。
 先祖は織田家家臣であった金森長近の庇護を受け、長良川の水運を糧に発展。
 雨乞いを得意とする一門として、江戸時代と通じて飢饉を最低限抑える活躍をした。
 明治維新以降は退魔業と共に長良川を使った商業を行う。しかし、最近、長良川の商業が失敗し、全国的な退魔業の不振も後押しし、自立することが困難になってきていた。
 退魔師としての水無月家を残すには渡辺宗家に吸収される方がいい。そして、渡辺宗家も戦力がほしい。
 両家の思惑が一致したのだが、諸家は同族ではない。
 このため、ちょうど年頃だった雪奈と瑞樹が結婚することで、渡辺家と水無月家を縁続きにしようという思惑だった。

「ま、いいけどね」

 名門に生まれた子女は政略結婚など常である。
 かわいそうなどと言われるが、生まれた頃からそういう教育を受ければ普通だ。
 知っているだろうか。
 日本人に生まれれば天皇家を敬うのは普通のことだが、世界的に見れば異常なまでの忠誠心を持っていると言うことを。
 古今東西、時代を問わずして、打倒された王国は数多い。しかし、世界有数の王国である日本国は建国以来、万世一系の血筋で支えられてきたことを。
 明治維新において、近代国家に生まれ変わった日本政府が困ったことは国家観を植え付けることだった。
 不思議に思うだろうが、江戸時代以前の日本国民は自分たちが同じ「国家」の一員であるという概念は存在しなかった。
 大きくても藩や地方であり、日本列島全体がひとつの共同体とは思っていなかった。
 だから、豊臣秀吉の朝鮮出兵では多くの逃亡兵が出たし、あまつさえ捕虜は朝鮮軍に対して鉄砲の使い方を教えている。
 そんな希薄な国民意識を持つ民族でも、すり込まれた存在が天皇である。
 このため、天皇の臣民であるという概念を植え付けることで初めて「日本国民」が生まれたのだ。
 戦後、否定された教育方針だが、発足当初はこれ以外に教育方針の作りようがなかった。
 惜しむらくは、この制度を時代に合ったものに変革しようとする教育者が現れなかったことだろう。
 長々と話したが、長年やり続けた教育というのはそう簡単に抜けないし、いきなり別の考え方も理解できない。
 だから、雪奈にとっては結婚=政略結婚であり、幸せになるかどうかは別問題だったのだ。
 また、同様に、水無月家当主となる覚悟も持っていた。



 しんしんと雪が降る中、通夜は厳かに行われていた。
 交通規制がかかる豪雪だが、屋敷にはひっきりなしに参列者が訪れている。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 高校の制服ではなく、ちゃんとした喪服に身を包んだ雪奈はややうつろな瞳で、父が入った棺を見つめていた。
 その瞳には涙なく、ただただ空虚な闇が広がっている。
 父は肝臓がんを患っていた。
 現役を引退した時にはすでに手遅れであり、彼は水無月の基盤を固めるために尽力する。
 故に現役時代は武勇自慢だった若者が、後の世では名当主として語り継がれることとなる功績を残した。
 ひとつ、バラバラだった家を統一。
 ひとつ、委託経営していた神社の祭りを盛り上げる企画をなし、多大な財を築いたこと。
 ひとつ、長良川を利用した商業を祭りと繋げて経営を伸ばしたこと。
 ひとつ、利権にこだわらず、神社及び会社の権利を放棄し、土地に対する執着をなくしたこと。
 ひとつ、渡辺宗家との同盟及び婚儀を取り付けたこと。
 ひとつ、退魔一族として、水無月家を復活させたこと。

(後は・・・・屋敷を引き払うだけ)

 父の死後、水無月家は総力を挙げて渡辺宗家を援助するために引っ越しする。
 その陣頭指揮は新当主である雪奈の仕事だった。

「―――お嬢様・・・・とと、御当主、渡辺宗主の名代が参りました」
「・・・・通してください」

 名代というならば、瑞樹だろう。
 あれから3ヶ月、一度も会わなかったが、許嫁の件はとんとん拍子に進んだという。
 というか、先日、宗主自らが水無月家を訪れ、重臣たち一同に待遇について説明していた。
 おかげでか、渡辺宗家に併合されることを、誰も不満に思っていない。
 だから、水無月家当主として、雪奈が最初にするのは渡辺宗家の人間に自分が瑞樹の妻としてふさわしいか、認めてもらうだけだ。

