第五章「南の島、そして妖狐の孫」/4


 

『―――で、今どこにいるって言っていたか』
「サイパンよ、サイパン」

 朝霞はその日の夜になって、ホテルの電話で一哉に連絡していた。
 携帯電話だと余計に金がかかるため、ホテルのものを借りたのだ。
 VIP待遇のため、国際電話でもタダなのがありがたい。
 一哉は盗聴に気をつけろ、というが国家機密に触れるわけでもないこの会話が盗聴されるとは思えなかった。

『央葉も一緒か?』
「ええ、そうよ。っていうか、あの女王様だったらGPSでも仕込んでいそうだけど」
『それは否定しない』

 朝霞は背を壁に預け、窓の外を振り返る。
 そこには夜の散歩に出かけるカンナと、気配なく彼女をつける央葉がいた。

「・・・・あいつを神代さんに貼り付け、あいつのGPSで位置を確認。目的は神代カンナの位置情報ってところかしら?」

 神代カンナは陸綜家の一柱・神代家の跡取り娘だ。
 現当主は明言していないが、血縁が当主と彼女しかいない以上、カンナの家督相続は決まったも同然である。
 神代家の戦力はなく、SMOのエージェントが派遣されれば滅亡するような状態だ。

「神代さんと繋がったあいつを護衛に派遣する。・・・・何があったのかしら?」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 電話の向こうで一哉が黙り込む。

「ま、複雑な状況なんだし、話さなくてもいいわ」

 彼の立場でも、話せることと話せないことがある。
 言われない上からの圧力という点に対しては反抗する一哉だが、その指示が戦略的に間違っていなければ、「意見」として受け入れる柔軟性は持ち合わせていた。

「けど、話されないってことは、私は私の価値観で行動するから」
『そもそも行動に規制はしていない。好きにすればいい』
「へぇ、いいのかしら?」

 朝霞の視線の下、今度は心優が直政の手を引っ張って出かけていく。
 それを何となく見送っていた朝霞の耳を、一哉の言葉が二重の意味で震わせた。

『邪魔になれば排除するまでだ』
「・・・・ッ」

 電話越しなのに底冷えする言葉に朝霞は思い出す。
 自分と一哉は協力体勢であり、味方ではない。
 一哉は鹿頭家に復讐のチャンスを与え、朝霞たちは見返りに戦力を提供する。
 度の過ぎたことは契約違反だとしてしない。
 故に一哉は第二次鴫島事変の折、単身で殴り込みをかけたのだ。
 朝霞に期待したのは援軍要請のみ。

「すごんでも意味ないわよ」

 簡単な恫喝に屈したりせず、ただ屈せずに考えることを教え込まれてきた。
 一哉は意味のない警告を発したりしない。
 きっと、今起ころうとしていることは、鹿頭家と熾条一哉の間に交わされた契約とは基本的に関係ない場所に位置しているのだろう。

「今回は鹿頭家としてではなく、鹿頭朝霞として動く。あの時、あんたが瀞さんを助けるためだけに動いたように、ね」

 朝霞は壁から背を離し、切り際に一言。

「でも、結局あんたの最終目的って何なのかしらね?」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 明確な目的を持たず、裏にしがみつく後見人に一矢報いた朝霞は、その返事を聞かずに電話を終えた。



神代カンナside


「―――ふむ・・・・」

 やや体が熱いカンナは砂浜に出るなり、周囲を見回した。
 完全に日が暮れた砂浜は、波が寄せる音のみが支配している。そして、その音が陸と海の境界を表現していた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 巫女装束を身につけているカンナは袂から玉串を取り出す。
 小さな鈴の音を発して彼女の手に収まったそれは、音色と共に【力】を放出していた。

―――シャンッ

 一度、大きく鳴らす。
 その瞬間、この結界内に鈴の音が反響した。

―――シャンッ

 足を動かす。
 手を動かす。
 体全体を動かす。
 そうして作られたひとつの舞に、周囲を彷徨う霊たちが気が付いた。
 彼らははじめ、自分たちを認識する存在に敵意を抱く。そして、襲いかかろうとする。

―――シャンッ

 だが、玉串の【力】とそれを膨れ上げる舞の威力に彼らは骨抜きにされた。
 カンナの存在が敵対するものではなく、安らぎを与えるものだと気づく。
 戦争から数十年経った今でも帰れずにいた彼らは、遂に帰郷の途につけることを認識した。

―――シャンッ

 彼らは誘われるように玉串へと近付き、吸い込まれていく。
 その表情は先程までの無表情ではなく、どこか恍惚としたものを浮かべていた。

―――シャンッ!!!

