第九章「赤鬼、そして鎮魂歌」/


 

―――最初はただ鬱陶しいだけだった。

「―――うっ・・・・ふ、ぐす・・・・っ」

 あの頃のわたし――凛藤改め唯宮心優は泣いてばかりいた。
 ベッドで布団にくるまったり、部屋の隅で膝を抱えていたり、ベッドの下やクローゼットの中にもいたりした。

「来たぞ―――っていねえ!?」

 最後のは初対面以来、ほぼ毎日忍び込んでくる少年のせいだ。
 時々、使用人に見つかって追いかけられているのを見たことがあった。そして、捕まれば屋敷の外に叩き出されている。
 それでも少年はやってきた。

「きょうはどこだ~?」

 喉の奥で転がしたような、楽しげな声。
 絶対に楽しんでいる。
 きっと彼にとって、これは遊びと一緒なのだ。

「わたしであそびたいなんてさいてーです」
「―――ちがうよ」

 カチャリと絶妙なタイミングでクローゼットの扉が開く。

「きみ"で"あそびたいんじゃないよ。きみ"と"あそびたいんだよ」
「わたしと・・・・?」
「うん。だから」

 すっと手が差し出された。

「いっしょにあそぼうよ」

 その手は温かそうで、その笑顔は眩しくて、わたしは何だかドキドキして―――

「ほんとうに・・・・いっしょにいてくれる?」

 気が付いたらそう問い掛けていた。

「うん」

 そろそろと上げた手を力強く握り締め、少年は笑顔で頷く。

「やくそくするよ」

 握られた手はやっぱり温かくて、その笑顔にポカポカしてきて、頬が熱くなるほどドキドキした。

「あ、そうだ」

 座り込んでいたわたしを立たせても離さぬ手。
 それとは逆の手でズボンのポケットを漁る。

「はい」
「え?」

 声と共に差し出される手に、わたしはもうひとつの手を出していた。

「あげる。やくそくのあかし」

 私の掌を転がる漆黒の珠玉。
 それは不思議な光沢を以てわたしを惹きつける。

「このまえにいった・・・・かみよ? じんじゃでもらったんだけど・・・・あげる」
「いいの?」
「いいの! これ『ほーせき』ってやつだろ? おとこがもっててもかっこわりぃ」

 彼の手が伸び、わたしの手を握って黒珠を掌の中に握りこませた。
 伝わった暖かさに頬が熱くなる。

「ほら、いこう」

 わたしのもう片方の手をくいっと少年は引いた。
 わたしはその珠玉を思わず落とさないようにと握り締める。
 次いで少年の手を握り返した。

「うんっ」


―――だけど、今はもう、一緒にいることが当たり前となっていた。






御門直政side

「―――兄さん、これが・・・・御門宗家が持つ全戦力です」

 午後6時、穂村邸に20人の老若男女が集まった。
 全員、唯宮家で見たことがある。
 御門直政以下御門宗家の主力が集まるのは、やや広めの仏間だ。
 書院造りの違い棚横には御門宗家守護神である当世具足――越中頭形金箔押天衝脇立兜に朱漆塗桶側胴具足が鎮座している。
 彼の胸甲と後ろの幕には御門宗家の家紋・≪笹輪に親子水晶≫が描かれていた。

「悪いな、直政。私はここで留守番だ」

 守護神を背に、上座に座る直政の右手には祖父・穂村直隆が座っている。
 以下、右手に座る6人は非戦闘員だ。
 直隆を除いた者たちは皆、若年だった。
 直隆は生き残った御門宗家の中で最も年長なのだ。

「じいちゃんはゆっくりして、ここで守護神と一緒にお茶でも飲んどいてくれ」

 学園から帰ってきた時、直隆と守護神が縁側でお茶を飲んでいる姿を幾度も見ている。
 今の直隆は神官のような存在なのだ。

【儂は飲んでいるわけではないのだがな】

 虚空に響いた声に、分家の者たちが背筋を震わせた。
 気の良い兄ちゃん、姉ちゃんの使用人'sも守護神を前にしては緊張するらしい。

「戦闘員は12人、これを私が率いる」

 穂村亜璃斗が義兄に合わせた眼鏡を光らせながら言った。
 "陣代"として、戦場で指揮を執るのが彼女の役目だ。

『御館様は彼ら分家に脇を固めさせ、脇目も振らずに突撃するのですね?』
「だな。今回は時間がないから、中央突破だ」
「かなり、苦しいと思うけど」

 亜璃斗があまり表情を変えることなく、苦戦を予想した。

「鹿頭家?」
「そう」
『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 ふたりの会話に分家が表情を強張らせる。

(そんなにすごいのか・・・・?)