「お久しぶりです」
「ええ」

 通された瑞樹は雰囲気通り、涼やかな表情で雪奈の対面に座った。

「まずは、水無月家御当主のこと、お悔やみ申し上げます」

 すっと笑みを引っ込め、まじめな顔で頭を下げる。

「いえ、覚悟はしていましたし、父も笑って逝きましたから」

 自宅療養していたために、雪奈は父を看取ることができた。
 思えば、父はすごいと思う。
 ガンの激痛に耐え、自分のできることは全てやってのけたと満足そうに彼は笑い、そして、そのまま動かなくなった。

「・・・・いいんですか?」

 漠然とした問い。
 その真意はいくつもの問いを孕んでいるのだろう。
 父親が死んだという事実を淡々と受け入れていること。
 祖先がずっと生活していた飛騨の地を離れること。
 瑞樹と正式に婚約すること。

「どれが、いいんですか?」
「今、あなたが思い浮かべた全てです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 瑞樹と雪奈は同年代の者たちの中では頭の回転が非常に速いのだろう。
 第三者から見れば、全く言葉が足らないのに、ふたりの会話は続いていた。

「私は生まれた頃からずっと水無月家の跡取りとして育てられてきたわ。それにこの地は宗家に対する聖域、というわけじゃない」

 宗家が同系統最強である理由は今でも神の存在を感じられるほどの【力】を持っていることにある。
 同様に守護神がいたはずの諸家はもはやその神を感じることはできない。
 それだけ、【力】が弱まった証拠であり、守護神の格も宗家のそれに敵わないという証拠だった。

「だから、私は後悔しないわ」

 雪奈は自信を持ってそういう。

「もうひとつ、答えを聞いていません」
「?」
「・・・・・・・・・・・・本当に、僕でいいんですか?」
「・・・・私に選択権はあるの?」

 渡辺宗家と水無月家の婚儀は決定事項だ。
 これを成し遂げなければ、水無月家は分家として認められ―――

「ありますよ。そもそも水無月家の分家としての仕事は戦力ではなく、聖域管理にありますから」
「ま、注連縄の技術と神を和ます能力は我が水無月が唯一、宗家に敵う分野だから」

 雪奈は肩をすくめて皮肉を言った。

「いえいえ。正直に言えば、僕たちが水無月を選んだのはその能力が欲しかったからです。その能力を宗家のために遺憾なく発揮してくれるのでしたら、別に僕と結婚する必要はないんですよ」

 にこやかに笑って見せた瑞樹はおそらく機密事項を話す。
 その雪奈を安心させようという発言は、逆効果になることを、この少年は思いもしなかっただろう。

「・・・・そんなにあの娘が大事?」
「え?」
「私から婚約破棄を口にさせて、自分はあの娘と結婚するのよね? そして、私は捨てられた女として生きていけと、そう言いたいのね」

 驚きに表情を固まらせる瑞樹に次々と雪奈は毒を吐く。
 それは、彼女自身が自覚していなかった、負の感情に違いない。

「だって、キミはあの娘――先代の娘が大好きなんだから」

 不安がないわけがない。
 まだまだ15歳、一家を背負って立つには早すぎる。
 覚悟云々の前に人生経験が圧倒的に足らないし、これから付き合う者たちは自分たちよりも数十年長く生きている。
 そんな人たちと同格に扱われるなど、緊張する。
 そんなところに行くのならば、生まれ故郷にいたいに決まっている。
 そして、嫁ぐ男が他の女に心を残したままというのも辛すぎる。
 わずか15歳にして、女としての幸せすら諦めなければ家を保てないなど、当主になっても自分の力のなさが悲しい。