 神楽の締めくくりにひときわ大きく鈴が鳴らされる。
 数百にも及ぶ霊魂が鎮魂されたのだ。
 いや、鎮魂とはやや違う。
 彼女が持つ玉串についた鈴は一種の転送装置だ。
 御魂を吸収し、彼らが帰るべき場所に転送する宝具。
 かつては、中国に伝わる僵尸(キョウシ)と呼ばれる妖魔を鎮めるための宝具だった。
 僵尸は亡くなった人から生まれる、いわゆるゾンビであり、道士が故郷に連れ戻すという話がある。
 その折に使われた鈴が日本へ渡り、さらに九十九神化して神代神社に預けられたのだ。
 特性は簡単。
 魂を集め、故郷へと帰す。
 遺骨回収作業でも英霊は帰還していた。
 それでも遺骨の状態次第では、霊魂が体と離れきってしまい、サイパン島に残された者は多い。
 だから、カンナは上陸するなり彼らを見つけ、見た中では最も多いこの海岸にて送還作業を行ったのだ。

「ふぅ・・・・」

 ため息で今まで漂わせていた荘厳さを押し流し、それでも威厳ある雰囲気に戻る。そして、舞終えたカンナはわずかに弾む息の中、鋭い声を放った。

「叢瀬、いおるな?」

 ただ、央葉がどこにいるのか分からず、周囲を見渡す。
 すると、海面に筒状のものが突き出ていることに気が付いた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 波打ち際まで歩き、持っていた玉串を放り投げる。
 それは狙い違わず、筒のすぐ傍に着水した。

『いたい』

 央葉がご丁寧に防水加工の紙を背中に乗せ、プカーとうつ伏せで浮いてくる。
 カンナは無視し、沈んでいた玉串を引き上げて歩き出した。

『どうして分かった?』

 央葉も気にせず、後をついてくる。

「尾行に自信がある物言いだな」

 荷物置き場に到着したカンナはタオルを取り出し、目の前に央葉を座らせた。

「確かにお前の気配は分からんよ」

 わしわしと髪を拭いてやりながらカンナは続ける。

「ただ、お前の【力】を私が管理している以上、その【力】の気配は感じることができる。・・・・ん?」

 頭に指の引っかかりを感じ、労るように央葉の頭にできたたんこぶを撫でた。

「・・・・言い方は変だが、お前は私の所有物みたいなものだからな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 大人しくしていた央葉が仰け反るようにして背後のカンナを見上げる。そして、くりくりした目がパチパチと瞬きをした。

「・・・・あ」

 変だ。確かに変すぎる。

「すまない。別に叢瀬がペットみたいとは言っていない・・・・ぞ?」

 央葉はカンナから離れ、砂浜にしゃがみ込んだ。そして、右こぶしを右こめかみにこすりつける。

『にゃーお』
「招き猫か!?」

 スパンと央葉の頭を叩いたカンナは肩を落とした。

「お前といると調子が狂う。・・・・褒めてないからな」

 言葉を受け、スケッチブックに走らせていたペンが止まる。

「・・・・本当にいい人選だ」

 カンナも砂浜に座り、持ってきていた水のペットボトルに口をつけた。

「気配がなく、無口・無表情では情報が漏れない」

 カンナは言葉と共に央葉の顔色を窺うが、変化なし。

「普通なら、私に気付かれず、気付かれて勘づかれなかったんだろうが・・・・あいにく、私は先輩の後輩なのだ」

 央葉を遣わしたのは、“銀嶺の女王”・叢瀬椅央か、“東洋の慧眼”・熾条一哉だろう。さらに央葉を選んだ理由は先に上げる理由の他にカンナの周辺にいてもおかしくないこと、央葉自体の高い戦闘力が上げられる。
 これを総合し、とあるケースを当てはめると、央葉はピッタリの人選なのだ。

「私は何者かに狙われているのか」

 央葉の陰行スキルは敵に気付かれないため。
 カンナに近しい人物は敵に不審を抱かせないため。
 央葉の戦闘力はカンナを守るため。

「ふむ、首謀者を撃破するための布陣でもあるのか?」

 だとすれば、椅央より一哉の方が、らしい人事だ。

「当たりだな?」

 質問でもなく、確認でもない央葉にアクションを取らせるための言葉。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 央葉は立ち上がり、明後日の方向を向いた。

(分かりやすい反応だ)