 "東の宗家"・鹿頭家。
 元熾条宗家の分家であり、常に先鋒を駆けた角の一族。
 明治以降の対鬼族戦で頭角を現し、一時期前に行われた大規模討伐戦で主力を担った。
 ほとんどの炎術師が九州に展開する偏在性の例外として、かつ、強大な退魔組織として名付けられたのが、"東の宗家"である。
 だが、その栄誉も昨年に鬼族の大反攻を受けて消滅。
 この音川の地で、鹿頭朝霞を中心に再編された。
 後見人に熾条宗家当代直系長子である"東洋の慧眼"・熾条一哉を据え、この音川を舞台にした一連の戦いで鬼族の追撃部隊に大打撃を与える。
 以後、一哉の与力として年末から続いた戦役・第二次鴫島事変に出兵。
 陸上部隊の一員として活躍した。

(同じ分家でも、練度は段違い、ってか?)

 一対一では精霊術師よりも強い、とも言われる鬼族相手に戦える集団戦闘能力。
 今までほとんど活動してこなかった御門宗家の分家には荷が重いだろう。

(それに・・・・)

 鹿頭家当主・鹿頭朝霞。
 直政の同級生にして同僚にして部活仲間。
 裏の世界では幾度も轡を並べて戦った戦友だ。
 直系レベルの規格外の強さではないが、戦術と鉾の技量は侮れない。
 接敵すれば、直政や亜璃斗が出なければならないだろう。

「鹿頭家だけじゃない」
『ほう? 鹿頭家の他にいましたか?』
「・・・・【叢瀬】」
「・・・・あー」
『あの男の娘! ・・・・ん? 女装野郎ですか?』

 叢瀬央葉のことだろう。

「ふざけているけど、【叢瀬】最強で、個人戦闘力はピカイチ」
「あいつ、強ぇもんな」

 央葉が持つ異能の光は、地術師の防御土壁も貫通するだろう。

「相手は陸綜家<鉾衆>、か・・・・」

 要するに、向こうが備える戦力は昨日まで頼もしく思っていた味方なのだ。

「・・・・おい」
「え? 何、どうしたんだ、神代さん」

 カンナがいるのは、ここから学園への扉をもう一度開けるためだ。
 直政が使った道は対策されている可能性があるそうなので、今回は別の場所に開くらしい。

「みんな、萎縮したぞ?」

 何故か共にいる神馬の首を撫でながら言った。

「あ・・・・」
『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 分家の者たちは沈黙し、不安げに眸を震わせている。
 これまで御門の分家は唯宮家の要人警護として動いていた。
 退魔経験は元より、裏的戦闘経験が壊滅的に足りないのだ。
 亜璃斗の支援で妖魔を見たことはあるが、それも限られたものだけだろう。

「兄さん」
「うぐ・・・・っ」

 亜璃斗の目、「どうにかしろ」と語っていた。
 陣代として率いることはできるが、道を示すことはできない。
 それは当主の役目なのだ。

「あー・・・・みんな聞いてくれ」

 頭の後ろをかきながら直政は声を出した。
 それに分家の者たちが視線を返してくれる。

「今回の戦い、別に御門宗家存亡の危機じゃねえよ。・・・・だけど、それに等しい状況だとは思う」
『ほう? それはどういうことでしょう?』

 刹が合いの手を入れてくれる。

「簡単だ。今回出陣しなければ誰ひとり欠けることはない。だけど、意志が欠ける」
『意志?』
「戦おうとする意志だ」

 何も戦いは存亡の危機だけに生起するものではない。
 確かにそれは重要な局面だ。だが、そこに至るまでにも戦いはある。

「ここで戦わなければ、御門宗家は二度と戦えない」
『そんなに重要な戦いですか?』
「重要も重要。何せ戦わないと―――心優を見殺しにするんだから」
『『『―――っ!?』』』

 ビクリと肩を震わせた。

「別に見ず知らずの人間が死ぬことに責任を感じる必要はないと思う」
『それは当然ですね』
「でも、見知って・・・・大恩のある人の娘を助けられるかもしれないのに、何もせずにいた事実は消えない」

 立ち上がっていれば何か変わったかもしれない時に立ち上がらなかったものは、次にそんな機会があっても戦えない。
 何かと理由を付けて逃げてしまえば、次もそうなる。

「死んでも何かを成せとは言わない。だけど、死ぬ思いをしても何かを成そうとしろ、と俺は言う」
【『賽は投げられた』ということわざがあるが、貴様に言わせればこうか?】

 守護神が口を挟んできた。
 直政の言葉に何か思うことがあったようだ。

『つまり、「賽を投げなければ分からない」ということですな!』
【・・・・刹、貴様は黙っていろ】
『そんな殺生な!?』

 いつもと変わらぬ守護神と刹のやりとりに直政は苦笑した。

「ま、やる前からウダウダするなってことだ。難しいことは、それに直面した時に考える」

 直政は縮こまっている年上たちを見回す。
 自分自身もこの4月からの経験がなければ、こんなことは言えないだろう。

(いや、実体験か・・・・)

 参加した戦いのほとんどは、戦略目的の達成者として直政を組み込んでいなかった。
 直政に与えられていたのは戦線維持であり、その維持された状況下で他の者が動いたに過ぎない。
 この場合、難しいことを考えずにただただ戦うことのみ求められた。