「ぐすっ。辛いよ、不安だよ・・・・痛いよ・・・・ッ。でも、仕方がないじゃない! 私は当主なのよ!?」

 というか、自分は何をしているのだろうか。
 これではただの八つ当たりだ。
 見ず知らずとも言っていいほど、希薄な人間関係である瑞樹に対して何を言っているのだろうか。

「うう・・・・」

 もう何がなんだか分からない。
 一息に、端的に言葉を放った雪奈は、水無月家最強術者や水無月家当主という立場を捨て、ひとりの少女として泣きじゃくっていた。

「あ!?」
「すみません、言葉が足りませんでしたね」

 無防備になっていた雪奈を、瑞樹は抱き締める。そして、その耳元で言葉を紡ぐ。

「確かに僕は瀞のことを大切にしています。でも、そこに恋愛感情はありません」
「嘘!? だって、あれはただの従妹として扱いじゃ―――」
「ない、ですね。でも、瀞とは瀞が生まれた頃から、家族として同じ家で過ごしていたんです。系図上、従妹であっても、僕にとって瀞は"妹"なんです」

 瀞は生まれた時から不遇にあってきた。
 忌み娘として嫌われて幼少期を過ごしてきたが、決して曲がることなく素直に育ったのは元々の素質と、両親の愛情があったからに違いない。
 その両親を失った瀞を守りたいと思うし、守る力が欲しいと思う。だが、幸せにするには【渡辺】の人間ではダメだ。
 【渡辺】こそ瀞の重荷であり、自分はある意味、【渡辺】の象徴的存在であるため、彼女の幸せを思う人間として、彼女と一緒になることはあり得ない。

「でも、こんなことを考えている人間と一緒になるのは・・・・嫌でしょう? だから、僕はあなたに問うたんです。『本当に、僕でいいんですか?』と」

 雪奈が無理に瑞樹と一緒になることはなく、瑞樹も強制されているわけではない。
 ふたりの婚儀は両家にとって必要不可欠な案件ではないのだ。

「・・・・あなたの言いたいことは分かりました。だから、私も訊くわ」

 雪奈は瑞樹の胸を押し、その腕の中から抜け出した。そして、瑞樹の目をじっと見つめる。

「私でいいの?」
「・・・・・・・・正直言うと分かりません。僕にとって、瀞以外の同年代の女子は大して認識するに値しませんでしたから」
「ふふ、すごいかわいがり方ね」
「でも、不思議とあなたは心に残りました。本当ならば、ここには母が来る予定だったんですが、ちょっとわがままを言って来ました」

 瑞樹は姿勢を正し、まっすぐな視線にまっすぐな視線を返す。

「だから、僕はこの感覚を信じようと思います」
「それじゃあ、私も、瀞さんがいるのを知って腹を立てた心を信じようと思います」



 許嫁。
 現在の概念では幼少時に本人たちの意志にかかわらず、双方の親などが合意で結婚の約束すること。また、約束された当人たちを指す。
 その昔、武士の時代ではあれば、子どもが生まれた時点で決めることもあったが、現代社会では廃れた習慣である。
 それでも名家などでは口約束などが行われている場合が・・・・あるかもしれない。
 どちらにしろ、一般的にはあまり使われず、主にフィクションの場で使われる言葉だ。
 例えば・・・・
『朝起きたら俺の知らない女が料理を作っていた云々(1人暮らしバージョン)』
『明日から許嫁が来るから失礼のないように云々(男親バージョン)』
 といった王道を持ち、それから派生したもので始まるのがセオリーだ。
 基本的に「小さい頃から決まっていた」であることに変わりはない。
 他にバージョンがあるとすれば何なのだろうか。

 渡辺瑞樹と水無月雪奈の場合、それは親同士の約束を自分たちで噛み砕き、新たな約束としてしまった。
 言わば幼馴染みの幼き日の約束と同じく、実現するか分からないが、そうした未来があってもいい、という曖昧なものだ。


「それではこれからよろしくお願いします、"雪奈"」
「そうね。縁が切れるまでは一緒にいることにしようか、"瑞樹くん"」

 ふたりがその約束通り、共にあり、共に歩むことを誓い合うようになるのは、もう少し先の話である。
 その時、ふたりはこの約束を交わした12月28日に祝言を挙げたのだ。










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