 きっと教えてくれたのだろう。

「ま、これからはこそこそせず、堂々と傍にいるがいい」

 【力】の気配があるのに姿が見えないのは気味が悪い。

「さ、帰る―――っ!?」

 立ち上がろうとしたカンナは央葉に突き飛ばされた。
 尻餅をつく瞬間にカンナは央葉を見上げる。そして、その間に何かが横切り、通過した際には赤い飛沫が舞った。

「・・・・っ!?」

 頬に付着した赤い液体は血だ。

「叢瀬!?」

 左手で右腕を押さえた央葉はカンナをかばうように前に出た。

「―――ほお」

 月夜に輝く金色の髪。
 Tシャツとジーンズだが、それ故に引き立てられるスタイルの良さ。
 なにより、愉悦を滲ませつつも油断のないつり目。

「両腕を貰うつもりが片腕を傷つけたのみ、か」

 彼女の指先、正しくはつま先が赤く染まっている。
 彼女はそれをゆっくりと舐め取った。

「うむ、やはり貴様か」

 血をペロリと舐めた彼女は目を細め、央葉を見遣る。

「それに久しいな、カンナ。大きくなりおったわ」
「・・・・なに?」

(どういうことだ?)

 金髪の女はふたりを知っているという事実。
 それがカンナを混乱させた。

「さあ、妾の【力】を返して―――」

 央葉が発光し、無数の光が彼女に伸びる。そして、着弾と同時に閃光が弾けた。

「・・・・ッ」

 容赦なく全力で攻撃した央葉はカンナの腕を取って走り出す。

「お、おい」

 引きずられたカンナは荷物置きからひとつを掴み上げるのが精一杯だった。
 ふたりはそのまま砂浜から道に出る。
 すると、そこには星条旗が描かれたジープが止まっていた。
 さらに傍に軍服の白人が転がっている。
 彼女を乗せてきて、昏倒させられたと見た。

「奴はこれでここに来たのか・・・・」
『乗る』

 と書かれたスケッチブックをカンナに放り投げた央葉は追撃として何発も光を撃ち込む。そして、カンナが乗り込んだことを確認するとキーを回してエンジンをかけた。

『舌噛むな』
「―――っ!?」

 ポイッと何かを放り投げた央葉はアクセルをふみつけ、ジープを急発進させる。

「はは、見事な引き際・・・・ん?」

 背後で起きた爆発を気にすることなく、ジープは猛スピードで結界を抜けていった。



 死の谷。
 一般的には研究開発した製品が、市場のニーズに合わなかったギャップのことを言うが、今回はその文字通りの意味として使う。
 主に米軍が大苦戦した谷を「死の谷」と呼ぶことがあり、アフガニスタンの戦いでも「死の谷」という言葉は出てくる。
 太平洋戦争におけるサイパンの戦いのタポチョ山攻防戦でも、この「死の谷」は使用された。
 当時、タポチョ山はサイパン守備隊総司令部が置かれ、米軍の戦略目標となる。
 米軍はタポチョ山攻略に左翼に海兵第二師団、中央に陸軍歩兵第二七師団、右翼に海兵隊第四師団を配し、砲撃や空爆を加えた後、戦車を先頭にして前進を開始した。
 対する日本軍は歩兵第四三師団約九〇〇〇名・独立混成第四七旅団他約六〇〇〇名であった。
 激戦が交わされ、両軍に多数の死傷者が出る。
 特に歩兵第百十八連隊・独立歩兵第三一五大隊(河村大隊)の残存兵力が守っていたタポチョ山南麓の谷は数日間米軍を押し返した。
 結局、米軍はタポチョ山攻略に一週間ほどかかり、その要因は「死の谷」付近の遅延にある。
 圧倒的兵力差にあっても諦めず、頑強に抵抗した兵たちがそこにはいたのだ。


「―――はぁ・・・・はぁ・・・・ぐっ」

 カンナと央葉はジープを乗り捨て、ジャングルの中を歩いていた。
 神代神社内の見回りで山道を歩いていたが、ジャングルは違う。
 あっという間に体力を消耗し、引きずられるように進むだけとなった。
 おまけに足袋に草履なので、歩きにくい。しかし、央葉が強引に手を引いているために止まるわけにはいかなかった。

『少し休憩する?』
「はぁ・・・・はぁ・・・・助かる」

 露出した岩に腰掛け、胸元を緩める。

「ここは・・・・?」

 多い。
 一目見ただけで三桁の英霊がいた。

「そうか、ここが・・・・」

 心優に聞いたサイパンの戦いにおける激戦地、タポチョ山南麓に位置する谷。
 通称、死の谷。

「・・・・ふぅ」

 頭を振って意識を繰り替える。
 そうすると、英霊たちは見えなくなった。

「・・・・で、奴は何だ?」

 息を整えたカンナは央葉を睨みつける。
 自分を護衛していたのだ。
 何か知っているに違いない。

『分からない』

 だが、央葉は首を振った。
 さすがにこの期に及んで隠す意味はない。
 央葉は本当に知らされていないのだろう。

『でも、あいつ危ない』

 確かに危ない。
 奴は央葉の攻撃を真正面から受けたのにピンピンしていた。

(どういうことだ?)