【・・・・戦った結果、何の成果も得られなかったとしても、か?】
「成果が得られないなんてことはないです」
【ほお?】

 確かに戦略的に何の貢献もしてない。
 それでも作戦においては何かを成していたのだ。
 言葉にできない、何かを。

「『俺がこれをした』とは言えなくても『俺のおかげでこれができた』で十分じゃないですか?」

 個人としての成果ではなく、チームとしての成果。
 ひとりではなく、御門宗家としての成果を優先する。

「俺がみんなに要求することはひとつ・・・・いや、ふたつ」
『訂正!?』

 決め損ねた直政にツッコミを入れた刹を肩から叩き落とす。

「戦場に立つこと。そして、生き残ること」
「戦う意味は?」
「・・・・御門の勝利への貢献?」

 亜璃斗の鋭い問いに疑問形ながらも答えを出した。
 その姿に亜璃斗がため息をつく。しかし、すぐに力強い視線を直政に向け直した。

「私たちが戦うだけなんだったら、誰が成果を上げるの?」
「当然、俺。お前たちの支援を下に―――」

 自信満々に胸を張る。

「取り戻す、絶対に」

 作戦内容を考え、作戦を主導する能力はない。だが、とある一点に向けてがむしゃらに突撃する。
 それが直政の得意とすることだ。
 戦略目的を達成するためにいくつもの目標を突破していく難しい作業よりも、目的と目標がほぼ等しい単純な作戦を好む。
 馬鹿とは言わない。
 本来、目的と目標に違いがないことが理想なのだ。だが、その理想が実現不可能なため、いくつもの目標を置いて回り道するのだ。

「俺はお前たちがいれば他に何も考えることなく、前を見られる」
【面白い理論を説きおる】
『つまり、こういうことですね』

 刹が木の枝を抱え、地面に文字を書き出した。


【凛藤心優奪還作戦】
 戦略目的:凛藤心優の奪還
 戦略目標:御門直政が凛藤心優の下へと辿り着くこと
 達成方法:御門直政の突撃と御門宗家による突撃支援


「おお、分かりやすい」
『えっへんです』

 両腰に手を当てて胸を張った刹にむかついたので、でこピンで転がす。

『そんな理不尽な!?』

 刹の尤もな悲鳴を無視し、直政は分家たちに向き直った。

「な、簡単だろ?」

 分家たちは顔を見合わせる。そして、頷いた。
 鹿頭家の者たちも本気で殺しには来ないだろう。
 気になるのは現出している霊体の方だが、それも神代神社から護符などを大量にもらっている。

【貴様が熾条一哉に勝てるのか?】
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 守護神の問いに、分家たちがこちらを注視したのが分かった。
 今回の作戦において必ず立ちはだかる敵。

「一対一じゃ負けねえ」

 熾条一哉の個人戦闘力は、直系にしては低い方だ。
 だが、その分頭を使った戦い方をしてくる。
 敵の特色は歩兵だ。
 戦う相手によって武器を変え、戦術を変えて「ヒト」という生物の弱点を克服してくる。
 対する直政は陸戦兵器最強の戦車だ。
 その装甲は並の兵器では貫けず、障害物すら破壊する。

「ただ、向こうは俺の戦い方を知っているし、向こうの戦い方を俺は知らない」
『なかなかに危うい状況ですな!』
「ただ、それでも殴りに行って、勝ってこそ、武者ってもんだ」

 直政が目指すのは、戦闘指揮官ではない。
 絶対に頼れる、戦場の要。
 そんな一騎当千の武者に、直政はなりたいのだ。

【なるほど、そう来るか!】

 守護神が呵々大笑とばかりに笑い出した。

【代々御門は本拠地に逼塞してきたが、貴様の目指す御門は前に出る御門なのだな?】
「拠点防衛ってのは楽でいいけど、おびき寄せる策を練る頭がないから」
【直接行くと?】
「そういうこと。シンプルでいいっしょ?」

 直政は豪気に笑って見せた。
 敵は強大だが、その噂は全て作戦面のみ。
 さらには組織を相手にした戦いが多い。
 今の自分たちは一騎駆けの武者に近い。

「できるとしたら拠点防衛のみ」
「だったら突破できる」

 亜璃斗の言葉に頷き、直政は拳を打ち合わせた。

「俺たちの十八番を取った馬鹿を殴って、心優を取り戻すぞ」
「うん、兄さん。私もあいつに文句言いたいし」

 兄弟のいつものやり取りに、分家たちは肩をすくめる。
 いつもの緩い雰囲気が戻ってきていた。

【面白い! ならばその戦、我も混ぜてもらおう!】
「「は?」」

 赤い甲冑を鳴らしながら、【力】を放射する。そして、それは御門宗家の聖域を構成するものだ。

【聖域とは本拠地にあるもの。しかし、その本拠地に腰を据えず、打って出るというのならば我も聖域・・・・いや、守護神として打って出よう!】

 朱漆塗桶側胴具足の前がパカリと開く。

「え?」

 そのままその暗闇が直政を包み込んだ。









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