 カンナは腕を組んで考え込む。
 カンナの目から見ても、叢瀬椅央という人物は央葉を溺愛していた。
 熾条一哉にしても央葉の戦闘力は必要なはず。
 こんなところで磨り潰すわけがない。
 ならば、椅央や一哉からしても、奴の戦闘力は予想外だったのだろう。

(奴はなんなのだ?)

 人の姿をしていたが、あまり人とは思えない。だが、妖魔とも思えない。

「・・・・ッ!?」
「なっ!?」

 急に央葉が抱き着いてきた。そして、そのまま地面に押し倒される。
 巫女装束が泥にまみれ、鮮やかな色彩がくすんだ。

「―――妾が何者か気になるか?」

 央葉の光を手で払いのけた女は木の枝から二人を睥睨する。

「こうすれば、少しは分かるか?」

 月を背にした女は帽子を投げ捨てた。そして、体から金色の粒子を振り散らせる。

(この光・・・・)

 カンナは思わず全身を金色に発光させている央葉を見遣った。

「ふふ」

 きゅっと瞳孔が獣のように縦に伸びた女はつり目を愉悦に歪ませる。

「玉藻御前より数えて3代目―――」

 頭や尻から金色の毛に覆われた部位が現出した。そして、その尻から生えたものは1本ではない。

「妾の名は“九尾の狐”・せん」

 ピコピコと耳を動かし、フリフリと尻尾を振ってみせた。

「“九尾の狐”だと・・・・」

 九尾の狐。
 中国神話に出てくる妖魔とされているが、霊格は最上級であり、それはもはや神と言っていい存在だった。
 日本でも玉藻御前が有名であり、平安時代とは言え、八万の大軍を壊滅させるほどの強さを持っていた。
 その玉藻御前の孫と名乗る、目の前の妖狐・せん。

(九尾の狐は・・・・確か・・・・)

『八本』
「ん?」

 央葉がカンナとせん、両方に見える角度でスケッチブックを掲げる。

「そう、八本だな」

 せんは満足そうに頷き、一本足りない尻尾を撫でながら央葉を見遣った。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 央葉と同じ金色の光。
 一本足りない尻尾。
 せんが央葉を追うわけ。

「まさか・・・・」

 カンナの声が震える。

「貴様なのか、叢瀬に能力を与えたのは」

 叢瀬央葉は人工授精によって生まれた『叢瀬計画』の被検体だった。
 『叢瀬計画』において、能力発現だけでなく、その後の個体成長を見越した個体だった故に命を紡いでいる。しかし、「作られた能力者」であることに変わりはなかった。
 異体質能力者、通称、異能力者は、後天性と先天性に分けられる。
 後天性は何らかの妖魔によって強い妖気を受けた場合に発現すると考えられており、それが遺伝子レベルにまで影響した時、先天性となる。
 加賀智島研究所によって、発現する能力は影響を与えた妖魔に起因するという研究結果が得られていた。
 故に央葉の能力にもオリジナルが存在する。

「ふ、そうだ。そいつの能力は妾の能力のひとつ」

 せんは手のひらに光を凝縮させた。

「忌々しいことに一本切り取られ、離島に運ばれていたが、な」

 その光を右手に集めてそれを空に掲げる。

「だから取り戻す」


―――ォォオオオオッ!!!!!!!!!


 親指と中指が乾いた音を立てた瞬間、死の谷は再び死者で溢れかえった。






鹿頭朝霞side

「―――はは、これは笑えないかしら」

 朝霞は乾いた笑い声を上げた。
 ここはタポチョ山とサイパン国際空港との間である。そして、今は車で移動したふたりとせんを見失っており、当てもなくさまよっていた。

(私、ちゃんと帰れるのかしら?)

 語学に自信のない朝霞は不安そうに辺りを見渡す。そして、気付いた。

「え、結界?」

 周辺に人影がないのはどうやら人払いの結果のようだ。

(ってことは・・・・この辺り?)

 イヤリングを鉾に変え、臨戦態勢を整える。

「・・・・ッ」

 すると、それに反応したのか、周囲の霊圧が高まり、霊魂が顕現した。

「こ、これは・・・・」

 彼らは皆、小銃を持ち、お揃いの軍装に身を包んでいる。しかし、その表情は虚無に支配されており、やや背を曲げて歩く姿は幽鬼そのものだった。

「これは・・・・まずい・・・・?」

 幽鬼の数は目に見えるだけではない。
 茂みの向こうにはもっといる。
 朝霞には霊との戦闘経験はない。
 そもそも幽霊を認識するための訓練もしていない。
 そんな朝霞が見ることができるということは何らかの要因にて幽霊1体1体の【力】が強いのだ。

(逃げられるかな・・・・)

 元来、悪霊などと呼ばれて人に悪さする霊は未練などによってこちらの世界でも通用する【力】を保っている。だが、大部分の幽霊は自分を認識できる者に対してのみ【力】を発揮し、そこに悪意など本来は存在しない。
 故に退魔師は彼らのことを無視し、相手にするのは霊を供養する宗教関係の者たちだった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 朝霞はじりじりと下がる。
 霊をこれほど多く顕現させている要因は結界以外に考えられない。
 ならば、結界内のみ、彼らの行動可能区域となる。
 だったら、朝霞が結界から出てしまえば、何の問題もないのだ。

「・・・・ッ」

 背後から殺気を感じ、炎を展開。次いで殺気の方向に炎を放つ。
 一夜譲りの速攻を叩き込んだ。

「・・・・え?」

 背後にいた霊は燃えていない。
 しかし、今はそれでいい。
 問題なのは小銃を構えている場所だ。

「うそ・・・・外にいる・・・・」

 結界に囚われないとすれば、まずい。

(確か近くにある飛行場の名前は・・・・)

 サイパンに来る途中、心優から聞かされた話を思い出す。
 サイパン戦には日本軍600人が全滅したアスリート飛行場奪還作戦がある。そして、サイパン国際空港はそのアスリート飛行場が前身だった。
 もし、ここに集った霊がその600に属していた兵ならば、国際空港に向けて流れ出しかねない。

「・・・・止めないと」

 鉾を握りしめ、表情を引き締めた。

「アメリカがどうなろうと知ったこっちゃないけど」

 サイパンはアメリカ領。
 つまり、国連退魔組織アメリカ支部の縄張だ。

「英霊様に戦争は終わったと教えてあげるのも子孫の役目よね」

 “気”の高まりを感じたのか、兵たちが一斉に弾込した。

(炎、効くんでしょう―――ッ!?)

 霊がはじける音が背後から響く。そして、それに反応して小銃を構えた兵を礫が撃ち抜いた。

「―――ふん、燃やせないなら邪魔」

 数個の礫――鉱物を従えた亜璃斗が歩いてくる。
 その向こうには、蹴散らされた兵たちが倒れていた。
 それらは点滅を繰り返し、数秒後にはかき消える。

「物理攻撃専門が・・・・ッ」

 神秘性ゼロと思っていた地術師が除霊して見せた。
 その事実に驚く。

「パワーストーン」

 隣に並んだ亜璃斗が種明かしした。

「ガセじゃないの、それ」
「正しい鉱物、形などの条件をクリアすれば大丈夫」

 亜璃斗が朝霞の前に水晶を放り投げる。

「浄化、邪気祓いの効果あり」

 ふふん、と勝ち誇るように鼻を鳴らした亜璃斗。
 だが、分家の身でパワーストーン効果を生み出すのは辛いのか、不自然なまでに汗をかいていた。
 そんな意地を見せられたら、嫌でも対抗心に似た闘志が湧く。

(でも、そんなことは言っていられないわね!)

 兵たちが一斉に引き金を引いた。しかし、それらは中空より下ろされた炎のカーテンによって焼き尽くされる。

「役割分担しましょ」
「分担?」
「私が防ぐから、倒して」

 人体にダメージを与えられる物理攻撃は朝霞が防ぐ。
 霊体に対してダメージを与えられる朝霞が叩く。
 ふたりの能力からすれば真逆の役割。

「銃弾からは守ってあげるから、あんたは安心してばらまきなさい」

 どうせ、一発必殺じゃないんでしょ、は言わずとも伝わった。

「・・・・生意気」
「そっちこそ」

―――ォォオオオッ!!!!!!!!

 効かぬ単発攻撃に業を煮やした百を超える霊体が滑るように動き出す。
 太平洋戦争中期に頻繁に行われた総攻撃――バンザイ突撃が始まった。
 結果、ふたりは勝利する。だが、霊体に対し、絶大な戦闘力を持ったふたりが一定時間足止めされたことは事実だった。









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